第13話 ベトナム紀行13 ホイアンにて 


 ホイアンではちゃんとしたスケッチを2,3枚描きたかった。一度ネットの写真で描いたが、距離感が分からない、構図は写した人の考えだ。人物は写真で描けても、風景は一度見て感じを掴んで置きたかった。

 古都ホイアンは、中部ダナン市から30キロ、トゥボン川の河口に位置する古い港町である。古くからの中国人街の建物が残り、フランス植民地時代の名残の建物が混在する。来遠橋(日本人橋)も有名である。旧市街は2時間もあれば一回り出来るほどのこじんまりしたものである。夕暮れ時、ランタンが灯る。幻想的なランタンの町としても有名である。


 観光ガイドには必ずホイアン3大名物のグルメ料理としては「ホワイトローズ(蒸し餃子)」、「カオラウ(うどん風のつけ麺)」そして「揚げワンタン」が必ず記されている。カオラウは米粉の麺が多いベトナムでは珍しく小麦粉を使った麺で、伝来は伊勢うどんに由来すると云う。17世紀、18世紀日本人も往来した港町が偲ばれるのである。ホワイトローズは、見た目も美しいエビのすり身や野菜を透明な白い皮で包んだ蒸し餃子で、ベトナム特産のヌクマム(魚醤)につけて食べる。皮のもちもちとした食感とエビの風味が絶妙とガイド本には書かれている。私はホワイトローズを食べてみたいと思っていた。ランタンが灯る頃、屋台で揚げワンタンでビールもいいだろうと思っていた。一泊するつもりだった。

 ところが、またしても航空券の失敗をやらかしたのだ。ハノイからの帰国の便を午後1時10分にしたつもりが、01時10分、深夜便であったのだ。Amだの、Pmだの、13時だの時間表記を統一して欲しい。航空会社、旅行会社によっても違うのだ。これではホイアンで一泊は諦めるしかない。


 その前に私はハノイの空港(国内線)の搭乗で疲れていた。ハノイーダナン間の移動には、格安のベトジェットはたまに飛ばないことがあるから、ベトナム航空にした方がいいとアドバイスを受けていた。その航空券の確認書を見た。行きは11月で日にちは合っているのだが、帰りは10月になっているのだ。往復で買えば良かったのだが、ホイアンでの一泊をどうするか迷っていたのだ。先に行きを買って置いて、後日に帰りを買ったからこうなったのだった。ベトナム航空には日本支社があって、直接電話もすぐ出来て変更が出来たのだが、変更料を追加で5千円ほど取られた。


 一泊ならホテルに荷物を置いて、街歩きが出来るのだが、カートに大きな布カバンを結わえ付けて歩かねばならない。おまけにホイアンは雨季で、その日も小雨が降り続いていた。おまけに、最初に描く積りだった、日本人橋が修復工事中でネットが張られていた。

 ダナンからホイアン迄のタクシーは、私がぼられた前科をヒエンさんが知っていたので、彼女のルートで往復の手配してくれていた。払う料金もきっちり決めてくれていて、それ以上は絶対払うなとも念を押されていた。


 それは良い。大変だったのはハノイ、ドイバイ空港(国内線)のターミナルの中であった。「ベトナムエアーライン(ベトナム航空)」と云ったら、制服を着た職員らしき人が、あっちと指をさした。建物の端で皆が待っていた。しばらく時間が経って、人々がエレベーターでワンフロア―下に移動した。私もそれに従った。念のためにそこにいた職員に「ベトナムエアーライン」と訊くと、ここは「ベトジェットエアーライン」と答えた。私の発音が悪かったのか、何で似た名前なんか付けるのかと腹立ちながら、建物のもう一方の端に移動である。時間が迫っていた。ナンバー11と教えられたのだが、そこのナンバーは8でそれ以上はない。制服職員に訊くとここでいいと云う。先ほどの事があるので気が気でなく、2度も3度も念を押した。

 

 結構早い時間にホテルを出て、空港に着いたはずなのに、この始末である。そんなこともあって、疲れていた。そこに雨と、工事中のネットである。近くの茶店の椅子に座った時はドット疲れが出て来た。荷物を持った私を見て、シクロがしきりに誘う。ハノイで4倍取られて、ケッタクソが悪いシクロには乗る気がしなかった。雨の中を、荷物を持って歩く気もしなかった。ふと、ガイド本に侍という日本食堂があるのを思い出した。日本人が経営しているとあった。そこで荷物を預かって貰って、軽くして歩けばと思ったのだ。幸い雨も小降りになっていた。町の端、ホイアン市場の傍にあった。

