Chapter 2 Poinsettia
突然の来訪者は、12月の蒸し暑い雨の日にやってきた。玄関の呼び鈴の音も聞き逃しそうな土砂降りの日だった。レモンの木の家に来訪者が来たことは一度もなかった。モモが警戒しながら、玄関の覗き窓を見る。そして少しホッとしたような顔をして、しかし渋々といった感じでドアを開けた。
そこに立っていたのは、太い眉に濃い目元、大きめの鼻、中東系の顔立ちの、長身の男性だった。この暑い中、スーツを着てネクタイを締めている。ハイドラはこの男性をどこかで見た覚えがあるが、どこかは思い出せない。小声で話していてよく聞き取れないが、どうやらモモは男性を玄関口で追い払おうとしているようだ。少しずつ近寄るハイドラ。
「遠路はるばるここまで来たのです。雨も降っている。中で少しお話しさせてはいただけませんか?」と、男性が首を横に少し傾ける。
モモはため息をつき、渋々中に入れる。
「アフメット、何の用だ。」モモがイラついた様子で言う。
アフメットと呼ばれた男性は、そんなモモの様子をあまり気にも止めていない様子だ。
「あなたのお父様が亡くなりました。一昨日のことです。とても穏やかな最後でした。」
「関係ないし興味もない。用件がそれだけなら帰ってくれないか。」と、吐き捨てるように言うモモ。
「プリム様は、あなたにどうしても渡したいものがあったようです。輸送できない類のものですので、私と一緒にプリム様のご自宅までご同行願えますか。」
「いらない。」と、モモは突っぱねる。
「あなたが、絶対に、欲しいものだとおっしゃっていました。」
「思わせぶりだね。どうせ、今、それが何か聞いても教えてはくれないんだろう?」
「私も何かは知らないのです。あなたとお父様にとって、個人的なものなのでしょう。遺書には記載がありませんし、遺産絡みではないことは確かです。」
「いらない。遺産絡みであってもなくても、あの人から貰うものは僕にはないよ。」
アフメットは、むっとしたような表情を見せる。雰囲気変わったのを、ハイドラは感じる。
少し野間の後、アフメットは口を開いた。
「あなたと、あなたのお父様の間で何があったかは存じ上げませんが、無礼を承知の上で言わせていただきます。
プリム様は、あなたのお父様は、あなたの無鉄砲で幼稚な行動の尻拭いをずっとしてきたんですよ。百年前だって、あんなことをしてニンゲンが気づかないとでも思ったのですか?どれだけの資金と人手と時間をかけてお父様があなたの野蛮な行為を水面下に葬ったかわかっているのですか?
このレモンの一件もそうです。十年ごとに施設にレモンを置いていく幽霊がいると噂になったことをご存知ですか?最終的に、研究機関ごと買い取る必要に迫られたのですよ?あの時もメディアのコントロールがめんどくさくて……。」
捲し立てるアフメットに、モモとハイドラは唖然とする。ハイドラは、モモの過去に、一体何があったのだろうと思う。
モモがアフメットを遮る。
「分かった、分かったって。迷惑かけて申し訳なかったよ。行けばいいんだろう、行けば。」
アフメトは口をつぐむ。そしてほっとした顔になる。
「それでは、参りましょう。」踵を返し、外に向かおうとするアフメットを、モモが慌てて引き止める。
「行く前にちょっと寄るところがあるんだ。先に行ってて。」
不安そうな顔をするアフメット。
「大丈夫だって。ちゃんと行くから。父さんの家の場所もわかってるし。」モモがそう言っても、アフメットはまだ気に入らなそうな顔をしている。
「お父様のご葬儀は明後日です。あなたにご参列いただければ、プリム様もお喜びになると思います。」
「親父がそんなこと気にするとは思えないけど……。」とモモが言うと、アフメトがイラっとした顔をした。
「あぁでもわかったよ。間に合うように行くから。」
「絶対ですよ。」と言いながら、アフメットは去って行った。
アフメトが去った後、あきらめたように、モモがおもむろに切り出す。
「もうしばらくここにいるつもりだったけど、今晩には発つ必要があるね。」
「どこに行くのですか?」ハイドラが不安気に尋ねる。
「まずは僕の親友に会いに行こう。」
夕暮れのプラハ。クリスマスマーケットは人で混み合い、赤、緑、金の装飾が夕日に輝いている。もう少し暗くなれば、煌びやかなイルミネーションが点灯するのだろう。
観光客にも有名な時計台の前に、モモとハイドラはいた。
