2話 おまけが本番
グウィンにはミオの件で、ずいぶん骨を折ってもらった。
ただランチをおごるのではなく、アイスは車を拾って店を探すぐらいのことも考えていた。
「十六時の予約は地階診療所なの。移動しないほうが楽でいい」
グウィンは欲がなかった。そうしてランチは<美園マンション>のイートフロアという毎度の場所になってしまった。
「ゼイタク言っていいんだよ? 懐石でもイタリアンでもスリランカ料理でも」
「慣れない高級品より、ルンピア(フィリピン風野菜春巻き)とシオパオ(ゆで卵餡の蒸饅頭)食べたい。あたしにとっては、気楽に食べられることが最高のご馳走」
「おごる立場でいうのもなんだけど、そうなんだよね。ナイフとフォークっていうの、あたしも苦手」
グウィンは皿の上での「細かな作業」がむずかしい。手でつまんでもいいものや、一皿料理を好んでいた。
そこはアイスも同じだった。財布に余裕があっても<美園マンション>のゲストハウスから動こうとしないのと同様、余分な付加価値がないストリートフードを好んでいた。
好みが一致する者同士の食事は、雑然としたフロアの中であっても楽しいものだった。
こういう時間をもう少し一緒に過ごしたい気分とともに、話しておきたいこともある。アイスは都合を訊ねた。
「グウィンの時間、もう少しもらっても?」
「話したいことあるって言ってたもんね。かまわないけど、いったん静かな場所に移りたいかな。屋上……は遠いし暑いから〝中庭〟で」
「中庭も十分暑いと思うけど」
ランチのピーク時間を過ぎ、人込みが落ち着いてきているとはいえ、耳が敏感なグウィンには、これでも騒がしいのだ。フロアのクーラーに未練を残しつつ、ふたりして裏口から出た。
湿気をたっぷり含んだむっとした空気と、コンクリートの壁で区切られた箱庭みたいな空に迎えられる。
建て増しを重ねてコの字になった<美園マンション>と、隣のビルの外壁で、小さな中庭のようになった空間で落ち着いた。
地階診療所の利用者がまれに通るぐらいなのをいいことに、美園で働くスタッフが勝手に休憩スペースをつくっている。アイスはイスがわりに置いてあるビールケースを拝借して、グウィンを座らせた。
アイスはそのまま、小さな空を見上げる。
明るい空を毎日眺めるのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
徹夜明けの疲れで見上げる気もおこらないか、夜間の仕事にそなえて寝ているか。あるいは起きていても仕事で動き回っているか。天気を読むときでもなければ、空を見ることすらしていなかった。
「座らないの? 立ったままで左足は平気?」
「優秀な整体師の手技が効いてる。調子はいいよ」
さりとて立ったままでは話しにくい。アイスもビールケースをとってくると、グウィンの隣に並べてすわった。
「グウィンてさ……見えすぎてるぐらいな感じがする」
「そうなの?」
「人間の知覚の八割は目だっていうでしょ? だからつい見えてるとこに頼ってしまう。けど、グウィンは耳や嗅覚で補うだけじゃなくて、推測や推量が深い。だから、よく〝見えてる〟っていう感じがしてる」
「実感ないなあ」
「あたしは見た目で人をごまかしてきた。運動といえば散歩ぐらいしかやらなさそうなオバさんのふりで油断を誘って〝仕事〟して、顔にはりつかせた笑みで人のあいだをうまく立ち回って。
でも、それってグウィンには通じないんだよね。笑うことで無理くり明るいこと考えようとしても、笑ってるのは顔だけだから、声や呼吸で読まれちゃう。本音で話すしかなくなる」
「アイスの顔がよく見えなくて良かったと思えたの、はじめて」
「だから、これから話すことの本気度もわかってもらえると思うんだけど」
「うん」
声のトーンがわずかに変わっただけで、グウィンの姿勢が前傾気味になった。全身で聞こうとしてくれる。
「グウィンは出張施術だけで、店舗は構えないの?」
「あれ? アイスの話じゃなかったの?」
