第16話 わたしたちパートナーなんでしょ!

「なるほどね……」

 達也の話を聞き終えた花梨がそう呟いた。

 達也は目の前を流れる鴨川を見つめた。どんよりとした空が反射した鴨川は茶色く濁って見え、いつものような清涼感はない。まるで今の自分の気持ちを表しているようだなと思った。

 花梨に遭遇したとき、すぐにその場を立ち去ろうと思ったが、首根っこを掴まれ強制的に連行されてしまい、あっという間に、橋の下の岩に座らされた。気分がどん底だったのを顔から見透かされたのかわからないが、花梨は何を言うでもなく、まず「話しな」と一言発した。その有無を言わさぬ勢いにしどろもどろになったが、話をしてしまった。中学生のときのこと、昨日工藤にあったこと、今日、きららやラップ、その他の人間関係から逃げていること。それらを全て吐露してしまった。

「準備しな」

「え?」

 花梨は手に持っていたスピーカーを地面に置き、スイッチを押した。聞き覚えのあるビートが流れ出した。

「次の小節からいくよ。先攻は私。あんたは後攻」

 雨が降り出してきた。勢いはさほどないが、川に落ちる雨粒がぴちゃぴちゃと音を立て、周囲の雑音をかき消していき、相対的に橋の下におけるスピーカーの音の割合が増していく。いやでも音に集中してしまう。

「自分のことを大事にしてくれる人を、大事にしなよ」

「え?」

 花梨のフリースタイルが始まった。内容は達也への罵倒。今聞いた内容を全て盛り込み、的確に達也のウィークポイントを責め立てる。弱虫で、過去のトラウマを克服できず、未来をも捨てようとしているそんな愚かな人間への罵倒だった。

 達也の番が回ってきたが、何も話すことはできなかった。花梨のいっていることが全て正論だと自分でわかっているからだ。反論しようにも材料が一切ない。達也の番の八小節、全て棒立ちで終わってしまった。

(わかってる……わかってるんだ……)

 そして再び花梨の番になる。花梨はさっきの罵倒に引き続き、達也の取捨選択の甘さについて言及してくる。

 達也にとって大事なものは一体何なのか? 自分を陥れた中学の同級生の言葉と、今自分を信じてくれている人間の言葉はどっちが重いのか。何を一体大事にしてるのか。

 信じる人間を間違ったやつも愚かだと、きららのことまでもディスられてしまった。

 花梨のターン中、取り留めのない思考が達也の頭を延々とぐるぐる回っていた。そしてその思考の中に飛び込んできた、花梨の明確なきららへのディス。三週間という短い間だが、それでもきららは常に達也のことを考えてくれていた。

「彼女は……」

 だから、自分がどんなに弱いくそ野郎であっても。何を言われたとしても。自分自身が彼女から逃げていたとしても。

「彼女のことを悪く言うのは……」

 他人にきららが悪く言われるのは許せなかった。

 堰を切ったように言葉があふれだす。

 ふいに先々週の出来事を思い出した。花梨との初対面のときのことだ。きららに強引に連れてこられ、サイファーに参加させられた。あのときも、きららを馬鹿にされたことがきっかけで言い返した。

 しかし、あのときとは決定的に違うことがあった。

(冷静ではないはずなのに……)

 反論の言葉が音楽に乗り、すらすらと口から出てきたのだ。以前は頭に血が上り、自分でも何を言ってるのかわからなかったが、今は自分から出るすべての言葉を音楽に乗せ、相手にぶつけることができる。

 それは、あれからきららとの仲が深まったということもあるが、何より、この三週間の練習の成果がそこに表れていた。 

 ラップを好きになり、音楽に向き合った時間が確実に達也の糧となっているという証明だった。

(僕は……こんなに……ラップにはまってたんだ……)

 自分がどれだけラップに向き合ってきたかを達也は再認識した。

 そして同時に、かつて歌を捨てたように、また大事なものを手放そうとしている自分に気付いてしまった。

 再び、花梨の番になった。達也の反論を見たその顔からは、少しの笑みがこぼれていた。しかし、勝負は勝負といった様子で、たたみかけようと言葉を紡いでいた花梨の発言が急に止まった。スピーカーの音と雨音だけが周囲に響き渡る。

