シン・戦国コレクション

ナリタヒロトモ

第1話

教師生活25年、国語教師松尾バショウは受け持ちの3年B組に向かう。

 50を過ぎて階段をのぼるのもしんどくなってきた。

 しかしバショウは今年の受け持ちクラスの期待を持っていた。生徒はすべてこれから戦国時代を生きるつわものばかり、この国でもっとも辛い時代とも言われているが、バショウはこの時代に期待していた。

 バショウ自身、若いころ、学生運動からセクトと呼ばれる左翼運動で,主張を同じくするものの集団に属し、投獄で10年を浪費し、結局結婚もせず、人生を無駄にしてきた。

 若い教師にはバカにされ、同年齢の出世組には疎まれ、ごみのような人生と思っているのだが、それでも自分の生きた証を残すためにも、仕事には熱心であった。

 前の授業でバショウは生徒たちに言った。

 「宿題として辞世の句を考えてきなさい。これから戦国時代を生きる君たちは、遅かれ早かれ、それを所望される機会が来ます。そのときに備えて、用意しておきなさい。武将としての功績も重要ですが、結局、人はそんな言葉に惹かれるものです。そしてその言葉で皆さんの人生が評価されるのです。」

 バショウは生徒たちを見渡し、それなりに皆が聞いているのを確認すると続けた。

 「辞世の句を用意しなさい。戦果は時と運で決まりますが、辞世の句は時間をかけて、準備することができます。」

 3年B組は決して良いクラスではなかったが、生徒たちはそれなりにバショウ先生の意をくんだようであった。

 そして週末を過ぎ、夏休み前の最後の投稿日に3年B組は発表の機会を迎えたのであった。

 バショウは文部科学省が新年度予算で用意した時空教室3年B組に向かった。

 戦国武将たちは女子中学生のなりで現れ、バショウは国語教師として現れる。


 出席番号9 織田ノブナガ

 ノブナガは、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。戦国の三英傑の一人。

 尾張国(現在の愛知県)出身。織田信秀の嫡男。家督争いの混乱を収めた後に、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。足利義昭を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、畿内を中心に独自の中央政権(「織田政権」)を確立して天下人となった戦国時代を代表する英雄である。

 しかし、天正10年6月2日(1582年6月21日)、家臣・明智光秀に謀反を起こされ、ノブナガは本能寺で自害した

参考:Wikipedia


 13歳、女子、ノブナガはバショウに言う。

 「じせーのくなんて、バカバカしいんだけど。あたし、まだそんな歳じゃないし、死んだあともかんけーないし、誰のために残すのか、わかんないんだけど・・・。」

 ノブナガの机の上は教科書もノートもなく、安いリップスティックと小さな手鏡が置いてある。そしてノブナガは始めたばかりの付けまつ毛を気にしている。

 「やれやれ」とバショウは言う。 

 「この教室のみんなが生きた戦国時代はこの国の歴史でも最も熾烈な時代だったと言っても良い。多くの人間が殺し、殺されて、ここのみんなも殺されることとなる。でもその後、映画、テレビ、マンガ、小説で一番語られるんのもこの時代なんだ。人間は死んだら忘れられる。子孫ですら、何代も経てば忘れてしまう。だけど君たち武将は語り継がれ、後の世のしるべとなるんだ。確かに死んでしまった後のことだけど、どんな金持ちやスターよりもすごいことなんだよ。」

 ノブナガは「ふーん」と鼻下と上唇のあいだにシャーペンを挟んで聞いている。

 「でも、私は死ぬことは考えたくないな。冬の朝にふとんの中でグズグズしているみたいに長生きがしたい。」

 バショウは言う。

 「でもノブナガはその明け方の寝込みを襲われて自害するんだ。そのときに慌てないように辞世の句を用意しておくんだ。」

 ノブナガは自分の不遇な生涯を思い、「ふう」とため息をついたが、

 「でも、しゃーないか。どーせ、いっぱい殺しちゃうんだし」と言った。

 そしてノートにしたためた句を詠む。

 『人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受け 滅せぬもののあるべきか』

 ☆解説 人間世界は下天に比べると一瞬の夢のようなものでしかない。「命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ


