第18話 ねぇ。何か賭けない?

 学校に着くと、もうすでにそれぞれの出し物の仕切り役の生徒は自然と集まっており、段取り確認をしていた。各クラスの朝のホームルームで簡易的に注意事項が説明されればスタートで、あとは教師の介入はほぼなく、生徒の自主性に任せられる。

「売上目標は十万円です!」

 シフト調整などを買って出てくれた女子生徒が相変わらず仕切ってくれている。学級委員という立場上、少し気が引ける部分はあるが、彼女がこういう役目を好きだと以前言ってくれたため、それに甘え、本当に任せっきりだ。

 彼女の目標発言に周囲が「おおお……」と驚きの声を漏らした。

 北大路高校の文化祭は木曜日、金曜日の二日間にわたって行われ、その出し物は多岐にわたる。教室で展示をするクラスもあれば、達也のクラスのように中庭で出店を行うクラスもある。出店をやるクラスには生徒数掛ける千円が支給され、それを元手に材料費を調達するのだが、達也たちのクラスは全員で三十一人、つまり三万千円が学校から支給された。それを十万円にするということは粗利で六万九千円の儲けになる。収益はクラス単位での打ち上げになら使用することが許可されており、それを用いた打ち上げは高校生にとってはかなり豪華になり、とても魅力的だった。

 彼女の声に周囲の人間が奮い立った。

「客引きは任せろ」「知り合い全員に声かける」など、前向きな声が教室中に飛び交い、達也は彼女のリーダーシップを見て、自分より彼女の方が学級委員に向いているなと苦笑いした。

「おはよ」

 ふと声をかけられ、振り向く。そこには達也同様、振り切れた表情のきららが立っていた。

「いよいよ本番だね」

「そうだね。昨日は……本当にありがとね」

「いいよ。田中君には頼ってばっかだったし、たまには頼られるのも悪くないよ」

 きららが気恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻いた。

「あと、音源もありがとう。結局任せきりになっちゃったし」

 今日の本番はCDに入れた数曲の中からランダム再生でビートを決定する。そのビートの候補は二人で選んだため公平性に問題はない。そのCDの作成作業はきららが全てやってくれた。そしてそのビートでバトルをし、観客である生徒の拍手で勝敗を決定する。MCは文化祭実行委員に知り合いがいるときららが頼んでくれた。その原稿も用意してくれており、達也が本番前にやることは特段なかった。

「いいよん。ちゃんと再生されるかは心配だけどね。あはは」

「ちゃんとテストしてくれるだろうし、問題ないよ。最悪、リズムキープだけ誰かがしてくれたら何とかなるしね」

「おお。強気じゃん。わたし、負けないよ」

「僕もだよ」

 そういって二人は目を合わせた。一瞬真剣な空気が二人の間に走るが、すぐにその雰囲気に耐え切れなくなり、きららがぷはっと笑った。

「ねぇ。何か賭けない?」

「え?」

「負けた方は勝った方の言うことを何か聞くの。勿論お互いにできる範囲で」

(別に賭けなくてもいつも鈴木さんの言うとおりになっているけどな……はは)

 勝算は正直ない。初めて三週間しか経っていない自分がきららと同じ土俵で戦うこと自体が無茶なことだという自覚もある。しかし、今日は引くことはできなかった。自分を追い込むという意味も込め、達也はきららの提案を承諾した。

「いいよ」

「おっけ決まり! 出番は十二時で諏訪原君たちのバンドの次だから、それが始まる前にまた連絡するね。多分十一時半すぎぐらい!」

 そう言い残し、きららはクラスメイトの輪の中に入っていった。今日は達也もきららも出店のシフトは入っていないため、ステージの時間以外は完全に自由だ。

(そういえば、諏訪原はどこだ?)

 ふと光一の姿が見えないことが気になった。普段ならこういうとき、いつも中央あたりで賑やかしをしているのに。あたりを見渡すと、珍しくすみっこの方で何か考え事をしている光一が目に入った。昨日のことについてお礼を言おうと思い近づくと、なんだか浮かない顔をしている。

「諏訪原」

「おお、達也おはよ! 昨日めそめそしてたくせに今日は元気じゃん!」

 達也が声をかけると、諏訪原は途端に元気そうな声を出し、いつもの調子でからかってきた。だが、先ほどの顔がなかなか頭から離れない。

 昨日、きららと一緒に自分のことを気にかけてくれたことは本当に嬉しかった。だからもし、何か困っているなら力になりたいと思った。

「うん。おかげ様で。昨日はほんとにありがとね」

「なんだよ、そんな素直に礼なんて言うなよ。まじな話、俺たちは何もしてないからさ。全部鈴木の愛の力だよ」

 茶化す光一に構わず、達也は言葉を続けた。

「なんかあったのか? なんか諏訪原の方がさっき元気なさそうだったから」

「お前……そんな気を使える人間だったっけ?」

 光一が目をぱちくりさせながら聞いてくる。

「なんだよ、失礼だな。僕だって友達の心配ぐらいするさ」

「あはは。お前ほんと変わったな。愛ってすげぇな」

「茶化すなよ」

「いやいや、まじだよ」

 そう言いながら光一は笑った。そして光一の悩みの種はすぐにわかった。

「˝お˝は˝よ˝うぅぅ」

 突然横からうめき声が聞こえてきた。驚きながら、声の方を見ると、いつものように可愛らしい表情の真由がいた。

「おはよう中原さん。昨日はありがとね」

 光一同様、真由も自分を心配して時間を割いてくれた。達也はそのことに感謝し、お礼を告げる。

「ぜ˝ん˝ぜ˝ん……ぎ˝にじ˝な˝いで!」

 飛び切りの笑顔で真由が言う。その愛くるしさと対照的にうなるような重低音が空気を振動させ達也の耳に飛び込んでくる。ガラガラという表現も生ぬるいほどに掠れたその声は痛々しさすら感じられた。

「え、中原さん……声、大丈夫?」

「˝あ、˝う˝ん! だ˝いじょ˝うぶ……」

「あーもう話すなって。熱はなくて体調は問題ないらしいからいいんだけど、声だけはどうしても出ないみたいでさ。昨日、帰ってから練習しすぎて声枯らしたらしいんだ。このばか」

「ばがどば˝な˝んだ! ばがどは……!!」

「あーもうしゃべんなって。悪化しちゃうぞ」

 悪態を付きつつも、光一の言葉からは本当に心配する様子が伝わってきた。

「いや、昨日雨の中、僕のこと探してくれたからだよ……ごめん」

 昨日光一たちが橋の下についたとき、傘もささずににびしょ濡れの状態だった。夏とはいえ、体調に影響があってもおかしくない。この事態は自分が招いてしまったことだという気持ちが拭えない。

「いや、こいつが頑張り過ぎたからだよ……ま、さすがに歌える奴は他にいねぇし、今回は辞退だな! お前たちのステージ楽しみにしてるからよ」

 あっけらかんと光一が言い放つ。達也に心配をかけまいと隠そうとしているが、その顔からは落胆の色がにじみ出ていた。

(いや、絶対僕のせいだ……)

 自分のせいで、友人が大事なものを諦めようとしている。そしてそのことで自分に心配をかけまいと気まで使われている。ふと昨日の花梨の言葉が脳裏によぎる。

『自分のことを大事にしてくれる人を、大事にしなよ』

(そうだ。諏訪原は友達だ。僕のことをいつも助けてくれる恩人だ。その恩を少しでも返すために……)

 そう考えた末、覚悟を決めた達也はある提案を光一にした。


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