第8話 ローズ

シグルドの訪問から数日後、一通の舞踏会への招待状とドレスや装飾品がリリアの元に届いた。            

                                                 

そこには今回の舞踏会はリリアを正式な妃として王家に迎え入れることをお披露目する場であること。リリアの妃教育の講師がカタリナになったため、パーティーで顔合わせをすることが書かれていた。                                        

                                              

(とうとう国内に私とシグルド様の婚姻が知れ渡ってしまうのね。憂鬱だわ。それに何より、婚姻を解消したカタリナ様を私の教育係にされるなんて、なんて酷いことをされるの。シグルド様には心はないのかしら)                                           

                                                

リリアはシグルドに軽く失望して頭を抱えた。                          

                                              

(やっぱり嫌だわ。こんな酷いことを平気でやる方に嫁ぐなんて・・・。でもお父様とお兄様のためにもお断りはできないし)                              

                                                

滲む涙をハンカチで拭きながら、ふと先日来訪したシグルドのことを思い出した。            

                                              

(あの時、頭の中に響いたシグルド様はとても私を愛してくださっている様子だった。でもあれは私の都合の良い妄想・・・。本当のシグルド様はこんなにも冷酷なのに)              

                                                    

リリアはベットに腰掛けて横でリリアに甘えている愛猫のローズに語りかけた。         

                                                 

「ねえローズ、私シグルド様のことが分からない。カタリナ様に酷なことを申しつけたり、この前は私を天使と呼んだり。シグルド様は一体どういう方なのかしら」                 

                                                 

言葉に出すとさらに悲しくなって涙がとめどなく溢れて止まらなくなった。            

                                                

「泣かないで私の愛し子。シグルドは分かりにくいけど貴女を愛しているのよ、安心して」               

                                                

誰かに囁かれて驚いて室内を見渡すが、ここにはリリアとローズ以外誰もいなかった。   

                                                

「驚かせてごめんなさい。私よ、ローズよ」                         

                                              

そう言われてリリアがローズを見ると、ローズはリリアを見上げて話し始めた。         

                                               

「私の本当の名前はアテナ。この国の人間を作った者よ。本当は正体を明かさず貴女のそばにいるつもりだったけど、シグルドがあまりにもポンコツだから思わず出てきてしまったの」  

                                                

「アテナ?貴女はもしかして建国神話に出てくる女神アテナ様ですか?どうそしてローズの姿で私の元にいらっしゃるのでしょうか」                                     

                                                

リリアは突然のことに胸を高鳴らせて問いかけた。                     

                                              

「そうよ。私が人間を作り出したアテナ。皆には女神とたたえられているみたいね。私がここにいるのは貴女がオーロランジェの生まれ変わりだからよ。転生したら基本的に別人格になってしまうから、生前のオーロランジェには会えないとわかっていたけど、それでも一緒にいたくてここに来たの。私は人間を作り出すのに力を使い果たして、もう人の形を取れなくなってしまったから、教会の前で生き絶えかけた子猫に憑依することで、現世に降り立つことができた。そして貴女に拾われてからずっと見守っていたの」                         

                                              

アテナはそう言うとリリアに微笑みかけた。                          

                                              

「私の愛し子。貴女は最初の人間イリスの恩人であるから特別に可愛く思っていたの。だからまた会えて嬉しい。こう言われても記憶のない貴女は困るでしょうけど、貴女の魂は間違いなくオーロランジェのものだから、本当に嬉しいの」                         

                                                

「アテナ様、そうとは知らず婚姻の愚痴などもうしてしまい申し訳ございませんでした」    

                                              

リリアは手を胸の前で結び祈るように謝罪した。                         

                                               

「問題ないわ。むしろなんでも話してくれて嬉しい。生前に戻ったみたい。オーロランジェからはイリスとのことで愚痴を聞いたりしていたから懐かしいわ。それと一つ謝罪があるの。シグルドが喋ると貴女の頭の中に流れる声は間違いなくシグルドの本心よ。私がそうなるようにシグルドに魔法をかけたの」                            

                                                

アテナは申し訳なさそうにシグルドの頭に響いてくる声のことを語った。               

                                                

