5話 殺し屋の戯言《たわごと》

 ミオはまずグウィンをベンチに座らせた。

「気休め程度だけど、杖の汚れ拭いとくね」

 雨上がりの公園に転がった白杖に、土汚れがついていた。

「いいよ。どうせ、あたしの手も汚れてる。帰ってからきれいにするよ」

「ううん、わたしがしたい……あれ? ごめん。ポケットティッシュ落としたみたい」

 こういうときのために<ゲストハウス・ファースト>の広告が大きく入ったティッシュでもとっておいたのに。浅い飾りポケットではポケットの役割を果たしてくれなかった。

「ミオ」

 グウィンの手が、ミオの肩へとのばされた。が、汚れているのを思い出したように途中で引っ込んだ。

「自分本位なことして危ない目に遭わせたから……とか思ってない?」

 イエスだった。

「子どものうちは頑張ってもできないことがたくさんある。だから、まわりの大人に頼ればいい。いまの大人だって、そうやって大きくなってきたんだから。ミオにはミオの事情があったと思うけど、甘えるのも子供のうちにやっておくべき経験だよ」

「甘えろ」と言われたのは初めてだった。

「でも、勝手に飛び出したのは……」

「理由があったんでしょ? アイスやあたしに、相談できる雰囲気があったと思ってない」

「ふたりともケガはない?」

 離れた木立で誰かと話していたアイスが戻ってくる。ミオは身を硬くした。

「怒ったりしないから怯えないで。あたしのほうが罪悪感が大きくなる」

「アイスまで、なんで……」

「責めないかって? ミオなら言わなくたってわかってるだろうから」

「……たぶん、考えてるのであってると思う」

「怜佳さんのことだけど無事だよ。ただ会うのは、もう少し待って」

「無事……」ほっとしたのも一瞬、

「でも怪我は⁉︎ 大丈夫だったの?」

「ワセリン塗っておけばすむ程度じゃないかな」

 無責任に聞こえる答えでも、安堵で膝から力が抜けそうになった。

 正直、もう駄目かもしれないという気持ちがあった。あの火事のなかをどうやって助かったのかわからないが、とにかくよかった。

「安否は少し前からわかってたんんだけど、事情があって伏せてた」

「すぐに会えないのも事情のうち? 訊いても、おしえてもらえないよね」

「怜佳さんに断りなく話すことはできない」

「わかった……」

「怜佳さんは後見人を放棄したわけじゃない。ミオの様子も訊かれたし、伝言もあずかった。『大変だろうけどヤケを起こしたりしないで、自分を大事にして』って」

「ひとりじゃないってわかったから、ちょっと楽な気分。アイスには見放されたと思ってたし」

「遅刻してきたわけは歩きながら話す」

 左肘をグウィンにつかませた。

「とにかく、いったん美園に戻ろう。さすがに疲れた」

「でもそっちは……どこかに寄り道するの?」

 駅にいく方向からずれていた。

「タクシーで帰ろう。三人で乗ったら元がとれるでしょ」

 こういうところはディスカウントに並ぶおばさんと見分けがつかない。


     *


 アイスが怜佳から受けた仕事は、当初の想定より難しくなってきていた。

 グウィンとミオが店舗フロアにいる間、部屋にきていたのは怜佳だった。

 このときに怜佳から、密かに抱いていた計画を打ち明けられる。ミオを守るためだけに動いているわけではなかった。

 怜佳が声を落として本心を語った。

「自分の手でディオゴを消すつもり」

 アイスに驚きはなかった。

 古い社屋とはいえ、実家の<オーシロ運送>を赤リンで爆発炎上させることまでやっている。ミオを守るだけでなく、それぐらいの決心があるほうが自然に思えた。

 アイスは話の続きをうながす。やろうとしていることを言葉にして出させ、怜佳に自覚させようとした。

「ディオゴへの遺恨を抱えてきた。これまでは抱き続けているだけで、それ以上のことはできなかった。けど、今回のことで決心がついたの。

 このマンションに入るとき、浅野の姿を見かけた。爆発火災で退けてもまだ、ミオをあきらめていなかった。なら、こちらも確実な対抗措置をとったほうがいい」

「<オーシロ運送>を吹き飛ばしたのは、逃げるためだけじゃないとは思ってた」

「さいわい会社の周囲には、空間的な余裕があったから。脅しをかけるつもりで派手な仕掛けにした。あきらめずにまだ手を出すなら、これ以上の反撃するぞっていう。これでわたしたちをほっといてくれるなら、遺恨を忘れていいとも思ってた。

 期待した結果にはならなかったけど、燃やしたことは後悔してない。事務所のほうに押し入ってきた連中は、みんな銃をもってたから、佐藤さんがいても無事に逃げるのは無理だったと思う。それが成功しただけでもよかった」

 一気に話した怜佳は息をついた。

「白湯しかないけど飲む?」

「そういう、佐藤さんはどうなの?」

 いらないらしい。

「長年の仕事の相棒を消し去ろうとしている、わたしのジャマはしないの?」

「これからも十年十五年ディオゴと仕事を続けるなら、怜佳さんをどうにかしたでしょうね。思うところはあるものの、あたしには向いてない分野をやってくれるパートナーだから」