「ごめん。話す順番をちょっと間違えた。先にグウィンに確かめといたほうがいいと思って」
「わかった。えっと、店舗だよね。ひとことで言うとお金がない。整体院を構えてとなったら、備品の購入も結構かかるから」
「お金以外では? いちいちお客のところに出向くの大変じゃない」
「歩くのは好きだから、それはいいんだけど、寒いの苦手だから冬がつらいかな。あと雨の日とか。必要な音が拾えなくて怖い思いしたことある」
「じゃあ、お金の面をクリアしたら店舗でもいいんだ」
「でもない」
「手強いな」
「ん?」
「具体的におしえて」
「店舗となると、お客にとって心地いい空間にしなきゃいけない。行き届いた掃除っていうのが、あたしには難問なの」
「ひとりで何かもしなくていいなら、そこも問題なくなる?」
「アイス、もしかして……」
質問の意図に気づいたらしい。
「引退したらお店やりたいって聞いてたけど、食べ物とか雑貨じゃなかったの?」
「食べ物は衛生管理が大変だし、雑貨やるようなセンスない。グウィンには喜んでもらえるって思ったんだけど、その顔どうみても呆れてるよね。なんで?」
「せっかく自由になったんだから、アイスのやりたい商売やりなよ。整体院なんて稼げる商売じゃないんだし」
「グウィンの顧客なら、そこそこ数いるでしょ? 歩ける人に来てもらったら、最低限の売り上げは大丈夫じゃない? あたしが事務管理や掃除を担当したら、ほかにスタッフ雇う必要もない。あと隅っこでお茶でも売って、小銭稼ぐから」
「そんな大雑把で甘々な事業計画、全っ然、大丈夫な気がしない」
ダメ出しでばっさり切り捨てられたが、表情は悪くなかった。
ひとりで生きることが当然で、仕事の相棒がいても、ひとりでいることに変わりがなく。
ひとりでいることに疲れが見え始めた頃、グウィンに会った。
助けに入ったのは気まぐれではない。
彼女の唯一の〝武器〟であるはずの白杖を奪われても、理不尽な暴力に真っ向から抗う向こう見ずに、自分にはないまぶしさを感じた。
ここで見かけた偶然は、必然かもしれない。
そんな期待をもってグウィンに加勢した。負った怪我が整体師であった彼女との結びつきを強くした過程を思うと、期待は正解だったように思える。
一緒にいることが心地よく、頼れる存在になる人は初めてだった。
グウィンの手が、強張った患部を、疲弊した気持ちを、ほぐし続けてくれた。空気みたいな自然さで、彼女が支えてくれた。
高須賀未央の件にしても、施術の予約をとっていたせいでグウィンを巻き込んだと思った。
しかしグウィンは、借りを返しているだけと軽く言ってのけ、ポジティブな機会として積極的に巻き込まれてくれた。
グウィンがいたおかげで生きながらえ、オマケみたいに考えていた引退後の時間で、どんなことをしようかと考えるようになっている。
アイスはビールケースから立ち上がった。腰をのばしながら訊ねる。
「お腹にデザートの余裕ある?」
「ばっちこーい!」
おちゃらけたグウィンが、スチール製の白杖を高く掲げた。スイーツを食べに行くというより、殴り込みにいくみたいだ。
「チョコミント・アイスクリーム、食べてみたくなった」
「めずらしい。余裕がでてきたから、甘いものも大丈夫になったのかな」
「いままでと違う体験したくて」
「<エスクリム>でいい?」
「残すと倍額請求されるアイスクリーム屋だよね。店にいくのは何十年ぶりだろ」
子どもだった一太を連れていったきりになっていた。
「残しそうなら、あたしがこっそり食べてあげるよ。そうしとけば、いつかトラブル起きたときに、今度はアイスに助けてもらえる」
「エンドレスで終わりがないよ」
「そういうもんじゃないの? 息が長い付き合いって」
「言われてみれば、そんなもんだよね。頼られてばかりは疲れてくる。頼ってばかりでも気詰まりっていう」
ほどほど、どちらもが楽でいい。
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