第15話 やっぱり僕には無理なんだよ……
朝、達也が学校に来ていないことに気づいたきららはメッセージを送った。
しかし、そのメッセージは放課後になっても一向に既読がつかなかった。きららの頭の中に昨日の帰り際の達也の様子が浮かぶ。気になって、教師に尋ねると体調不良と本人から学校には連絡があったとのことだった。
(あの女の子に会った田中くん、すごくうろたえてた……中学生のときのこと、まだ忘れられてないんだよね……そりゃぁそうだよね……)
明日は本番だ。音源の用意もある。練習をしないといけないという焦りもある。達也の体調が治ることを信じて、今、自分にできることをやることが一番いいように思えた。
しかし何か妙な胸騒ぎがする。ただの体調不良なら何の連絡もないのはおかしい気がする。あれだけ責任感が強くて、真面目な達也がそんな当たり前のことをないがしろにするだろうか。
(……きっと何か思いつめちゃってる……)
余計な詮索であることは自覚している。踏み込み過ぎだと言われたら何も言い返せない。でもこのまま一人で今日練習をすることはできなかった。
自分と達也はパートナーなのだ。パートナーがピンチだと思うといてもたってもいられなくなった。
外を見るとどんよりとした雲があたり一面を覆っている。スマホの天気予報を確認するとこの後、一雨くるらしい。
(もしかしたら本当に体調不良かもしれないし、そのときはそのときで明日のプランを考えよ……)
そう思い、きららは学校を後にし、達也の家へと向かった。
◇
達也は生まれて初めて学校をサボった。
朝、起きていつも通り家を出て、学校に行こうとしたが、どうしても行けなくなって、鴨川沿いをひたすら歩いた。真面目が服を着て歩いている達也にとってサボるという行為はとんでもない悪行だと考えていたが、やってみればなんてことはない。別に心が晴れるわけでも、罪悪感に押しつぶされるわけでもなかった。ただ、学校に行かなかった日が一日あったというだけだ。
今は誰とも会いたくなかった。
このまま誰も自分のことを知らない街に行けたらどれだけいいかと妄想を繰り返す。無断欠席も考えたが、さすがに連絡がいくと親に心配をかけると思い、学校には体調不良とだけ連絡を入れた。
昼前の鴨川はとても晴れており、いつもなら清々しい気分になっただろうが、今日はそうはいかない。何もやる気が起きない。原因はわかっている。昨日、工藤ひとみに会ったからだ。
工藤ひとみは中学生のころと何も変わらない笑顔で話しかけてきた。
あの笑顔が周囲を魅了し、達也に微笑みかけ、そして達也の大切なものを踏みにじった。本人にはその自覚がないとすら思えた。じゃないとあんな風に何も変わらず接してくることはないと思えた。もし自覚があってそれをやっているのであれば、悪魔だ。
しかしながら、工藤に対する苛立ちは全くない。あるのは自分への嫌悪感のみだ。それは自分がされたことが、それだけ些細なことだと認識しているからだろう。だからこそ、そんな些細なことで歌えなくなってしまう自分の弱さが恥ずかしくて、消えてしまいたくなる。
三条付近まで来て、ふと腰を下ろす。平日だからか普段のようにカップルが等間隔で並んでいるということはなく、辺りに人の姿はない。空を見ると、先ほどとはうってかわってどんよりとした雲が一面を覆っていた。これから一雨きそうだ。
時刻は十五時を回っている。お昼も食べずに歩き続けていたため、少しお腹がすいてきた。鞄の中に隠し持っていたチョコを取りだそうと、チャックに手をかけたとき、昨日きららに貰ったアクリルのルームキーホルダーが目に入った。
「あ……」
そういえば朝、きららからメッセージが体調を心配したメッセージが入っていた。返そうと思ったが、きららに嘘をつくこともためらわれたので、結局未読のまま放置をしてしまっていた。不義理だとも思ったが、今の達也にはそこまでの配慮をする余裕はなかった。
(やっぱり僕には無理なんだよ……)
今の自分の行動が全て逃げだということはわかっている。
工藤から逃げ、人前から逃げ、歌から逃げ、そしてきららから逃げている。
きららのまっすぐさに今向き合う自信はない。昔のことなど気にする必要はない。大切なのは今。全て正論だ。全部わかっている。でもそれを信じて乗り越えるだけの強さを自分に感じることができない。考えれば考える程、思考の泥沼に落ちていく。
(そろそろ学校が終わるころか……)
このままどこまでも歩き続けるのも悪くない。きららなら一人でも文化祭を乗り切れるだろう。それに、きっと彼女の魅力ならすぐに別のパートナーが見つかるはずだと達也は最低だとわかりつつも、自分の行動を正当化する理由を一生懸命探した。
(そんなことを考えても気が楽になるわけでもないのにな……ただの言い訳だ……)