 急にバトルをやめた花梨の顔を達也は訝しげに見た。ふいにその顔がにまと笑った。視線は達也の後方に向けられている。気になって視線の先に顔を向けた。

「なんで……」

 そこには全身ずぶ濡れのきららが立っていた。なぜこの場所がわかったのかと疑問は沸いたが、先ほどの様子を思い出し、すぐに花梨が知らせたのだと察しがついた。

「なんではこっちのセリフだよ!!」

 叫びながらずんずんときららが達也に迫ってくる。

 肩で息をしており、ここまで走ってきたことが容易に想像できた。きららはそのまま達也のみぞおち付近に頭突きをくらわした。

「うがっ!!」

 頭突きの衝撃に耐え、みぞおちで止まったきららの頭を見下ろす。きららの身体は震えていた。

「なんで話してくれないの!!」

 きららが下を向いたまま叫ぶ。

 橋の下に声が響き渡った。これまでに聞いたことのないきららの声だった。

 この三週間、色々なきららを見てきた。仲間がいないと寂しそうに話す顔。達也が一緒に文化祭でやるといったときの嬉しそうな顔。初めてサイファーをしたときの、わくわくした顔。一緒に映画を見たときの泣き顔。達也の昔の話をきいたときの顔。だが、今の彼女はきっとそのどれにも当てはまらない顔をしているのだろう。

「なんだよ! もっと頼れよぉ! わたしたちパートナーなんでしょがぁ……!」

 震える声できららが叫んだ。

 感情が高ぶっているためか、その口調もこれまでに聞いたことがないものだった。

「……そうだね。ごめん……」

 思い出される中学のときの記憶。

 しかし、今、目の前にいる彼女はそんな過去よりも何倍も大事で、信じられる。自分が逃げ出しそうなときに、ぐいと引っ張ってくれる。やはり出会ったときからきららの強引さにはずっと助けてもらっていると改めて達也は再認識した。

「わたしは……何があっても田中くんの味方だから……パートナーなんだからぁぁ……」

 その達也の声をきっかけにきららの涙腺が崩壊した。それを見て、真由と光一がきららに駆け寄る。

「え、なんで?」

「なんでじゃねぇよ。達也―。女泣かしちゃダメなんだぜ」

「えーん……真由ぅぅぅぅ!」

「よしよし。田中くんも反省してるみたいだし、今は許してあげよ」

 泣きじゃくるきららを抱きしめながら真由がなだめていた。きららよりも身長は低いが、真由にはそうさせてしまう圧倒的な母性が備わっている。

「学校のお友達?」

「あ、そうです」

「どうも! 諏訪原光一っていいます! 何、お前、鈴木とよろしくやっときながら、こんな美人なお姉さんとも仲良くなってたの?」

「あ、大丈夫。わたし年下興味ないから」

「え、意図せず俺まで振られちゃった……」

 こういうときの光一の調子のいい発言は正直心地よい。

 きららの方を見ると、少し落ち着いた様子で真由の横に立っている。達也はきららの前に立ち改めて頭を下げた。

「ほんとにごめんね……」

「……えい……」

 達也が深々と下げた頭にきららがぽんと手を置いた。そしてそのまま左右に動かしだした。

「よしよし……つらかったね……」

 その言葉に今度は達也の目が熱くなってくる。

 全ては自分のせいだと思っていた。自分が調子に乗って他人を不快にさせたから、その嫌な気持ちが全部自分に回ってきた。因果応報。身から出た錆。そう考え、仕方ないと思いこませることで自分の身を守ってきていた。しかし、今、その防御壁が彼女の言葉によっていとも簡単に取っ払われてしまった。達也の目からぽろぽと涙が零れ落ちていく。

「う……うう……」

 気づけば涙が止まらなくなっていた。

 泣きたかった。辛かった。そう思ってからはもう止まらなかった。

 二年間、堰き止めていたものが一気にこぼれていく。その間、きららは何も言わず、頭をなで続けてくれた。

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