第9話 想い
王城内のシグルドの執務室では、シグルドが黙々と仕事をこなしていた。
「この書類は記入ミスが多い。担当者をよく指導するように。こちらはこれで問題ない。あとは隣国との交易交渉だが、こちらへ交渉人が来てくれることになったからスケジュールの調整と歓迎の準備を」
シグルドは書類仕事で疲れた目をほぐし息をついた。
「殿下、何か飲み物をお持ちいたしましょうか。少し甘いものを取って頭を休めてください。正直に申し上げますと、働きすぎです」
侍従のルカはシグルドがこんなにも仕事に没頭する理由がわかっているため半ば強引に休憩をすすめた。
(シグルド様はリリア様からの返答が来るまでずっとこの調子だろう。どんなに早く見積もっても、本日の夕方にはなるだろうから、昼食は執務室でもつまめる簡単なものにするか)
ルカはそう考えると早速扉の前に控えている従者に厨房への注文を言いつけ、しばらくの間、執務室に誰も近づかないように人払いをした。
「ルカ、問題ない。今は仕事が忙しいだけだ。決して、リリアからの返答を待つのが怖くて仕事に逃げているわけではない」
シグルドはルカには心を許しているため、わかりやすくリリアの返答を待つ時間が怖いと言うことを湾曲して伝えてきた。
(難儀なお方だ。これでは婚姻後もうまくやれる心配ですね。リリア様から愛想をつかされなければ良いのですが)
シグルドはふと手を止めて窓から空を見上げてその美しく澄んだ青を見て呟いた。
「リリア、私の天使・・・」
「そのお心は口で伝えないとリリア様に伝わりませんよ」
ルカは笑顔で忠告したが、
「私の世間での評判はどうだ。冷血な王太子。リリアもきっと私をそう思っているだろう。そんな恐ろしい男の妻になるのだ。今頃きっと気落ちしいているに違いない」
シグルドは無表情でそう言った。うまく隠しているつもりだろうが、幼い頃からずっと仕えているルカが気づく程度に唇がわずかに震えていた。
「そう思うのでしたら、リリア様に愛を伝えるべきだと思いますよ。リリア様は世間でも評判の清廉潔白な聖女。貴女が愛を囁けばきっとその想いを返してくれると思います」
「しかしルカ、この間の訪問でもリリアは私にずっと怯えていたではないか。愛を囁いたくらいでは私のことを愛してはくれないだろう」
普段無口なシグルドは幼い頃から支えてくれているルカに対してだけは口数が増えて少し幼くなる。
ルカは、いずれ一国の王となる身であるシグルドの弱い部分を見せないように、シグルドが本心を話したがっている時は人払いをして心ゆくまで話を聞いてあげるようにしていた。
「ルカ、お前は私より女性の扱いには慣れているのだろう。パーティーの間も上手に女性を扱っているし。私はリリアに対してどのようにすればいいのだろう。前回はリリアに見惚れていただけで怯えられてしまったからどうしたらいいのか分からない」
シグルドはリリアに怯えられた原因が全くわかっていない様子だったので、ルカはため息をついた。
「殿下は目つきが鋭いので凝視されれば睨みつけられているように感じて怖いのですよ。少しはにこりと笑うべきです。女性という生き物は優しいものに惹かれるのです。さあ、休憩も兼ねて少し笑顔の練習をしましょうか」
そう言ってルカはシグルドに笑うように促したが、シグルドは口の端を引きつるように上げて笑うよう努力しているが、どう見ても笑顔に見えない顔になっただけだった。
(先は長いな・・・)
その表情を見てルカは頭を抱えた。
その後もシグルドはソワソワしながら仕事を続け、遅めの昼食のサンドウィッチを頬張りながら資料を見ていた時、従者が控えめに扉をノックして執務室に入ってきた。
「リリア様から書簡が届きました」
そう言うと従者はルカに書簡を手渡すと部屋の外に下がろうとしたので、ルカは従者に人払いをするよう伝えてからシグルドに書簡を手渡した。
つとめて冷静な素振りで書簡を開いて文面を見ると、シグルドの顔はほんわりと緩んで愛しいものを見つめるような表情になった。
「そうそう!その顔をリリア様に向ければいいのです」
ルカはそう言うとシグルドの隣に立ち、手紙を覗き込んだ。
”シグルド様、この度はパーティーへのお招きと美しいドレス、装飾品をありがとうございました。是非伺います。お忙しいかと存じますが、ご自愛ください”
書いてあったのは一般的なごく普通の文面。それでこんなに喜べるとは、シグルドのリリアへの愛は非常に重い。
「シグルド様はこんなにもリリア様を愛しているのに、なぜ素直に慣れないのですか。この調子では婚姻しても仮面夫婦一直線ですよ」
ルカは呆れながらそう言うと、シグルドは答えた
「わかっている。この間、リリアの庭園で手を握られそうになった時も恥ずかしくて無理だった。私が触れることでリリアが穢れるのが嫌なのだ」
「手を!手を握ることすらできないのですか!?」
あまりのことにルカは言葉を失った。
「婚儀の際の口付けはどうするおつもりですか?」
「髪の先に口付ける」
「では寝室は?」
「もちろん別に用意する」
(ああもうここまで拗らせていたとは、どう導いていけば良いのやら)
ルカはシグルドのこじらせた愛情を目の当たりにして目眩がした。
「シグルド様、手を握らないとパーティーでダンスを踊ることができません。手を握るだけだけで穢れるとおっしゃるなら手袋をつけてみてはいかがですか?」
シグルドはルカのアイデアに目をキラキラさせて
「それだ!それならばリリアを穢すことなく彼女とダンスを踊れる。さすがルカだな!」
そう言って一枚の紙を取り出して何かを書き始めた。
「何をなさっているのですか?」
ルカが訝しげに聞くと、シグルドは答えた
「パーティーにつける手袋のデザインを考えている。彼女に贈ったドレスに合う色や形にしないといけないからな。ああ、彼女と踊るのが楽しみだ」
そうウキウキしながらペンを紙に走らせる姿を見て、ルカはそっと微笑んだ。
(どうか、シグルド様のお気持ちが少しでもリリア様に届きますように)
ルカはそう願わずにはいられなかった。
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