6話 さあ、終わりにしよう
「わたしが理系の学部にいたことは覚えてる?」
怜佳は、末武や寺田の動きも封じるために、ディオゴに言葉を突きつける。
「<オーシロ運送>の爆発火災の仕掛けは、わたしがつくった。農薬メーカーに就いた友人に都合してもらったのは赤リンだけじゃない。軽はずみに動いたら後悔させる」
そうしてアイスに叫んだ。
「肝心なときに撃てない腑抜けは邪魔! 早くここから出てって!」
「落ち着け、怜佳! 爆弾なんか使ったら、自分も死ぬんだぞ⁉︎」
「何をいちばんに優先するかよ、ディオゴ。わたしは思いを達成できることを第一にした。そのための手段には、狙いをあわせて銃を撃つより、起爆させるほうが簡単。外す心配もない。自分の身の安全なんて最初っから入れてない」
「高須賀未央の後見人は? 責任を果たせなくなるぞ」
「ミオのことは弁護士と調整ずみ。わたしが死んでも問題ない。ということで、佐藤アインスレーとの契約もこれで解除」
ディオゴから目を離さないまま、ポケットから厚みのある封筒をだす。アイスに差し出した。
「計画で頭がいっぱいで忘れるとこだった。これが残りの報酬なんだけど、細かな額は大目に見て。そして早くどっかにいって」
「ことわる」
アイスは封筒を見もしなかった。
「後見人が死んだりしたら、あたしがミオに
「あったことをそのまま話せばいいだけじゃない」
「あたしの職務内容外。断る」
なかば予想できていたとはいえ、アイスの反応に怜佳は迷う。
こんな美味しい提案を蹴るなと地団駄を踏むべきか、素直に嬉しいと思っていいのか。
答えは、その他になった。
「本人に一言もなく後見人を勝手にころころ変えないで!」
想定外の再登場に、頭が真っ白になる。
「いい加減にして!」
ミオは屋上へと躍り出た。グウィンに引きとめられていたが、もう我慢ならなかった。
「わたしの意思そっちのけで勝手されるの、もううんざり! 怜佳さんがわたしの後見人を引き受けたのは、いっときの感傷なの? 都合つかなくなったら、他人まかせ? お金の管理を頼むだけだったら、お母さんは怜佳さんに頼んだりしてない!」
逃げたと思った子どもが舞い戻ったのが、それほど意外なのか。まばたきも忘れたような視線が集まってくるなか、立ち直りが早かったのはディオゴだった。
塔屋のまえに立つミオとグウィンに向かってきた。子どもと女でちょろいと思ったか、突っ切って逃走をはかる気だ。
「どけ!」
「ミオ、逃げて‼︎」
悲鳴のような怜佳の声が届くまえからグウィンが動き出した。
雑音をつくりだす設備機器から離れている。いつもより大きなクリック音で、ディオゴの体勢と位置を割り出す。革靴がコンクリートを打つ音でタイミングをつかむ。
一気に深く膝を曲げ、
スチール製の直杖が、ディオゴの向こう脛を痛打した。
声にならない声をあげてディオゴが屋上にもんどりうつ。グウィンは止まらない。白杖を左に持ちかえて右手をあける。
向こう脛を抱えて呻くディオゴに重いボディブローを入れた。
一発やり返したらスッキリしそう——。
ミオは一瞬、そんなことも考えた。
けれど直に聞いた苦悶の声は、腹が立つ相手でも、やっぱり震えが走り抜けるものだった。
一太は、倒れたディオゴのもとへ走ろうとした寺田をタックルでとめる。ふたりして前のめりに倒れたところで、サイドから撃たれた。
末武だ。一太に蹴り倒されて膝をついたまま発砲してきた。
一太も仲間だった男にむけ、至近距離から撃ち返す。殺すつもりで胸に照準した。
なのに、当たったのは左肩だった。
照準修正した二発目は撃てなかった。身体を反転させた寺田が殴りかかってきた。
右フックを上体を傾けてかわす。寺田に向けてトリガーをしぼった。
血と肉が
何も感じないことに、この業界で生きてきた長さを悟った。
アイスは、ボディブローで膝から崩れたディオゴに照準する。
ディオゴの銃が空撃ちした好機に撃てなかった。この期に及んで怯んだ自分が情けない。今度こそ。
よろめきつつも立ちあがろうとしていたディオゴが顔をあげた。
