第19話 もっと一緒にいたいんだもん……

 きららは上級生がやっている出店で買ったクレープを頬張った。高校生が作ったとは思えないクオリティにさすが三年生は違うぜと思いながら中庭を闊歩する。

 クラスの友人から一緒にお化け屋敷を回ろうと言われたが、今はなんとなく一人になりたくて断りを入れ、中庭のステージを見に来た。現在はカラオケ大会が行われており、よくテレビのCMで流れてくる流行りのJPOPが聞こえてきた。ステージ前はかなりの盛り上がりを見せており、学年を問わず、大勢の生徒が集まっている。

(もうすぐあのステージに立つんだ……!)

 再びクレープを頬張る。口いっぱいに生クリームとイチゴソースの甘みが広がる。

 目の前にある学校のステージはきららにとっては決して大きなステージではない。サイズ感という意味では大きいかもしれないが、観客数という意味ではGMBの予選や花梨と戦ったステージの方が多い。しかし今日のステージはこれまでのどんなステージよりもきららにとって特別だった。

 今日、達也を教室で見かけたとき本当にうれしかった。また先日と比較してとてもすっきりした顔をしていたため、それも含めて心の中で安堵した。元気になってくれたようで本当によかった。

 だけど勝負は別だ。きららは、教室で達也に賭けを提案した。

 勝てば達也に「文化祭までという約束をなくして、卒業まで一緒にラップをやってもらう」ということを要求する予定だ。達也がそれを承諾してくれるかはわからない。でも言わずにはいられない。

 今日で終わりだということを考えると寂しさで胸が詰まりそうになる。今となっては最初に文化祭までということを言わなければよかったとも思う。あのときならば達也の事情などを一切考慮せずに無茶苦茶言えたのに、今は自分の気持ちより達也の気持ちを考えてしまう。

 だから、ストレートに要求するのではなく、賭けという形にした。自分でもずるいなと思うが、達也ともっと一緒にいれるのであればこのぐらいはして当然だと思った。

(もっと一緒にいたいんだもん……)

 それに達也はああ見えて意外と負けず嫌いだ。最初は真面目なだけだと思っていたが、バトルに負けて改善点が見つかればそれを徹底的に補えるまで努力をする姿を見て、それだけではないと思った。三週間という短い時間ではあったが、そういう部分は都度散見でき、きっと今日のバトルで自分が勝てば、達也はラップを続ける。きららの中にはそんな確信めいたものがあった。

 同級生として、友達として、仲間として、そして……とにかくもっと達也と一緒にいられる時間を増やしたい。

 ステージ上のカラオケ大会は終わりを迎え、MCが次のプログラムを読み上げる。

(真由たちのバンド、見たかったなぁ……)

 今朝、昨日のお礼を言おうと真由に話しかけたら、いつもの数十倍ワイルドな声で返事をされた。体調には問題ないと言っていたが、さすがにあの声でボーカルは無理だろう。光一は否定していたが、正直巻き込んでしまったという罪悪感はぬぐえない。でもそのせいで自分が落ち込んでも誰も喜ばないということはわかっている。だからこそ自分はその分も一生懸命頑張らなくてはいけないときららは思った。今朝聞いた話では穴埋めとして、軽音楽部の違うバンドが演奏するとのことだった。

(少し見たらもうステージに行っておこっと)

 集合の時間までは大分早いが、早めに準備するに越したことはない。そう思い、きららがステージに目をやるとそこには見知った顔がいくつも出てきた。

「え⁉」

 出演辞退と聞いていた真由がそこには立っており、首からストラップを下げ、ベースをかなり低い位置で構えていた。音の調整のためにベンベンと鳴らした音がアンプを通って周囲に響き渡る。

「え、え⁉ なんで?」

 続いて光一も登場した。お調子者らしく、観客に手を振りながら余裕の表情を見せている。光一は人気があるようで、一部の女子生徒がキャーと黄色い声を返していた。光一も真由同様ギターに繋がったストラップを首から下げ、ギュインギュインと音の確認をした。

