Chapter 4 Sunflower

 気がつくと、あたりはすっかり暗くなっていた。

 アフメットがモモの肩をトンと軽く叩く。

「さて、屋敷に戻りましょう。ディナーの準備ができている頃です。今夜はここにお泊まりになるのでしょう?」

 モモはハッと我にかえる。

「え?あ、どうしようかな、今日中にはここを発とうと思っていたけど……。」

「今晩は、美味しいシュバイネハクセと、フラムクーヘンのご用意がありますよ。」と、アフメットは笑顔で言う。

「いや、だからハイドラじゃないって。しかも、そのシュバ……なんたらって何だっけ。」モモはあきらめ顔。

「あぁ、でも今晩は泊まって行こうかな。明日には帰るよ。」と、モモは言う。

 笑顔のまま、何も言わずに頷くアフメト。

 

 ディナーが終わり、モモは部屋に戻る。

 そういえば、独りになるのは久しぶりだと気づくモモ。この百年位は、いつもハイドラがいたのだ。

 一人の時間もいいもんだな、と思う。

 ハイドラといる時間は楽しいけれど、やはり疲れる時もある。こんなことに気づくのに、随分時間がかかるものだ。

 帰ったら、お互い一人で過ごす日を作ることを提案してみようかな……とぼんやりと考えながら、モモは眠りに落ちた。


 翌日、モーニングコールはなかった。眠い目を擦りながら起きるモモ。アフメットは、わざとモーニングコールをしないでいてくれたのかなと思う。

 窓の外を見る。もう陽は高い。ベッド脇の時計を見ると午前11時を少し過ぎたところだ。

 こんなにゆっくり寝たのはいつぶりだろう、とモモは思う。ハイドラは早起きだ。しかもいつもモモを叩き起こしてくる。思い出して、フッと笑う。


 モモが一階に降りていくと、掃き掃除をしているアフメットに出会う。アフメットが顔を上げる。

「ゆっくり眠れましたか?」と尋ねるアフメット。

「おかげさまで。」と、モモは答える。

「ブランチを用意させましょう。」と、アフメットは、ほうきを廊下の壁に立てかけ、キッチンへ向かおうとする。

「え、いいよ。お腹空いていない。」

「そう言わずに。今日は焼きたてのベルリーナーがあります。」と、アフメットはにっこり笑う。

「うーん……じゃあ、もらおうかな。」と、モモ。

「では、広間の窓際のお席に準備します。今日はお日様が気持ちいい。お散歩日和ですね。」と言い残して、アフメットは奥へ消えていった。


 陽の光の差す、窓際の席でブランチを食べるモモ。冬だが、暖房の効いた室内で、これだけ日光が当たっていると少し汗ばむくらいだ。

 粉砂糖がたっぷりかかったベルリーナーを頬張りながら、こんなことしてたら太るな、とモモは思う。食欲とは、脳からの指令というよりは、かなり外部要因が大きいようだ。エクスペリは、モモも含めて基本的に食に興味がない。生きることにもあまり興味がないからだろうか。ハイドラは食欲の塊だけど、なんで太らないのかな、などと、ぼんやり思いを巡らせる。

 お散歩日和か。

 モモは、以前ここを訪れた時、母とハイキングに行ったことを思いだす。夏の盛りだったが、そこまで暑くなく、近くの丘に行きたいとアマーレが言い出したのだ。あの丘は、そんなに遠くはなかったはず。三、四時間もあれば往復できるだろう。プラハには今日中に着けばいいし、行ってこようかな、とモモは思う。

 アフメットを探して庭に出るモモ。アフメットはすぐに見つかった。花壇の土を掘り返しているようだ。アフメットに手を振りながら近づくモモ。アフメットがモモの方を見る。

「この近くに丘があるよね?あそこに行ってくるよ。夕方までには戻る。」

 なぜか驚いた顔をするアフメット。

「そうですか……分かりました。地図をお持ちします。」アフメットはスコップをどこかに置こうとする。

「いいよ、それに、Googleマップで確認しながら行く。」携帯を手に持ち、左右に軽く振りながらモモが言う。

「この屋敷の敷地及び半径5キロ以内は、Googleマップには表示されません。」アフメットが当たり前かのように言う。

「何をどう買収すればそうなるわけ?」


 一人、丘に向かう道を進むモモ。道自体は、道幅は細いものの、それなりに整備されている。地図によれば、くねくねと曲がるものの、ほとんど一本道だ。

 歩きながら、モモは夏との雰囲気の違いに驚く。セミの声がうるさかった森の道は、今はしん、としている。自分以外の生き物の気配を感じないほどの静けさだ。まるで、黄色の海のようにひまわりが咲き誇っていた場所は、枯れた背の低い雑草と、溶け残った固い雪だけが残る空き地になっていた。

