3話 白のエスクリマ《武術》
ミオは、グウィンが来てくれた嬉しさより、いきなり昏倒させたことに目を丸くした。
手荒に扱ってきた相手で、人数の差もある。けれど、目の前のごく狭い範囲だけうっすら見えるというグウィンが、力で対抗するとは思わなかった。
ミオに声をかけてきたスーツ男が、最後通牒のようにグウィンに告げた。
「夜の公園でエクササイズしていたところで、その白い棒切れをうっかりぶつけたんだよな? いまなら見逃してやる。謝罪して、さっさと失せろ」
「その子を迎えにきただけ」
「おれの連れを殴っておいて、どのツラで言ってる?」
「話しても聞いてもらえないと思って」
「ヤクザものだとでも言いたそうだな。見えてないみたいだから説明してやる。おれたちは、この子を保護者のもとに案内してやろうとしていただけだ」
「見えてないと思ってナメてるよね。ミオの歩調が乱れてた。無理に歩かせることを『案内』とは言わない」
「おまえの聞き違いだ」
「だいたいミオが麻生嶋さんのところへ戻るって言ったの?」
「女の子をあんな安宿に泊めるよりはまともな行為だろ? 魔窟ホテルでスリルを味わいたい我が儘なら、別の機会に体験させてやる」
「はぐらかすな」グウィンの声が低くなった。
「<美園マンション>が魔窟だの無法地帯だのって騙しセリフは、観光客にしか通用しない」
スーツが返答につまった。
そのタイミングをつかって、グウィンが結論をあずけてきた。
「ミオはどうしたい?」
答えは決まっているのに、すぐに言えなかった。
アイスの姿はない。この公園に来たのはグウィンはひとり……。
アイスの代役みたいにグウィンに頼るのは気が引けた。
ましてやグウィンは手弁当だ。報酬を約束されたわけでもないのに厚意に甘えるのは、あまりに図々しい。
「あ、ミオに訊き忘れてたことがあった」
グウィンの口調が、緊迫した空気にそぐわない軽いものになった。
「<エスクリム>には常連客だけにつくってくれる裏メニューがあってね。チョコミント・アイスをつかったアレンジメニュー、明日にでも試してみない?」
スーツ男に口を挟むスキをあたえない。答えを促されていた。
思ったままを口にする気後れを感じながら言葉にした。
「……いきたい。グウィンと一緒に明日でも、いまからでも」
「麻生嶋から行けばいい」
せっかく捕まえた獲物をすんなりと手放しはしない。スーツ男が名刺をだした。
「ここに連絡をよこして、おれの名前を出せ。浅野だ。話をとおしておく」
礼儀にかなっているような対応をグウィンが切り捨てる。
「浅野さんはモテもてないでしょ?」
「下手な挑発はやめろ。喧嘩したいなら買ってやる」
「隠喩に
手下のナイロンジャケットとパーカーが唸る犬よろしく身構える。それぞれ
リーダー浅野の手がスーツの後ろにまわる。二〇センチばかりのスティックを出した。
「あんたの目のことを考えて対応してやってたんだがな。こちらの厚意をくむ気がないなら手っ取り早い方法をとらせてもらう」
浅野がスティクを一振りする。五〇センチはあるだろう長さに伸びた。
「棒っ切れじゃないぞ。バールと互角に戦える強度がある」
三対一なんて卑怯だ。ミオは自分がまったく戦力外であることが悔しかった。
「最後の忠告だ。引っ込んでろ」
ただし、ひとつできることがある。敵の注意はグウィンに集中しているから——
「あ、くそっ、待て!」
ミオは麻生嶋グループの囲みを破った。やっとミオに注意をもどした浅野の言うだけ無駄な台詞は無視。押さえようと伸びてくる手をかいくぐる。
グウィンのそばに行こうとして、
「ストップ、ストップ!」
そうだった。白杖なしでスムーズに動いたりするから忘れそうになるが、グウィンの視力では、入り乱れて動く人間を瞬時で判別するのは難しいのだ。
なら、通報を。近くにある公衆電話の位置を思い出す。公園の出口につま先を向け用としたが、足が動かなかった。
先ほど見かけた陰鬱な目の男が頭をよぎる。木立の影に、ほかの追っ手が潜んでいるかも……
「ミオ! あたしの後ろについて。チャンスがきたら、ここから離れて!」
