第3話 初めてのデート

今日はデートだ!


シルヴィアの専属侍女メグの顔つきにはやる気がみなぎっている。


女は化粧と衣装で変わる、というのは確かだが、マクシミリアンとは既に婚約しているわけだし、今さら着飾っても・・・という気がしないでもない。


ただ、好きな人に可愛いと言ってもらいたいという乙女心があることも事実で、シルヴィアはメグのキラキラした目つきに多少の畏怖を感じながらも彼女の腕に身を委ねていた。



そしてメグの渾身の化粧と衣装を身に纏い、屋敷まで迎えに来たマクシミリアンは蕩けそうに甘い表情でシルヴィアを褒め称えた。


「ああ、いつも可愛いけど、今日は一段と美しいよ。僕のために頑張ってお洒落してくれたんだね?君は化粧なんてしなくても綺麗だけど、僕のためにしてくれたことが堪らなく嬉しい。ありがとう。シルヴィ」


と頬に手を当てる婚約者に、シルヴィアの心臓は飛び跳ねた。


「ありがとうございます。マクシミリアン様」


「シルヴィ。二人の間で敬語は無しにしようってこないだ約束したじゃないか?それに僕のことは『マクシミリアン様』じゃなくて・・・?」


「あ、ありがとう。マックス。私、その、好きな人とデートって初めてで・・。もちろん、元婚約者のクリストファー殿下と出かけたことはあったけど、彼のことは別に好きじゃなかったので、今日、すごく楽しみにしていました。好きな方とデートってこんなに胸がどきどきするものなのですね。」


顔を赤く染めるシルヴィアの愛らしさにマクシミリアン、愛称マックスは悶えた。


そして、彼の隣で同じように悶えている人物はマックスの忠実な侍従トムである。


「シルヴィア様、我が主君は貴女さまにメロメロです。どうか末永くマクシミリアン様をよろしくお願い・・」


と言いかけたところで、ガコンッとマックスがトムの頭をしばいた。


「おい!僕たちの会話に勝手に入ってくるな!そして、シルヴィを見るな!シルヴィの愛らしさを堪能していいのは僕だけだ!」


「マクシミリアンさま~、またまた照れちゃって~、物理に訴えるのは酷いですよ~、ねぇ、シルヴィさま?」


「馴れ馴れしく『シルヴィ』と呼ぶな!そう呼んでいいのは僕だけだ!」


ともう一度バシッとトムに平手打ちが入った。


シルヴィアはクスクスと笑いながら微笑ましい光景を眺めている。


マックスからトムを紹介された時に


(あ、松葉杖を持って高速スピードでついてきてくれた侍従さんだっ)


と気がついたが、彼はマックスの幼馴染で乳兄弟なのだそうだ。


公の場では決してその親しさを見せないトムが、最近はシルヴィアの前で素の二人の会話を見せてくれるのが嬉しい。


マックスが頭をしばくのだって本気でやってるわけじゃないし愛情表現だわ、とシルヴィアはニコニコと二人のやり取りを見守っている。


「シルヴィアさま!そんな笑ってないで助けて下さいよ~」


「あら、二人の仲が良くて羨ましいなと思っていたところよ。私だってマックスにしばかれてみたいわ!」


「は!?シルヴィ、何を言い出すんだ!?そりゃ、君が望むなら僕だって吝かではないが・・・」


「マクシミリアンさま!しばくのは俺だけだって言ったじゃないですか!?俺たちの深い絆は誰にも引き裂けない!主君に叩かれる喜びを感じるのは俺だけです!」


「いかがわしい言い方をするな!」


「二人が仲良しなのはよく分かったわ。でも、そろそろ出かけない?もうマーケットは始まっているわ」


今日のデートは王都で開かれるマーケットに行く予定だ。


シルヴィアがいつものお出かけ用グッズを手に取ると男二人が目を瞠って絶句した。


「・・・・・・・」



***



私はシルヴィアとして生まれ変わってから、前世の知識を活かしてこの世界で様々なグッズを開発した。


その一つがキャリーケースである。


不運だった学生時代。


どこに出かけても必ず何かしらの不幸に襲われたので、何か遭った時のためにと自然と荷物が多くなっていった。


全てを持ち運ぶのは大変なので、コロコロと車輪を転がして持ち運べるキャリーケースが欲しかった。


プラスチックは存在しないようなので、金属を加工して骨組みや車輪を作った。船の帆に使われる丈夫な布を覆うように使って、前世のキャリーケースに近いものを開発したのだ。大きさはスーツケースに近い。


