勇者ウォルツは本当に実在したのか

虎戸リア

第1話:勇者伝承の残る村にて


 閑散とした村に、雪交じりの夜風が通り抜けた。世界がまるで静止しているかのような静けさの中、女性の声が響く。


「ううう……寒い。もう春なのに、なんでまだ雪が降ってるのよお」


 そんな風に愚痴りながら、コートとマフラーでモコモコになった女性が凍った地面で滑らないように、ゆっくりと歩いていた。


 北国であるこのフューヴァルでは珍しい、褐色の肌に金髪のその女性は、息で曇った眼鏡を拭きつつ、この村唯一の酒場兼宿屋――"折れなかった槍亭"の扉を開けた。


「ふあ……あったかい」


 中から聞こえてくる喧騒と暖かい空気。

 天国に来たような心地に包まれ、その女性は思わず恍惚の笑みを浮かべてしまう。そんな彼女を見て、その宿の受付兼カウンターに立っていた、翡翠のような色の瞳が特徴的な初老の男性が柔和な笑みを浮かべる。


「ああ、お帰りなさい、イブキさん。どうです? 何か研究の進展はありました?」


 その女性――イブキがコートを脱いでカウンター席へと座りながら答えた。


「ただいまです、レキンさん。ぶっちゃけ全然ダメでした! 寒いわ何も聞けないわでもう散々です」


 その言葉に、この"折れなかった槍亭"の、数えて三十二代目となる主人――レキンが残念そうな表情を浮かべた。


「あらら……。とりあえずまずは温かいスープとホットワインを用意しましょうか?」

「お願いします」


 そう言ってイブキがカウンターから離れたレキンを目で追っていると、少し離れた席に見慣れない男性がいることに気付いた。

 

 自分と同じぐらいこの国ではあまり馴染みがない、少し黄色がかった肌色にカラスの羽根のような深い黒色の髪と瞳。


 その横顔を見て、一瞬ドキリとしてしまう。それほどまでにその顔は整っていて、どこか目を惹きつけるものがあった。


 しかしその身なりは貧相で、不老者のようにも見え、よくても下級労働者辺りだろうか。なのに腰には不思議な形状の剣――確か東の島国の古いタイプの刀剣、を挿し、そのおかげかどこか高貴な雰囲気を纏っていて、見る者はどこかチグハグな印象を抱いてしまう。


 そんな彼は何も食べておらず、ゴブレットに入ったワインを舐めるように少しずつ飲んでいた。


 そうやってさりげなく観察していると、レキンがスープの器を持って戻ってきた。


「お待たせしました」


 イブキの前に置かれたその乳白色のスープからは、湯気と共にキノコの芳醇な香りが立っていた。


「うわあ……美味しそう! 今日は何のスープですか? 実はこれが楽しみで、ここに泊まっているようなものですから」


 イブキが目を輝かせてそう聞くと、レキンが苦笑しながらそれに答える。


「それは嬉しい話ですが……今日のは、が考案した〝竜茸のクリームスープ〟ですよ」


 その名前を聞いて、イブキがその端正な顔を歪めた。


「うげ……スープに罪はないけど、もうその名前はもう聞きたくない……おのれ勇者ウォルツ……ここでも私を苦しめるか!」


 そうイブキが嘆くと――横からガタリと椅子が動く音がした。


「……そこの金髪乳デカの姉ちゃん。そいつはちと聞き捨てならねえな」


 そう言いながらあの黒髪の男がこちらへとやってくる。


「き、金髪デカ乳!?」


 そのあまりに失礼な言葉に、イブキが赤面しつつコートで胸を隠した。


「あん? そのまんまだろうが。ちょいと横、失礼するぞ」


 まだイブキがいいともなんとも言っていないのに、その男が彼女の横の席へとドカリと腰掛けた。


 その動きは粗暴だが、どこかそれが似合っていて、なぜか不快感はない。


「な、なんなんですか貴方は」

「それはこっちの台詞だ。どうやらあんたは勇者ウォルツが嫌いそうだが、その理由を教えろ。あいつは英雄? なんだろ。この村にも退の伝説が残っている」


 男の言葉に、イブキが困惑する。

 新手のナンパ? にしては変なアプローチの仕方だ。


 普段ならそんな相手は一蹴する彼女だったが――なぜかこの男に対してだけは素直に言葉を返してしまった。


「嫌いですよ、勇者ウォルツ! 私は民俗学者で世界各地の民間伝承を調べているんですけどね、いっつもその名前が出てきて困っているんですよ! 時代も場所もバラバラなうえ、やってることもめちゃくちゃなのになぜか英雄視されてるし、前後の伝承との整合性もないし!。そもそも出てくる時代の幅からして同一人物なわけないのに、ずっと同じ名前で出てきますし! まあ、たまにだったり、だったりしますけど」


