3話 カオスなメンツ
耳元が騒々しかった。
おまけに頬のあたりがパチパチと鬱陶しい。
これほど深く眠れたのは、ずいぶん久しいことだ。もうひと眠りたいのに、アイスは目を覚まさざるをえなかった。
蛍光灯の白いあかりが目に沁みる。まぶしくて細めた目に、こちらを覗き込む顔がうつった。一人、二人ではない。うかんだ疑問を口にした。
「なに、このカオスな
怜佳とミオ、そのすぐ後ろにグウィンがいるのはわかる。
「どうして一太……十二村? なんでここにいるの?」
十二村が陰気な笑みをうかべて答えにする。誤解されやすいが、これが十二村のほっとしている笑み。
一太が具体的に説明した。
「配管に引っかかってたあんたを十二村とおれで引き上げたんだぞ。まずは感謝の言葉をくれよ」
永眠したのかと思えるほど、ぐっすり眠ったように感じたが、実際は四、五分だったようだ。魂が冥界の入口の門を叩いただけで、すぐに帰ってきた気分。
つかまっている配管も意識も手放そうとしたとき、グウィンの声で我に返った。
年金どうのの発言はともかく、グウィンの悲愴な声を聞いては堕ちるわけにはいかなくなった。
——あたしがメンテナンスした身体だよ! 一時間は鼻歌まじりでしがみついていられるって証明してみせて!
そんなには無理。
しかし、グウィンの目の前で死ぬのは、はばかられた。たとえ見えなくても、周囲の空気で悟ってしまう。つらい記憶のある故国を離れてきたのに、ここでまた同じような体験をさせたくなかった。
そこから先、一太や十二村に引き上げてもらった記憶がない。それぐらい最後の力まで出し尽くしたのだと思う。指一本動かすのも億劫なほど、身体が重くなっていた。
「とにかく、ありがとう。それはそうとして——」一太を見る。
「あたしを襲っておきながら助けたのは?」
「私情もあって、その……説明すると長くなる」
「そんなのあとでいいでしょ、場所をあけて!」
話が終わるのを待っていたが、痺れが切れたといった様子のグウィンが前に出てくる。男ふたりを雑に追いやり、そばにひざまずいた。
死んでいないことを確かめるように、アイスの頭の先から手で触れていく。シャツの下にまで手を潜り込ませ、足先まで確かめていった。
「よかった……」
顔に安堵の色を浮かべて脱力した。
「右肩の脱臼、再発したね。左肩も腫れてる。第1、2肋骨に違和感があるからドクターに診てもらって。左下腿部の状態もよくないけど、これはいつもどおりではあるからいいとして」
「まったく良い容態に聞こえないんだけど?」
「あたしの頭をよぎった最悪にならなかったから『よかった』なの」
死ぬような怪我がないことが、グウィンにとっての「よかった」基準らしい。ゲリラ戦から生き抜いてきただけあって、レベル設定がハードだ。
床に横たわったままで、アイスが室内に視線をめぐらせた。つねに状況を把握する習癖になっているのだと思う。
一太は、訊かれるまえに答えた。
「ランドリールームだ。運が強いな。つかまっていた配管のそばが宿泊用の部屋だったら、保たなかったかもな」
「だね。鍵を開けてもらってるあいだに、待ちきれずに堕っこちてそう」
「安普請のドアでも、壊すとなると相応の時間がかかるし」
「そこまでしてくれた理由は?」
「その前に、おれのことはどうなんだ。説明しろ、
アイスだけでなく、十二村までもが訊いてきた。
「アインスレーの潜伏場所をふせていたおれを裏切り者として処分しなかった。温情のつもりか?」
「殺してほしかったわけじゃないだろ? 素直に喜んでおけよ」
「理由わもからないまま、浮かれていられるような呑気じゃない」
「センチメンタルになって仕事を忘れるやつなど、処分の手間をかけなくても自滅する」
「適当なことを——」
十二村が続く言葉を呑み込んだ。苦い表情を少しだけやわらげる。
「そういうことにしておく。手間をかけてアインスレーを助けたのも、おまえにとっての合理的理由があるんだろうな」
感傷的だと言った意趣返しをされた。
「ガキの頃、面倒みてもらってた。借りが残ってるみたいでイヤだっただけだ」
「なんか、わかるかも」
ミオが、ぽつりともらす。一太への警戒心を少し解き、これには頷いた。
「子どもなりに恩はちゃんと感じるんだよね」
「あたしは一太の面倒みるなんて、そんな大層なことしてない」
「アインスレーおばさんは、哀れに思ってくれてたのか?<ABP倉庫>に行ったときは、いつも母親に放っておかれてたからな」
わざと自嘲的に返した。
「子どもがひとりでいたら気になるじゃない。甘いもの食べてると楽しそうな顔するから、あたしが安心したくて誘うようになったってだけだよ」
アイスが視線をあわせてきた。やわらかい声で訊ねる。
「チョコミントのアイスクリームは、まだ好き?」
不意打ちできた問いかけだった。
一太は唖然となる。
「覚えてたのか……?」
アイスの瞳に揶揄の色はなく、ただ純粋に好きなのかと訊いていた。この問いが出るのは、憐れみや気まぐれではなくて……
「ね、あなたもチョコミント好きなの⁉︎」
感じいる間もなくミオが食いついてきた。
「え、ああ」
いささか気圧されながら首を縦にふった。
「そんな嬉しいことなのか?」
いい年をした男がアイスクリームとか奇妙に見えないのか、一太のほうが臆してしまう。
「好きな人が少数派だから。テンプレートな誤解なら、しょっちゅう聞かされるけど」
「下のフロアで、一太が気に入ってたアイスクリーム屋、まだあったよ。今度のぞいてみたら?」とアイス。
実はすでに行っていた。すっかり白髪になった店長を見ると、流れた時間の長さを感じて、柄にもなく感慨深くなった。
「よかったら、また——」
「診療所に連絡がついた。
アイスに言いかけた言葉は、戻ってきた怜佳の声に消された。
過去の思い出にひたってなんになる。一太は腕時計を確かめた。やるべきことはすませた。あとは——
ランドリールームの外に人の耳があるかもしれず、小声で皆につたえた。
「警察がくる頃合いだ。おれが引き受けるから、野次馬の目にとまらないように退散してくれ」
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