第21話 恋する乙女はなりふり構っていられないのです

 グラウンドから白球を追う声やランニングの掛け声、蝉の声が窓越しに教室へ飛び込んでくる。静かな教室に木霊するその声の中、黙々と二人は作業を行っていた。

「いや、改めてだけど大事なこと忘れてたね」

 そう言いながら、達也は教室の机に広げたA3のポスターに色を塗っている。そこにはでかでかと「フリースタイル同好会、メンバー募集!」と書かれている。こういう美術的なことはきららが得意だが、せっかくなら二人でやろうということで、放課後残ってポスター作りに勤しんでいた。掲示板に張り出す用なのでなるべく目立つように赤色等の派手なマジックで全体の枠を囲った。

「てへへ……うっかりしてたね……」

 きららが舌を出す。

 あと一週間もすれば夏休みに入ってしまう。出来ればその前には完成させ、全校生徒にメンバー募集をアピールしたいところであった。

 文化祭の発表は大盛り上がりを見せた。終わってから、同級生から上級生まで全く知らない人に声をかけられたし、あの日の主役は間違いなく達也ときららだった。バンドの効果も相まってちょっとした有名人だった。そんな様子を見て、光一は悔しがるふりをしていたが、その顔は嬉しさを隠しきれておらず、とてもよい笑顔だった。

 またその二人が同じクラスにいるということもあり、クラスの出し物である、たこ焼き屋もかなり盛況だった。一日目を自由にさせてもらった代わりに、二日目は朝から客寄せパンダのように二人して店前に立たされた。そのせいかはわからないが、二日目のかなり早い段階で売り切れ、売り上げ目標だった十万円を達成することができた。仕切っていた女子生徒は鼻高々に「私がいるんだから当然でしょ」と満足げにしていた。

 儲けは打ち上げで使用することになっていたが、夏休み前はみんなの予定が合わず、とりあえず改めて予定調整をして、夏休み中か改めて二学期に入ってからということになった。仕切ってくれた女子生徒には最後までおんぶにだっこで、本当に頭が上がらない。

 そんな大盛り上がりを見せ、大成功に見えた文化祭だったが、達也ときららは肝心なことを忘れていた。

 部活のメンバー募集の旨を一切していなかったのだ。正確には達也はきららに任せていたし、きららもそれはわたしの役目と担う気満々だったが、文化祭前のごたごたや勝負の熱が入り過ぎたせいもあって、MCにそれを伝えそびれてしまった。結果、ただ文化祭で、フリースタイルのバトルを行っただけになってしまったのだ。

 ごたごたは達也のせいということもあり、そこに関して多少の責任も感じているようで、今、こうして改めてメンバー募集のポスターの製作を手伝っている。夏休みという、学生がかなり自由にできる時間がやってくる前に新しいメンバーを捕まえるべく、必死のパッチで製作中だった。

 なお、光一率いる軽音楽部はちゃっかりと新入部員を獲得しているらしい。

「そういえばさ……」

「ん?」

「賭けなんだけどさ。僕は何をしたらいい?」

 手を動かしながら、達也がきららに問いかけてくる。

「うーん……」

 きららは動揺した素振りを見せないよう、そのまま作業を続けながら考えていた。

 賭けはきららの勝ちだった。

 拍手量はきららの方が多かった。あの日、達也の知名度もかなり上がったが、入学当初からかなり目立っていたきららの交友関係やファンの量には劣り、きららの勝利となった。

 正直、きららは納得していないが、勝ちは勝ちだ。当初の目論見通り、「文化祭までという約束をなくして、卒業まで一緒にラップをやってもらう」ということを要求しようと思っていた。しかし、文化祭でのメンバー募集を忘れたこともあり、結果として文化祭が終わってもこうして一緒に活動をしてくれている。ならば、わざわざ賭けの権利をそれに使う必要もないのではないかと考えていた。そのため、自分からは賭けのことを言わないでおいた。もしも、達也が活動を辞めるとなったときの切り札として取っておいたのだ。

 だから今、要求を明言することは避けたかった。卑怯な考えだとは重々承知だ。だけど、きららは開き直っていた。

(恋する乙女はなりふり構っていられないのです)

 もっとずっと達也と一緒にいたい。だから、この切り札はできる限り残しておきたい。

「まぁ、また言うよ。あはは!」

 ごまかすようにきららは笑った。

 達也はやれやれといった様子でそれを聞き流し、手を動かした。

「そういやさ、田中くんは夏休みの予定とかあるの?」

「いや特にないよ。読みたい本を消化するぐらいかな」

 小さい頃は家族で旅行もいったりしていたが、中学生になるとそういう機会も減っていった。それに翔子の部活もあるだろうし、みんなでどこかに出かけるようなことはおそらく今年もない。ちなみに達也は読みたい本をスマホにメモしている。最近は忙しく、消化できていないその冊数は百冊を超える勢いだった。そんな彼がきららの意図に気づくはずもない。

「じゃぁさ、どこか出かけない?」

「え、サイファーとか?」

 ずっと手を動かしている達也に向かって、きららが頬を赤らめながら言う。

「違うよ……デートしない?」

 なけなしの勇気を絞り、きららが言った。

(……言った……! 言ったぞ……わたし!)

 文化祭の後、女子生徒の話を小耳に挟んだ。それは達也のことを格好いいと言う内容だった。最初聞いたときは「そうだろそうだろ」と誇らしげだった。

 しかし時間が経つにつれ、不安になっていった。もしももっと達也の魅力に気づいた女子が大勢いて、その人と達也がいい感じになったらと想像すると胸が苦しくなった。自分にそんな嫉妬心があったことに驚いたし、それ以上に焦りを覚えた。

 そう思った以上、このままうかうかはしていられない。だけど、いきなり告白する勇気もない。もしも振られて、今の関係が崩れてしまったらと思うと恐怖で足がすくんでしまう。だけど何も起こさないのも自分の性格上、耐えられない。そう思って、きららは青春の一ページにふさわしい舞台である、高校一年生の夏休みを利用しようと考え、達也をデートに誘った。勿論デート自体はノープランである。肝心なのはデートという響きで、自分を意識させることだ。そういった駆け引きは本能で感じ取っていた。

 達也の手が止まる。顔を上げ、きららを見てきた。

 きららはその視線に思わず顔を背けそうになるのをこらえ、まっすぐ向きあった。鼓動の音が相手まで聞こえるんじゃないかというぐらい大きくなっていく。周囲の音が聞こえなくなり、まるで世界に二人だけじゃないかというような気がした。

「うん、行こっか」

 達也が笑いながら言った。そしてこの気恥ずかしい空気に耐えかね、再び作業に戻った。

 きららが心の中でガッツポーズをする。今はこれが精いっぱい。でも彼とはきっとずっと一緒にいられる気がする。そんな予感めいたものをきららは感じていた。

 高校一年生の夏。きららの新しい戦いがこれから始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラッパーズ・サイレント との @tenmaruuuuuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