3話 やっぱり、おまえ。やっぱり、わたし。

 アイスがフロントで受けなおした電話は十二村からだった。

『状況が動き出した』

 社長室の電話を盗聴していたチェ一太が、ディオゴに連絡をとってきた怜佳の情報を得た。ディオゴより先んじて、ミオを押さえにいくだろうと。

『おれのミスでアインスレーの居場所がばれた。強引な手で部屋番号を聞き出されたら終わりだ。早く逃げてくれ』

 喘ぐような息の合間にそれだけ話すと、すぐに切れてしまった。

 ——居場所がばれた

 根城にしているゲストハウスは他にもある。十二村はどうやって特定したのか。

 何より、こちらの滞在先をつかんでいながら報告をあげていなかったことや、一太の動向をわざわざ知らせてきた理由がわからない。

 ただ詳細はつかめなくても、優先すべきことがはっきりした。

 相手はすぐそこまで迫ってきている。

「おかえり」

 部屋に戻るとグウィンが白杖の手入れを続けながら迎えてくれる。さて、おとなしく引き下がってもらうには……

「グウィンはいまのうちに帰って」

 しまった。別のセリフを考えていたのに、ストレートな思いの方が先に口を突いて出た。

 案の定、言い繕う余裕をなくしたアイスに返された応えは「残る」だった。

 説得できそうな言葉を探しながら、アイスはTシャツにアウターがわりのシャツをはおった。道具も用意する。

 これだけでもグウィンなら危険度を察するはずだが、前言を変えようとはしなかった。さらにミオがランドリーにいくと言い出した。どこかハイテンションで様子がおかしい。

 グウィンは、アイスにふりかかる危険を分け持とうとしてくる。

 ミオは、のしかかってくる不安や緊張を自分だけでどうにか解決しようとしている。

 ふたりとも、よかれと思ってしてくれているのだが、そろってアイスの思うようには動いてくれない。表情筋でつくる笑みではなく、本気で笑いたくなった。

 命がけのお節介をやいてくる友人と、子どもなのに子どもだから許される甘えを捨てて、大人な対応をしようと懸命な子どもに。

 だからアイスは、このふたりには自分本位になれない。

 部屋の外に出ようとするミオを放ってはおけず、止めに入ろうとした。

 座っていたベッドからミオが立っているドア付近まで、たかだか四歩。簡単に止められるはずが、立ちあがろうと重心をかけた足——左下腿部に走った痛みに出遅れた。

 素早くグウィンがカバーしてくれる。

 こんなとき、本当は見えているんじゃないかと思うのは、見えている者の上から目線だと最近思うようになった。

 グウィンが例外的なのかもしれないが、聴覚とそのほかの感覚の合わせ技で、視覚に勝るとも劣らない対応をとってみせる。

 そのグウィンが突如、ミオに追いついたところで妙な動作をみせた。

 考えることなく身体がグウィンにつられて動く。

「伏せてっミオ‼︎」

 アイスも伏せた。直後。

 打ち上げ花火より大きな騒音をふりまく破裂音が、狭い屋内に連続する。

 銃声が途切れた。

 その一拍で跳ね起きる。ドアへとダッシュ。

 伏せているグウィンを飛び越え、ドアノブが破壊された木製ドアへと体当たりした。

 ぶつけた肩に重い手応え。

 踏み出した廊下で見たのは、ドアに跳ね飛ばされたらしい長身の女が、頭部をおさえて崩れ落ちている様。 

 間髪入れず、サイドからナイフが突き出てきた。

 上体を傾げて避ける。

 続けざま伸びているナイフを持つ腕を下から上に跳ね上げる。相手の腰に、自身の重心をぶつけた。

 体格で負けていても、相手の身体の中心軸を狙えば崩せる。敵を吹き飛ばし、肩から頭を壁に強打させてやった。

 視線がぶつかった顔を見ても驚かなかった。

 アイスより頭はんぶん高い位置から、痛苦に顔を歪め、怨噴えんぷんをまじえた目で見下ろしている。

 一太だった。


     *


 アイスの部屋から戻った怜佳は、まずシャワーの下に立った。

 狭いスペースをトイレとせめぎ合いながら、<オーシロ運送>の火災でまとった煤と汗を洗い流すと、ひとつの区切りがついた気がした。

 着替えをすませ、髪もろくに乾かさないまま準備にかかる。部屋のドアの施錠をもう一度確認。

 そうしてトラベルバッグから、潜ませていたハンドガンをとりだした。

 弾を入れていない空のマガジン弾倉を入れる。チェンバー薬室も空であることを確かめてから、窓枠のカギを的にしてハンドガンを構えた。

 ラジオ体操するにも狭い部屋のなかで、ドライファイヤ空撃ちを繰り返す。セイフティ解除、トリガーガードに指を入れるタイミング、ひとつひとつの動作の感覚を思い出そうとした。

