7話 小さな火
アイスとの対決を避けた
顔を見れば何を言いたいのかわかる。それでも皮肉と嫌味をたっぷりまぶした台詞を甘んじて浴び続けた。
言いたいことは全部言わせてやったほうが、あとあとマシだ。最後まで付き合うつもりでいたが、暖簾に腕押しな反応に飽きたか。舌打ちを残して、浅野のほうから離れていった。
十二村に近づいてくる者はいない。
ボソボソとした話し方に、喜怒哀楽が乏しい表情が、陰気そのものな印象をあたえる。言葉数も少なく、冗談も通じない。仕事でなければ絡んでくる人間はいなかった。
十二村としてはコミュニケートすることが苦手なだけで、人との関わりがきらいなわけではない。
そこをわかっているのか、気にしていないのか不明だが、アイスだけは頓着せず話しかけてきた。アイスの人付き合いは概して淡白なものだったから、親しいというほどでもなかったが。
それでも十二村にとってのアイスは一目置く存在だった。
「アイス」という呼び名も使わない。
浅野が離れていったあと、十二村はひとりになれる小会議室に入った。明かりもつけずに座る。
廊下からもれてくる、ぼんやりとした照明のなか、ジャケットからポケットティッシュをとりだした。ミオが座っていたベンチ付近で拾ったものだった。
包装にはさんである広告は<ゲストハウス・ファースト>。
ここにアイスがいるのか——。
<美園マンション>にいるというだけで、それ以上はつかめていなかった。このポケットティッシュの報告をあげていないからだ。
十二村としてはアイスの居場所を直属の上司となった
報告すれば、すぐにでも子どもの回収にむかうことになる。子どもを護る側についたアイスは、浅野の報告によって、すでに粛清対象となっている。
古参であろうと容赦なく排除される……
ついと立ち上がった。
会議室を出て、ガレージ横の洗車スペースにむかう。夜間の水場に人気はない。周囲に誰もいないことを確かめてからポケットティッシュとライターを出した。
タバコをやめて二年になる。走ったときの息切れが酷くなり、自発的にやめていた。
なのにライターだけまだ持っているのは、贈り物としてもらったものだからだ。
話の流れで、誕生日プレゼントをもらった経験がないと、つい口を滑らせたことがある。その二日後、誕生日でもないのにプレゼントをくれた。
細かな傷にまみれた古ぼけたライターをつけた。タバコを吸わなくなっても欠かかさない手入れで、いまも問題なく使える。
手元を中心に明かりがひろがった。
ポケットティッシュを近づける。小さな火に照らされる<ゲストハウス・ファースト>の文字と連絡番号。
火を消した。
ポケットティッシュをライターと一緒に内ポケットに入れる。
連絡番号を覚えさえすれば用済みだった。ほかの人間に知られたくなければ、燃やしてしまうのが常套だ。
そんな常識をねじ伏せてしまうぐらいの感傷を発揮してしまった。
*
誰に勧められたわけでもない。実父である麻生嶋ディオゴがボスである組織だから。理由はそれだけだった。
そんな一太に対して、ディオゴに親としての眼差しはまったくなかった。
一太が婚外子である故か。組織に入っても配下の一人でしかなく、仕事で実績をあげ、やっと後継候補としてみる視線が入ってきたぐらい。
それはアイスにしても同じだった。加入をアイスに報告したときの応えは、ずいぶんあっさりしたもので、
——そうなんだ。
それだけだった。
一太の目の高さは、すっかりアイスのそれを超え、アイスにしても、もうデザートを食べに連れていってくれた気のいいおばさんではなくなっていた。
一太が成長するにつれ、アイスと話す機会は減っていた。<ABP倉庫>に入った頃には、付き合いらしきものは、すでになくなっている。話すことがあっても、仕事の連絡を事務的にするだけになった。
アイスにしてみれば、親に放っておかれた子どもに同情して、かまっていただけ。大人になれば、創立にたずさわった古参とぺーぺーの新人という一般的な姿に戻ったにすぎない——。
そんな回答を自分に出しながらも、どこか釈然としないものが一太に残った。
こういった経緯を経て一太は、自分の存在をアピールする手段として<ABP倉庫>でしゃにむに働いた。
このやり方にかぶる人間がいる。一太の母だ。
ディオゴとその妻、怜佳の関係は冷め切っているように見えた。そのふたりのあいだに割って入ろうと苦心していた。
しかし母の場合、怜佳に代わって本妻として迎えられる望みがないと悟ると、一転して身を引いた。ディオゴからの手切れ金の幾分かを家に残しただけで、不意に姿を消す。一太を家において買い物に行くように出ていき、そのまま帰ってこなかった。
一太は、自分の存在を誰も見ていないと感じるようになる。
年を経るごとに誰よりも気に障ったのは、アイスだ。
彼女も家族というものがない。かといって、そこを気にとめることなく、自然体でいる姿に羨望をもった。
同時に、なぜ自分はそのように生きることが出来ないのかという焦りをうんだ。
ふたりで喫茶店をまわり、新しくできたアイスクリーム屋に行ったことも、アイスはすでに忘れているだろう。
そして、そういった過去を忘れられない自分が、一太は腹立たしかった。
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