11話 忘れないためのトリガー

 昂っていた感情が一気にさめた。

 気を呑まれているミオに、アイスから声がかけられる。

「少し待っててくれる? ミオの話、ちゃんと聞くから。どうするか考えよう」

「う、うん。ごめん、なんでこんなこと言ったのか自分でも……」

「後悔なんかしなくていい。ミオは当然のことを言っただけなんだから」

 そう言ってもらっても、言ってはいけないタイミングというものがある。この場にいるのは気まずかった。

「頭冷やしてくる」

「<ファースト>のフロアから出ないで。ミオがひとりになりたいのなら、泊まる部屋もあわせて検討するから」

 感情のままに出した言葉が頭のなかで反芻され、後悔があふれ出る。ミオの耳には、アイスの言葉が音としてしか入ってこなかった。

「わかった」

 ミオは上の空で応える。部屋の鍵を外した。



 アサルトライフルを捨てたグウィンが、屋根の下で毎日眠れる生活を送れるようになって久しい。

 それでもなお、かつての仲間に会っていた。

 血で濡れた顔で、片足をなくした身体が斜めになっているのに倒れることなく、少し離れたところから取り囲んだ仲間が、じっと見つめてくる。

 このときだけ、みなの顔がはっきり見えた。どの顔にも苦痛の色はない。むしろ、やわらかく笑んでいて、グウィンもこちらに来いと呼んでくれる。

 こちらに来ればもう、痛苦も、悲嘆もないと。

 応えて行こうとするのに、近づけなかった。

 足を早め、走り出しても、いっこうに距離が縮まらない。それどころか、どんどん離れていく。置いていかれたくなくて、必死にもがく。

 そうしているうちに、いつも目が覚めた。

 いつも同じ夢だった。

 起き上がると息がはずみ、汗で全身が濡れている。目の前には、あいかわらず白い霧が濃くひろがっていて、よく見えない。

 悲しくも、苦しくもなかった。ただただ虚無感がグウィンの身体を侵し、内部から崩れ落ちそうな錯覚をおこした。

 こんな夢をみるのは、逃げ出してきた罪悪感があるからなのか。

 ——ここまでよく頑張ったね。

 アイスには過去を断片的に話したことがある。それだけでグウィンが抱える事情はわからないはずだが、いつもこの言葉をくれた。

 抽象的な答えだから、受け取った側で自由に解釈できる余地がある。グウィンが都合よく解釈しているだけかもしれない。

 それを承知で、ただ頷いてほしかったグウィンにとっては、これ以上ない言葉だった。

 この声を聞くと、落ち着けるようになっていた。



 ミオが出ていった部屋に、窓の外から室外機の音だけが低く聞こえてくる。

 アイスの肩に寄りかかったまま、じっとしていたグウィンは、やがて魂まで抜け出そうな苦しい息を吐いた。

「ミオに何て謝ったらいいか、思いつかない」

 顔をうめたままで後悔をもらした。

「落ち着いてきた? 苦しいところはない?」

「トラブルの渦中で苦しんでる子に、なんてことを……」

「別の考え方もできるよ。ミオは大人すぎるところがあるからさ、ポンコツなとこを見せてやったことで安心して、年相応になりそう」

「すっごく、きついこと言った気がする」

 はっきり覚えていなかった。

「ミオを傷つけたりしたら、ますます自己嫌悪だよ」

「たしかに刺さったかもね」

「う”っ……アイスが容赦ない」

「放った言葉は戻せないから、あとでフォローいれよ。あたしたちは完璧には遠い。修正しながら進むしかないでしょ。ところで——」

 アイスの指がグウィンの手を軽く叩く。アイコンタクトができないグウィンにとって、これがアイスとのアイコンタクトがわりだった。

「ミオとふたりで買い物してるあいだに何かあった?」

 思い出すと、また冷たい汗が吹き出てきた。

「一階フロアにいるとき、電球が破裂してね」

「ああ……」

 アイスにはそれだけで通じた。

 発砲音や爆破音と似た音ですらトリガーになる。あっという間に銃が支配する暴力の只中に引き戻された。嗅覚までもが思い起こされ、血の一滴も落ちてはいないのに、独特の錆臭さが鼻をついた。

「意思でコントロールできるものじゃない。きつかったね」

 腕にやわらかくタッチされた。

「しばらくベッドで休んでいきなよ。仕事の疲れも、たまってたんだよ」

「ありがと。あたしは大丈夫だから、ミオの様子を見てきて。そのあいだにミオへの埋め合わせを考えとく」 

 狭い部屋では否応なしに相手の姿が目に入ってしまう。同じ部屋にいては気まずくて、ミオは出て行かざるを得なかっただろう。

 グウィンを苛む記憶は、見る力を大きく失っても薄らぐことがなかった。

 過去の視覚情報を新しい視覚情報で上書きして消せないから、記憶のなかの光景が薄くなることがない。苦しい記憶ほど、ちょっとしたきっかけで思い出す。

 そうして繰り返すことで、消えない記憶として強化された。

 自分を律する意味でいいと思えた。

 信仰心はないけれど、天の配剤だとしたら納得しているところがある。

 出てきた国でのことは、忘れてはいけない記憶だった。せめて覚えていることが、死んだ人間への詫びになる。

 視力が極端に落ちた原因はわかっていなかった。つてを頼ってこの国に逃れ、少しの安心を得たあとに、文字どおり視界に霧が立ち込め、目でもって見通すことができなくなった。

 そしてそのまま晴れることなく、グウィンの視界は酷くぼんやりしたままになっている。

 この状態には、もう慣れた。視力を取り戻すことにも、あきらめがついた。

 ただかなうなら、ひとつだけ望むことがある。

 アイスの顔を見たかった。



 慌しい足音に、グウィンは我に返る。ドアが乱暴に開けられた。

「ミオがいない」

 アイスの声が強張っていた。

「ラウンジ以外も見て回ったんだけど……」

「外に出たってこと?」

 グウィンは触知式腕時計の風防ガラスをあけ、針を指で読んだ。

 ハメを外した酔っぱらいが出没してくる時間だ。探しに出かける用意をしているアイスの気配に、

「あたしも一緒に行かせて」

 白杖をとって立ち上がった。どこまで役に立てるのかわからないが、移動でアイスの足を引っ張ることはない。

 とっておきの方法は身につけてある。

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