第18話 嫌み

 たび重なるK課長の妨害にも関わらずリーダーのKさんの差配により仕事は完成に近づいていった。

 内側を表現する回路シミュレーションと外側を表現するモデルシミュレーションが合致するように、日夜大型コンピュータが人知れぬ場所で何億円もの電気代を消費しながら稼働する。


「こちらのマイクロプログラムの性能が良いから、他のチップは性能出すのが大変だってこぼしていたぞ」

 三社会議から戻って来たK主任が教えてくれる。

 他の二つの会社は、うちより小型のCPUをやっているので、本来なら小回りが利いて速いはずなのである。

 報われた、と感じた。どこの文書に記録されるわけでもないが、それでもうれしくなる。自分が技術者であることを感じる瞬間だ。


 この頃になると課内の光景はやや異様なものに変じていた。新社屋は大きな1フロアで、そのうち四分の一をこの課が占めている。だが、どこに行っているのか、誰も人がいないのである。特にK課長の机の周りが無人となっている。

 原因はもちろんK課長で、この人物は人を見ると嫌味を言うためである。嫌味とは意識していないのかも知れないが、言うことなすこと嫌味なのである。相手を言葉で害してやろうという考えに凝り固まっている。刃物を振り回す暴漢の周りに人が近づかないのと同じだ。誰もその声が届く範囲には近づきたくない。

 どれだけ真面目に仕事をしていても嫌味は来る。仕事の様子を聞いて一言「そんなの全然駄目じゃない」である。どこが駄目なのかを聞き返すと「それを考えるのが君の仕事だ」とだけ返って来る。これが延々と続く。そして締めの言葉は「それが僕が最初から言っていることじゃないか」で終わる。

 これをやられるとひどい徒労感に打ちのめされる。これが明日も繰り返されるかと思うとそれは絶望感へと変わる。狂人との会話ほど心をウツにするものはない。

 そこで皆は計算機室や喫煙室などに逃げ出してしまったのである。

 しかしそうなると収まらないのは課長のプライドとやらである。

 プライドは頭が悪い人間ほど強固である。賢い人間はそういう防壁を必要としないし、プライドを大事にするため死ぬほどの努力をしている人間はプライドを外に向けて振りまわさない。結果として、自分では何もしない人間のみが、外部に対してプライドを振りまわすことになる。

 そのプライドを振りまわされた先は、より立場の弱い者たちである。


 勤続年数の少ない新人たち。そして、真面目に仕事をしている者たち。そこにK課長の延々と続く嫌味が炸裂した。

 なにぶんこれにはサイコパスでサディストというK課長の性癖が関わるため、終わりもなければ歯止めもない。

 よく虐めに耐えられないのは我慢が足りぬからという論調を聞くがそれは違う。虐められる方が我慢できないレベルまでイジメる方は常に暴走するのである。



 毎日嫌味を聞かされることほど心を削るものはない。

 相手が親族ならまだ許せるだろう。

 相手が義理のある人ならこれも我慢できる。

 相手が自分よりも賢いのならばこれも修行させて貰っているだと考えることもできる。

 だが赤の他人であり、間抜けぶりを晒していてただ軽蔑しか感じない相手が、立場を笠に着て毎日嫌味をぶつけてくる。

 これは堪らない。

 確かに仕事をして給料を貰っている。だが、嫌味を聞かされる分の給料は貰っていない。

 今の言葉で言うならばパワハラである。

 N君もそんな標的にされた一人である。


 彼は荒れた。しかし、会社で暴れるわけにはいかない。

 だから残業が終わると彼は夜の街に出て、出会った見知らぬ会社員相手に喧嘩を売り続けた。小柄な体格ではあったが空手の黒帯である。腕には自信があった。

 巻き込まれる側は堪ったものではないが、そんなことでストレスは解消するわけがない。

 本当に殴りたい相手は毎日課長席に座って目の前にいるのだから。


 結局は大人の解決法が選ばれた。

 彼は辞表を出したのである。

 たちまち部長が飛んできて、彼を牛鍋シャブシャブ屋に連れて行った。これが部長のやり方である。どこの会社でも同じだが部長クラスは多額の交際費が認められている。だから何を驕ろうがご自分の懐は痛まない。

 残念なことにシャブシャブを食べさせて貰ったからと言って、辞表を撤回した者は一人もいない。


 N君は消えた。


 辞める直前K課長にこう言われたそうだ。

「僕の力で二度と他の会社に就職できないようにしてやる」

 なんと幼稚な課長であることか。



 ・・彼の送別会では、課長の前でチャッチャパラパラ間抜けの呪文という歌を歌ってあげた。せめてもの手向けだ・・。

 その直後、I部長はK課長を連れて飲みに出かけた。

 傷心の課長を慰めるためである。平社員のことは牛鍋ぐらいにしか気にかけないI部長も、人閥につながる子飼いの課長はとても大事にしているのだなと感じた。

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