 そうイブキがまくし立てると、なぜかその男がクツクツと笑い始めた。


「なるほどなるほど……そういうもんなのか。そいつは悪かったな」

「はい?」

「なんでもない。ということは、あんたは勇者ウォルツの真実を知りたいってことでいいのか?」


 その問いの意味が分からず、思わずイブキは首を傾げてしまう。


「真実……?」

「だってそうだろ? 俺にはあんたが、勇者ウォルツが本当にいたのかを疑っているかのように聞こえた」


 その男の言葉は、確かに最近イブキが抱いていた疑念を見事に見抜いていた。


「確かにその通りです。ある意味それが今の私の研究課題かもしれません――


 それを聞いて、少しを間を開けて男が大笑いする。


「あははははは! そりゃあ傑作だな! 勇者ウォルツが本当に実在したかだって!? それはなんとも珍妙なことを言う!」

「……何がおかしいんですか」


 拗ねたような顔をするイブキへと、男が意地悪そうな笑みを向けた。その瞳を見て、イブキは思わず息を呑んでしまう。


 黒曜石のような煌めきを放つその黒い瞳の瞳孔が――なぜか一瞬、縦長になったように見えたからだ。


 だが瞬きすると、彼の瞳は元に戻っていた。


 そんなことは知らずに男がイブキへとこう告げる。


「なら、俺が教えてやるよ――勇者ウォルツについてな」

「……はい? 貴方が?」

「そうだ。あんたが喉から手が出るほど欲しい、真実ってやつをだ。ただし――」

「……ただし?」


 勿体ぶったその言い方に、イブキがついに前のめりになってしまう。その時には既に、男の術中に嵌まっているとも気付かず。


 だから男はニヤリと笑い、こう言葉を続けた。


「あんたが……


 こうしてイブキは渋々、ワインのボトルを一本入れたのだった。

 嬉しそうにワインを飲む男が、ゆっくりと語り始める。


「あれは丁度、初夏を感じさせる、春のみなとの頃だった――」

 


***


 瞼の向こうがやけに明るくて、俺は目を覚ました。

 耳に飛び込んでくるのは喧騒。


 あるいは、何かの祭だろうか? 太鼓と笛の音が、とっくの昔に消えたはずの幼い頃の感傷を少しだけ想起させる。


「あ"あ"あ"あ"あ"……クソ……」


 起き上がった瞬間に頭に鈍い痛みが走り、胃がとんでもない不快感を訴えた。さらに声がガラガラに枯れていて、まるで口全体が砂漠のように乾いていて、舌をどこに当ててもへばりついてしまう。



 それが真実であり、俺はまさしく二日酔いの真っ只中だった。


 昨晩、俺の為に開かれた宴で調子に乗って飲み過ぎて、途中でいつものようの抜け出したあとのことは、あまりよく覚えていない。


 だが少なくとも昨日俺がいたのは、月と星が支配する、あの銀砂漠の王宮の中だったはずだ。


「なのにここは……どこだ」


 そこは見る限りどこかの村の路地裏だった。舗装すらされていない地面の上で寝たせいか、体中が悲鳴を上げている。


 だが左右の建物や路地の向こうに広がる景色、何より少しひんやりとした空気感からしてここはあの王宮ではない。


 木製の家が並び、やけに傾斜がキツくカラフルな彩りの屋根が特徴的だ。おそらくはかなり北の方の土地だろうことは分かるが正確な位置や国……そして時代までは分からない。


「……またか」


 思い当たることしかなく、俺は右手に嵌まっているを睨み付けた。忌々しい……クソッタレな呪いだ。


 そして例によって例の如く、せっかく貰った金も宝石も装飾品も全て無くなっている。


 おそらく俺の唯一の正統な所持品であろう、あの剣も見当たらない。


「どこ行きやがったあのバカ」


 そう思わず愚痴りながら、俺は路地を出た。見上げると、北国独特のあの透き通るような高い空がどこまでも続いていて、太陽の位置からしてもう昼過ぎだろうことだけは分かった。


路地の先はおそらくこの村唯一の大通りで、奥にある広場では春祭らしき催しがされている。


「なるほど、さっきの祭囃子はあそこからか」


 良く分からない花の飾り付けに、旅の一座による陽気で愉快な異邦の音楽。そこかしこに屋台が並び、美味そうな匂いが漂ってくる。


「うっぷ」 


 それに刺激されて胃がぜん動し、吐き気が込み上がってきた。


「ああ……もう二度と酒は飲まないから、勘弁してくれ」


 思わず、信じてもいない神にそう縋ってしまう。

 とにかく、何はともあれ水分補給が必要だ。


「どっかに川か井戸はないか?」


 俺がふらつきながら、建物の壁に手をついて水を探していると、丁度目の前にあった扉から、青年が飛び出てくる。


「あああ……どうしよう……どうすりゃいい!?」


 冴えない様子の青年が、困り果てた様子で周囲をキョロキョロと探っていた。


 当然、すぐ近くにいた俺とも目が合う。


「ん? あんた誰だ? うちの村のもんじゃないな? ラフリ一座のもんか?」


 俺は訝しげにこちらを見つめてくるその青年から、そいつが飛び出てきた建物に掛かってある看板へと視線を移す。


 そこには、"折れた槍亭"と書かれていた。


 おそらくは酒場かあるいは宿屋か。

 いずれにせよ、水と食いもんはありそうだ。


 そしてその青年は何やら困っていそうで、俺も素寒貧で困っている。


 だから……俺はゆっくりとその男へと近付くと、自信満々な笑みと共に何の根拠もなくこう言い放ったのだった。


「その悩み――。だからまずは水をくれ」



*作者からのお知らせ*


こんなのも書いてます。メカとか出てくる異世界ファンタジーです!

良かったら読んでくださいな!


傭兵の街のゴーレムラヴィ ~秘匿された実験部隊から抜け出した強化人間の少女は、元英雄に拾われ傭兵となるようです~

https://kakuyomu.jp/works/16817330666895175322

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る