「アテナ様が!?では天使とおっしゃったり、慌てたり、どこか子供っぽい声は全てシグルド様の本心ということなのでしょうか」                              

                                              

リリアが当惑しながら質問するとアテナは何でもないふうに答えた


「その通りよ。貴女も感じたでしょう。シグルドはとっても厄介な性分の男なの。だから少しでもリリアがシグルドのことを分かれるように魔法をかけちゃいました」              

                                               

ちょっと戯けた口調でアテナは続ける                              

                                              

「貴女とシグルドが出会った時、貴女は覚えてないでしょうが、シグルドは貴女に直ぐ恋に落ちたの。それからずっと貴女を思い続けてここまできたのだけど、たった一人の王位継承者として完全無欠な人物になるよう求められていることを感じていたシグルドは周りの期待に応えるべく今の彼になってしまった。本当はただの優しい青年なのにね、可哀想な子なの。だから多少無礼があっても許してあげて」                             

                                                

アテナはシグルドをポンコツ扱いするくせに彼について語るときはとても優しげだった。          

                                                

「アテナ様、では私は表面的に取り繕っているお姿ではなく、頭に響いてくるシグルド様の本心を信じてお支えするべきなのでしょうか・・・手を握ることすら拒否されましたのに」                          

                                               

リリアがそう言うとアテナはコロコロ笑って言った。                        

                                                

「シグルドはリリアを神聖視しているからね。触れ合うだけで穢してしまうと思い込んでいるのよ。許してあげて」                                       

                                                

そこまで話すとアテナはぐーんと伸びをして眠そうな顔になり                   

                                                 

「あまり長く話すと力が減ってしまうからもう眠るわ。女神としての力がなくなったら、私は消えてこの猫はただのローズになってしまうの。できるだけ長く貴女と一緒に生きたいから私はしばらく眠りにつくわ。おやすみなさい」                   

                                                   

「おやすみなさいアテナ」                                    

                                                

そう言うとリリアは胸を高鳴らせてローズの背中を撫でた。                      

                                                 

(まさか私がオーロランジェ様の生まれ変わりだったなんて・・・。記憶は全くないから実感が湧かないけど、憧れていたアテナ様に見守っていただけていたなんて嬉しい)         

                                               

まだ胸がドキドキしていたけど、シグルドに対しての不信感がだいぶ払拭された。             

                                                   

リリアはベルを鳴らしてチェルシーを呼んだ。                         

                                               

「チェルシー、シグルド様から頂いた招待状のお返事を庭のテラスで書きたいのだけど、頭を使いそうだから、何か甘いものとお茶を用意してくれるかしら」                 

                                                

そう言うとチェルシーは微笑んで                                

                                                

「かしこまりました。すぐに準備させますので、お嬢様はお先にテラスでお待ちください」     

                                                

チェルシーがそう言ってくれたので、リリアは庭園に出るとお気に入りのバラをゆっくり観賞してシグルドがやってきた日のことを思い出した。                             

                                                   
(あんなに恐ろしい方なのに、内心はとても幼なげで可愛かったわ。もっとあのお心を表面に出されたら皆の評判も変わるでしょうに。優しい王様では威厳がなくてダメなのかしら)     

                                              

リリアはここにいないシグルドのことを心配して胸がキュッと痛んだ。                  

                                               

(今度のパーティーでお会いした時にでも、アテナ様のことをお話しするべきかしら。私だけがシグルド様の本心を知っていることを隠すのはフェアじゃないもの。そうだわ、そうしましょう)                                           

                                            

そう思うと決意が固まった。                                     

                                            

テラスに着いた頃にはアフタヌーンティーの用意が整えられており、チェルシーが笑顔で迎えてくれた。                                        

                                               

「素敵!お返事を書くだけなのにこんなに用意してくれたの?」                 

                                               

リリアがそう言うとチェルシーは微笑んで答えた                         

                                                

「あのシグルド殿下にお返事を書くのですもの。とても頭を使って疲れてしまうことが想像に難くない。なのでお嬢様のお心が少しでも和むように用意いたしました」               

                                              

チェルシーの気遣いが嬉しくてお礼を言うと、リリアはシグルドに招待状の返事を書き始めたのだった。

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