 アイスを引き入れた当初、ディオゴの始末を頼っていた

 再び気持ちが変わったのは、そのアイスによるところが大きい。

 アイスの年齢は、荒仕事をするにはピークを過ぎていた。味方になりそうな人員がほかに見当たらなかったために、消去法で依頼したににすぎない。しぶる彼女を強引に引き込んだものの、身体に故障もあると聞いて、内心で判断を誤ったと思った。

 けれど引き受けたアイスは、忠実にミオを護ってくれた。

 常識で考えてアイスの年齢なら、故障のひとつやふたつ持っていても不思議ではなかった。そんな状態でも、自分のウィークポイントを把握してコントロールしているから現役を続けている。

 腕力のない怜佳でも、ディオゴを始末することが無謀に思えなくなってきた。

 くわえて、非合法な仕事でしのいでいる人間とはいえ、アイスを寝返らせたことへの良心の呵責が後押しする。これ以上、彼女に無理強いもしたくない。

 ——報酬を出してすませられる事なら、自分の手を汚さないほうがいい。

 美園に着いてすぐ会いにいったアイスの部屋で決心を話すと、彼女から意外な答えが返ってきた。

 ——報酬関係なく、あたしにも思うところがあるから、このままやるつもりだった。けど、怜佳さんが自分の手で決着をつけたいなら止めはしない。ミオの後見人のことも含めて考えた答えなら尊重する。

 自分の手で……

 手に負った軽い火傷で皮膚がひりつき、少しグリップが握りづらい。痛みを感じるまま、ドライファイヤを続けた。

 銃だけでは心許なくて用意した〝保険〟も、やっと使える場所の目処がついた。

 すべてに抜かりなく進めてある。



 怜佳は十五分ほどでドライファイヤをやめた。

 部屋に来たときは疲労困憊していたはずなのに、さほどでもなくなっている。

 精神が疲れ切って、身体の疲労に鈍感になっていた。これ以上やっても意味がない。ハンドガンを金庫に戻し、上がってくるまえに買っておいた酪梨牛奶ラオリーニィゥナイ(アボガドミルク)を手にとった。

 ぬるくなっているが、どうせ味なんかわからない。固形物では喉を通りそうになかったので、ジュースで水分とカロリーをとっておく。

 ディオゴに提示した時間まで、あと小一時間あった。ゆっくり座れるイスもないので、ベッドに横になる。高揚していて眠ってしまう心配はない。身体の力を抜いて、ゆったりと呼吸してみた。

 薄壁で隣室の生活音に悩まされるかと思ったが、両隣とも静かだった。

 空室なのか、明日にそなえて早寝でもしたのか。

 二時間後にはどうなっているだろうか。

 またこの部屋に戻ってくることができるのか……

 とりとめないことが頭にうかんでは消えるなか、それは唐突に耳に飛び込んできた。

「タン!」と「ターン!」がミックスしたような乾いた音。

 ベッドから跳ね起きた。

 この音には聞き覚えがある。弾薬内のパウダー装薬に引火しておこる破裂音。急いで身支度を整えた。

 反響音がまじっていたような感じからして、少し離れた場所——アイスの部屋かもしれない。別のトラブルかと思ったが、銃を使った派手な騒ぎがおこるとは考えにくかった。

 街のトレンドに疎い怜佳も誤解していたが、<美園マンション>を治外法権の無法地帯のようにいう話は噂に過ぎなかった。

 薬物の売買や売春といった犯罪が横行していたのは、過去の一時期でしかなく、警備員が常駐するようになり、警察のパトロールもまわってくるようになると激減している。美園だからといって銃器犯罪がおこるわけではない。

 怜佳は金庫から武器を用意する。パーカーをはおった。

 ドア越しに、廊下の奥で争っているらしい低い物音が聞こえてきた。

 ミオの無事が気になる。が、ドアの鍵を開けようとした手を突として止めた。

 暴力の只中に出ていって、彼女を助けることができるのか?

 このままアイスに任せた方がよくないか? 

 感情のままに動けば、最初で最後だろうチャンスを潰してしまうことになって……

 人の命に関わる場面で、こんなことを計算している自分が厭になる。

 それにしても、<ABP倉庫>の連中が襲ってきたにしてはおかしかった。

 連絡した時間より早いうえに、交渉場所として伝えたのはゲストハウスフロアではない。

 それにアイスの部屋が襲われたのなら、どうして部屋番号がばれたのか。彼女なら管理を徹底しているはずなのに……。

 アイスの部屋が突き止められた原因が、よもや自分にあるとは予想だにしなかった。

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