2話 金ではなく感傷よりも

 ミオはグウィンを助け起こし、アイスに声をかけた。

「大丈夫……じゃないよね。なにをしたらいい⁉︎」

 膝に手をついているアイスが、荒い呼吸を整えながら応えた。

「寺田がいるということはディオゴもきてる……から、はやく——」

「どういうことだ? アインスレー」

 オーダースーツを着た痩せた男の登場で、アイスが言いたかったことがわかった。もっとも、すでに逃げるタイミングを逸していた。

「たとえおまえでも、離反での扱いは変わらないんだぞ?」

 麻生嶋ディオゴとその手下の黒スーツは、すでにハンドガンの銃口をアイスにむけている。力づくで従わせる意思表示だ。

「特別扱いは期待してない。まずは関係ないそこのふたりをこの場から帰して」

「そういうわけにいかん」

 ディオゴの視線がミオをとらえられた。

「高須賀未央さん。きみを縛りつける気はないから追わずにいたが、家出されたままでも心配なんだよ」

 言葉は穏やかでも、猛獣みたいな目つきのディオゴに気後れしそうになる。グウィンの存在をそばに感じながら、ミオは声を押し出した。

「わたしの自由な行動は、おじさんにとっては勝手な振る舞いになるから?」

 途端にディオゴが眉根をよせた。

「この街は遊べる所がたくさんあるが、危ない人間も多いんだ。ひとりで出歩くんじゃない」

「ここにいる白衣の彼女と一緒です。問題ないでしょう?」

 ディオゴを見ると、いやでも銃が目に入る。息が浅くなり、手の先が痺れた感じがする。全身で脈拍を感じて、震えそうになる声で続けた。

「それに、わたしの後見人はおじさんじゃありません。帰るなら怜佳さんのところです」

「逆らうんじゃない。黙って言うことを聞け!」

「落ち着きなって、ディオゴ」

 銃で狙われているとは思えない、のんびりした声でアイスがとりなそうとする。わずかの間で息を整えていた。

「組織のトップを張ってるなら、人の意見を聞く度量を見せなよ。逆ギレしてたんじゃ誰もついてこない」

 訂正。火にガソリンを注いだかも。



「おまえこそ、つっかかる言い方じゃないか。寝返って本音を言える立場になったってわけか? アインスレー」

「その前に——」

 アイスは右手を腰の横へとゆっくり上げた。

「ケーシー白衣の彼女にむけている銃口をおろせ。あたしへの脅しのつもりなら悪手だよ。こっちも同じ手でやり返すだけだ」

「黙れ、手を——」

 言葉より見せた方が早い。最後まで聞かず、寸秒でハンドガンを構えてみせた。

「巻き添えをつかえば従うとでも?」

 ダブルハンドでディオゴを照準する。命中精度がぐっと上がる六メートルの距離。アイスを照準している末武も撃てないままでいた。

 アイスはディオゴに銃口をむけ、ディオゴがグウィンに、末武がアイスに。

 互いに銃を向けあうハリウッドフィルムもどきの三すくみに、この場にいる全員が動けなくなる。不用意な一挙動だけで、誰かが撃ってしまいそうだった。

「おれには逆らえないさ。みなが『アイス』と呼んでいても、アインスレーにはぬるいスキがあることをおれは知ってるからな」

 そうして視線だけミオにやった。



「さあ、帰るんだ。<美園マンション>なんて、女の子がいていい場所じゃあない。君のためを思って言っているんだ」

 この人もかとミオは思う。よく聞かされた台詞だった。

「あなたのためを思って」は、言った側の自己満足だったり、別の意図が込められていたりで、たいていは言われた本人のためのものではない。

 さらに反発をおぼえたことがある。言わずにいられなかった。

「男の子だったら構わなかったんですか?」

「言葉のあやだ。早く来い!」



「あたしも訊きたいことがある」

 アイスはディオゴの矛先を自分へと戻させた。

「そんなに、ここから早く離れたい理由は?」

 ディオゴの目が一瞬だけ大きく見開かれた。図星だったようだが、うそぶいて返す。

「適当を言って混乱させるつもりなら無駄だ」

