10話 ハードカバーの役立て方

<オーシロ運送>の社屋はさして広くない。二谷が現れたドアをくぐると休憩室があり、その奥に駐車場に出るドアがある。外への出入りは、休憩室からも可能なつくりになっていた。

 事務所に通じるドアから外に出るまで、直線ならおよそ六歩ぐらい。

 そのたった六歩の距離が、すんなり出られなかった。

 休憩室に入るドアを開けてすぐ、アイスはコンバットナイフの出迎えをうけた。

 相手の方が身長が高い。振り下ろす形で突き出されたナイフの流れに逆らわず、ハードカバーで押さえ込むように叩き落とす。

 刹那で返したハードカバーの背表紙を、敵の喉へめりこませた。

 間髪入れず、腹に横蹴り。

 二番手でくる男にむけて倒れ込ませ、出鼻をくじく。

 休憩室は狭く、動けるスペースが限られる。中央におかれたテーブルとパイプ椅子を、残るふたりに挟まれないように利用した。

 ミオも俊敏だった。動くアイスの背中に遅れることなく反応する。

 アイスは敵を背中側に回り込ませないことに全力を傾けた。

 狭いスペースで入り乱れて銃が使えない。倒れた仲間を飛び越した二人目の黒シャツ男もナイフを振り下ろしてきた。

 アイスはハードカバーを右から左手へ。

 利き手をあけながら左半身ひだりはんみに。

 ブレードをすり抜けつつ、右掌底しょうていで黒シャツの顎にジャブ。

 そのまま右手を黒シャツの首にかける。

 左手のハードカバーをテーブルに立てる。

 その本の上側の部分にむけて、引きつけた黒シャツの首を叩きつけた。

 ハードカバー本が、下方向からの斬れないギロチンになる。

 首にかけていたアイスの右手のひらにまで、首に与えたダメージが伝わった。

「離して!」

 黒シャツを片付けている間に、バズカットボウズ頭にラインを入れた男が、ミオの腕をつかんで強引に連れて出ようとしていた。

 アイスは最短距離で移動する。テーブル上をすべって反対側に着地。バズカットが事務所のドアノブにかけようとしていた手を、ハードカバーを縦にして殴りつけた。

 悲鳴に続けたFワード四文字言葉とともに、バズカットがミオを盾にする。アイスへと突き飛ばしてきた。

 アイスは前につんのめるミオの身体を受けとめながら反転、バズカットからミオを遠ざける。

 その隙でバズカットのナイフが襲ってきた。

 左ボディへと突き出されたブレードをさばこうとして、パイプ椅子に阻まれた。

 どうにか急所は外す。

 突き出されたバズカットの右腕を左脇に挟みこんで固定。そのまま頭突きを繰り出した。

 相手より低いアイスの身長は、かならずしも不利になるものではない。額の高さがナチュラルにバズカットの鼻の下にマッチする。

 人中じんちゅうに頭突きを入れた。

 同時に、左脇を捻じ上げるように締める。ゴギッという鈍く低い音。

 男の肘を破壊した。

 頭突きはアイスの額も切っていた。歯にぶつかった薄い皮膚が破られたが、額の出血はたいしたことではない。流れる血を拭わないまま、ミオの手をとる。

「あたしと離れなきゃ大丈夫」

 強張った女の子の身体をひっぱり、ドアの外にやっと出た。



 手首をつかまれたミオは、反射的に抗った。

 違う。アイスだ。外に逃げるのだ。

 アイスに右肘を折られた男の悲鳴が耳から離れなかった。

 悲鳴なんて、映画やドラマの音声でしか聞いたことがない。名役者の名演技とは別次元。リアルで聞いた生々しさに、頭の中まで総毛立った。

 休憩室の床に倒れている男たちに蹴つまずきそうになりながら、ドアの外へとむかう。

 膝が震える。足元がたよりない。ほとんどアイスに引きずられるようにして駐車場に出た。

 アイスが手をはなした。

 途端に不安になった。ひとりぼっちで味方が誰もいない孤立感におそわれる。

 突如とした起こった衝突音に肩をはねあげた。

 アイスが積み上げてあったパレットを崩したのだ。

 崩れた木材製品が、重力に引き込まれるままアスファルトに衝突する。騒々しい音を立て、空気をふるわせた。

 怜佳は外に出たら合図しろと言っていた。そして、

 ——二〇秒以内になるべく離れて

 何をするつもりなのか。このまま怜佳をおいていっていいのか。

 答えを出すまえからアイスに引っ張られて走り出した。

「もうちょっと走って! このまま、ここを離れる」

 そんなに動き回ったわけでもないのに、息が切れて胸が苦しい。ミオは平坦な路面でつまずいた。

 路面に倒れるまえに、アイスに抱きとめられた。

 さして大きくない身体のどこにこんな力があるのか。半分引きずられながら移動を再開したとき、背後で爆発音を聞いた。

 ミオは驚かなかった。

 頭が空っぽになったせいだ。爆発音に頭の中まで吹き飛ばされたようだった。

 空っぽの頭は、危険から逃げる命令も出せない。なのに無事でいる。

 硬直したミオの身体をアイスが抱き抱えるようにして動かしていた。路上駐車のワンボックスの影に伏せる。爆風で飛んでくる破片を避けた。