しかし、そんなキャリーケースを初めて見るマクシミリアンとトムは目をまん丸くしている。


この世界の令嬢は荷物が少ない。


というか、どこの世界でも令嬢と呼ばれる人たちが自ら大荷物を抱えて移動しているのをあまり見たことはない。


「シルヴィ・・・?その荷物は?」


「ああ、これはどうかお気になさらないで下さいまし。女には多くの荷物が必要なんです」


「いや、荷物はトムに持たせよう・・・」


「いいえ、それには及びませんわ。私は学生時代から出かける時はずっとこれを持ち歩いてきましたから慣れています」


「そう言われれば使い込んでますね。汚れ具合がなんとも。布地にシミがたくさん・・・」


と言いかけたトムが再びバシッと頭を叩かれた。


「ほほ、出かけるたびに鳥の糞が落ちてきたり、泥水の水たまりに倒れこんだり、知らない人から何故かワインやコーヒーをかけられたりしてきました。そして、不思議と洗浄魔法も効かないのです。シミだらけになったドレスをずっと着ているわけにはいかないでしょう?ですから、替えのドレスやアクセサリー、靴の一式が全部入っていますの」


コロコロと笑いながら言うとマックスとトムは何ともいえない複雑な表情で私を見ている。


あれ?ドン引かれた?


私にとっては日常なんだけど、やっぱり変わり者だとバレてしまったかしら。


不安に陥っているとマックスが優しく頭を撫でてくれた。


彼の大きな手はいつも温かくて、私の心はすぐに落ち着いた。


「シルヴィ、心配は分かるが、もう君は不運を心配する必要ないんだよ?」


「あ、はい。分かってはいるのですが、つい癖が抜けなくて・・・」


「いや、君がそれで安心するのなら僕は構わない。でも、荷物は僕に持たせてくれるね?大事な婚約者の荷物を運びたいんだ」


信じられないくらい優しい。そして顔がイイ。さらに視線から愛情が伝わってくる。なんでこんなに素敵な人が私のことを好きなんだろう?


「あ・・・いいんですか?」


おずおずと言うと、マックスは嬉しそうに微笑んだ。


微笑みだけで百万人くらい気絶させられそうなほど魅力的だ。


マックスに荷物を運んでもらい、二人で彼の豪華な馬車に乗り込むと私は早速荷物の中からズッシリと重いヘルメットを取り出した。


以前一緒に馬車に乗った時にはあまりに驚いて忘れていたが、私は馬車に乗る時には必ずヘルメットをかぶっている。


更に馬車全体に防御魔法をかけた。


「シルヴィ・・・何をしているんだい?」


呆れたようなマックスの口調に私はビクッと肩を揺らした。


あ・・・また呆れられた。失敗しちゃったかな。


突然悲しみがこみ上げてくる。


私はいつも空気を読まずに変なことをするので、クリストファーからも散々叱られ続けた。


折角こんな私を選んでくれたのに、マックスまで私に失望してしまったらどうしよう。


「いや、批判しているわけじゃないよ。君がすることは何でも可愛い。ヘルメットをかぶっていてもドングリみたいでとても似合っている。愛らしいよ」


マックスの言葉は自分を卑下しそうになった私の心を浮上させてくれる。


「そ、そうですか!?ありがとうございます。私、ドングリ大好きです!それにヘルメットをかぶる前に髪に形状記憶魔法をかけているので、ヘルメットを外した後も髪がぺったんんこにならずにメグがセットしてくれた通りの髪型に戻るんですよ!この魔法はとても上手になりました!」


むんっと胸を張ると、マックスがぷっとおかしそうに噴き出した。


何か変なこと言ったかしら?


