第17話 口づけ

怒涛の一日が過ぎ去り、リリアは疲れた体を湯船に沈めてチェルシーに髪の毛を洗ってもらう。                                

                                         

「本日はお疲れ様でした。シグルド殿下と婚姻されたこと、おめでとうございます。リリア様がついに妃になられたのですね・・・。幼かったお嬢様がご結婚・・・。嬉しくて胸がいっぱいです」                      

                                           

チェルシーはそう言うと滲んだ涙を拭った。                      

                                          

「チェルシーありがとう。あなたが王城に一緒に来てくれたからとても心強かったのよ。一人だったらきっとあんなに頑張れなかったわ」                

                                          

そう言うと、チェルシーはクスリと微笑む。                            

                                          

「リリア様が頑張れたのは大部分はシグルド殿下の献身のおかげではないのですか?」                                       

                                         

(え?チェルシーはシグルド様の心の声も聞こえないのに何故わかったのかしら)          

                                          

リリアが戸惑っていると、チェルシーは微笑みながら髪をすく。         

その優しい手つきにリリアはうっとりとした。                     

                                          

「後ろに控えてお二人を見ていましたら、シグルド殿下はリリア様しかご覧になっていないし、分かりにくいですが僅かに微笑んでらしたので、きっとそうかと」      

                                         

リリアはチェルシーの観察眼に驚いた。


そういえば、幼い頃からイタズラなどすればすぐにチェルシーにバレてしまっていたことをふと思い出す。           

                                            

「周りがどう騒ごうが、お二人の絆があればきっと大丈夫でございますよ」         

                                          

チェルシーがそう言うと、本当に大丈夫と思えるのが不思議だ。          

                                       

湯浴みが済んだ後、リリアはシルクのシンプルなネグリジェに着替えて部屋に戻った。                                      

                                          

(きっとシグルド様は疲れて自室でお休みになられるだろうから、私は本を読んで過ごそうかしら)                                 

                                          

リリアはそう考えて本棚からロマンス小説を取り出して読み始めた。この作家はKという名前で本名などは一切不明だが、今、王宮や下町で大流行している。        

リリアもファンの一人で、Kの書いた作品は全て読んでいた。              

                                           

(K様のお話はいつも素敵。最後は必ずハッピーエンドを迎えるところも好きなのよね。心が沈んだ時に読むと元気をもらえる素敵な作品だわ)               

                                           

リリアの私室には、そんなリリアのためにKの書いた全ての本が揃えてある。        

                                            

(シグルド様ったら、私の好みを把握しすぎだけど、どこで情報を手に入れているのかしら)                                    

                                         

そんなことを考えながら本に読み耽っていると、トントンとドアがノックされた。   

                                         

「どなた?」                                   

                                           

リリアが問いかけると、意外な人物から返答が来た。                 

                                          

「私だ」                                       

                                         

”会いたくなって来たよ。入ってもいいかな”

                                           

リリアは慌てて本を机に置くと扉に走った。                      

                                         

「どうぞお入りください」                              

                                             

そう言いながら、シグルドを部屋に招き入れる。          

                                           

「人払いはしてあるから安心して、ここで話したことは誰にも知られないよ。リリアに会いたかった。今日は疲れているだろうから我慢しようとしたんだよ?でもどうしても会いたくて、我慢できなかったんだ」             

                                          

シグルドは一気に捲し立ててソファに腰掛けた。                   

                                       

少し頬を赤らめてソワソワする姿がとても可愛らしい。                                                           


「シグルド様、お隣に座ってもよろしいでしょうか」                   

                                        

リリアはシグルドを驚かせないようにそうっと優しい声で尋ねた。           

                                          

一瞬顔をこわばらせた後、シグルドは頷く。                      

                                           

許しをえてリリアはシグルドの隣に腰掛け、話し始めた。                

                                            