「よりにもよってなんでこんな人混みを待ち合わせ場所に選んだんだろう。」モモが不満気に漏らす。
「モモに親友なんているんですね。」と、バイドラ。
「それ、ひどくない?」むっとした顔でモモが言うが、声は笑っている。
「その方に、最後にお会いしたのはいつなのですか?少なくとも僕はお会いしていないですよね。」
モモは少し考え、「百年くらい前。」
「百年も音信不通って、それって親友……?」と、ハイドラが言った時だった。
「モモ?」と、人混みの中でもよく響く低い声で、モモの名を呼ぶ声が聞こえた。
二人は、声のした方に目を向ける。
チョコレート色の肌をした、がっちりした体格の男性が片手を軽く挙げる。ほとんどスキンヘッドに近い短髪で、いかつい見た目だが、不思議と優しい目をしている。
「モモ!元気にしていたか?」と、男性。
「ぼちぼちかな。いきなり連絡して悪かったね。」と、モモが答える。モモはハイドラの肩を軽く触る。
「こちらは、ハイドラだ。ハイドラ、こちらはえーっと、エリック。」
エリックがハイドラを見る。目を細め、一瞬顔を顰めたように見えたが、次の瞬間には笑顔になっていた。
「こんにちは、ハイドラ。少し、認識と違っていたから驚いたよ。それより、ひどいな、モモ。俺の名前を忘れたのか?」
「君の最新の名前が何かわからなくなっただけだよ。君はホイホイ名前を変えるだろう?昔はインパクトが強いが多かったけど、平凡な名前に落ち着いたよね。」
「まぁね。次はピカチュウって名前にしようか迷ってるところだよ。」と、エリックはニヤリと笑いながら言う。
「面白くないし、古いよ。」とモモ。
「それよりも、ここは人が多い。早く移動しないか?」と続けるモモ。
「そう?俺はね、クリスマス前のニンゲンが好きなんだ。みんな浮き足だって、ソワソワワクワクしてる感じ。微笑ましくてさ。」と、エリックが言う。
三人は近くの裏通りのカフェに入った。モモはコーヒー、エリックは紅茶、ハイドラはホットチョコレートを頼んだ。ホットチョコレートを頼んだハイドラに、エリックは驚き、モモはやれやれといった顔をする。
「ホットチョコレートが来たら、少し離れて座るか、蓋をしといてくれないか。匂いだけで酔ってしまうよ。」と、モモがうんざりした口調で言う。
ハイドラは、まだ熱心にメニューを見ている。
「コラーチって何ですか?」と、エリックに尋ねる。
「菓子パンみたいなものだよ。ここのは果物のジャムとクリームチーズが入ってるみたいだね。」
ハイドラは懇願するような顔でモモを見る。「じゃあそれも頼んで良い?」
「機内食食べたばっかりでしょ。」と言いつつ、「まぁ……いいけど。」と言うモモ。
ハイドラは嬉しそうだ。
「で、俺に会いに来た本当の理由は?俺の顔を見に来たわけじゃないのは分かってるよ。」と、エリックは切り出す。
「はは。バレてたか。」と、モモ。
「当たり前だろ。付き合い長いんだから。」紅茶をすすりながらエリックは言う。
「父さんが死んだんだ。」そう言って、モモはコーヒーの入ったカップを手でいじる。
「噂には聞いたよ。でも、お前のことだから、何も気にしてないかと思ってた。」
「うん、正直どうでもいい。」
「じゃあなんで……。」
「僕に渡したいものがあるんだって。絶対に、僕が欲しいものらしいよ。」
エリックの口元が少し緩む。
「絶対に、ね。あのオッサンは色々問題は抱えてたけど、少なくとも嘘はつかない。」
「うん、僕もそう思う。」
「で?なんで俺のところに来たんだ?」
「あぁ、そう……。ハイドラを、二、三日預かってくれないか?」と、モモは少し気まずそうに言う。
キョトンとするハイドラ。菓子パンを食べる手が止まる。
「なんで?僕ついていけないの?」と、ハイドラ。
モモはハイドラの頭を撫でながら言う。
「葬式なんて退屈なだけだよ。父さんの家は山の中で周りに何もないし。」
「でも……。」と、ハイドラは不服そうだ。
「ほら、食べ物もパンとソーセージくらいしかないんじゃないかな。」
ハイドラの顔が曇る。
エリックがハイドラに向かって言う。
「クリスマスシーズンのプラハはなかなかいいものだよ。プラハには来たことがあるかもしれないが、この時期に来たことはないんだろう?」
頷くハイドラ。
エリックはにっこりと笑う。
「色々連れてってあげる。美味しいものも色々食べに行こう。」
