第17話 鈴木さんは僕の……
午前六時。
アブラゼミのけたたましい鳴き声で達也は目を覚ました。
カーテンを揺らしながら、窓からこの季節にしては涼しい風が入ってくる。既に外は明るく、窓を開けると昨日の雨が嘘だったように快晴といって差し支えない空が広がっていた。また、その空と同様、達也はとても晴れ晴れとした気持ちだった。これほどまでに清々しい気持ちで朝を迎えたのはいつぶりだろうか。きっと昨日、何年かぶりにあれほどの涙を流したことが原因なのだろう。憑き物が落ちたという表現は本などでよく目にしていたが、まさに今の自分はその状態だと思った。
達也が伸びをしているとスマホから通知音が鳴った。画面にはきららの名前が表示されている。昨日、達也の体調を心配してくれたメッセージは結局、既読をつけたまま返信をしていない。その下に「おはよう」とたった今受信したメッセージが表示された。集合時間は別に早いわけでもなく、普通の登校時間でも余裕で間に合う。よってこれだけ早く起きる必要もないはずなのに、まるで見ていたかのようなタイミングで送られてきたメッセージにふと笑みがこぼれた。
『おはよう。昨日はありがとうね』
そう達也が送信すると、間髪入れずに謎のキャラクターのスタンプが送られてきた。白い熊のようなキャラクターが満面の笑顔で「ヤー」と謎の掛け声を言っているスタンプだ。女子高生の間で流行っているキャラクターではあるが、達也はそういう流行には疎かった。
メッセージアプリに搭載されている初期からあるスタンプを達也も送り返す。するときららがまた同じメッセージを送ってきた。永遠に終わりそうもないスタンプ合戦を切り上げ、達也はリビングへと降りていく。
「あれ、お兄ちゃん今日早いんだね」
既に食卓につき、朝ごはんを食べていた翔子が声をかけてきた。吹奏楽部の朝練があり、いつもこの時間には朝食を済ませつつある。
「うん、なんか起きちゃった」
「ふーん」
「おはよう。達也ももう食べる?」
カウンター式のキッチンから優子が顔を出した。
「そうさせてもらおうかな。ありがとう」
そういってテーブルに座った。
「今日が本番なんだっけ? あー、見たかったなぁ」
言いながら翔子が目玉焼きをほおばった。一瞬残念そうな顔を見せるが、口の中に広がるうまみにすぐに笑顔を取り戻す。
「ほんとよね。私も見たかったわ。今からでも変わってもらえないかしら……」
優子もそれに同調する。日付を勘違いしていたようで、うっかりシフトを入れてしまっていた。
「まぁまた機会はあると思うよ」
そんな二人に達也は何の気なしに言う。
最初は文化祭までのつもりだったが、今は今日が終わってもきっとラップとは関わっていこうと思う。どういう形になるかはわからないけど、これだけハマった自分の大事なものを今日だけで辞めるということは今の達也には考えられなかった。
「……」
翔子が目をぱちくりさせた。達也の発言にあっけにとられたようで、手に持った箸の動きが止まった。
「お兄ちゃん、なんか楽しそう」
「え? そうかな」
自分では意識をしていない。しかし、そう指摘をされるということは何か漏れ出るものがあるのだろう。
今日、久々に人前に立つ。そのことを想像しても、今の達也に恐怖はなかった。あるのは高揚感と折角やるのであればきららに勝ちたいという前向きな闘争心だった。自分でもこれだけ考え方が変わるものなのだと驚く。楽しそうという言葉は今の達也をざっくりと表現するにはぴったりの言葉かもしれない。
「彼女が出来たらこうも変わるのか……私も彼氏欲しい……」
「そんなのじゃないよ」
「え、そうなの⁉ じゃぁ、なんなの?」
そう聞かれ、達也は少し考えた。自分にとってきららという存在はなんなのか。
初めてあったときは「ただのクラスメイト」だった。世間一般でいうと今は「友達」になるのだろうか。だが、きららと自分との関係をそれに当てはめてもいまいちピンとこない。
きららは自分のことを「パートナー」と呼んだ。それは部活の仲間を集めるための「協力者」であり、学校には現時点で一人しかいない「仲間」ということなのだろう。達也にとってもそれは同様だ。
勿論「パートナー」であり、「仲間」だ。今日のステージは部活の仲間を募るためであり。決して優劣を決めるものではない。
だけど今日だけはきららのことをこう思いたかった。彼女に引け目を感じることなく、対等な存在として横に並び立ちたいと強く思う。
「鈴木さんは僕のライバルだよ」
そう達也は翔子に言い放つ。紛れもない本心だったが、恋愛ごとに興味津々の女子中学生の妹のお気に召す回答ではなかったようだった。翔子はとても冷めた顔になった。
「なにそれ? 意味わかんない」
妹のリアクションを見て、自分の発言がなんだか恥ずかしくなってしまった。
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