6話 グウィンの杖
夕食後のデザートを求める人が多いのか、店はそこそこ忙しそうだった。ジェラートパンをはさんだ店員と客の楽しげなおしゃべりが、ミオの耳にも入ってきた。
「こういう雰囲気の中にいると、幽霊話がしょっちゅう出てくるのが嘘みたい」
「ああ、定番の」
「アイスに言ったら、イメージに囚われてるだけっだって。グウィンはどう思う?」
「話には聞くけど、あたしはほとんど〝見えない〟からなあ」
「声とか音を聞いたことは? 霊が出るときにラップ音がするっていうけど」
「ラップ音がどんなのかはわからないけど、生身の人間の悲鳴なら聞いたことあるよ」
「え……」
ミオの背筋にアイスクリームのせいではない冷たさが走った。
「でも、人の目の死角で犯罪が起こるのは、どこだって同じでしょ? そういうおかしな噂をたてられる<美園マンション>にも、とっておきの場所があるのも同じ。一般客の立ち入りは禁止されてるんだけどね」
「じゃあ、入れないじゃない」
「だからこっそり。入る経路を警備の人が教えてくれたの」
「…………」それでいいのか警備員。
「ミオがどんな顔してるか想像できるよ」
「でも、<美園マンション>でよさそうな場所なんて……あ」
入る前に見上げた、美園の外観を思い出した。
「ひょっとして屋上?」
<美園マンション>は周囲の建物より高かった。ビルがひしめいている中に建っていても、屋上なら三百六〇度、あけた空間になる。
「空が広く感じるなんて、この街中じゃ、ちょっとできない体験でしょ」
「あぶなくないなら、わたしもちょっとだけ……あれ、グウィンはなんで……その……」
「見えないのに行くかって?」
「う……うん」
「見えなくたって、風を感じることはできる。地上で感じるのとは違う風……あ、そうだ」
グウィンが思い出したように付け加える。
「パラペットが低いってアイスが言ってた。上がったら、屋上の
すでに屋上にいく話になっていた。
「アイスも上がってたんだ……って、そのまえにパラペットって何?」
「えっと……手すり? 端っこのほうに低い壁が立ち上がってる、あれ。美園はフェンスとか柵じゃなくてパラペットなの。立ち入り禁止になってるのはそのせい。高さがなくて、簡単に乗り越えられるから」
「だから飛び降りたとかの幽霊話が出るのかな」
「ミオのこと訊いてもいい?」
「え、あ……うん」
もう少し現実を忘れた、どうでもいい話をしていたかったが、聞く気満々のグウィンの顔を見たら断れなくなった。
「ミオはこれから、どんなことしたい?」
「えっと、それは高校卒業してってこと?」
「なんでも。高校生のうちにチャレンジしたいことでも、卒業後にやってみたいことでも」
「それが……夢のない話になるけど、わからない」
「そっか、これからなんだね」
「え? どういう……?」
「『わからない』っていうのは、まだ見つけていないだけかもしれないってこと。これから探すんだよ」
「すごいポジティブ思考」
感心して笑ってしまった。
「前向きで考えるのなら進学したい。それぐらいのお金を遺してもらえたし、知らないことを知っていったら、やりたいことや得意なことがわかるかもしれない。家の事情で、一年生のうちから進学をあきらめてる子もいるから、複雑な気分になるけど」
「だったらなおさら、ミオは進学のチャンスを大事にしてほしいな」
「こんな動機でもいいのかな?」
「きっかけは何だっていいんだよ。いい結果も悪い結果も、やってみてこそついてくる。学校いけるのなら、絶対いくべきだよ」
学校に思いれでもあるのか、ずいぶん勧めてくる。
「じゃ、グウィンが整体の勉強したきっかけ——!」
話に熱が入るまま思わず身を乗り出したとき、小さなテーブルに立てかけてあった白杖をうっかり蹴飛ばしてしまった。白状が床にはね、高い音が狭い店内に響いた。
「ごめんなさい!」
ミオは慌てて拾いあげたものの、
「ん?」
予想外の重さにとまどった。
「白杖って、軽いほうが使いやすそうに思ってたけど、グウィンは違うんだね」
「アルミは曲がることがあるし、カーボンは横からの力に弱い。その点、スチールは丈夫で使い勝手がいい。自分仕様に変えて、ますます頼れる〝バディ〟になったよ」
ボールペンでも軽い方が疲れないという人がいれば、重いほうが安定して書きやすいという人もいる。
グウィンの白杖は、見た目は基本的な直杖タイプだが、重さに個性があった。これなら、さっきみたいに、うっかり人間に蹴飛ばされても安心だ。
グウィンが白杖を手にとった。
「お腹落ち着いた? ミオの服探しして、食事を買って戻ろう。アイスにも栄養とらせないと」
店員に挨拶して店をでた。吹き抜けのあるスペースから、路地みたいに狭い廊下へとグウィンが入っていく。
細い廊下の両端にも小さな店が連なっていた。飲食店や雑貨、チケット買取店といった店舗にまじって、ガラクタのような金属部品ばかりを並べていたり、修理済みの札をはりつけた電化製品を扱っていたり。
それらのあいだをグウィンは迷うことなくずんずん進んでいく。その隣を歩きながら、ミオはもう一度確かめたくなった。
「人間って、目から入る情報に頼ってるじゃない? グウィンは……その、ぼんやりとしか見えなくて、不安にならない?」
「もう慣れたかなあ。最初はもちろん不安だったし、怖かったんだけど」
ひと呼吸おいて、グウィンの声が少し低くなる。
「この国にくる以前は、銃弾で奪い合う前線にいたんだよ。自らすすんで入った世界だったけど、
想像が追いつかないハードな答えが返ってきた。
「ごめんね、いきなり重い話して。ミオと話してると、大人に聞いてもらってる気分になることあるから、思い返してたら、つい」
ミオも彩乃を思い浮かべた。夫婦間でのことを話してくれなかったのは、大人になろうとするミオの背伸びを見抜いていたからなのか……。
「視力が落ちた原因は、診てもらってもわからなかった。もっと悪くなるんじゃないかって不安もある。だけど見方をかえたら、ネガティブなことばっかりでもなかった。
説教じみた言い方しか思い浮かばないけど、ものの見方はひとつじゃないって気づけたのはよかった。いい歳になるまで気づかなかったのかよっていうツッコミはなしで」
一転、茶化して軽い話のように話す。
会ったばかりのグウィンの、これまでのことを思った。
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