「本日はお疲れ様でした。婚儀に民衆へのお披露目、シグルド様にとってどちらも大変なお役目でしたでしょう?」                         

                                          

シグルドは頷いてそうっとリリアの髪の先に触れる。                   

                                          

「確かに重責ではあったが、こうしてリリアに触れられるようになったことがとても嬉しい」                                    

                                          

そう言うと、シグルドはリリアの髪先に優しくキスをする。                

                                       

リリアはその優しい仕草にうっとりして、思わずシグルドの髪に触れると、パッと体を離されてしまった。


「すまないリリア・・・嫌じゃないんだ。むしろすごく嬉しい。だけど私に触れてリリアが穢れたらと思うと、触るのも触られるのも難しいんだ」            

                                          

モゴモゴ言い訳をするシグルドにリリアは微笑み、立ち上がるとシグルドの頬を両手でおさえて、額にキスをした。                          

                                         

シグルドはあまりのことに呆然としていたが、耳まで赤くなって両手で顔を覆うと、                                        


「リリア!なんてことを!私に口付けるなんて、そんなことをしたらリリアが穢れてしまう」                                       

                                           

そう言って項垂れてしまった。                         

                                         

「シグルド様よく見てください。今の私は穢れていますか?いないでしょう?シグルド様が私に触れても私は私のまま。どうか怖がらないで」             

                                         

リリアはそう言うとシグルドの手を握ったので、シグルドは咄嗟に手を引こうとして、リリアの表情を見てハッとした。                        

                                            

「すまないリリア、私は自分のことばかりで君の気持ちも考えていなかったね。確かに、君は今も清らかなままだ。私はどこまでも傲慢だったのだね」         

                                          

シグルドはそう言うとリリアを見つめて微笑む。                   


「シグルド様はどうしてそこまで私に触れるのを怖がるのですか?シグルド様はたしかに世間では冷血と言われていますけど、実際はお優しい方ですのに」        

                                          

リリアが問いかけると、                                

                                         

「私は穢れているんだ。治世のため、直接ではないが、人の命を殺めるよう指示をしたり、横暴を働く貴族を排斥して人生を狂わせてきた。そんな穢れた私が天使のように清らかなリリアに触れることで、君まで穢れてしまうのが怖かったのだ」        

                                        

(ああ、この方は本当に純粋でお優しい・・・。きっといずれ王になるために必要な判断だったのでしょうけど、心は耐えられなかったのね。だけどたった一人の王位継承者。それを放棄などできないから、表面上は冷血に振る舞うことで心を守っていたのだわ)                                  

                                          

シグルドの抱えている闇を垣間見てリリアははらはらと涙をこぼしてシグルドを抱きしめた。                                     

                                      

シグルドは硬直してしまったが、しばらくすると、そうっとリリアの背中にシグルドの腕が回って優しく包み込んだ。                          

                                          

リリアの薄いネグリジェが湿る。                             

シグルドは声もなく涙をこぼしていたのだ。                   

                                            

静かな部屋の中、リリアとシグルドは涙をこぼして抱きしめあう。           

カチカチと時計の音だけが響いている。                         

                                              

「愛している。永遠に」                              

                                             

シグルドは涙声でそう言うと抱きしめる腕に力をこめた。           

                                            

「私もシグルド様を愛しております」                         

                                           

リリアはそこまでの感情は今まで持っていいなかったがシグルドの心の奥底にふれ、恋慕が愛に変わったのだ。                    

                                         

「式のやり直しをしたい。誓いの口付けをしてもいいか」                  

                                       

シグルドはそう言うと、リリアを真っ直ぐと見つめた。                    

リリアもそれに応えるようにシグルドを見つめると、                   

                                            

「はい・・・」                                    

                                             

涙で震える声でそう答えると目を閉じた。                              

                                             

シグルドはその答えを聞くとリリアの唇に自分の唇を触れ合わせた。             

                                             

それは一瞬のことだったが、お互いの愛が結ばれて幸せな時間だった。

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