 バショウはぽんと手をたたき、

 「良い歌ですね」と言う。

 「天下を取る直前に終わる人生。その長い道のり。しかしそれも束の間のことだ。ノブナガの人生を総括する、良い句だと思います。」


 そこでクラス委員長の明智ミツヒデが手をあげる。

 出席番号1 明智ミツヒデ

 明智ミツヒデは、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。

 最初は、土岐氏に代わって美濃の国主となった斎藤道三に仕えた。その後、浪人となり、越前国の一乗谷に本拠を持つ朝倉義景を頼り、長崎称念寺の門前に十年ほど暮らした。その後、足利義昭に仕え、さらに織田信長に仕えるようになった。比叡山焼き討ちへ貢献し、坂本城の城主となる。

天正10年(1582年)、京都の本能寺で織田信長を討ち、その息子信忠も二条新御所で自刃に追いやり(本能寺の変)信長親子による政権に幕を引いた。

やがて落ち武者狩りの土民に竹槍で襲撃され、最期を迎える。

 参考:Wikipedia


 13歳、女子、ミツヒデは優等生らしいすました顔でバショウに言う。

 「まず先生ご自身が例を見せるべきではないでしょうか?」

 「ちっ、ゆーとーせーが。」と言うノブナガの舌打ちが聞こえる。

 バショウは意に介さず、応える。

 「そのとおりですね。私の辞世の句を披露しましょう。私は名もない俳人で、それでも東京に小さな庵を持つまでになったのですが、旅先で野垂れ死にしたいという願望は強く、いつかは旅の途中で死にたいと思っています。」

 バショウは自身の手帳を開き、予め用意した句を詠む。

 『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』

 ☆解説 旅の途中で病気になり倒れてしまったけれども、夢はどこかの枯野を、まだかけ廻っている


 「私には皆さんのような歴史を動かすような偉業はなせません。しかしそれでも自分の人生に意味があったと思っています。この五・七・五には私の人生の集大成が込められています。私の生きた人生に価値があったとすれば、それはその死ぬことにあるのだと思っています。」

 

 ミツヒデは「ふん」と鼻で笑うと隣の席でちょっかいを出すノブナガの頭を右手ではたき、

 「私はいつも私だから、私の思うように生きるわ。そして滅びるのだろうが、平気よ。何にも要らないわ。何と言われようが、私が正しいんだから。」

そして句を詠む。

 『心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ』

☆解説 私の心を知る者はいないのだから、誰に何と言われようが構わない。命も惜しくはないし、名声だって惜しくない


バショウはぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言う。

 「自分の正義をかざしたが受け入れられなかった人生。その悔しさ。しかしそれでも悔いることはない。ミツヒデの人生を総括する、良い句だと思います。」


そしてノブナガがミツヒデの髪をひっぱり、取っ組み合いのケンカが始まった。

バショウは「やれやれ」と言い、それを制し、次は豊臣ヒデヨシを指した。


13歳、女子、ヒデヨシは窓際の席でずっと寝ていた。

朝6時までクラブで騒ぎ、そのまま登校してきたのである。外国人のような金髪に、左肩にはタトゥーまで入れていた。もう家には1週間も帰っていない。

パンツも3日代えていない。

わがまま、自分勝手、傍若無人、自暴自棄で、自分勝手なこの武将こそ、紆余曲折の末、この国で初めて天下布武を成し遂げるのである。

バショウはヒデヨシに声をかけるが、ヒデヨシはまだ夢の中で、バショウの声は届いていない。


出席番号20 豊臣ヒデヨシ

豊臣ヒデヨシは、戦国時代~安土桃山時代の日本の武将、戦国大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を築いた。

ヒデヨシは尾張の戦国大名織田信長に仕え、若くして織田家の有力武将となり、信長が支配領域を拡張する中で更に功績を上げた。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、急ぎ和睦して京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破り、天下統一を果たした

やがてヒデヨシは病に倒れ、幼い秀頼を五大老・五奉行に託してこの世を去った。

参考:Wikipedia


 ようやくヒデヨシは起き上がるが、寝起きの便意で襲われ、そのままトイレに直行した。大便、小便のあと、3本タバコを吸うとヒデヨシは戻ってきた。

席についたヒデヨシは、寝起きにコーラを飲み、朝食にガムをかんだ。

 そして句を詠む。

『露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢』

☆解説 露のようにこの世に生まれ、そして露のように消えていく、自分。大阪城で過ごした日々は、夢の中で、夢を見ているようなことだった。


バショウはぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言う。

 「ようやく天下を手に入れ、この国を治めるまでになった人生。しかし死ぬときに気づく。百姓の子せがれとして生まれ、天下人となって、結局は露のように消えていくのだ。しかもヒデヨシは自分が死ねばイエヤスによって一族郎党が殺されるに気づいていた。ヒデヨシの生涯を総括する、良い句だと思います。」