ハイドラの顔つきが明るくなる。チョコレートは大好きだ。チョコレート色の肌の人に悪い人はいない、というのがハイドラの持論だ。
翌日の朝。冬晴れのいい天気だ。
エリックのアパルトマンで、ハイドラは目が覚める。モモはいない。昨夜あのカフェで一服した後に、一人そのまま空港へ向かったのだ。
エリックが朝食を作っている音が聞こえる。ベーコンの焼けるいい匂いがする。
匂いにつられてハイドラがキッチンに入る。
「ハイドラ!おはよう。よく眠れたかな?簡単なものですまないが、朝食がちょうどできたよ。チョコレートは無いけどね!」と、皿にベーコンを載せながら、エリックが笑って言う。
「お、おはようございます。」人見知りのハイドラは、朝のエリックのテンションになかなかついていけない。
「今日は一緒に観光に行こう。」と、エリックがウインクする。
「この橋は、チェコで最古の石橋と言われているんだ。」エリックが最初にハイドラを連れてきたのは、アパルトメントからそう遠くない場所だった。
橋幅は広く、観光客に加え、大道芸人や似顔絵職人、露天商などで賑わっている。長さもかなりあり、ハイドラ達が立っている場所からは、橋の終わりが見えない。橋桁の各所には二、三メートルはある銅像が立っており、一つ一つに細かい彫刻がなされている。
「モモは観光なんてしないんだろう?」と、エリックがハイドラに尋ねる。
「モモは、人がたくさんいる場所は危険だと言います。どこで誰に見られているかわからない、リスクのコントロールができないと。」
エリックが、ふっと笑う。
「あいつらしいね。でも、俺から言わせれば、観光地は比較的安全だよ。観光地なんて、いるのは大体一時的な滞在者だ。誰も俺たちのことなんて見てないし。」
まだ落ち着かない様子のハイドラに、エリックが続ける。
「それに、ちょっと何か起きたとしても握り潰す仕組みもあるしね。モモはよく知ってるはずだけど。」
橋を渡り、少し歩くと、ところどころに金があしらわれた門と、高い塀に囲まれた広場に入った。広場は、四階建てのエレガントな宮殿に面している。
「ここがプラハ城だよ。」と、エリック。
「お城のようなものは見えないですが……」と、ハイドラが不思議そうに言う。
「プラハ城とは呼ばれているけど、古い建物群の名称なんだ。この奥に王宮があって、近くにいくつか教会がある。」
「へぇ……エリックさんは、よくプラハに来るのですか?」と、ハイドラが広場を見渡しながら言う。
「そうだね、俺は基本ヨーロッパにいるし、チェコは好きだから、よく来るよ。モモみたいに、あっちこっち行かないんだ。」
「何故ですか?」
「俺ね、飛行機嫌いなの。」
意外な理由に、ハイドラは少し驚く。エリックに、怖いものなんて無さそうなのに、と思う。
「滅多なことじゃヨーロッパから出ないよ。船旅も船酔いするし。」おもむろにバッグからカメラを出しながら、エリックが言う。そしてそのカメラを、前方を手を繋いで歩く老夫婦にむける。
カシャ、とシャッターをきる。
「あぁ、今のはいいショットだったな。」と、満足気につぶやくエリック。
かなり本格的なカメラだ。カメラのことをほとんど知らないハイドラでも、高価なものだとわかる。
「ごめん、何の話だっけ?」と、エリック。
「いえ、すごいカメラですね。」
「あぁ、これ?一応、仕事道具だからね。」
「エリックは、写真家なのですか?」
「うん、そうだよ。今撮ったのは、ただの趣味だけど、仕事は個別に依頼を受けている。結婚式とかが多いかな。始めたのは君とモモが出会った頃だから、技術には定評があるよ。」
「趣味では、何を撮るんですか?」
「何って……うーん……やっぱりニンゲンが多いかなぁ。」少し考えてエリックが言う。
「ニンゲン、好きなのですか?」
「そうね……好き、と言えば好きなのかな。面白いよね、見てて。ニンゲンは好んでペットの写真を撮るだろう?それと同じ感覚なのかな。」エリックがハイドラの方をチラリと見る。
ハイドラは、なぜかこの発言にイラッとするものを感じる。何と返したら良いか少し悩み、かろうじて、
「……ペットですか?」とだけ言う。
「そう、君にはわからない。」と、エリックはカメラをいじりながらポツリと呟く。
「え?」と呆気に取られるハイドラを残して、エリックはスタスタと先に歩いて行ってしまった。