フロントサイトのむこうにあるディオゴの顔を正面からとらえる。
脂肪が減り、皮膚のハリをなくした顔には、凹凸でできた影がういている。シワが深くなり、出会った頃より確実に老けた顔——。
生きていれば、いずれ年をとっていく。当たり前のことに悲哀を感じるのは、ディオゴと同じ老いがアイスにもきているからだ。
それは、若さあってこその美しさを失ったせいではない。
残り時間が少なくなってきているのに、充足した時間があまりに少ない悲しさだった。
こんなになるまでやってきたことは……
思いがめぐった寸刻のあいだ、アイスは目の前のディオゴを見ていなかった。
その機を逃さずディオゴが跳ね起きた。
守勢になった矢先、ディオゴが右サイドから背後に回った。
まずい。アイスはすぐさま肘をあげ、銃口を背後にむける。
背面撃ちの姿勢で、ディオゴの顔の横で発砲した。
しかしディオゴがひるんだのは数瞬だった。
右手でハンドガンを押さえ、左腕をアイスの首にまわしてきた。頸動脈を絞められる。
「ディオゴ! アイスをはなせ、撃つぞ!」
耳鳴りでよく聞こえないが、一太が援護しようとしてくれているのはわかった。
しかし銃口がこちらに向いていては、アイスも冷や冷やする。ディオゴの腕をゆるめようと動くが、そのたびに痛みが左足を刺し貫く。
痛みを軽くしようとすると体重移動がうまくできない。意図せぬ方向へと動き、徐々に屋上の端へと寄っていった。
目の端に大型排気ファンがうつる。ディオゴをぶつけようと瞬間的に重心を傾けた。が、とっさにディオゴが身をひるがえした。
アイスは踏みとどまろうとする。
無理。左足に踏ん張りがきかない。
排気ファンに突っ込んだ。右肘をあげた不自然な体勢でぶつかる。
右肩にガクッとした厭な衝撃。
激痛が頭の先まで走り抜け、血を絞るような声が喉からもれた。こんなときに自分で脱臼癖を呼び込むとは。
力が抜けた右手からハンドガンが奪われた。
身体を離したディオゴが照準の体勢にはいる——と、冷媒配管に足をひっかけた。ディオゴがバランスを崩す。
アイスは左肩からディオゴにタックルをかけた。
この機を逃すと逆転できない。勢いのまま押した。
倒すべき相手のことしか考えられず、左足の痛みすら忘れた。
衝撃をうけて身体がとまる。腰を
パラペットを隔てたあちら側は、およそ三〇メートル下の地面まで何もない空間が広がるのみ。
アイスは左手でディオゴの膝裏をすくいあげた。屋上の外へと押し出しにかかる。
ディオゴがバランスを崩しなから、必死にすがれるものへと手をのばす。アイスの上腕をつかんだ。
「よせっ、アインスレー! やめてくれぇっ‼︎」
殺気だった顔で、なりふり構わず放すまいとする。
「必死だな」
嘲るのではない。やるせない笑いがアイスにこみあげた。
ディオゴと組めば生き残れると思った。一人のままでいたら、いまも生きていられたか自信がない。
しかしディオゴに、組織に、そういうものに合わせた生き方をしてきて、本当に〝生き残った〟といえるのか——。
「放せ、くそっ! 都合の悪いときだけ、しがみついてきやがって!」
一太がそばに来ていた。ディオゴを振り落とそうと手を出す。
一太もまた、過去を切り落とそうとしているみたいだった。
ディオゴを悪者にしているが、悪者に育てあげた一端はアイスも担ってきた。会社での緩衝役はディオゴのやり方を一部肯定することであり、助長する結果になった。
失敗した仕事を残したくない。
アイスは無理にディオゴを振り払おうとしなかった。
死にたくないと足掻くディオゴの醜態をまわりの人間に晒したくないと思うのは、昔のよしみだ。ならば——
「終わりしようか、元相棒」
残った体力すべてを右足にそそぎ込む。屋上スラブを思い切り蹴りはなす。
アイスは、ディオゴとともにパラペットを乗り越えた。
目は閉ざさなかった。
今度は最期の一瞬まで、すべてを見ようとする。
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