 まだまだ眠り足りないヒデヨシはブッと放屁をすると再び夢の中へ戻って行った。

 

 その屁の臭いでヒデヨシのパシリである石田ミツナリが、叫ぶ。

 「くっさー。くさい。ナニコレ?くさすぎー。うんこ?」

 その声に一瞬ヒデヨシは目を覚まし、顔を赤くすると、上靴でミツナリの頭をはたき、再び眠る。

 13歳、女子、ミツナリも一晩ヒデヨシと一緒にいたので寝てないのだが、すっかり目が覚めてしまい、頭をかきながら立つ。

 ミツナリはヒデヨシほどは目立たないので意識して眉毛を剃っている。

 ついでに風呂に入らないと臭いが気になるので陰部も剃っている。それはヒデヨシも知らないがもう1週間も家に帰られないと少し生えてチクチクする。ミツナリはそのチクチクがいわば自分に対する警告であり、その痛みを感じたときはいつも行動に気をつけていた。

 天真爛漫にヒデヨシに比べて、ミツナリは臆病で小心者であった。甘いカクテルもいつも酔っぱらう前には自制していた。ひどく酔っ払ったヒデヨシをトイレに連れて行き、そのまま小用を足そうとするのをパンツを下げてやるのもミツナリであった。そのため手がヒデヨシの尿でビショビショになるのはしょっちゅうで、その上、ヒデヨシの陰部を紙で拭いてやり、パンツを履かせたりもした。

 ヒデヨシが百戦錬磨の強者であるのに対して、ミツナリは本当に口ばかりの処女であった。

 

 出席番号3 石田ミツナリ

 石田ミツナリは、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。領地・石高は佐和山19万4000石。通称:佐吉、石田治部。

豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。


ミツナリは立つさいに、ヒデヨシを見る。もうすっかり、寝ている。さっき1人でトイレに行ったみたいだけど、ちゃんと拭いたかしら、そんなことばかりが気になる。

そして句を詠む。

『筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり』

☆解説 ああ、故郷の芦の間に燃えているかがり火がやがて消えていくように、自分の命ももうすぐ潰えてしまうのだな


バショウはぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言う。

 「自分のことはかえりみず、ずっと豊臣家のために働いてきた人生。しかし気が付けば時流に乗り損ね、斬首される身となる。思いおこす故郷と、理不尽な思い、それをあらわす良い句だと思います。」


 そんなミツナリにも手下がいた。幼稚園からの同級生で、家も隣だった。

 中学に入ってミツナリが不良デビューしてからは、ヒデヨシのパシリのミツナリの手下という立場に甘んじていたが、実は最強の悪はこの石川ゴエモンであった。

 ゴエモンは3人でクラブに行くとき、まずヒデヨシを徹底的に飲ませ、つぶして、男たちの相手をさせた。そうすることで幼なじみであるミツナリの純潔を守ったのだが、それは決して友情ではなく、同性の腐りきった愛情のためであった。

 13歳、女子、ゴエモンはミツナリのためなら、どんな悪事もする覚悟であり、実際にそうしてきた。ヒデヨシが酔う度に知らない男に抱かせたり、そうして受け取った金が紛失して、怒ったヒデヨシがミツナリにたかって、奪った金をミツナリに補填するのもゴエモンであった。

 しかしゴエモンはミツナリの体にふれることはなかった。見守るだけの愛であった。だからミツナリがヒデヨシの陰部を拭かされているときは、怒りのあまりティッシュにタバスコを垂らしたりした。

 

 出席番号2 石川ゴエモン

 石川ゴエモンは、安土桃山時代の盗賊の首長。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺された。見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されている。

 従来、その実在が疑問視されてきたが、イエズス会の宣教師の日記の中に、その人物の実在を思わせる記述が見つかっている。

 江戸時代に創作材料として盛んに利用されたことで、高い知名度を得た。さらにマンガ「ルパン三世」に出てくることでその人気を不動のものにした。

 参考:Wikipedia、と作者私見


ゴエモンはものを透視できる能力があった。ミツナリの3日目のパンツからツクシのように生え始めた陰毛が突き出ている。それを見るだけでゴエモンは幸せだったのだ。

そして句を詠む。

『石川や浜の真砂子はつくるとも 世に盗人の種はつくまじ』

 ☆解説 川浜の砂がたとえ尽きることがあろうとも、この世の中に盗人がいなくなることはない、なぜなら盗人の種が尽きることがないからだ”

バショウはぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言う。

 「泥棒界のスーパースター。一部の人たちには天下人よりも人気があったかもしれないという。それが最期は一族郎党ともに極刑になるという悲惨な運命。自分たちを見せしめに殺しても、人の心は変わらず、また自分のような泥棒は現れると詠んだ、捨て台詞のような良い句だと思います。」


 同性愛者であるゴエモンを見る異性の目があった。

 細川 ガラシャである。

 この男女逆転転生の世界においては13歳、男子、であった。

 この頃の男子にありがちな万能感をもって、いくつかの偶然をもとに自分には超能力があると思っていた。

 成績はクラスの下の下、運動神経もまったくダメ、しかも毎日パンツの中で射精するというバカの上に変態だった。しかしこのゴミのような少年の愛は本物であった。愛するゴエモンにあだなす者があれば、ポケットのナイフで刺し殺すつもりでいた。そして狂おしいほどの嫉妬に耐えながらゴエモンのミツナリへの思いを見つめるのであった。

 13歳という、未熟で、愚かで、救いようがなく純粋な愛であった。

 

 出席番号23 細川 ガラシャ

 戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。

 西軍の石田三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませた。家臣たちがガラシャに全てを伝えると、ガラシャは少し祈った後、屋敷内の侍女・婦人を全員集め「わが夫が命じている通り自分だけが死にたい」と言い、彼女たちを外へ出した。その後、自殺はキリスト教で禁じられているため、家老の小笠原秀清(少斎)がガラシャを介錯し、遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火を点けて自刃した。

 参考:Wikipedia


ガラシャはゴエモンの後姿に、うなじに、かすかに震えるような息づかい に欲情すると、また射精した。

射精後の疲労と羞恥、だがまだ賢者モードにはならない。

ガラシャは朝10時の教室で絶頂に達しながら、まさに辞世の句を詠む。


『ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ』

☆解説 花も人も散りどきを心得てこそ美しい。花は散りどきを知っているからこそ花として美しい、私もそのようにありたい。


バショウはぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言う。

 「迫りくる死に、花と同じく散り時を知り、覚悟します。そして花は散りどきを知っているからこそ花として美しい、私もそのようにありたいと思いを伝える、散り際の美学とも言える良い句だと思います。」

 そしてバショウはガラシャにトイレでパンツを代えてくるように行かせた。

 

 クラスの中には目立つ生徒もいれば目立たない生徒もいる。目立つ生徒を太陽とすればその反対は月と言ったところか。

 陽気に対する陰気、楽しげに対する悲しみの表情。

 ノブナガの影に隠れて、面白くない思いをし、ひそかにノブナガを打倒し3年B組統一を考えるものは多くいた。

 その1人が上杉ケンシンである。

出席番号5 上杉ケンシン


13歳、女子、ケンシンはひそかに淡い栗色に髪を染め、へそにピアスをつけていた。しかしクラスに気づく者はなかった。瘦せっぽちのおとなしい子と映っていた。

ケンシンは洋楽をこよなく愛するのにカラオケでは他の生徒に合わせてアニソンしか歌わず、目立つことを極端に恐れていた。しかし気持ちの中では、いつかノブナガを倒し、自分が一番になりたいと思っていた。

 何度か、そのチャンスがあったが結局のところケンシンはノブナガと対決することはなく、そのまま青春時代を終えるのだった。


上杉ケンシンは、戦国時代に越後国など北陸地方を支配した武将・大名。

越後国を統一したほか、関東や北信・北陸地方に度々出兵した。戦国時代の中でも一流の戦上手とされ、その戦績から後世、「軍神」「越後の龍」などと称された。

打倒ノブナガのため遠征の準備中に春日山城内の厠で倒れ、昏睡状態に陥り、その後意識が回復しないまま死去した

最強の戦国武将ランキングで、必ず上位にランクインしている上杉ケンシンがこのとき織田ノブナガと戦ったら、歴史が変わったと言われる。

参考:Wikipedia


おとなしくて病弱なケンシンはおどおどと立ち上げると、ノートを開き、宿題の辞世の句を詠む。

『極楽も地獄もともに有明の 月ぞこころにかかる月かな』

☆解説 私が死んだあと極楽に行くのか地獄に行くのかはわからないが、今の私の心は雲のかかってない月のように一片の曇りもなく晴れやかである。


バショウはぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言う。

「自信と実力がありながら、病気で早世することになる人生。それでも恨みことは言わず、運命を受け入れる。そのいさぎよさこそ、戦国武将のほまれですね。」


ケンシンは小さく頭を下げると席についた。

実際のところ、ケンシンはクラスで最も強かったが、ついに奮起することはなかった。

高校と卒業すると東京の大学へ進学し、そのまま神田にある包装フィルムメーカーに就職し、OLとなった。そして何一つ文句を言うことなく、サラリーマンとしての人生を終えるのである。