しかし探さずにはいられない。そんな達也が四条の橋の下に差し掛かったときだ。
「あれ? なにしてんの?」
いきなり後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声だった。達也はゆっくりと振り返った。
「……花梨さん」
◇
時刻は十六時を回った。
達也の家の前まで来たはいいが、きららはなかなかチャイムを押せないでいた。未読になったままの達也とのメッセージ画面を見つめる。
(やっぱり迷惑かな……)
自分はこれほどまでに気を使う性格だっただろうか。そんなことはなかったはずだ。やりたいことがあれば周囲を気にせず気が済むまで突き進む。そんな強引さがきっかけで達也も仲間になってくれたはずだった。それに迷惑を気にするのであれば最初から声をかけなければよかった。達也の優しさに甘えて、でも仲間が欲しいという自分の欲望に忠実になった結果なのに、今さら悩むのはお門違いだということも自覚している。
でも、いざ目の前に立つと、一歩が踏み出せなくなる。それは達也の抱えている問題の大きさをここにきて実感したからだ。知らないときはぐいぐい行けたのに、距離が縮まって達也の心の芯に触れたとき、彼が抱えている闇が足元に絡みついてきて動けなくなってしまった。
達也に不快な思いをさせたくない。達也をこれ以上傷つけたくない。
そう考えると、どんどん臆病になってしまう。
「お見舞いなら誘ってくれたらいいのに」
突然後ろから声をかけられた。振り返ると、光一と真由がいた。
「いや、きらら、なんかすごい思い詰めた顔で教室出てくから気になってさ……ごめん、こんなストーカーみたいなことするつもりなかったんだけど……」
真由が両手を合わせ、謝罪のポーズを取った。
「いや、達也のお見舞いなら誘ってくれたらよかったのによ! 俺たちも本番だけど、心配は心配だからよ。あ、鈴木が一人がいいってんなら話は別だけど……がはは! いて! なにすんだよ真由!」
「そういうのいわないの! きらら、光一の言うことは気にしないでいいからね」
空気を読まずに茶化すような声を出す光一の尻を蹴りながら、真由が制止する。
「あはは、いや別に! 大勢で押しかけるのもあれかなーって思っただけだよ」
さっきまでの苦悩を振り払い、取り繕うような声を絞り出す。自分でもわかる程、不自然な笑い方になってしまう。
「それにしても、いい家だなぁ!」
「あんまじろじろ見ないの! ……きらら、大丈夫?」
光一に気づかれないよう、真由がきららにそっと耳打ちをする。
「……何かあったら言ってね」
「……ありがと」
その心遣いが心に染みこんでいく。真由に隠し事はできないなと思った。
「あれ……確か、鈴木さんだったかしら?」
そんな三人のやりとりが聞こえたのか、玄関の扉があき、中から優子がひょこっと顔を出した。
「ほら、光一がうるさいから」
「え、俺?」
「光一しかいないじゃん!」
「ごめんなさい」
「あ、こんにちは。先日はお邪魔しました」
優子に対し、姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「え! 鈴木と達也って既にそういう仲? え、マジ⁉ うわ、言えよなー! 達也のやつ!」
「光一は黙ってて……」
「あら、いいのよ! いつでもまた来てね」
「ありがとうございます。あの、達也くんは……?」
恐る恐るきららが訊ねる。色々な可能性を考えるが、結局、何が一番安心できるのかわからない。今はただ、達也の力になりたい。それだけがきららの行動原理だった。ただ、優子の返事はきららの予想していないものだった。
「ごめんなさいね。達也、まだ学校から帰ってきてないの」
「……え?」
思わず優子の顔を見ながら固まってしまう。二の句が継げないきららを横目に、機転を利かした光一が声をかけた。
「あ、そうなんすか! じゃぁきっとどっかで寄り道でもしてんすね! ちょっとまた電話してみますわ! ありがとうございます! ほら、行こうぜ」
「え、あ、すみません。失礼します……!」
光一に急かされるように三人は駅までの道を戻っていった。
道中、光一がきららに尋ねてきた。
「で、どういうこと?」
「いや、わたしにもわかんなくて……」
スマホを見るが、達也へのメッセージは相変わらず未読のままだ。居場所を知らせてほしいとメッセージを改めて送る。
一体達也はどこにいるのだろうか。探す当てもなく、途方にくれていたとき、きららのスマホが震えた。達也からの返信を期待してスマホを開くと、それは花梨からのものだった。
「四条大橋……」
それは達也の居場所を知らせるものだった。
