第14話 久しぶり、元気してた?

 文化祭まであと二日となった火曜日の放課後。達也は私服に着替え、烏丸までやってきた。

(わざわざ着替えて来いって、なんでなんだろ……)

 今日の放課後、いつも通り授業を終え、本番を目前とした練習に向け、気合を入れていた達也にきららが声をかけてきた。

「田中くん! 今日は一回家に帰って私服に着替えて烏丸に集合ね。十七時! よろしく!」

 それだけを言い終わると、きららは教室を後にした。

 理由も何も言わず去っていくきららの背中を眺めながら「ふぅ」とため息を吐く。

 この強引さにもすっかり慣れたものだ。達也が積み重ねていた壁をきららは軽々と乗り越えてくる。烏丸に行かなければいけない理由が気にならないことはないが、聞いたところで行動は変わらない。クラスメイトの女子の会話がふと聞こえてきたとき、好きなタイプは引っ張ってってくれる男性と話していることがあった。わからなくもないなと思う。

「なんだよ、デートか?」

 達也が教室を出ようとしたとき、光一が話しかけてきた。

「そんなんじゃないよ」

「調子はどうなんだよ。明後日本番だけどよ」

「めちゃくちゃ不安」

 達也がそう言うと、光一は手をたたいて笑った。

「自信満々な顔で言い切るなよ! 笑っちまったじゃねぇか」

「いや本当に不安だから。諏訪原の方はどうなの? ボーカルは中原さんがやるんだっけ」

「あぁ! もうやっぱりやらせてくれって言っても遅いからな。ま、来年に向けて練習しとけよ」

 達也は「考えておくよ」と笑いながら返事をした。てっきりいつものように明確な拒否が待っていると思っていたようで、光一は少し面食らった様子だった。

「なんか、お前少し変わったな」

「え、そうかな」

「あ、いや。なんつうか……なんでもない。お互いがんばろうぜ」

 光一が手を差し出す。達也も咄嗟に手を出し返し、握手をする。

(うわ……すごい……)

 光一の手指の皮膚はギターの練習によりマメがカチカチだった。日頃の練習量が伺え、その手から、明後日の本番への熱意が伝わってくる。

(僕も頑張らないとな……)

「あぁ」

 そして達也は教室を後にした。

 ◇

 平日とはいえ、京都を代表する繁華街である烏丸は人通りに溢れていた。遅刻するよりはと思い、帰宅後、すぐに家を出たため、早く着いてしまった。きららとの約束の十七時まではあと一時間もある。コーヒーでも飲みながら待とうと思い、達也は近くの喫茶店に入った。

 喫茶店は大学生や商談中のサラリーマン、主婦のお茶会など色々な客層の人がいた。幸い席は空いていたため、達也はアイスコーヒーを注文し、一人用のカウンター席に座った。

「早く着いたからスマートバックスにいるね」

 そうメッセージをきららに入れると、すぐに読みかけだった文庫本を開いた。

 ここ最近はフリースタイルの練習でこうして本を読む時間が減っていたなとふと思った。達也が読書が好きな理由の一つとして、違う世界に没入できるということがある。こう

 して文字と向き合っていると、周囲の音が少しずつ小さくなっていき、自分だけの世界に入ることができる。そして自分では経験したことがないことを、その言葉たちは体験させてくれるのだ。達也の感受性はそれを一層味わい深いものにしている。

「お待たせ!」

「うわ!」

 そしてその世界の中にいきなりきららの声が飛び込んできた。いつの間にか横に座っていたきららの突然の声に達也の身体が跳ねた。

(なんか前もこんなことあったな……)

 飛び跳ねた身体をよしよしとなだめながら、きららの方を見る。彼女は、先日田中家に来たときとは違い、スポーティーな恰好をしていた。スウェット生地のパンツにTシャツ、肩掛けのバックというラフな格好だが、彼女が来てると何となくおしゃれに見える。

 達也がふと時計を見ると、時刻は十六時三十分を回ったところだった。約束の時間まではあと三十分もあった。

「もしかして急かしちゃった?」

「ううん、全然。わたしもコーヒー飲みたかったし」

 そう言うきららの手には抹茶クリームフラペチーノが握られていた。

「……甘いの飲みたくて」

 ふと言い訳のようにきららが言った。

「いや、別になんとも思ってないよ」

「うそだ。ブラック飲んでる自分と比べたらおこちゃまだなとか思ってるんでしょ」

「そんなことないよ。好きなものを好きっていうのは大事だから」

「それ、田中くんが言う??」

「変かな」

「……ううん。変じゃない」

 そういってきららも席に着いた。

「で、今日はなんで烏丸?」

「えっとね。これ」

 きららは肩掛けバックから紙を取り出した。

「なにこれ?」

 手渡されたそれを見ると、今日の日付と場所、イベント名が書かれてある。「スマイル」というグループのライブのようだった。達也の知らないグループだ。だがそこに書いてあるゲストの名前には見覚えがあった。

「え、花梨さん⁉」

 スマイルは最近若い世代を中心に話題の関西で活動している五人組男性ラップグループらしい。主な活動拠点は大阪だが、今日は初めての京都のライブということで、現地で活動しているラッパーをゲストに呼ぼうとなったところ、集客力や実力を鑑みた結果、花梨に白羽の矢が立ったとのことだ。

「わたしも花梨さんから聞いただけで、そのグループのことはあまり知らないんだけどね。なんか今日ゲストで出るらしくて、それでもらったの」

「へぇ……すごいね」

「本番前だから少し迷ったんだけど、パフォーマンスとか勉強になるかなって思って」

「なるほど……」

 そういわれてふと思う。フリースタイルの練習ばかりしていたが、最終目的は文化祭のステージに立つことではない。ステージに立ち、観客にパフォーマンスをアピールし、興味を持ってもらい新入部員を獲得することである。そう考えると確かにプロのパフォーマンスを勉強できるのはいい機会だ。

