第11話 ベトナム紀行11 旦那トゥさんとお酒を飲む



 帰りの車の中で、旦那のトウさんは、一緒に呑みましょうと言った。望むところだ。ベトナムに来て、女性とだけ話したのでは詰まらない。

 ヒエンさんは、交換留学生として、関大の寮、南千里で1年暮らしたと話した。私は関大の付属高校卒である。ヒエンさんは、江坂の居酒屋で1年アルバイトしたと話し、店長に生ビールの泡の注ぎ方を指導されたと、日本では、何センチと決まっているのですか?と質問された。決まっていませんが、四分の一位が目安でしょうか、その方が生は美味しく呑めるのですと答えた。トウさんはそうだ、そうだと首を縦に振った。日本に行った感があった。そんなことで、いっぺんに親近感が増し、夫妻と私の距離は縮まった。

 ヒエンさんは、文学部で日本語学科、修士課程を終えている。どうして日本語を選んだのですかと訊くと、2011年に高校を卒業したのだが、丁度その頃、日本ブームで、先輩に就職に有利だと聞かされていたと語った。2011年といえば、東北大震災の年だ。それと関係あるのだろうか、それとも、中国からのシフトが始り出した頃になるのだろうか。


 トウさんは、来年、二週間程日本に出張だと云う。仕事は何ですかと訊くと、売り込みだという。技能実習生の売り込みなのだ。ヒエンさんは、受入団体に勤め、旦那は送り出し側にいる。勤める組織は違うが、仕事は同じような関係、むしろ補完関係にある。行きの車での中で話が弾む筈だ。

 日本に来たときは是非一緒に飲みましょうと、酒造メーカーの大関がやっている炉端焼きの店のことを話した。トウさんはチョット考えていたが、女性が正座して、長い杓子棒で焼いたものを配る説明を入れると、TVで見たことがあると、関心を示した。日本酒を飲みましょうと言った。


 コロナ禍の中での、大変だったことに話は移った。日本行きを希望するものは、待機になり、日本にいるものは、仕事や、アルバイトもやめさせられ、帰国することも出来なかったのだ。

 技能実習生の酷い扱いが日本では時々問題となって報道されていることなどを私は話し、法改正がされたことどう思うかと聞いた。在留期間が3年から5年になり、職種の移動もケースによっては可となった。ヒエンさんは、改正はいい事だが問題もあると答えた。「日本では石の上にも3年という言葉があるでしょう。最近のベトナムの若者は辛抱が少なくなった。3年キッチリ勤めて、しっかりした技能を身に付けて帰って来て欲しいと語り」僅かなお金や、待遇で軽々に移ることには否定的であった。

 同じことでも、こっちで見る考えと、向こうで見る考えとでは違いがある事を知った。それ以上の問題は、日本企業がベトナムから、軍政になる前だが、ミヤンマーやラオスにより安い方にシフトしていることだと言った。今までベトナム人は日本に尽し、力になってきたのに、仕事だから、ミヤンマーにもラオスにも出張するけど、一ベトナム人としては複雑な気持ちだと話した。ベトナム人は真面目で、概して、日本人はベトナムに好感を持っていると話すと、それは感じていますとヒエンさんは答えた。


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