 黙々と歩くモモ。昨日のアマーレのメッセージを頭の中で再生する。


 エクスペリの子育ては、基本的には父親は関与しない。母親は多くの場合、産後二十年弱子供と暮らし、その後は各々別々に生きていく。別れた後に連絡を取り合うことはまずない。

 エクスペリのこういった習性を鑑みると、アマーレとモモの関係は特殊なものであったといえる。アマーレは産後数百年もモモと生活を共にし、モモが独り立ちした後も、定期的に連絡を取り合っていた。シンやエリックを見ていて、自分達のようなケースが稀であることをモモは知っていたが、母親との関係は、モモにとっては自然なことだった。


 丘を登り、気がつくと山頂に出ていた。

 周りを見渡すモモ。遠くに屋敷一帯が霞んで見える。夏に来た時は一面に広がっていたひまわり畑の面影はどこにもなく、森は静かに冬眠しているようにも見える。アマーレと山頂の木陰でピクニックシートを広げ、少し早めのランチを食べた記憶がある。その時のアマーレとの会話を思い出すモモ。


「一度あなたを連れてきたかったの。ここから見るひまわり畑が大好きでね。昔はお父さんとよくデートで来たのよ。」と、伸びをしながら言うアマーレ。木陰の二人に、夏の風が爽やかにそよぐ。

「夏に来るには暑すぎる気もするけどね。」と、モモが汗を拭きながら口を尖らせる。

 アマーレは少し笑い、モモの頭をくしゃっと撫で、モモの顔をじっと見る。

「お母さんはね、あなたを愛している。それはね、私がいつかこの世からいなくなっても、変わらない。あなたの人生の中で、あなたを心から愛した者がいるということを、忘れないで。」

「いきなり何それ。また何かの小説の受け売り?」頭を撫でる手を振り払いながら、笑ってモモが言う。

「まぁ、そんなところね。あなたの小説に使ってもいいわよ。」そう言いながら笑うアマーレは、少し寂しげに見えた。

 母はここに来た時には、既に自分の体の異変に気づいていたのだろうか。なんであの時、手を差し伸べることができなかったのだろう、とモモは思う。少し様子がおかしいなって、思ったのに。なんで……。

 モモの頬を、涙がつたう。


 愛するってなんなのだろう。理由抜きで、その人に存在して欲しい、と願うことだろうか。

 存在しなくなった後はどうなるのだろう。記憶の中に存在している、とでも言うのか?


 モモは長いため息をついた後、涙を拭い、来た道を帰ろうとする。

 モモの視界に大きな木が見える。心なしか、アマーレとハイキングに来た時に、木陰で休んだ木と似ている。もう百年以上前の話で、同じ木のはずはないのに。木の根元に、石碑のようなものが見える。近づくモモ。

 それは、モモの父、プリムの墓石だった。一万年近く生き、数々の偉業を成し遂げたと云われる人物の墓とは思えないほど、それはひっそりと、冬枯れの大木の下に建っていた。この丘は、父にとってもお気に入りの場所だったということか。モモに地図を渡す時に、アフメットが何故か嬉しそうだったが、これが理由か、とモモは気付く。

 

 モモが最後にプリムと話したのは、百年くらい前だ。アマーレと連絡が取れなくなり、不安になったモモはこの屋敷にやって来た。探すのを手伝って欲しいとのモモの申し入れを、プリムは「その必要はない。」との一言で一蹴した。少なくとも、その時のモモは、一蹴されたように感じた。

 今思うと、寡黙なプリムは、それ以外の言葉を思いつかなかったのかもしれない。アマーレが探して欲しくないと思っていることを知っていて、あえて突き放す意図もあったのかもしれない。

 モモは、普段は冷静沈着だが、カッとすると手に負えない時がある。自分でも自覚はあった。あの時も、アマーレの捜索への協力をそっけなく断るプリムに、かなりきつい言葉を浴びせ、屋敷をあとにしたのを覚えている。あれが父と会う最後になるなんて考えもしなかった。

「父さん、ごめん。」と、モモは墓石に向かって呟く。冬の丘は静かで、そっと呟いたモモの言葉は、冬のしじまに消えていく。


 

 屋敷を後にし、ミュンヘンの駅に向かう頃には、陽はすでに落ち、冬の夜空に星が瞬いていた。車窓からぼんやりと夜空を眺めるモモ。

 駅に着き、アフメットがトランクを開け、荷物をモモに渡す。

「ありがとう、アフメット。」と、荷物を受け取りながらモモが言う。アフメットが、笑顔で頷く。

「じゃあね。」と、モモ。

「お元気で。」と、アフメット。

 モモはくるりと踵を返し、改札に向かって歩いていく。

 プラハに着くのは今晩遅くになりそうだ。

 

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