きららは走りだした。一刻も早く達也に会いたい。自分に何ができるかはわからない。何もできないかもしれない。それでも傍にいたかった。傷の痛みを共有してほしかった。これは傲慢かもしれない。でも、それぐらいのことは許してほしい。
(わたしたち……パートナーなんだから……)
「え、きらら? どうしたの?」
「ごめん! また説明する!」
「いや、俺らも行くから! 達也の場所、わかったんだろ?」
「……わかった! ありがと!」
三人は改札を通り、地下鉄のホームで電車を待っていた。
「ふぅん……中学のときのねぇ」
きららは、昨日中学生のときの知り合いに会ってから達也の様子が少しおかしかったと簡単に状況を説明した。勿論、達也の昔の話や悩みなどは伏せたままで。昨日あった事実だけを淡々と説明しただけだが、光一は妙に納得した様子だった。
「どしたの?」
そんな様子をみた真由が光一に問いかける。
「いや、多分合唱部だったやつだなと思ってよ」
電車がホームに入ってきた。平日の帰宅時間にも関わらず、人はあまり乗っていない。三人は横一列になるよう空いている席に座った。
「真由も諏訪原くんも、田中くんと同じ中学なんだよね」
「あぁ、あいつ、合唱部だったとき、本当に熱心に練習してたからさ」
「あれ、その時も面識あったんだ」
真由が光一に尋ねる。
「いや、あいつは多分俺のこと知らなかったと思う」
光一はゆっくりと話し始めた。
「中学ん頃、雨の日とか学校内で筋トレさせられることも多くてさ。あ、鈴木は知らないかもだけど、俺、サッカー部だったんだよ」
「そうなんだ」
「光一、結構上手だったんだよ」
「そう、俺、上手だったの」
そういって光一はわざとらしく胸を張った。
「学校内の筋トレって、めちゃくちゃつらくてさ。正直、なんでこんなことしなくちゃいけないんだよとか思って、たまにさぼったりしてたんだよ。そんときさ、ぼーっと音楽室の方とか行くと、なんかめちゃくちゃ綺麗な歌声が聞こえてきたんだよ」
「へぇ……」
「どんな奴が歌ってんだろと思って、ちらっとのぞいたら、達也が歌っててさ。あれ、中学二年のときだったかな。話したことも見たこともなかったけど、その瞬間の達也の熱心な顔、俺一生忘れない。それからもちょくちょく音楽室で見かけてさ。あんだけ上手いのに、めちゃくちゃ真剣に練習しててさ。本当にすげぇなと思ったんだ。ハイトーンな声も出して、平気な顔しててさ。多分体力作りもめちゃくちゃ真剣にやってるんだろうなって思って。そんな達也を見てさ、俺も頑張らなきゃなって思えたんだよ」
(変わってないんだな……)
そのときの光景をきららが想像するのは容易かった。
好きなものにひたむきに向き合う達也の姿勢は本当に尊敬できる部分だ。それはこの三週間で何度も何度も見た。
「で、中三になって同じクラスになったときには、既に合唱部は辞めててさ。あんだけ上手かったのにって思って、気になって知ってるやつに聞いたら、なんかいやがらせを受けたって聞いて……」
「いやがらせ⁉」
それは達也が話してくれた内容と違っていた。当人がいない以上、ここで踏み込むのも気が引けたが、つい反応をしてしまう。
(もしかしたら気を使ってくれたのかな……)
きららの中に沸々と色々な感情が浮かんでは消えていく。当時の達也のことを想像した際の苦しみ、悲しみ、寂しさ、無念さ、しかし、それらすべてを押しのけて残ったのは……――
(もっと信用してくれたっていいじゃん! わたしは何があっても田中くんの味方なのにさ……!)
何故、信用してくれないのかという達也への怒りだった。
勿論、これも理不尽な感情だとはわかっている。でも、それでもパートナーなのだ。悩みを話してくれたのは本当にうれしかった。だったら、最後まで信用してほしい。中学の頃の連中とは違うのだと、達也自身に思ってほしかった。
電車に揺られながら、段々と自分の思いが変わっていくのを感じた。最初は達也への心配だった。でも今は直接会って一言文句を言ってやるという気持ちが一番強い。最初から最後まで強引なままで達也に向き合ってやろうときららは改めて心に決めた。
「まぁ詳しくは知らないけどな。でも俺、あいつの歌、もっかい聞きたくてさ。それでボーカルに誘ってたってわけ」
光一が真由に視線を送る。真由はなるほどねと納得した様子だった。
「まぁ結局、鈴木に取られたんだけどさ」
真由があははと笑う。
空気が緩むのを感じた。あまり光一とは話したことがなかったが、周囲の人間を巻き込むほどに明るい人間だと思った。
「大丈夫、田中君を奪った責任は必ず取るよ」
きららは光一に視線を送りながら、言った。迷いはなかった。
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