「正直な靴先が、早く帰りたいと塔屋に向いてる。長居するとマズいことでも?」

「おれに手間をかけさせると、ほかの人間が傷つくことになるぞ」

 はぐらかすボスの一言で、末武の銃口がアイスからグウィンへと移った。

 グウィンなら視覚でとらえられなくても、危険が増したことを察したはず。

 なのに表情すら変えることなく、じっとしていた。スティックもいつの間にか繋ぎ合わされて、一般的な白杖に戻っている。

「末武、子どもを盾にするのはやめとけ。寝覚めが悪くなって後悔する」

 アイスの経験したかのような忠告は末武に向かってのものだが、同時に状況をグウィンにつたえた。ミオの背後に末武が回り込んでいた。

 アイスの銃口が、ディオゴから末武に照準をかえると、ディオゴもアイスへと照準する。

「おまえを撃ちたくない。このことは不問に付してやるから、銃をおろして早く帰れ」

 アイスはディオゴの言葉を聞き流した。話す相手は末武だった。

「整体師とミオを解放しろ、末武。わたしとディオゴだけですむ話だ。相手かまわず弾をばら撒くのが<ABP>のやり方になったの?」

「従わないなら、おれを撃ちますか? 子どもに貫通させて?」

「末武だけに当てる自信があるから言っている。おまえのガタイでミオを盾にするには無理なの、わかってるでしょ。死体を片付ける手間と経費でやりたくなかったけど、証明してやろうか?」

「これでも<ABP倉庫>を築いた佐藤アインスレーを仰いでたんです。張り合うなら本望だ」

「こんな仕事をしてても、自分の中にポリシーがあってね」

 アイスの声が無機的になる。

「子どもを道具にするなら、射殺なんて楽な死に方はさせない」

「目を覚ませ、アインスレー」

 苛ついた口調でディオゴが口をはさんだ。

「寝返ったのは報酬が足りないからか? それとも我が身を振り返って、その子どもに同情したか?」

「金に同情ね……。ほかに理由は思いつかない?」

「とにかく銃をおろせ。駆け出しの頃から組んできた相棒と9mmピストルナインを突きつけあってる、こんな状況おかしいだろ」

「そういうあなたは銃をおろしていますか?」

 落ち着いたグウィンの声が、昂りつつあった状況に水を差した。

「相棒というならアイスの意見も聞いてきましたか? あなたは自分の言い分ばかり主張している印象を受けます」

「アインスレーの味方か。他人におれとアインスレーのことはわからない。黙ってろ」

「よく知らなくても簡単です。ミオを連れ戻すにしても、本人の意思を確かめたようにみえない。アイスにも昔からその調子だったのでは?」

「判断が未熟な子どもに聞く必要はない。アイスはおれの相棒だが、組織のボスはおれだ。どちらもおれに決定権がある」

 ミオも黙ってはいなかった。

「子どものわたしは未熟ですが、未熟なりに考えてます。なのに助言を与えて考えさせ、育てることはしないのですか? なら、おじさんは人を育てずに、育った人を使うだけの人なのですか?」

 こういうところが実に大人びていた。

 ミオの表情からすると、かなり腹を立てているように見えるが、声をあららげるようなことはしない。でないと感情的だと無視されることになる。

「子どもだからといって、気持ちを無視していいことにはならない。正しい判断ができるかなんて、別の話じゃないんですか?」

 そして、ディオゴには説得力に欠けるところがあった。ミオが容赦なく突く。

「おじさんがわたしを強引に傍におこうとすることと、早くここから立ち去りたい理由は同じですよね。わたしのそばに怜佳さんがいると、都合が悪いからじゃないですか?」

 ディオゴが返答に詰まる。そこに賛同する声が加わった。

「反論できる?『おじさん』」

 アイスは、やはり来たかと思う。

 ミオがその姿に唖然となっているのもわかる。かつての怜佳からは想像もできない姿だからだ。

 ハンドガンを手にした怜佳が現れた。

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