二章 このマンションは〝ユニバース〟

1話 密売所じゃありません

 多種多様な飲食店にアミューズメント施設、老舗の個人商店から大型量販店まで集まったこのエリアの繁華街は、買い物客や観光客で終日、雑多なにぎわいをみせている。

 近隣の大型百貨店から流れてくる人にかわって、一日の労働を終えた勤め人たちが増えてくる夕刻すぎ、混雑密度はさらにあがっていた。

 派手な看板がならぶ通りをアイスはミオを伴って歩く。

 アルコールで早くもハイテンションになっているグループを足早にすり抜けた先。雑踏の向こうに目的の建物をみとめアイスは、わずかに安堵をおぼえた。

「あそこに部屋をとってる」

 アイスが指す先をたどったミオは、面食らった表情をみせた。

「……え?」

 周囲の建物より、ひときわ巨大なビルだった。

 一階の正面出入り口周囲には、飲食店舗に薬局、アパレルショップ、雑貨店と、あらゆる看板が張り合って主張をしている。

「『マンション』って言ってたよね?」

「住居フロアもあるよ」

「『も』って、住居の方がついでなんだ。マンションでゲストハウスって変だと思ってたけど……あっ、ここって美園みそのマンション>じゃない!」

 何をいまさらな顔でアイスは返す。

「包み隠さず<美園マンション>だって話したよ? あと、どういうふうに聞いてるのかの想像もできる。とにかく中に入って。聞いた話をそのまんま信じるんじゃなく、自分で確かめてみたら?」

「ほかのとこにしようよ。ラグジュアリーホテルじゃなきゃイヤって言ってるんじゃない。エコノミーのビジネスホテルぐらいならいいでしょ?」

「怜佳さんのことは、もうあきらめた? 美園って伝えたのに、よそに行ったら連絡とれなくなるよ?」

「うっ……それはそうなんだけど」

 強い逡巡をみせる。

「もちろん怜佳さんのことはあきらめてない……でもここ、『出る』ってもっぱらの噂だし……」

「噂は『真実』って意味じゃない」

 目的地の手前で押し問答が続く。ミオは折れなかった。

「怜佳さんとの連絡方法は、別のを考えようよ。美園だけじゃなくて、おかしなことが起きるのは有名な話だよ?」

「ライスの副食に粉ものが当たり前とか?」

「それは別におかしくない……じゃなくて! 人が<美園マンション>から落ちてきて、でも倒れてる人がいかったとか、誰もいないはずのトイレで苦しげな声がしたとか……」

 ミオが見えないものを見ようとするかのように、あたりを見まわした。

「とにかく、このマンションに入りたくない」

「<美園マンション>でしばらく落ち着く予定だけど?」

「ますますイヤだよ!」

 ミオの反応はわからなくもなかった。

 再開発を成功させた今でこそ賑やかで、夜も明るい繁華街になっているが、もとは広大な墓地に、刑場や焼き場まであったところだ。そういったいわくつきの土地にありがちな幽霊話ができあがるのは、この周辺も例外ではなかった。

 アイスは、そういったものを見たことがない。だからといって全面否定する気もなかった。

 幽霊がいることの科学的な証明はされていないが、いないという証明もされていない。ミオが幽霊を怖がることを一概に「気のせい」とは言わなかった。

 ただ刑場や墓地のイメージが、幽霊話をつくりだすことはあると思っている。

 転落事故が頻発したり、人気が少ない階段やトイレでおこった暴行や強盗事件で、被害者の姿が消えていたり。

 これらは霊に引き込まれたのでも、目撃者が幽霊を見たわけでもない。

 転落の原因がビルの安全管理のずさんさにあっても、そこに経営者の意図が悪意をもって働けば、明るみにならないことがある。

 暴行や強盗の被害者にもスネに傷があると、警官のまえに出ることができず、被害を訴えないまま姿を消したりもする。

 不可思議なことに対して、人は原因を求めたがる。わからないままでは恐怖が大きくなるものだ。だから幽霊のせいにしてでも落ち着こうとする。

 それはともかく。

 アイスはすでに立っているのも、つらくなってきていた。

「ここで落ち着きたいのは、これの処置もしたいから。マンションに行きつけの診療所がある」

「そんな贔屓ひいきにしてる呑み屋さんに行くみたい……!」

 仕方なく左脇に抱えていたソフトシェルジャケットを外してみせた。ミオが絶句する。

「自分で縫うにしても、道具は泊まってる部屋においてあるから」

「ナイフで襲われたとき……⁉︎ ちょ、なんで早く言わないのよ!」

「子どもに心配されたくないミエかなあ」

 笑みにあいまいな答えをのせると、ミオが肩を落とした。

「こんなときまで笑ってないでよ……。わかった、行く。とにかく診てもらわないと」

 そう言って<美園マンション>の正面入り口に向かおうとする。

「そっちじゃない」

 ミオをひきとめ、アイスは建物横の路地へと折れた。

「診療所にはビル裏からでないと入れないの」

「医療施設っていうより密売所みたい。そんなだから怪しい噂がいっぱいたつんだよ」

 ミオの言っていることは、あながち間違いではないとアイスも思うことがある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る