4話 ルビコン川を渡れ

 大口を叩くだけはある。

 浅野は、自分が手を出すまでもなく終わると思っていた。が、白杖がふたつに分かれたところで厭な予感に襲われた。

 こういった場面への用意があるということは、ケンカ慣れしているか、暴力を食い扶持にしたことがあるか。

 予測は正解だというように、素人でも新人でもない部下が一〇秒もたずに倒された。

 高須賀未央は俊敏にこちらとの距離を変え、捕まる愚を繰り返すまいとしている。

 追い込まれるまえに浅野は前に出た。

 スティックの切り返しの速さから、逆袈裟にくる動きはよんでいた。斜め後方にステップを踏んで一旦回避、すぐさま踏み出す。

 視力に問題があるのなら、コンパクトな動きは追えない。

 特殊警棒を上下左右に振るのではない。打たれる側からは、点でしか見えない動きで。

 真っ直ぐ突き出した。



 浅野の呼吸が変わった。

 シルエットの動きはさしてないのに間合いがなくなる感触。首のうしろの皮膚がヒュッと冷たくなる。

 突いてくる!

 グウィンはとっさに膝の力を抜いた。上体を逸らし気味に、カクリとひざまずく格好をとる。

 頭上のくうを特殊警棒が突き裂くのを感じながら、右のステッキをいだ。

 崩れた体勢のうえ、当たりをつけただけの流し打ちで威力が弱い。たたらを踏んだ浅野の足音はすぐ、しっかり地面を踏んだものに変わった。

 すぐさま間合いをとらねば。立ち上がる猶予がない。

 横方向に素早く転がった。

 地面を穿うがつ鈍い音。

 警棒を空振りさせた。が、立っている浅野が優位なままだ。力任せに特殊警棒を打ち下ろしてくる。片膝立ちのまま、ステッキをクロスさせて受ける。

 防御したものの圧倒的なパワーを受け、ステッキを握る手が痺れた。

 感覚が手に集中した瞬刻で、グウィンは胸に蹴りを食らった。

 吹っ飛ばされた身体が後方に倒れ込む。頭を斜めに傾げる回転受け身で転がり、勢いを殺そうとする。

 地面にふれた背中に、一気に間合いをなくす振動がつたわってきた。

 浅野のとどめがくる——。



 これで終わりだ。

 手こずらされた白杖使いにむかって、浅野は特殊警棒を鋭く振り下ろす。その身体が出し抜けに転倒した。

 膝裏に痛烈なショック。続けて特殊警棒を持つ手にも。

 蹴りの衝撃で得物を飛ばされる。

 寸刻おかず顎にも蹴りが入った。

 脳が揺れて視界がふらつく。そのまま額を鷲掴みにされ、頭から仰向けに押し倒される。後頭部で地面を強打させられた。

 上がった顎の下に、硬い感触があたる。

「ここで退いてくれないかな」

 佐藤アインスレーの飄々とした笑みが見下ろしていた。

 右手が浅野の顎の下にある。手にしている凶器は見えないが、抵抗しない一択につきた。といって、あっさりアイスの言い分を聞く気にもなれない。

「尻尾を巻いて逃げろと?」

「一時撤退だって、りっぱな戦略」

「脅しながら言われましても」

「あたしが敵にまわってるの、驚かないんだね」

「おれが直接の指示を受けているのはチェなのはご存知でしょう。そういうことです」

「やっぱり一太は運送屋の火事のときに首を突っ込んできてたか……っと、話をそらして悪かった。で、返事は?」

 顎の下の皮膚に鈍い痛みがはしる。

 黙ったままでいると、アイスの笑みが深くなった。

「忠義をつくすとは部下の鏡になりたい? もう格好はついてるからいいでしょ? 一太なら『死んでもミオを取り返してこい』なんて無意味な命令はしないはずだし」

 笑んではいても、双眸は笑ってはいない。

 顎の下に当たっていた硬い感触が喉へと移動し——

「待て、待てって! 退く! いう通りにする!」

 拘束がゆるんだ。起き上がった浅野に、安っぽいボールペンを胸ポケットにもどしながらアイスがわびた。

「スーツを泥だらけにしちゃったね。でもそれで抵抗した説得力が増すよ」

 踏んだり蹴ったりだ。高須賀未央を拐いそこねた責任は、ばっくれた十二村に押し付けることにする。



 ラウンジスペースにいると思っていたミオの姿が消えたとき、アイスは探すまいとした。

 報酬のことだけではない。ミオに入れ込みすぎていた。

 自分から美園を出たのならと、本人の意思を尊重したような言い訳を用意して、抜き差しならなくなる手前で止まろうとした。

 しかし、グウィンに指摘されてしまう。

「じゃあ、ここまでミオを護って連れてきたのは何だったの?」

「……報酬は返す」

「なに、その中途半端。いったんでも受け取ったのは、リスク承知でやる気があったからでしょ?」

「割に合わなくなった」

「利益だけで動いてるって言い張るなら、偶然会ったあたしを怪我してまで助けたのは何だったの?」

「グウィンのときのは単なる気まぐれで……」

「百歩譲って、あたしのときはそれでいいとしてあげる。けどミオの場合は、一度は受けた仕事だよ? それを考え直したからって途中で放り出すなんて、アイスプロとしてはどうなの?」