そしてクラスにはもう1人の天才がいた。

ケンシンと同じく目立たずにいたが、自尊心は人一倍強かった。同じ女として、愛嬌と調子の良さだけで世渡りをするヒデヨシをどうしても認められなかった。

小学6年生のときに100メートル走で県の記録を立てたものの、中学から急速に成長する胸と臀部のため、記録は伸び悩んだ。

何の努力もしないでスポーツを馬鹿にする生徒も、グラマラスに成長した自分の体をからかう男子も、すべてが大嫌いだった。

3年B組という荒野の中にいて、誰とも群れず、自分だけを見ている女子がいた。

その名前は柴田カツイエである。

出席番号11 柴田カツイエ

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。柴田カツイエは戦国時代に織田信長の重臣として活躍した武将である。

カツイエは「日本で最も勇猛果敢」と評されたほどに戦場での働きが優れていた。

ノブナガの父・信秀の代から織田氏に仕えていたが、一時はノブナガと敵対したため、用いられなかった時期もある。しかし天下取りを目指すノブナガは、やがてカツイエの武勇を必要とするようになり、重臣として返り咲くのだった。ノブナガの死後にはヒデヨシと覇権を争い、「賤ヶ岳の戦い」という大きな戦いを引き起こすが、美濃大返しを敢行したヒデヨシに敗れた。そしてカツイエは北ノ庄城にて、お市らとともに自害した。

参考:Wikipedia


ざわつく教室、昼休みも近く、まだ幼い中学3年生はもう誰も授業に集中していない。ヒデヨシとミツナリは寝ており、ミツナリのうなじを見て、同性愛者のゴエモンが見とれ、その後ろでガラシャがボッキしていた。

30年にも及ぶ不況。この国の子供将来は決して明るくない(*)。

*年代別の死因順位をみると15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺となっている。15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは、先進国(G7)では日本のみであり、その死亡率も他の国に比べて高いものとなっている。(2019年 厚生労働省)

普通国債残高は、累増の一途をたどり、2022年度末には1,029兆円に上ると見込まれている。また、財政の持続可能性を見る上では、税収を生み出す元となる国の経済規模(GDP)に対して、総額でどのぐらいの借金をしているかが重要である。日本の債務残高はGDPの2倍を超えており、主要先進国の中で最も高い水準にある。(2020年 財務省)


それでもバカバカしく、3年B組中学生たちは人生の一番豊かなときを彼らは、彼らなりに楽しんでいるのだ。

カツイエは、「ふう」と短くため息をつくと、立ち上がり、喧騒の中、ノートを開き、宿題の辞世の句を詠む。

『夏の夜の夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ山ほととぎす』

☆解説 夏の夜のように短くはかない人生だったが、ほととぎすよ、この名を後世まで伝えてくれ

 

バショウはぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言う。

「功績に溺れず、また死や終わりという言葉を使わず、自分の人生を俯瞰し、夏の世の夢に例えていますね。夫婦一緒の自害という最悪の結果にも、何か、夢のような気持になります。痛みや悲しみを越えた、優しさを感じます。」