「いや、シルヴィ。君は本当に可愛い」


イイ子イイ子と頭を撫でられて私は嬉しくなった。


「でも、シルヴィ、馬車全体に防御魔法を掛けているのなら、ヘルメットをかぶらなくてもいいんじゃないかい?」


「いえ、馬車に同乗している方にご迷惑をおかけするわけにはいかないので、馬車全体に防御魔法をかけるのが常なのですが、それでも事故が起こると私一人だけ馬車から放り出されて地面に激突したことが何度もあります。用心するに越したことはありませんわ」


笑顔でそう伝えたのに、何故かマックスは悲しそうな顔をした。


「ずっとそんな経験をしてきたのに、君はいつも明るい笑顔を絶やさなかったのか・・・僕は君を尊敬するよ」


そしてまた頭をナデナデされる。


「マックスがそうやって私を大切にしてくれるから笑顔になれるんです。クリストファー殿下にはいつも貶されてばかりでしたから、笑顔が作れない時もありましたわ!」


「そうか、もうあんな奴の名前を口にする必要もないからな」


マックスが私の顎を指で持ち上げたので『いよいよキス!?』と期待したのだが、残念ながら彼の唇は私の頬をそっとかすめるだけだった。



***



王都のマーケットは華やかで美しい装飾品や衣類、小物、食器など多くの商品が並んでいる。


他の都市のマーケットよりも値は張るが、質がいいと評判なので王都に住む貴族たちも訪れる有名なマーケットだ。


でも、私が何よりも楽しみにしていたのは食べ物の屋台だ。


美味しくて各地方の珍しいものが食べられるという噂は何度も聞いたことがある。


王太子の婚約者という立場だと出歩く時の護衛が物々しくなるし、人に迷惑を掛けたくなかったのでマーケットに来たことは一度もなかった。


それに美味しいものを食べようとしても事故が起こって食べられなくなるから、行ってもあまり意味がないと思っていた。


一度なんか、サンドイッチを食べようと口に持ってきたところで、大きなサギのような鳥が肩に乗っかり、その長いクチバシでサンドイッチを口元から奪っていった。


だから、今日も屋台でアツアツの湯気が立った根菜とベーコンのスープにカリカリのガーリックブレッドを目の前にして、私は『何か起こるんじゃないか?!』と周囲を見回して警戒していた。


マックスは


「シルヴィ、僕がいるから心配しなくて大丈夫だよ」


と言ってくれて


「美味しい~」


と舌つづみを打っている自分が信じられない。


「ああ、美味しかった。ご馳走さまでした」


美味しい食事を公の場で完食できたのはここ数年で初めてかもしれない。


私は手を合わせながら、感動に打ち震えた。


「美味しかったかい?シルヴィ?」


「はい!こんなに美味しい食事を完食できたなんて、感動です!」


嬉しくてちょっと目頭が熱くなる。いつもは必ず何かの邪魔や妨害が入っていた。


目をウルウルさせる私にマックスは


「君がそんなに喜んでくれて良かった。次は君と何かお揃いのものを買いたいんだが・・・一緒に選んでくれる?」


「はい!喜んでっ!」


と居酒屋のような挨拶をしてパッと立ち上がるとマックスは私のキャリーケースを引っ張りながら私の手を優しく握ってくれた。


屋台で色々なアクセサリーを手に取った後、マックスは私の瞳のような紫水晶の耳飾りを買い、私はお揃いのデザインで彼の瞳のような碧い石の入った髪飾りを選んだ。


私はお財布を出そうとしたが、マックスは頑として譲らず買ったその場で私の髪に髪飾りをつけてくれた。


「あ、ありがとうございます」

「うん。やっぱり似合うよ。僕の耳飾りともマッチしたデザインだしね」


嬉しそうに耳にかかる髪をかきあげるマックスは最高のイケメンだ。周囲にいた令嬢たちがみんなガン見している。


のぼせたように顔を赤らめる令嬢もいて、私はソワソワと落ち着かない気持ちになった。


当たり前だけど、マックスはものすごくモテるよね?