 怜佳の瞳に確信的な笑みがうかんだ。

 アイスを陣営に引き込んだのも、痩せていくディオゴとのつながりを見抜いたからこそ。老成の域に手が届いてきたアイスは感心するばかりだ。

 しかし、賛同できない点もある。

「言われるまでもなくわかっているだろうけど『消す』には、技術的なことだけじゃ足りない。精神的負担、実行した後のこと、伴うリスクは半端なく大きい。

 ディオゴを殺す以外にも、遺産を守る方法や報復の手段はあるはず。あなたのその優秀な頭脳を使ってもっと考えて。

 あたしが言うと、ふざけた話に聞こえるでしょうけど、殺すという手段は勧められない。怜佳さんの人生をチャラにしても果たす価値はある?」

「問い直されても答えは同じ」

「そこまでしてやりたい相手なのに一緒になった。何か弱みを握られてた?」

 訊いてしまうのはディオゴへの懐疑心だ。もう見ないふりが不可能なほど膨れ上がっていた。

 長年の相棒でも、プライベートに関しては無関心を貫いていた。今回の展開を招いたのは、その結果だった。

「実家の<オーシロ運送>は、父がトラック二台ではじめた。顧客の開拓に喘ぎながらのぎりぎりの経営。それでも少しづつ商売をひろげて、父子家庭で家のこともやりながら、わたしを大学にまでいかせてくれた。

 いきなりディオゴに求婚されたのは、勤め先も内定していた卒業間近。勉強の合間をぬって父を手伝っていたから、時々きていたディオゴの目にとまったのかもね。父から聞いた話では、新規の仕事の説得をされてたんだって。うちにとっては、ちっとも嬉しくない仕事の」

<ABP倉庫>では、外部の運送業者もつかっている。荷物は、まったくのシロから黒まじりのものまで、業者によって使い分けていた。そのときのオーシロは、後者の仕事を持ちかけられていたのだろう。

「わたしは恋愛にすら無関心だったから、ディオゴからプレゼント攻勢されてもいい迷惑だった。むしろディオゴの商売の中身を知ると、ますます厭になった」

「けど、ディオゴはあきらめなかった」

「優しくしてるつもりだったんでしょうね。『大卒資格なんか必要ない。誰かの下で働かなくても、おれと一緒にいれば贅沢な暮らしができる』とかいってね。わたしは仕事のためだけに大学いったんじゃないのに。

 で、断り続けていたら、今度は鞭をふるってくるようになった。オーシロの顧客を奪ったり、事故を仕掛けたり。証拠がないから警察に相談もできなかった」

 怜佳の目元に怒りが這う。

「父は望まない男と結婚する必要ないって言ってくれたけど、精神の均衡を失ってたんだと思う。倒産寸前に追い込まれて、発作的に自殺しようとした。助かったのは、古くからいた社員が気づいてくれたから。事務所にいた二谷さん、おぼえてる? あの人のおかげ。

 これまでディオゴと別れずにいたのは、<オーシロ運送>への圧力を防ぐためだけよ」

「そこにミオのことが重なって、ディオゴの始末って話になったんだよね。自分の手でやろうって心変わりしたのはなぜ?」

「結婚して間もなくの時期に銃の訓練は受けてたから、手段はもってた。

<ABP倉庫>の身内になるということは、暴力に巻き込まれることがあるかもしれない。構成員の家族には手を出さないといった掟なんて、もうなくなってるでしょ? そんな阿呆なことで命を落とすのはゴメンだし、ディオゴに対抗するために力を手に入れたかったから」

「ディオゴを手にかけることは、その時から考えてたわけだ。ディオゴの妻っていう立場を利用すれば、裏仕事で出入りしている業者から、実銃を手に入れる事ができる。銃の訓練は、海外の実弾射撃ツアーってとこかな」

「さすがはよくわかってる」苦笑を浮かべた。

「ひとりでレクチャー受けに行くつもりでいたら、ディオゴがエスコートすると言い出した。実弾射撃アトラクションがついた旅行のつもりで。

 さすがに気まずかったけど、行っただけの収穫はあった。実際に銃を撃ってみると、現実的な問題が見えてきたから。

 銃は非力な者でも力を使える便利な道具だけど、レクチャーを受けたぐらいじゃ扱い方を覚えたに過ぎなかった。人間をかたどった紙の的ですら酷く緊張したことを思い出すと、ディオゴの血肉を穿うがつことができるのか心許なくなった。だから最初は、佐藤さんに仕留めてもらうつもりで頼ったの」

「気持ちがかわったのは、銃以上に実用的な方法を見つけた——とか?」

「ディオゴの方はわたしがやる。佐藤さんにはここから先、ミオを頼まれてほしい」

 結局、最後まで答えてはくれなかった。

「ミオがそばにいると気持ちがぐらつきそうだし、万が一でも巻き込みたくない。距離をとっておきたいの」

 アイスは無言のまま目だけで問う。

 その視線を正面から受けて怜佳が答える。

「佐藤さんへの報酬の額は変えないし、受けてもらえるつもりでミオに必要なものも整えてある。お願いできるのは佐藤さんしかいない」

 断りの言葉を出すつもりが、同意と諦念がまじった重苦しい溜め息だけがでた。

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