 荷物だけというわけにはいかない。昼も近いので親子丼を頼んだ。日本人のオーナーはいますかと、店の女性に云うと、奥から日本語が話せる女性が出てきて、「オーナーは日本に帰っていて、私が任されています。私はベトナム人ですが日本語は話せます」と云った。店は他に客もなく、はやっていそうになかった。出て来た親子丼は食べられないことはなかったが、量が半端ではなく半分残した。不味かったと思われてはいけないと、美味しかったが、お腹の調子が悪いのでと言い訳をした。事実お腹の調子は良くなかった。荷物は気持ちよく預かってくれたが、昼のホワイトローズは飛んだ。


 対岸に渡り、落ち着いたカフエの2階からスケッチをしようと思っていた。2階からならこちらの岸に泊めた船首部分も構図の中に入る筈だった。店頭の若い女性は2階OKと答えた。その前に私はトイレを借りたかった。ちょっと時間がかかった。ドアを叩く音がした。出て2階を云うと、年配の女性に代わっていて、2階はダメだと云う。トイレを借りただけで店を変わる訳にもいかず、1階のテラス席からスケッチをすることにした。

 気の乗らないスケッチはラフなもので、2枚目を描く気持ちは失せていた。暫し、雨宿りでボーとしていた。歩ける程度の小雨になったので、歩きながら建物、街風景の写真をいっぱい撮った。軒先で街風景を描いて土産用に売っている男性がいた。私が描きたいような中々の水彩画だった。これを買って帰って、描いたことにしょうかと、邪悪な考えも湧いた程だ、構図は参考になった。


 街写真を撮って、見学出来る建物に入った。5つ観れるチケットがあるのだが、私は3つ入ったところで切り上げた。時間を見ると3時であった。もう歩く元気はなかった。侍食堂に戻ってビールを頼んだ。メニューは札幌ビールだけだった。ベトナムで札幌かと思いながら、店の日本語を喋れない一番若い子と会話をした。

 今や翻訳アプリがあるのだ。「ベトナムエアーライン」と発音するのではなく、打ち込めば良かったのだ。困ってはいけないと、必要最低限の言葉はベトナム語にしたカードを作ったりしたが、使ったのは、タクシー運転手に、ホテル名に住所を書いたものと、ホーチミン廟で「この黒いカートは私の杖替わりです」位だった。ただ打ち込むのに時間がかかる。両手打ちなんて死んでも無理だ。慌てると不器用な私の指は余分な所を押して、なお時間がかかる。

 音声のもある。ただ「え~」だの、「あの~」だの、いい直しは変な音声言葉になってしまう。「え~、あの~、え~」は「絵、あの絵」になってしまいかねない。空港の職員はこれを持っている。あらかじめ、質問事項を頭の中で整理してから云うと、中々便利なものである。言葉は日本語で言う「コンニチワ」「アリガトウ」位を現地語で覚えて、後はこのアプリを使いこなせばいいだけだ。


 サッポロビール3缶、2時間いたのだが、客はなかった。外国での店だ、オーナーがついてこそ店は流行るのだ。それとも日本の店の方が忙しいのだろうか。侍食堂の店長に「変な年寄りの日本人のお客が来て、侍ではなく、国際的にも知られている『ラストサムライ』に店名を変えたらいいと云っていたと」伝えて置けと云うと、店長はうんうんと笑った。

 それでも、帰りがけに一人外国の老婦人が入って来て、久しぶりと云う感じで店長と抱き合っていた。固定客もいるのだ。店長にどこの国の人かと訊くと、フランス人でこちらに住んでいると答えた。私はフランス婦人に「I am old samurai(年老いた日本人と云う意味)」と云って、サヨナラの挨拶とした。


 タクシーが待って入るところまで行くのにシクロを呼んでくれと店長に云った。店から頼めば安全だと思ったのだ。連絡を入れて貰うと「今の時間はない」と云うことだった。5時、ランタンが灯る頃からがシクロの稼ぎ時なのだ。雨は上がっていた。仕方がない、重い荷物を持って15分歩くかと思っていたら、店長が「お客さんオートバイ大丈夫?」と訊いてきた。「大丈夫だが、私を乗せて、カートと荷物があるよ」と云うと、二台でOKと云う。

 先ほどの一番若い子が既にヘルメット、ジャンパー姿に代わっている。恰好は抜群だ。荷物は店長が、私は若い子に手をまわし、ランタンが灯り出したホイアンの町を疾走した。若い女性にしがみつくなんて何年もなかったことだった。タクシー乗り場には朝の運転手が既に来て待っていた。私は侍食堂の女性に握手してお礼を言った。

 あとは次回、ハノイ空港、今度は国際線、でやらかした失敗と、無事帰国まで。そして一番大事な、「絶対失敗しないベトナム行き」の再整理をして、紀行文を終わることにしよう。

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