10話 子どもでいさせないくせに
ミオは、最短時間でシャワーをすませた。
シャワーとトイレが一緒というより、トイレのおまけにシャワーがついているといった方がしっくりくる狭さ。そして衛生上の抵抗感で、汗と汚れを落とす最低限のシャワーの役割でおわらせた。
ドア前の、これまた狭いスペースで急いで服を着る。同性とはいえ、会って間もない人たちのそばで裸でいるのは落ち着かなかった。
汚れた服を簡単にたたんでまとめておく。フロントにもらったポケットティッシュを着替えたシャツの飾りポケットに入れた。持っておくと何かと重宝する。
あとは髪を乾かすだけ。なのにドライヤーが見当たらなかった。
コンセントがないことからして、部屋でしか使えないのだろう。戻ろうとしたところで、
——ミオの味方になるのもデメリットがちらついて
——命に関わるかもしれなくても
息が詰まった。
アイスは、報酬額が意に合わずに関わりをしぶっているのだと思っていた。
グウィンも、危険な目に遭うかもしれないこと承知のうえで、一緒にいたとは思わなかった。
後見人になった怜佳の安否はまだわからない。怜佳に続いて、グウィンまで巻き込む状況になっているのは……
遺産のせいだ。
いったい、どれだけの遺産を両親から引き継いだのか、正確な額をミオは知らない。
どれほどの大金だったとしても、法を無視するようなことをしてまで騒ぐ周囲の大人たちのバカバカしさは、もう見たくない。
アイスやグウィンの、同情もほしくない——。
「みんなお金でどうかしてる! 人を引っかきまわすお金なんかいらない!」
ミオの訴えなど耳に入っていないように、アイスはグウィンのほうへと視線を振りむけた。
頭に血がのぼる。アイスがなぜグウィンを気遣うような素振りを見せたのか、考える余裕もなかった。
蚊帳の外におくな。
子どもの声を軽くみるな。
子どもの歳でも、子どもでいられない。理性的であろうと頑張り続けてきた反動が噴き出した。
アイスに
アイスしか見えなくなっていた。
「お母さんには生きててほしかった。父とのあいだでトラブルがあるぐらいわかってた。わたしに相談してほしかった。わたしがいることを別れない理由にしてほしくない。わたしのために身を投げ出すこともしてほしくなかった。お母さんとふたりで逃げたかったのに!」
アイスが静かに応える。
「追い詰められた人間は、当たり前のことすらも考えられなくなる。ミオに相談することさえ思い浮かばないほど、彩乃さんは苦しかったんだよ」
「そんな当たり前を聞きたいんじゃない!」
「ミオにはせめてお金を遺そうとした。お金があれば自由が買える。自由に生きるための下地を用意してくれたんだよ」
「クラシックを聴くのに、ステレオじゃなくてラジカセ。この安部屋も守銭奴こその自由ってわけ?」
こんな厭な言葉を吐けるんだ……。
自分の声を他人の声のようにミオは聞いていた。冷静なもうひとりのミオが、アイスの言うとおりだと頷いているのに、
「守銭奴のつもりはないけど、ラジカセも部屋も、選んで得たもののひとつだよ。余分があると重く感じる人間だから、必要分だけのシンプルを選んでるだけ」
アイスに卑屈さはなかった。
「持っている金額によって、選択肢は増えも減りもする。持っていなくて困ることはあっても、その逆はない。
お金を遺した彩乃さんの意思は別にしても、簡単に捨てなくていいんじゃない? お金の使い方を覚えるまでおいておいて、ミオが成人したときに、どうするか決めればいい」
「お金があって困ることはない? じゃあいま起きてる、このトラブルはなんのせいなのよ⁉︎ 感傷で守ってもらって、わたしが平気でいられると?」
・彩乃と父が〝事故死〟した、あの日の朝。
これからも心配ないと彩乃は言ったのに帰ってこなかった。本当のところ、自分のことなど忘れていたのではないかという不審が、ミオにくすぶっていた。
「事故死だって聞いたけど、事実は言われなくてもわかってる。こんなのが、わたしを父から守る最適な方法なの? 勉強も仕事もできたお母さんが、なんで力づくの馬鹿な手段に頼るのよ! そんなお金を遺してなんになるの⁉︎ 気持ちが重くなるだけだよ!」
「力づくでしか方法がないことだってある」
不意にグウィンが口をひらいた。
「どんなに働いても生活のための金がない。声で訴えても状況が変わらない。なら、力でやるしかないじゃないか」
「グウィン?」
「グウィン!」
声が重なった。
ミオは脈絡のない話にどうしたのかと問いかけ、アイスが目覚めさせるように名を呼ぶ。
しかし、ふたりの声がグウィンの耳に入っている様子はなかった。
「言葉じゃ届かない。消されてしまう。無かったことにされる。なら最後は、力でやるしか手段がない。だから女も、子どもも、神父だって、力で
「そう。難しい選択だった」
うなずく言葉をかけたアイスとは反対に、ミオはうろたえることしかできない。
「欲しかったのは贅沢するための金じゃない、生活していける金だ、金さえあったら、死なずにすんだ人間がたくさんいる。金なんかあってもしょうがないなんて言うな!」
「苦しかったよね」
すかさずアイスが腕をのばす。ここではないところに向かって話しているグウィンの顔を包み込んで自分の方に向けさせた。
ほとんど見ることができないというグウィンの瞳をまっすぐ見つめた。
「グウィンは、できるだけのことやってきたんだよ」
「でも、死んだ……たくさん死んだ……たすけられなかった……がっこうにいかせて……」
「うん」
アイスはグウィンの頭を肩口に抱え込んだ。悔いの声がアイスの身体に吸い込まれる。
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