4話 楽しいから笑んでるじゃない

「あたしは、ここのスタッフじゃない。診療所に呼ばれてくることもある整体師。アイスはお得意さんのひとりなの。で、まずはこれ」

 ケーシー白衣の女性から、濡れタオルをわたされた。

「顔だけでも拭いて。気分がさっぱりするよ」

 そうしてロビーベンチまで戻り、立てかけていた白杖を手にとった。

「温泉が好きなの?」

「え……」

 ミオは画面を振り返る。バスタオル姿の女性タレントが露天風呂に入っているシーンだった。

「いえ、ニュースがみたくて」

 アドバイスに従って挑戦。軽い音をたててチャンネルが回った。

 歌謡番組、バラエティ、やっとニュース番組をみつけると、与党議員の賄賂疑惑を聞き流しながらタオルを使った。

「アイスから少しだけ聞いた。大変だったね。あなたに大きな怪我がなくてよかった」

「はい、まあ……」

 女性がなめらかな動きでベンチシートにすわった。

「お腹すいてない? ニュースがおわったら一階うえにいこうよ。飲み物だけでも種類がいっぱいあって楽しいよ」 

「……あ、はい」

 返事がうわの空になってしまうは、白衣の女性に不可解なところがあったせいだ。

 女性はイスにつまずくことはなかったし、腕時計もしている。視力に問題はないようにみえるのに、白杖を持っているのは?

 初対面でいきなり訊けずにいるあいだに、待ちかねたワードがテレビから聞こえてきた。

 アナウンサーが爆発火災のニュースを読み上げる。身元不明の焼死体が四体発見された——。

 怜佳と二谷が残っていた事務所のほうへは何人きたのかわからない。焼死体となっているのは誰なのか。火から逃れた人間はいるのか……

「グウィン、ちょっとお願いしていい?」

 処置をおえたらしいアイスが入ってきた。ちょうどよかった。

「警察に聞きにいこうよ! 亡くなった人が誰なのか確かめなきゃ」

 ミオの気持ちが急く。説明を端折ってしまったが、すぐに察したらしい。見慣れてきたアイスの笑みが、すっと消えた。

「家族でなきゃ警察は教えてくれない。確かめにいかなくたって、怜佳さんが生きていればここにくる。それでも危険を承知で無意味な外出をする意味は? 遺産があれば殺されることはないから大丈夫だとか思わないで。殺さずに——」

「アイス!」

 グウィンが鋭い声を発した。

「あなたはまず休んで。適切な言葉が使えてない」 

「……そうだね。ごめん」

 謝罪の表示か、力を抜いたのか。アイスは首をかくりと折った。顔を上げたとき、初対面から見ている、ゆるい笑みがうかんだ顔に戻っていた。

「ミオに食事をとらせたい。グウィンに頼んでいいかな?」

「さっき誘ってたとこ。あたしも買いにいくつもりだったから」

「このマンションから出なければいいんでしょ? ひとりで行ってくるよ」

 ミオとしては気を遣ったつもりだったが、

「美園の店舗フロアにきたことある?」とアイス。

「はじめて」

「グウィン、お願い」

 信用されていなかった。

 フロアで迷ったとしても、建物内なら大丈夫だと思うのだが。それに、白杖を持っているグウィンに連れていってもらうと言うのも、なんだか違う感じがした。

「じゃ、ミオさん——でいいかな? あたしは、グウィン・サントス・バウティスタ。ファースト、ミドル、ラスト、どれでも呼びやすいネームで呼んで。さん付けとか面倒だから、ないほうが嬉しい」

「わたしの名前も呼び捨てにしてくれたら、グウィンって呼ぶよ」

 年上相手にずうずうしかと思ったが、グウィンにはそれでよかったようだ。

「ところでミオは着替え持ってる?」

「ひと組もってきてたけど、もう使った。ごめんなさい、におう?」

 汗もぬぐわないまま動き回っていた。

「汗じゃなくて……煤かな? このにおい」

 火災現場の中にいたわけではなかったのに、嗅覚がずいぶん鋭い。

「女の子にニオイの話は不躾かと思ったけど、大変な目に遭ったときの服は、脱いじゃった方がリラックスできるから」

「じゃあ、服も買ってきたらいいよ」

 アイスがポケットから謝礼の封筒をだした。

「ブランドメーカーを売りにしてる店は偽装品しかないから気をつけて。買うのは持ち運べる範囲でね」

 怜佳から受けとった封筒のなかから、何枚かの札を抜き出す。

「いい。お金もってる」

「『ありがとう』の一言でもらっとけばいいんだよ。アイスに大人の見栄を張らせてあげて」

 グウィンに言われて素直に従うことにする。

「あれ、お金はわたしが持つの?」

 グウィンが預かるのだと思っていた。

「おつりも好きに使って構わない。当分は食べるぐらいしか気分転換の方法がないから、甘いものとかね。ただし注意がふたつ。計画的に使うことと、財布をヒップポケットに入れないこと。九割がたスられる」

「アイスの手当はもうすんだの?」。

「スンさん、手際がいいからね」

 脇腹の怪我のせいで少し猫背になっているアイスが背中をむけた。

「じゃあ、グウィンに甘えて、あたしは休ませてもらっとく」

「わかった。部屋は変わってないよね?」

 アイスが自室にしょっちゅう出入りさせている人がいるのは意外だった。いつも淡い笑みを受かべているアイスだが、相手と近しくなるための笑みではなかったから。

 ミオとアイスの間で距離が縮まるような会話はまだない。会ってまだ時間がそれほど経っていないし、アイスにとってはただの契約対象だ。

 当然のことと理解しつつ、少し寂しい気もする。

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