第4話 ベトナム紀行 ④ ホーチミン廟でのハプニング


 ホーチミン廟でのハプニング


「4時間前です、準備は出来ていますか?」Trip.comからメッセージが入った。何だ!これは?と思った。両月のカレンダーが表示されていた。11月の出発日なのに、それが10月になっていたのだ。まだ時間があると、来ていた予約確認書をプリントアウトして、確認を怠っていた。飛行機は僕を乗せず無情にも飛び立ち、航空券もパーになってしまった。ヨーロッパには何度か行ったが、ウェブでの予約は初めてであった。

 昨年9月、私が主宰するアート展で作品だけでなく、似顔絵会をやって貰った通称魔女メグさんが、インドネシアの帰りにハノイに3日ほど立ち寄ると云ったのだ。彼女は英語も達者、外国旅行も慣れている。この時を逃しては行けないと思ったのだ。

 それと、従弟が海外技能実習生の受け入れ団体に勤めていて、「現地事務所に通訳兼モデルになりそうな女性がいるから、行く時は声をかけてくれ」と云って呉れていたのだ。行くべし!ベトナム反戦世代、ネット写真でアオザイ女性を描くしかなかった私は決断した。


 ベトナム反戦世代としては、国父ホーチミンに敬意を表したいと思っていた。しかし、生体保存した廟には前から手を合わせるだけにして、晩年を過ごしたと云う、ホーチミン・ハウスを観たいと思っていた。生体保存、私は好きではない。事実、ホーチミンもそんなことは希望していず、「自分が死んだら、北部、中部、南部の3つに遺灰を空から散布して欲しい」と述べている。

 ホーチミン・ハウスの件を話すと「朝一番に行きましょう」とメグさんは快諾してくれた。その日メグさんは和服姿だった。日曜ということもあって、ホーチミン廟の入口前は凄い人の列が出来ていた。「一体いつになったら入れるのだろう」と思っていたら、係官がこっちに来いと云う。

 私のベトナムでの最大のハイライトと云える、ハプニングがこうして始まった。優先入園(廟と云うっても一大パークなのだ)させてやると云うのだ。メグさんの和服か、私の中腰姿勢が目に留まったのだろう。ベトナムは外国人、お年寄りに優しい。優先はいいが、黒いカートは取り上げだと云う。私はこんなこともあろうかと「これは、私の杖替わりです」とベトナム語で書いたカードを見せた。ノー、ノーという感じで係官は首を横に振った。一体どうしたら良いのかと困惑していたら、係官は車椅子を持ち出して来た。まさか、ベトナムに来て車椅子に乗るとは思っても居なかった。メグさんは「私、車椅子、押すの上手なのよ」と、後ろで楽しんでいるようであった。

 

廟の前まで来たら、傍に付いていた係官がメグさんに代わって、廟の中へ、「僕は廟の前では手を合わすだけで、ハウスにストレートに行きたいのです」なんて、英語でも、ましてベトナム語でも言えない。廟の前に立っていた衛兵を係官が手招きした。白い制服の衛兵4人がザーッと来たかと思うと、私の車椅子を中腰で担いだのだ。「これは、何ごと!」と思わない者はいない。廟の中はスロープがないのだった。煌々と照らされたホーチミンの生体保存の顔を拝顔し、その周囲を、玉座ならぬ車椅子に担がれて、衛兵とともに私は一周した。「嵐さんの車椅子と衛兵の姿写真を撮れなかったのが残念だったわ」とメグさんは笑った。廟内は撮影禁止であった。


 その後、メグさんに押されて車椅子でハウスの方に行けるのだと思っていたら、衛兵が車椅子を持ち去った。係官は私の黒いカートを返してくれもせず、後はご自由にと云う感じであった。

 幸い池の周りや、植え込みには柵があったりしたので、ヘッピリ腰ながら歩いた。ハウスは高床式で、吾妻家を思わせるような感じで、上は二室、一つは書斎とベッド、一つは居間にしていたのであろう。至ってシンプルなものであった。

 地方から来たであろう観光客や、家族連れで賑わっていた。何より嬉しかったのは、アオザイで記念撮影している人たちが沢山いて、写真を撮らせて貰ったことだった。色は赤、緑、青とカラフルであった。白は学生の制服だったり、特別の時に着るのだそうだ。

「街中ではアオザイを来ている人はないわよ、見るなら制服にしている学校の校門傍で待つのがいいわよ」と訊いていたので、思わぬ機会に恵まれて、これも、廟にお参りしたホーチミンさんのお陰かと思った。

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