カツイエはバショウのことをバカにしていたので、頭も下げず、「ふん」と言って座った。そして窓の外を見る。7月のギラギラした太陽がそこにある。

カツイエは幼なじみのケンシンと一緒に東京へ出たかったが、1人娘のため稼業である酒蔵を継ぐため地元に残った。

しかし酒蔵はやがてつぶれ、コンビニとなった。

カツイエは美しく精悍だったが、年をとるにつれてみっともなく太り、もう誰も100メートル走でインターハイに出たとは思わなくなった。

そしてカツイエは婿養子をもらい、コンビニを支え、自分と夫の4人の両親の世話をし、子供3人を育てた。

そしてカツイエはずっと考えていたにかかわらず、その生涯で東京にケンシンに会いに行くことはなかった。


クラスでは目立たない存在であったにも関わらず、その後頭角を現す子もいる。まさに徳川イエヤスはそんな子供であった。

出席番号1 徳川イエヤス


思春期に入り、顔中に出来たニキビもイエヤスの人生を暗くしていた。

ノブナガ、ミツヒデ、ヒデヨシとのグループとも一線を画し、同じクラスなので一緒に遊ぶことはあっても、自分自身に対する劣等感のため、心から打ち解けることはなかった。

花よ蝶よと騒がしい青春時代を寡黙に過ごし、バブル崩壊で失敗したおやたちの人生から学び、早くから中国への投資を行った。具体的には家業の織物業を早々にたたむと中国に工場を建てた。多くの同業者がつぶれていく中にあってイエヤスの家だけが栄えていった。元々イエヤスの家はやや高級品を扱っていたが、購買者の懐具合にあわせて安価品中心にしていった。

その見返りは大きく、人口流出が進み、没落する地方都市にあって、イエヤスの家は相対的に大きくなっていった。そしていつの間にかイエヤスは地元の名士となり、PTA会長から始まり商工会議所の所長、町議会議員、市会議員、県知事、やがて国会議員となった。

同級生のみんなが日々の暮らしに追われる中でイエヤスだけが国家行く末を憂える国士となった。

イエヤスは防衛大臣となり、ようやく世界征服を視野におさめ、人生の絶頂を迎えたが、やがて老いも到来した。

最初にバショウ先生が亡くなり、早逝のノブナガ、ミツヒデ、ヒデヨシ、ミツナリ、ゴエモン、ガラシャ、ケンシン、カツイエが、順序はバラバラで、病死、事故と、これもバラバラであるが、やがて全員亡くなり、イエヤス1人が残された。それでもイエヤスは最高水準の医療を受け、生きていた。

老いはイエヤス生来のわがままさ、癇癪持ちを増長し、そうした態度は看護師たちに向けられたのだけれども、気が付くとイエヤスは強いクスリを処方されるようになり、1日のほとんどを寝て過ごすようになった。何か言いかけたことがあったのだが、ウトウトしている間に忘れ、その内、ここがどこなのか?自分が誰なのか分からなくなってしまったが、まだまだイエヤスは生き続けるのだった。


徳川 イエヤスは、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。江戸幕府初代征夷大将軍。

安祥松平家5代当主で徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の始祖。織田信長との織徳同盟を基軸に勢力を拡大。豊臣ヒデヨシの死後に引き起こした石田三成との関ヶ原の戦いに勝利し、豊臣氏に対抗しうる地位を確立。1603年に後陽成天皇により征夷大将軍に任じられ、264年間続く江戸幕府を開いた。

豊臣方と開戦し(大坂の陣)、1615年に大坂夏の陣により豊臣氏を滅ぼし、全国支配を磐石なものにした。


イエヤスが寿命を迎える100年以上前、夏休み前の3年B組、教室の中、ノブナガ、ミツヒデ、ヒデヨシたちの騒がしさを尻目にイエヤスは立ち上がった。

そしてイエヤスは宿題の辞世の句を詠む。

『先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う』

☆解説 私は先に死への旅に出るが、今は死なないで後に残ったお前たちも、いずれは同じように死ぬのだ。


ついに天下を手に入れても死ぬときは他の人と同じであるということへの不満がありありとしている。

残念ながら、それは駄句だったので、バショウは戸惑ってしまうが、それでもぽんと手をたたき、「良い歌ですね」と言った。

「幼いときから血のにじむような努力をし、生存競争の厳しい戦国時代を生き抜き、ようやく安寧を手に入れたときには寿命を迎える。しかも来世には富も功績も持って行けない。悔しさが、悲しさが伝わります。」


バショウはイエヤスの句の評価をすると、総評で授業を締めくくる。

「今日は辞世の句を考えてもらいました。みんなまだまだ若いけど、本当に人生はあっという間です。私なんて、何もしないまま、この年を迎え、来年定年です。そしてその内に死ぬこととなるでしょう。皆様には人生の短さ、はかなさを知って欲しい。だから一生懸命に勉強しろとかいう話ではないです。生きている時間を大切に思って欲しいということです。

人生は厳しく、思うようになりません。すべての試みは失敗し、失意の中で終わることもあります。

皆さんの戦国武将としての生きざまは後の世の人たちの人生の道しるべになります。どうかいさぎよく、カッコよく生きてください(*)。

そして、どうか良い人生をお過ごしください。」

*少女革命ウテナ(アニメ) 主題歌から

やがてベルがなり、3年B組の夏休み前、最後の授業は終わった。


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