第10話 ベトナム紀行⑩ アオザイモデルになったヒエンさん




 車の中では、ヒエンさんとトウさんはベトナム語で、よくそんなに会話があるなぁ~と云うぐらい話をしていた。高速道路と云っても、市街を出れば高架ではなく、並行して走る道路とは簡単な仕切りがあるだけである。途中休憩するところも一か所しかない。トイレにはチップ箱が置かれていて、日本円で100円位を入れる。ハノイ旧市街を二日巡っただけだ。新市街には高層ビル、高層住宅が建設されていた。並行して走る道路沿いには、休憩・飲食が出来る店や、住宅がポツリとあった。走っている車は日本車がほとんど。トヨタが多いが、結構、三菱のマークを見た。トウさんが運転する車はマツダであった。


 従弟の姓は藤井と云う。母方の姓である。藤井家の長兄は藤井の家の出世頭で、神戸マツダ(販売会社)の設立に関わり、専務職にあったが、マツダの広島本社の社長に見込まれ、首都圏でこれから発展するだろう埼玉マツダの社長になった。従弟の伯父は次兄である。当時車の免許を持つ人が珍しかった時代、バスの運転手であった。私が友達と連れ立って、田舎の小学校から帰る途中など、止めて乗せて呉れた。それで私は友達に鼻高が出来た。伯父は身長が低く、あんな身体で、あんな大きな車を運転出来るのが不思議で仕方がなかった。そんなことを話した。

 また、父は田舎で自転車屋をやっていたが、本田(ホンダ)がポンポンと称する、自転車に取り付ける50ccのエンジンを販売し、その取り付けに忙しかった父は「これを考えて人は偉い」と云っていた。その50ccがカブ号になり、ホンだの礎を作り、トヨタに次ぐ世界のホンダになったこと。マツダがオート三輪の時代があったことなど、昭和20年代から30年代、日本もそんな時代があったことを話した。(今思うに、日本が世界に冠たる自動車王国になったのは、戦前から軍用トラックを作っていた技術力もあるが、ベトナムで思ったのは、1ドル360円の時代があったからではなかったか、アメリカ外車は手が出ないほど高ったった。それで360ccからの車が作れたのではないかと思った次第である)。車は新しいのが多かったが、トラックは大型だが古く、他国からの中古車のようであった。


 中国の山水を思わせる奇岩の山々の間を縫ってボートは行く。洞窟を何か所も抜ける。洞窟内には電灯が付けられているような長いものがあり、頭を低くしないとぶっつけるようなところもある。水上のちょっとした島には古い寺院がある。

 トウさんがボートを漕ぐ男性と仕切りに何かを話している。何を話しているのですかとヒエンさんに訊くと、たわいもない話ですよと笑った。ボート漕ぎの男性は56歳で、長男が大学を卒業して、やれやれであると云っていると教えてくれた。男性の顔はいい顔をしていた。写真を撮らせて貰った。私は男性を描いたことはないが、描いて見ようと思った。


 寺院があって、木橋が見えた。「あそこ良いと思いません?」と、ヒエンさんは云って、船を止めさせ、上がった。木橋の上で立っているヒエンさんを撮った。眼鏡を外し、白いアオザイ姿のヒエンさんは全く別人であった。従弟が云った「通訳兼モデルも出来ます」がよく分かった。

 ヒエンさんは突然、木橋の上に座り込んだと思うと、帽子を取り、髪を横に整えポーズを取った。写せと云うのである。水道の栓が壊れて、建築士をしている息子に連絡をしたら、ラインで写真を送れと云う。ガラ携からスマホに変えたばかり、どうしていいやら、ともかく丸い所を押した。息子から「お前の顔を送ってどうなる!」と返事が来たが、画面チェンジの仕方が分からない。息子にバカにされた私だが、この時だけは素早かった。帽子を撮ろうと、帽子に手をやった瞬間の写真がよく、「これを絵にしますね」と、ヒエンさんとトウさんに見せると、出来上がったら画像を是非送って下さいと云われた。


 ヒエンさんは、何度かチャンアンに来ている。最初からここをモデルの場所と決めていた。そのための2日目のアオザイであった。一日目の高校生を思わせる装いと一変させた。私はそれに気付かなかった。何年婦人服をやっていたと云われても仕方がない。いい絵にしなければと思った。帰って来て写真を見ると、立っている姿もいい。帽子を取った姿もいい。3つ描いて「木橋とアオザイ」という連作にしたらと思った。モデル良し、背景良し、後は腕次第である。このあと、まだ私はヒエンさんの素晴らしさを知ることになる。

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