先を歩くエリックが入ったのは、ステンドグラスの美しい大聖堂だった。大聖堂の中は想像よりも広々としており、アーチ型の柱に囲まれ、祭壇までまっすぐと続く通路の真ん中には、聖人の銅像が鎮座している。何列にも続く長椅子の一番後ろの列に、エリックはそっと腰を下ろした。
エリックの隣に腰を下ろしながら、ハイドラは切り出す。
「さっきのお話ですが」
「さっきの話?」と、エリックがとぼけたように聞き返す。
「ニンゲンをペットに例えていた件です。もし、ニンゲンが僕たちエクスペリにとってペットのような存在なら、なぜニンゲンに存在がバレないように、僕たちはコソコソしなければならないのですか?」
ハイドラは真っ直ぐにエリックの顔を見る。
エリックも、ゆっくりとハイドラの方に顔を向ける。
ハイドラは続ける。
「僕たちは彼らより長生きだから、経験や知識の面でニンゲンよりも優位に立っている。でも、基本的な脳や身体の機能はほとんど変わらないと認識しています。
事実として、我々ではなくニンゲンがこの星を支配している。例えば、こうした立派な建造物はニンゲンが造ってきました。歴史的な出来事や偉大な発見も、ニンゲン主導という理解です。知識や経験で優っていたとしても、何も遺さなかったら、それは意味があるのでしょうか?」
一気に捲し立てるハイドラを、少し驚いた顔で見つめるエリック。そして、エリックの表情が少し和らぐ。
「質問の答えになっていないかもしれないけど……
一つはね、ニンゲンに比べて、俺たちは絶対的に数が少ない。生き物は本来的には死ぬことで進化していく。でも、俺たちは長生きすぎるんだろうね。長寿を得た代わりに、生殖本能が著しく衰えた。この星に何人残ってるか知らないけれど、例えば数百人として、80億人とも言われているニンゲンを全員服従させられるかい?」
エリックは顔を上に向ける。大聖堂の天井は高く、吹き抜けになっている。色とりどりのステンドグラスから、柔らかく冬の光が注ぐ。
「もう一つはね、俺たち皆、やる気ないんだよ。」
「やる気……ですか?」聞きなれない単語にハイドラは少し戸惑う。
「これは俺の持論なんだけど、何かを頑張るためには、正でも負でも、モチベーションが必要だ。そしてそのモチベーションは大抵は外を意識してる。誰かに何かをしたい、してほしい、そういう類の感情だ。
でも俺たちは生まれて二十年くらいで親元から離れて、以降の長い人生を基本的には個体で暮らす。周りにニンゲンは沢山いるけど、違う種族だし、同じ種族のエクスペリともあまり会うことはない。
つまりね、モチベーションの起因が無いんだ。」
ハイドラもエリックを真似て、上を眺める。祭壇の真上には円形状のステンドグラスがあり、キラキラして、まるで万華鏡のようだ。
「全く、何で俺たちみたいな生き物を造ったんだろうね。神様がいたら、聞いてみたいよ。」エリックは自虐的に笑い、こう続ける。
「でも、君は歴史に名を残すかもしれない。」
「僕が、ですか?なんで?」
「いや、ほら、君はやる気、ありそうだから。」
「テキトーですね。」
ははっと笑って、ハイドラの肩を叩くエリック。
「ところで、明日は何をしたい?」
「僕、マーケットに行きたいです!」と、ハイドラの弾んだ声が大聖堂に柔らかく響いた。
翌日、ハイドラ達は一日かけてマーケットをぶらぶらした。ハイドラはマーケットが好きだ。その土地の食材があり、売る人がいて、買う人がいる。彼らの生活が、少し垣間見える気がする。
気になる食材を調達し、おまけにポインセチアも買った。ホリデーシーズンの浮かれた雰囲気にのまれてしまったようだ。
「明日にはモモが戻りますからね。腕によりをかけてチェコ料理を作らなくちゃ。」と、ハイドラは張り切っている。
プラハ三日目の夜。
まだモモは帰って来ない。
エリック宅のテーブルの上には、ハイドラが朝から準備した、グラーシュ、茹でパン、カマンベールのオリーブオイル漬けのサラダが恨めしそうに待っている。テーブルの真ん中には、ポインセチアも飾られている。
「少し遅れてるだけさ。」と、不安げなハイドラを慰めるエリック。
もう、モモは自分を迎えに来ないのではないかと、嫌な予感がハイドラの胸をよぎる。
外は、静かに雪が降り始めたようだ。
「ホワイトクリスマスだね。」と、エリックが呟く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます