第3話 バレなきゃ良いんじゃない

 忘れ物イベント――それは男女のいずれかが物を忘れ、一つの物を二人で共有するという、慈愛に満ちたハートフルな事件…なのだが、この成立条件は片方が物を忘れることは言うまでもなく、もう片方が持ってきていることである。

通常、このような事態において両者共に忘れるといったことはないのだが、当然例外も存在するわけで…


 「あ、理科の教科書忘れちゃった」


小野寺さんが理科の”り”の字もないカバンの中をまさぐりながら、ため息のようにそう言った。

 この時点で、忘れ物イベント成立条件の半分は満たした。あとは彼が持ってきていればこのイベントは完全成立するわけなのだが…


 「あ、理科の教科書忘れちゃった」


冬斗が理科の”り”の字もないカバンの中をまさぐりながら、ため息のようにそう言った。


 「そのくだり五秒前に見たぞぉ」


前の席に座る小蕾が腰をひねってまるで出来の悪い兄妹を憂うようにこちらをみて言う。


 「「だって忘れたんだから(もん)」」


 「はぁ…」


あきれたように小蕾は前を向きなおして体勢を戻す。


 そうなのだ。彼らにとって、忘れ物イベントの成立条件その1を二人同時に満たすが為に、成立しない。忘れすぎても忘れ物イベントは発生しないのだ。このあんぽんたん二人組にしてみれば、奇跡のような条件一致により初めて、机という架け橋を連ねられるのだ。


 協議の結果、机をくっつけてどっちかが持ってきているフリをしようということになった。

このメリットはどっちが忘れていてどっちが持ってきているのかが先生にはわからない、すなわち両者共に教材を忘れたクラスメイトに自分のを見せてあげている優等生である可能性を被ることができる点だ。


デメリットは、私たちは馬鹿ですと言っているようなものである点。

当然この二人は理解していない。


 「これならバレないね、席位置も相まって教材持ってないのも見えにくいし」


 「あぁ、やはり俺たちは天才だ」


なぜか小蕾は頭を抱えているようだ。


 だが俺たちはこの案が駄作だったと気づくことになる。それは…

理科担当がオギセンだった!

 最重要事項である教員が誰か問題をすっかり忘れていた。よりにもよってオギセンとは...怖い先生とかなら怒られるにしても二人でだから怖さは特段感じることもないだろうが…おぎせんかぁ....


 「オギセンかぁ…」


 「ヒヤカサレルネ」


小蕾が「違う、愚点はそこじゃない...」とかぶつぶつ言っている。


 キーンコーンカーンコーン


 「授業を、はぁじめますよぉ!」


けたたましく入ってくる様にもはや教員と呼べる面影や尊厳はなく、生徒の敬意対象から除外されること請け合い。

まぁものは考えようだ。オギセンであればからかいこそすれ過干渉はポリシー的にしてこないだろう。

俺は彼女なんて毛頭欲しいわけではないから、入学後間もないこの時期に周りから誤解されようとも、俺の熱い主張を聞くうちに皆俺が交際なんぞにうつつを抜かすような者じゃないとわかってくれるだろう。長い目で見て、ノープロブレム。


 号令がかかり終わると、不自然な位置に座る俺たちを、オギセンは見逃さなかった。

 「Hey Hey HEY‼ Very HOTだねぇ、しょーねんしょーじょたちぃ!へぇい‼」

 という目でこちらを見ている。オギセンが。いやいや、俺はほんとにそんな気はないんだって。


 昔から好きでもない人といるだけで冷やかされるのが嫌いだった。されていい気になるやつはいないだろうが、人一倍嫌いな自信が俺にはあった。自分がその人とカップリングされることが嫌なのではない。そんなものはガキのいたずらか大人の悪ふざけ。大した意味など持ってやしない、一時的な話題でしかない。気の毒なのは相手の女の子の方だ。俺のせいで笑われ、向こうだって好きでもない奴とひっつけられて弄ばれて、なにより俺のことが好きなのではないかという噂をされるのはさぞかし嫌だろう。自意識過剰だとか、ナルシストとか言われるかもしれないが、そうであるならばいいのだ。杞憂で終わるのならば、それで。だが女の人は何かと恋愛ごとに絡ませたがるし、根拠もない噂に興味をもって広げたがる。結果火のないところに煙を焚かれ、さもその下に火があるかのように、虚像を事実として本人の意思とは関係なく創り上げる。このノリは女性に限ることでもない。当然男も恋バナを好み、探り、妬み、広げ、そして冷やかす。そんなノリが、大嫌いだ。


 つまるところ、彼女だ彼氏だなんて軽いだから冷やかされるのだ。結婚してるやつを冷やかす馬鹿がどこにいるだろうか、いやいない。いるはずがないのだ。それは正式に国の手続きを踏んだ法的な制約を含めて受け入れあった真の恋愛なのだから。

笑える余地などどこにもないのだ。それを笑っていいのはその夫婦だけ。正しき恋愛などわかりやしないが、一つの確信として、笑える恋愛ではなく笑う恋愛なのだと、俺は思っている。


 というわけで、我々"理科の教科書忘レマシターズ"はどうにかこうにか熱くも冷ややかな目線をかいくぐりながらも、授業を受けていた。


 「バレてなさそうだね。絶対先生変な誤解してるけど」


 「このまま乗り切れそうだな。絶対先生変な誤解してるが」


 結局、今感じているなんともやるせないような羞恥と、教科書を忘れたと正直に先生に告げる面倒さ。どっちが楽だろうか。うん。後者に違いない。だがもう戻れない。


ここまで来て今更先生に申し出るのは今まで授業なにしてたのって話になるし、なにより小野寺さんの眼を見てみろ。

童心を溢れんばかりに含ませた無邪気なこの眼。実写版キノピオ隊長だ。

おそらくバレるかバレないかで先生に教科書忘れを黙っておくというイケナイコトをしてる感がたまらないく楽しいだろう。

それを見ると、先生に言えるはずがない。この光で満ちるまなこを失望の闇で包むわけにはいかないのだ。


 「これより陣形を指揮します、桜田です。小野寺指令、よろしくお願いします」


 「よろしく、桜田一尉。お手並み拝見と行こうか」


 「お前ら何やってんだよ...」


 小蕾が呆れてこちらを振り返る。

 小野寺指令はサングラスをかけて机に両肘をつき、口の前で手を組む。俺は指令にオギセンの動向から作戦を立てていく。


 「第4(限目)のヒト"オギセン"我々から見て黒板右側に移動開始。作戦変更、教科書を見る体勢に移行します」


 俺たちはあたかも教科書があるかのように机に目をやり、興味深そうに木目を眺めた。


 「"オギセン"黒板中央へ移動。教卓の前に立ちました。教科書を見る体勢をやめます。近く、危険はないかと」


 「出撃の用意をしろ」


 「え?」


 「起動しろ」


 「ですがパイロットが......!?本気ですか!」


 「に行かせる」


小野寺指令は依然顔の前で手を組んだままだ。本気だ。


 「カンダ君、イスに乗りなさい」


俺は厳格にも憂いを込めて言った。


 「…は?」


 「我慢なさい、男の子でしょう」


 「何言ってんだ?」


 「………………」


 「………………」


 「変ですよフユトさん! 急にこんなことになってて、わけわかんないですよ‼」


 小野寺指令が動く。


 「カンダ、イスに乗れ。」


 「意味わからん…」


 「………………」


 「………………」


 「分かんないよ!」


 「それは作品が違う」


 「乗るなら早くしろ。でなければ帰れ!」


小野寺指令の声が半径一メートル以内に轟く。


 「僕は…僕はこの席のパイロット、カンダ小蕾です!」


時を同じくして、オギセンがこちらを見る。


 「ここの問題をぉ、じゃあ小野寺さん。おねがいねぇ」


なんと。小野寺指令は"オギセン"が教卓にある教科書に目をやったことで誰かしらに解かせてくるのを悟り、なおかつ少なからず目立っている俺たちに当ててくるということが分かっていたのか。


 「出撃だ」


 小野寺指令が命令を下す。


 「発進!」


俺の声とともに小蕾が椅子に乗る。というか立つ。シューズのまま。


 「やります……僕が解きます!」


 「そ、そぅ?椅子に立ってまで解きたかったのね。いいわよぉ、前にきて黒板に書いてぇ」


 こうして俺たちは小蕾を見送った。歩きながら小蕾が「逃げちゃだめだ…」とか呟いてオギセンが「え?」とか聞き返したりしていた。


 「でもこの問題難しいのにぃ、やる気あるのねぇ」


オギセンの声で小蕾は我に返る。


 「げっ、熱膨張かよ......」

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