 しばらくしてから頭を起こしたミオの目に、炎と猛烈な煙を噴き出す<オーシロ運送>がうつった。

 ぼんやりしていた頭がはっきりしてくる。目の前で起きている惨事の意味をつかんだ。

「……怜佳さん! 二谷さんを助けなきゃ!」

 立ちあがろうとして、力づくで押しとどめられた。

「素人が装備もなしでどうやって? 有毒ガスが出てることもある。生身で入るのは自殺行為だよ」

 アイスの声は腹が立つほど落ち着いていた。

「消防を——」

「これだけの音がしたんだから誰かがもう通報してる。追っ手はさっき見ただけとは限らない。いまのうちに急いで」

 怜佳は助からないと言われたようだった。

「けど、もしかしたらの数パーセントが起きてるかもしれないでしょ⁉︎ ここでその可能性を捨てたら、あとで後悔する」

「怜佳さんが生きてると思うなら、なおさら自分の安全を最優先にして。もしも、あんたが他の人間のいいようにされたら、怜佳さんが命懸けで逃がしてくれた意味がなくなる」

 ミオは、いやだとも、わかったとも言えなかった。

 背を押されるまま、黙って走り出した。周囲を警戒しながら走るアイスについていく。

 しかし五〇メートルも行かないうちに、アイスの歩調が乱れ、足が止まった。

「ちょっ……もしかして怪我したの⁉︎」

 横からのぞき込んだアイスの顔色が白くなっていた。体格で大きく負けている三人を相手に戦ったのだから、ダメージがあってもおかしくはない。

「いや大丈夫。ただもう、ごらんのとおりの歳だからさ」

 さきほどまでの緊張感を霧散させ、へらりと笑う。

「隠れられる場所までちゃんと連れてくから、心配しないで」

 目に入りそうになっていた額の血を乱暴にぬぐうと、足早に歩き出した。ミオは頷くしかない。

 妙案は思いつかない。けれど、いつまでたっても周囲の大人に言われるままでいいのかとも思う。

 優しくて仕事もできる母、彩乃のことは好きだし、尊敬もしていた。父ともめているのは、うっすらわかっていたが、いずれはこれからのことを相談してくれると思っていた。

 ふたりで決めたのなら離婚したってかまわない。彩乃についていくつもりでいた。

 なのにミオを置き去りにして〝事故死〟てしまった。

 ミオは納得できなかった。

 夫妻が遭った不幸として処理をした警察にではない。彩乃は性急な答えで解決したのだと考えている。そこに怒りすら覚えていた。

 怜佳にしてもそうだ。助けてくれることに感謝しかない。

 ただ、母の親友だからというだけで、後見人を引き受けるものだろうか。後見人になれば、夫ディオゴが遺産を狙ってくることを怜佳なら予測できたはずだ。

 怜佳は彩乃からの遺産を守るというが、ディオゴが絡んでくるのでは本末転倒な気がした。

 彩乃も怜佳も、ミオを助けようとしてくれるのだが、どこかしっくりしないズレた感じがある。

 アイスのこととなると、もっと収まりが悪かった。仲間を裏切ってまでミオを助けるメリットなんてあるのか。

 彩乃のオフィスを売ってできたお金が、アイスの報酬とつり合っているというなら、それでもいい。

 引っかかるのは、差し迫った場面でもうかべている笑み。それがアイスの底知れなさを感じさせ、味方になってくれたと素直に喜べない。

 怜佳がえらんだサポート役だが、この人と一緒にいて安心していていいのか……。

 胸がざわつくまま、ミオはアイスについて歩く。



 アイスには確信があった。

 怜佳は我が身を犠牲にしたのではない。あの荒っぽい仕掛けは、勝算があるからこそ実行した。

 とはいえ、身体をはって動いたのは初めてのはず。紙の上で計算した爆破火災計画が、いきなりの実技でどれだけ及第点をだせるものか、見当がつかなかった。

 それにしてもミオを守るためとはいえ、ここまでやるとは思い切りがよすぎる。

 依頼主としては厭なタイプになるかもしれなかった。予測範囲外の行動で、どんなトラブルが飛び出してくるかわかったものではない。

 ともあれ別の問題があった。

 左脇腹に、生温く濡れた感触があった。

 休憩室が狭く、バズカットのナイフを捌ききれずにいた。ミオがいる手前、確かめていないが、十中八九、出血がとまっていない。自身の治療も必要になる。

 迎えうった三人は、いずれも知らない顔ばかりだった。この首謀者が怜佳の言うとおり一太だとしたら、ディオゴの指示を守る体裁のために、メンバーを外注でそろえたか。

 そうまでして一太が成果を求めるのは、ディオゴに認めてもらいたい……などと考えてしまうあたり、ずいぶんウェットになったものだ。

 自分にあきれ、眉間に峡谷を刻みそうになるが、強引に笑みの形にかえた。

 深刻な顔をしても事態がよくなるわけではない。表情筋からリラックスさせて、思考も柔軟に働けるようにする。

 体格もパワーも平均しかないアイスが<ABP倉庫>の裏仕事をこなせるのは、あるものを最大限にいかす方法を探り続けた結果だった。

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