 続いて入ってきたドラムの生徒は知らない男子だった。見たことはあるけど、名前も知らない生徒だ。そしてその後に入ってきた人物を見て、きららは更に驚愕する。

「田中くん……⁉」

 ◇

「キーは原曲で大丈夫だよな。知ってるぞ、お前めちゃくちゃ声でるの」

 カラオケ大会の締めの挨拶の最中、ステージ裏で準備をしながら、光一が達也に向かって言った。

「大丈夫だよ」

「なんだよくそ。頼もしいな! もっとびびれよ! なんで俺より緊張してねぇんだよ!」

 自分より余裕そうな達也が何か癪に障るようで、光一はわざとらしく悪態を付いていた。

「ばだじも……」

「真由はしゃべんなって!」

 何かを言いかけた真由を制止させ、光一は変わらず一人でギャーギャーと騒ぎ立てる。悪態を付きつつもその顔は笑っており、こうしてステージ演奏ができることはやはり嬉

 しいのだと伝わってくるため、差し出がましいかと悩んだが、提案してよかったと達也は

 思った。

「田中くん、本当にありがとね」

 そう声をかけてきたのは木島勇作。ドラム担当で普段は達也とは違うクラスなため、話をするのはこれが初めてだった。

「いや、ごめんね。なんか急にお前誰だよって感じだと思うけど」

 達也がそう話すと、勇作はあははと笑った。何故笑われたのかわからず、達也がぽかんとしていると勇作が口を開いた。

「いや、田中くんのことは知ってるよ。光一がいつもボーカルに誘って毎日断られたって嘆いてたから」

「おい、勇作! 余計なこと言うなよ!」

「いいじゃん。ほんとのことだし」

 正直、光一が自分を誘ってくれる理由は未だに知らない。でも本当に本気で誘ってくれていたのだと今更ながら伝わってきた。

「諏訪原」

「……おお。なんだよ」

 なんだか恥ずかしそうに返事をする光一に達也は覚悟を決めて、言い放つ。

「成功させような」

 正直、反感を買うかもしれない台詞だ。しかし、光一ならわかってくれるという自信があった。このステージを絶対成功させるという強い意志の表れだということを。光一は一瞬ぽかんとした表情をした後、にやっと笑った。

「はっ! 上等! 行くぞ!」

 そして四人はステージに上がった。

 ステージは思っていたよりも高く周囲が見通せて、観客一人一人の表情がよく分かった。まだ文化祭は始まったばっかりだというのに、既にステージ前は大勢の人間が空間を隙間なく埋めており、盛況という二文字がぴったりな状態だった。カラオケ大会にそこまでの人気があったとは思えない。ふと光一を見ると先ほどまでの緊張した様子はどこへやらといった表情で観客に手を振り、かなりの数がそれに応えていた。この客は光一目当てということのようだ。

(やっぱり諏訪原はすごいな)

 中学生の頃も光一は人気があり、周囲には常に誰かがいた。サッカー部でエースということもあって教師からの評判も厚く、男女ともに人気があった。高校に入ってもそれは変わらない。それにその人気に伴うだけの人格者だということも、仲良くなってわかった。そんな彼が自分を必要としてくれている。

 ふと観客席を見渡す。真由目当ての男子も大勢いるようで、真由の名前を叫ぶ野太い声もどこからともなく聞こえた。ベンベン、ギュインギュインと後ろで楽器をチューニングする音が聞こえる中、達也は観客の中にきららを見つけた。

(鈴木さん……)

 きららは随分と驚いた様子だった。

 達也はこのステージに上がることを言っていない。そもそも直前に決まったことだったので、言うタイミングがなかった。だから見てくれているかはわからなかった。だけど達也はきららに見てもらいたかった。

 ここに立てているのはきららのおかげなのだから。

 イントロが始まった。激しいロック調の曲だ。先日、光一に聞かせてもらったときそのクオリティに感動したことを思い出す。あのときはこんなことになるなんて想像もしなかった。曲に合わせて観客が身体を揺らし始める。この曲のキャッチ―なメロディがそうさせている。光一の明るさや元気さがよく表れている曲だった。

 こうして人前で歌うのは何年ぶりだろうか。中学二年生のときだから、二年ぶりのはずだが、もっと長い間、離れていたような気がする。

 もうすぐ歌が始まる。横隔膜を下げる感覚。忘れないものなんだなと思う。いつもより深く息を吸い込む。肺で空気を感じた。

 小学生の頃の自分なら、この状況を楽しんだだろう。

 中学生の自分は物怖じして、逃げ出しただろう。

 彼女に会うまでの自分ならこの場所に立っていないだろう。

(だけど今の僕は違う……ありがとう、諏訪原。君の歌を借りるよ)

 息を一気に言葉にして吐き出した。その声に観客が息を飲んだ。

 のびやかで透明感があり、それでいて力強い達也の歌声が周囲の空間を包んでいく。

 観客のほとんどはその歌声にあっけにとられた。光一のバンドのボーカルには似つかわしくない地味な生徒という印象は校舎上空に飛んでいき、達也の歌声が大勢の生徒の心の中に響き渡っていく。単純な歌の技術や声量、音域などのテクニックを超越し、見る者を引き付ける要素が達也の歌声にはあった。

 それは歌うことが本当に好きだということだ。歌が好きで好きでたまらなくて、歌えているだけで幸せという気持ちが見ている側に伝わり、自然と目が離せなくなってしまう。バンドの助っ人メンバーという立場であるが、今、この瞬間の空間の主役は誰が何と言おうと達也だった。

 一曲目が終わった。曲の演奏が消え、空気が静まり返る。

 段々、まばらに拍手が聞こえてきた。

 パチパチパチ。

 その音を聞いた人間も拍手を始める。その音の波はどんどんと広がって、次第にその場すべてが大きな拍手の海に囲まれていた。

「うわ……」

 久しぶりの人前での歌唱は本当に楽しい。達也が後ろにいるメンバーの方を振り返ると、ふいに光一と目が合った。

「やっぱり、俺の目に狂いはない……と言いたいとこだけどよ! 想像以上だよ、馬鹿!」

「なんだよ、それ」

 照れを隠すように達也は笑う。

「この拍手はほとんどお前に向けられたものだってことだよ」

「……そんなことないよ」

 そんなことはない。確かに今、こうして観客が拍手を送っているのは直接的には達也の歌声に対してかもしれないが、これは自分一人では見られなかった光景だということを達也は理解していた。

 あの日、きららのステージを見なければ、ラップに誘われなければ、光一に誘われなければ、昨日みんなが探してくれなければ、このステージに立つことはできなかった。

 再び観客の中のきららに目をやると、大きな声でこちらに向かって叫んでいた。

「男前! カッコいいぞ!!」

 きららは目を潤ませながら笑っていた。

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