3話 いきなり実践

 ダークブラウンのマウンテンパーカーに黒のカジュアルパンツ。ナチュラルカラーや淡い色合いを好んでいた怜佳にしては、めずらしい組み合わせだった。

 そしてアイスにとって、銃を持つ姿も初めて見る姿だった。

 ハンドガンを持って現れたということは、ここを決着の場にするつもりだ。怜佳が両手で保持したハンドガンをディオゴにむけた。

「末武、ミオたちから離れて! 形だけの夫を撃つことに躊躇はないよ」

 末武は従わない。盾にしているミオは、人質としていちばん効果がある。片腕で抱き込む体勢を続けた。

「やっぱり生きていたんだな」

「やっぱり?」

 確信めいたディオゴの言いように、アイスは疑問を投げた。

「爆発と火災のなかで、どうして死んでないと思ったの?」

「おれに訊かなくても、わかってるんだろ?」

「まあね。ディオゴの考えを聞きたいの」

 妻が無事だったのに、安堵の表情をつくろうこともしなかったのは、怜佳の計画の概要なりとも予測がついていたからこそ。もっとも、これぐらいでないとボスではいられない。

「怜佳が自分の命と引き換えにするなら、少なくとも幹部クラスの人間を引き込むはずだ。なのに火災現場から出てきた死体に、それらしき人間はいなかった。おれの預かり知らぬやつばかりやられたんなら、オーシロ運送の爆発騒ぎは前座にすぎない」

 怜佳が告げた。

「前座で終わらせたかったんだけど、おまえは応えてくれなかった。いい加減、ここで終決といきましょう」

 オーシロ運送で怜佳につくことを求められたとき、返答を急かされなかった。

 怜佳が足止め役になったのは、アイスに考える時間を与える目的もあったといえる。あとから、やっぱりやめたと言われるような短絡的な回答では、肝心なときに足を引っ張られかねないからだ。確実な準備で怜佳はことを進めていた。

 わからないのは、決着の場に<美園マンション>屋上をえらんだ理由だった。

 ——美園って、あんな巣……あんなところに?

 宿の場所を告げたとき、「巣窟」と言いかけた怜佳の反応からして、<美園マンション>の実際を知らないことがうかがえた。

 よく知っているわけでもない場所では、突然のトラブルに対処しづらくなるというのに。

 ただ、ほかに適切な場所を見つけられなかったことが考えられた。美園で妥協して検討をすすめた段階で、屋上が一般には開放されていないと知ることもあり得る。

 怜佳なら他人を巻き込む危険が少ないことをまず考えたはず。立ち入り禁止になっている美園の屋上に利用価値を見い出しただろう。

 しかし、アイスはまだ納得できなかった。美園を利用するデメリットを上回る利点が、銃を使えることだけでは弱い。

「おれが電話で聞いたのは、子どもに関する交渉をやろうって話だった。銃を出してる時点で、交渉する気はないな」

 ディオゴがそれを言うなとアイスは思う。怜佳も、

「そっちこそ。話だけでの交渉のつもりで来たっていうなら、末武は別の場所で待たせておくべきでしょう。おまえが話の通じる相手だと思ったこと、一度もない」

「だから力が使えるアイスを味方に引き入れたか」

 だが最後になって怜佳に誤算が出た。〝交渉の場〟に屋上をえらんだ理由からして、ミオまでいるのは計算外だったはずだ。

 怜佳が呼びかけた。

「ミオ! ケーシー白衣の人をつれて逃げなさい」

 ディオゴの目線と銃口がミオへと動く。

 アイスは雑に踏み出した。わざとたてた足音に周囲を反応させ、注意を引きつける。声をはりあげた。

「ミオ、走れ!」



 こんな状況から早く抜け出したい——。

 ミオは、末武に片腕で抱き抱えられた体勢のまま、抗いたい気持ちを抑えた。

 みやみに動いても助からない。グウィンも一緒に逃げることができなければ意味がない。そこに、アイスの打開策がきた。

「ミオ、抜け出て走れ! グウィンと出ていって!」

 勝手に出かけた公園からの帰り道。アイスからセルフディフェンスのレクチャーを受けるように言われた。逃げる方法を知っておいて損はない。一応の保険ではなく、実際に使うかもしれない緊張をもって練習した。

 非合法組織の人間にまといつかれたり、爆発火災に居合わせたり。続けざま「まさか」なことばかり体験し、まだ起こりそうな時間の中にいる。セルフディフェンスの実用は、架空の話でおわらない逼迫感があった。

 練習は真剣にやったが、実際にやるとなると、うまくできるか不安も大きい。失敗しようものなら、みんなを窮地におちいらせてしまうかも……

 そんな躊躇逡巡ちゅうちょしゅんじゅんをふきとばすアイスの声だった。

 ミオは瞬間的に息を吐く。

 同時に、膝の力も抜く。

 重力に吸い込まれるまま、しゃがみ込むように下に落ちた。

 上下移動を予測していなかった末武の腕の中から、拍子抜けするほどすっと抜け出せた。

「グウィン、行こう!」

 手を叩く音で誘導する。

 ところが、グウィンが動かなかった。

 戦う力がないミオと、屋上では強みをいかせないグウィンが、この場から脱出する。これがアイスへの何よりもの援護になる。そのことをグウィンがわかっていないはずがない。

 グウィンをとどまらせているのは、アイスをおいていく不安だ。

 ミオは寸刻で答えを出す。むやみに急かすのではなく——

「できることをやろう援護を呼ぶにはわたしたちが動くしかないアイスを助けよう!」

 グウィンが、はっとなってミオのほうに顔をむける。その手に肘をとってもらう。

 ふたりで走り出した。

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