 グウィンの言葉に引きずられるようにして、アイスはミオが行きそうな場所を告げた。

 そんな体裁をつくって、ミオを助ける理由をグウィンから後押ししてもらった。

 結局、自身の本心は無視できない。ひとりで生き足掻いているミオを他人事にできなかった。

 これでよかったのか……。

 グウィンを助けているミオをみて思案しても、いまさらだった。

<オーシロ運送>で片付けた手合いなら、まだ言い逃れができなくはない。第三者からミオを奪われることを防いだといった具合に、言い繕える余地が残っていた。

 身内だとわかったうえで浅野たちとやり合ったことは、<ABP倉庫>から離反する宣言になる。

 回帰不能点は過ぎた。

 すでに一本道しか残っていない。

 それにしても、一太がこうも深入りしてくる理由はなにか。

 浅野をつかい、関わりを隠そうともしない。これではディオゴの関心を引くどころか、後継争いにも支障がでてくる。

 ディオゴでなくアイスにアピールしている可能性をアイスは考えた。このところの酷くなっていく突っかかりの延長として……なわけあるか。

 自分で自分に突っ込んだ。それはともかく、一太の益の見当がつかない。

「いつまでピーピングしてんの?」

 答えが見えないフラストレーションを木立の影に向かってぶつつけた。

 痩せて陰鬱な目をした男が姿を現す。ミオを視線でさし、いきなり本題を訊いてきた。

「アインスレーは答えを変える気はもうないのか?」

「余計なことはしたくなかったけど、やっぱりこうなった。退職金をふいにしたなあ……。そんなものあればの話だけど」

「遅かれ早かれじゃないのか?」

「ディオゴと揉めたくなかった。仕事を円滑にすすめるためだって自分に言い聞かせて抑えてきた。けど、あたしにも感情はあるんだなって」

「<ABP倉庫>っていう組織として立ち上がったとき、おれはアインスレーがボスになるんだと思ってた。派手な見栄えはなくとも、現実的で堅実だったからな」

「『面白みが全然なくて地味』をオブラートに包んでくれたね」

「おれは良いほうに考える。結果的に大きな儲けが出たとしても、不安定経営はゴメンだ」

「十二村がボスになればよかったのに」

「無理なのはアインスレーもわかってるだろ」

 口角だけがわずかに上がった。

「おれにはトップのカリスマ性も人をまとめる能力もない。陰で嗅ぎまわって仕掛ける黒子が適任だ」

「自分を冷静にみられるとこ好きだよ。あたしは適任者は誰かっていうより、声のでかいやつがボスになったことに納得してなかったんだね、きっと。今ごろ言うのも間抜けだけど」

<ABP倉庫>を立ち上げたとき、ディオゴは当然のように言った。

 ——ボスは男の方が商売相手から信用が得やすい。表向きの形式だけだ。おれが社長ってことでいいだろ?

 トップになることにこだわりがなかったアイスはうなずいた。

 オフィス外での付き合いは不可欠になる。呑みや会食を含めた接待スキルがあるディオゴの方が向いているだろうと思った。そして配下を自信に満ちた態度で引っ張るディオゴが頼もしくもみえた。当時は。

 数人ではじめた組織は徐々に大きくなり、ディオゴが仕事全体をまとめ、アイスが裏業務実行の中心になって動くことがスタンダードになった。派手好きなディオゴと、目立つことを好まないアイスのコンビであったら、自然な流れでもあった。

 後悔がなくはない。運営面での発言力をもっと残すべきだったかと考えたこともあった。

 とはいえ、会社が安定するにつれ、このままでいいかという妥協が大きくなる。ただ無難にすごすことだけを考えるようになっていった。

「これからどうするんだ。ひとりでやっていくあては?」

「敵になった十二村には教えない」

「……おれも<ABP倉庫>を抜けたら?」

 冗談が言えないのが十二村だ。思わせぶりな台詞であったが、

「悪い、いま考えてる余裕ない。喫緊の課題を片付けないとだし」

 浅野がミオを見つけたのは、<美園マンション>を張っていた可能性が高い。

 ゲストハウスの部屋数が膨大だから、ピンポイントでの特定は逃れられるとしても、このまま美園にいては身動きがとれなくなる。

「ということで、お互いやることがある。さっさと撤収しよう」

「おれは……一太の指示に従わなきゃならん」

「わかってる」

 アイスは<ABP倉庫>から離反した。十二村とも、ここで別れることになる。

 十二村が右手を出そうとして宙で迷わせた。その右手に気づかないふりをして、アイスは背中をむけた。

「元気でね。アルコールより牛乳でも飲んで体重ふやして」

「余計な一言ならいらん」

 十二村だから背中を見せて別れられる。



 アイスは保護者がいない子ども時代をすごした。

 だから両親をなくし、揉め事に翻弄されるミオに同情する傾きがあることは否定できない。

 だがもちろん、親を亡くした子どもなど数えきれないほどいる。ミオが特別なわけではないのに、なぜ<ABP倉庫>での立場を失うことになる行動にでたのか。グウィンと話しているミオを遠目に見ながら、ぼんやり考えた。

 年を食って情にもろくなった。

 怜佳の押しに負けた。

 グウィンの厚意を手助けしたかった。

 ずっと<ABP倉庫>を優先して自分を殺してきたせいで、ディオゴの一〇分の一ぐらいは我が儘したくなった……

 理由になりそうなことは結構いろいろあった。

 強引に肯定的に考えれば、<ABP倉庫>を失うことで、それだけ新しいものを得る可能性があるのかもしれない。

 最初で最後かもしれない我が儘で、のっぴきならないことになった。後悔を残さない決断になったのか、憧れの悠々自適人生をふいにしたか。

 結末を迎えるときには、どういう笑みをうかべているだろうか。

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