二メートルほど離れて背中側についた。ふとミオの耳に、聞いたことのある音が入ってくる。
<美園マンション>の廊下で聞いたクリック音だった。
音の主はグウィンだ。舌で弾く破裂音が、雨上がりで騒音が少ない公園のなかで、小さく響く。
癖ではなく、グウィンは意図的にこの音を出していた。
耳にまといつく、かすかな舌打ち音に浅野は苛立つ。
高須賀未央を見つけ、やっと仕事が終わりそうな寸前で入った邪魔者というだけでも煩わしいというのに。
追い払うだけのつもりでいたが、舌打ちで挑発してくるなら話は別だった。
子どもがこの場から逃げ出さずにいるのも好都合だ。一気に片付けてやる。
訓練すれば人間でもコウモリのようにエコーロケーションで動き回れる。
この話を聞いたとき、グウィンは信じられなかった。
しかし、障害物がある方向や距離、形、大きさといったものがわかれば安心で、安全になる。ものは試しで訓練をはじめて一カ月がたった頃。音で〝見える〟ようになっていた。
移ってきたこの街は、内戦がおきていた生国よりずっと平和だ。世話焼きでお節介な人間も多い。しかし同時に、弱みや油断につけ込み、奪っていこうとする不届き者も少なくはなかった。
グウィンが生国でつちかった格闘術をセルフディフェンスとして思い出そうとしたのは自然な流れになった。
暴力には嫌気がさしている。振るわれるのはもちろん、振るうのも厭だ。
けれど暴力は、向こうからお構いなしにやってくることがある。何もせずに屈するのは、グウィンには我慢ならないことだった。
白杖も工夫した。トレーニングに付き合ってくれたアイスの発案を取り入れた別注品に。視力に頼れなくなったグウィンをあらゆることから守るためのアイテムにかえた。
これらの〝武器〟をそろえていたおかげで、ミオを探しにいくというアイスに、ためらいなく同行を望むことができた。
——たすかる。
こういうときのアイスは遠慮しなかった。怪我をしていることもあっただろうが、「探す」という白杖を持っている人間には難しいはずの仕事を任せてくれた。グウィンなら視認以外の方法で探すことができるだろうと。
頼ってもらえることが嬉しかった。
助けることはアイスやミオのためだけではない。
助ける力がある実感が、無力感の奈落にまで落ちたことがあるグウィンの心を浮上させてくれる。
グウィンは白杖の両端を握り、中心付近から分解する。それぞれ四〇センチと三〇センチほどに分かれた白杖をダブルハンドで構えた。
ミオを背後にして、浅野たちを通せんぼする格好をとる。
グウィンの目は、浅野たちをぼんやりとしたシルエット程度でしかとらえられない。
そこをエコーロケーションで補う。返ってくる音で、それぞれの身長を正確に把握し、リーチを予測した。
無風になったことも幸いした。木の葉のざわめきにじゃまされずにすむ。敵の靴底と地面が擦り合うおしゃべりを聴きとろうとした。
先ほどから待っている足音があった。
待ち焦がれているのに文字どおり音沙汰がない。
相手が動かなければ、このまま膠着状態を続ける手もあったが時間切れ。左側にいた人間が動いた。
グウィンの視界に右手を振り上げたシルエットが映る。
ほとんど見えないまま踏み込むのは恐怖感が大きい。そこをステッキのぶんだけ腕が長くなる有利でカバーする。
左のステッキを下から上へ振り上げた。弾いた手応え。
続けて右を
右手のステッキが左方向にいったタイミングで、もうひとりが右からくる。
雨のあと、高くなった湿度で足音が速くつたわってくる。
ほんの数瞬できる、わずかな余裕。
ステッキを
ダメージを与えられなくても、攻撃を防いだだけで十分。次が本命。
蹴った足をおろす流れで
ボディをおさえ、くの字に折れた相手にも手を抜かない。むしろ、見えないだけに徹底的に。
下がった頭に左のステッキを振り下ろした。
「グウィン、左!」
ミオからの警告にあわせる。
下方に振っていた左のステッキを逆袈裟に左方向へと振り上げる。
空を切った。
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