私は悪くはないかもしれないけど、平凡の域を出ない容姿だ。スタイルだって際立ってイイ訳でもない。成績だって学生の時はずっと最下位だったし・・・。


それに比べてマックスはすべてが完璧だ。凶器に近い美しさはもちろん、頭も良いし、史上最強の魔術師と名高い。性格も優しくて、気遣いに溢れる最高の人だ。


私なんかにはもったいない。


こんなに取り柄のない私と結婚してマックスは本当にいいのかしら。


彼ならもっと美しくて聡明な女性を選ぶことができるのに・・・


卑屈なことを考え始めると負のスパイラルにどんどん入り込んでしまう。


私はブルブルと頭を振った。


ダメだ!マックスが選んでくれたのは私なんだから!


もしかしたら同情が入っていたのかもしれないけど、それでも彼は私がいいと、私が好きだと言ってくれた!それを信じなくてどうする!


「シルヴィ?どうした?気分でも悪い?」


心配そうに顔を覗き込まれて私は慌てた。不安そうに眉根を寄せる表情も麗しい。


この人の顔が美しくない瞬間なんて存在するんだろうか?


あるなら見てみたい、という本音を隠しつつ、私は笑顔を作った。


「ううん。なんか、私、幸せ過ぎて・・・ちょっと怖いの。貴方のことが好き過ぎて、もしいつか飽きられちゃったらどうしようって、心配で」


オドオドと伝えると、マックスの顔が真顔になった。


真剣すぎる眼差しに気圧されていると


「シルヴィ、この世界が滅亡するよりもあり得ないことを君は心配している。僕は君を愛することを止められない。息を吸うのを止めたら死ぬように、君を愛することを止めたら僕は死んでしまうだろう。いや、死んだ後も君を愛することを止められはしないと思う」


こ、こんな恥ずかしい台詞を真顔で言って、なおかつそれが思いっきり似合ってしまっている彼の美貌に、私は慄いた。


でも、嬉しい。


喜びが胸の奥深くから立ち昇って来る。


「私も、命ある限り、貴方が好きです。何があってもお慕い申し上げます」


なんて恥ずかしい台詞が自然と出て来てしまった。


付き合いたてカップルのあるあるなのかもしれないな。


のぼせている時は恥ずかしいことでも何でも心の赴くままに口に出してしまうんだ。


私たちはその後も手を繋いだままマーケットを楽しむと、二人で帰路についた。


幸せな一日だったな。


今日は私の大きな荷物が全く必要なかった。


びっくりだ。


「今日はイイことしか起こらなかったわ・・・」


馬車の中で私は呟いた。


「そうだろう?僕は君を二度と不幸な目には遭わせないからね」


マックスから「だから、可愛いけど、もうヘルメットは要らないよ」と優しく諭され、私は素直にヘルメットを外した。


マックスはいつも私を甘やかして安心させてくれる。


でも、甘やかされるだけではダメな人間になってしまう。私は彼の隣で恥ずかしくない人間になりたい。


「私もマックスに幸せになってもらえるよう努力します!」


せっかく握りこぶしで力説したのに、マックスはぷっと噴き出しただけだった。


「君は居てくれるだけで僕は勝手に幸せになるから」


「でも!私も何かしたいです!貴方をどうやったら喜ばせることができますか?何でもします!」


というとマックスの顔が真っ赤に染まり、片手で口元を覆った。


「君という人は・・・。情けないがニヤけてしまう。君に夢中だという男の前でそんなことを言ってはいけないよ」


と狭い馬車の中で彼は私を掻き抱いた。


「シルヴィ、君の唇をもらってもいい?」


「はい」


ついに!


ついに初めての口づけだ!


何故か私の脳内ではヤンチャな元将軍がド派手な衣装で歌い踊るミュージックが流れ出した。


マックスが私の肩を抱き寄せる。


指を私の顎にかけると顔を少し上向きにした。


私は大人しく目を閉じる。


彼の吐息が私の頬にかかった。


心臓がこれまで感じたことがないくらい派手に暴れている。


いよいよだ・・・・


と思った瞬間に、軽快に走っていた馬車が突然大きく揺れながら止まった。

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