(パフォーマンスか……)

 思えば合唱部として舞台に立っていた時も、パフォーマンスというものは特段行っていなかった。勿論全身を使って声を出していたが、それはあくまで直立したまま声を出すという前提があるため、ラッパーの身振り手振りの表現とは根本が違う。ソロに選ばれた時はそうしたものを模索しようとしたときもあったが、結局やらなかった。

 ふと当時の記憶が蘇ってきて、一瞬顔が曇ってしまうが、すぐに切り替える。以前とは明らかに違い、そうした嫌な記憶がずっと頭の中を支配してしまうことがほとんどなくなっていた。少しずつだが忘れることができている。

 これもきららのおかげだなと思いながら横を見ると、飲み物を一気に飲み過ぎたせいか、その冷たさによる頭痛に必死に耐えてるきららの姿があった。

 時刻は十七時を回ろうとしていた。当初の集合時間だ。

「さ、行きますか!」

 頭痛からやっと解放されたきららが言う。

 会場はここから歩いてすぐのところにあり、開場が十七時、開演が十八時だ。少し早いんじゃないかと思ったが、そこは言い出しっぺのきららのリードに従った方がよいかと思い、達也もコーヒーを飲みほした。

 会場は本当にすぐ近くの路地に入ったところにあった。強面のお兄さんが受付をしており、きららが二人分のチケットを見せると、それの半券をもぎり、ドリンクチケットをくれた。

(ライブハウスの受付の人ってなんであんなに強面の人が多いんだろうか)

 そんなことを考えながら地下への階段を降りていく。GMBのときとは違い、今度は何のイベントがやるのかがわかっている分、心持ちが楽だった。それに横にはきららがいる。

 階段の先にはホールがあり、外から見た印象よりずいぶん広い会場だった。キャパシティは二百人程らしい。既にかなりの人が入っており、雑談したり、会場の写真を撮影したりと観客は各々自由な時間を過ごしている。

「どうする? 先にドリンクチケット引き換えちゃう? 別に帰りでもいいみたいだけど」

「うーん、今はいいかな。さっきコーヒー飲んだばっかだし」

「そっか。あ、物販みよ、物販!」

 きららに手を掴まれ、会場後方にある物販コーナーに達也は引きずられていった。

 物販コーナーはかなり賑わっており、一番人気のTシャツは既に売り切れていた。他にはタオルやアクリル素材のキーホルダー、缶バッジなどが置いてあった。

 その中にはCDも並んでいた。スマイルのものと、さらに奥の方に花梨が出した手作り感満載のCDも置かれていた。達也はふとそれを手に取った。

「これって花梨さんが出したってこと?」

「うん。自費出版らしいけど結構売れてるって言ってたよ。わたしもそれは買うつもり」

「そうなんだ……」

 自分とそう年の違わない花梨の活動を素直に尊敬する。達也は花梨のCDだけを手に取り、レジに向かった。五百円をレジの女性に支払い、CDを受け取る。

「何買ったの?」

 先に会計を済ましていたきららが訪ねてきた。

「花梨さんのCDだけ。鈴木さんは?」

「わたしもそんな感じ。最近金欠なのです」

 さっきスマートバックスでグランデを頼んでいたのにとは口には出さない。

 ステージの方に向かう。前方は既に人で溢れていたため、中央より少し後ろの方で開演まで待つことにした。

「結構年齢層バラバラなんだね」

「え?」

「いや、お客さんの。僕たちみたいな高校生もいればおじさんもいる」

「あー、そうだね。なんか噂じゃ若い世代に人気らしいけど。まぁでも色んな人が興味を持てるのはいいことです」

「なにそれ」

 いいことを言ったみたいな感じできららがうなずいていると、照明が暗くなっていった。

 メンバーが舞台に上がると、「キャー‼」と最前列付近にいた若い女の子たちが黄色い歓声を上げた。その反応はまるでアイドルのコンサートだ。五人組の男性はその反応を当たり前のように受け取る。それは達也の知っているラッパーのイメージとは大きくかけ離れていた。服装や態度、髪型などの雰囲気は流行のユーチューバーのようで、少し軽い印象を受けた。

 しかし、曲が始まると仮にもプロとして活動しているだけあってそのパフォーマンスに引き込まれた。一つ一つの曲のクオリティも高く、しっかり決めるところを決めて、ファンへのアピールも忘れない。MCも適度に笑いを取りつつ、自分たちも含めて会場全体が盛り上がれて、楽しめるようとことん配慮されたライブだった。その人たちの「好き」が詰め込まれており、達也にとってもとても楽しいライブだったし、パフォーマンスの勉強にもなった。

(これが自分にできるかは置いといて……)

 こうした実力を見せつけられると、服装や態度、髪型も全て戦略のように思えてくる。人気や話題はあるには越したことがない。こうした実力も見てもらえなければ意味がないのだ。

 何曲かのあと、花梨がゲストとして参加する楽曲になった。

 かなりヒップホップ調の曲で、それぞれがMCを担当するパートが分かれており、花梨のラップスキルがかなり発揮されている曲になっていた。普段の花梨、サイファーをする花梨やGMBのステージの上の花梨のどれとも違う花梨がそこにはいた。ゲストでありながらもスマイル本体を喰らうほどの迫力を見せ、そしてそれに影響され、スマイルもヒートアップしていくというとてもよい相乗効果がそこに生まれていた。それらを計算して花梨を誘ったのであれば凄い策士がいるもんだなと達也は思った。

 あっという間の一時間が過ぎた。結果、最初に感じていた不安は杞憂に終わり、ヒップホップライブとしてとても完成度の高いものを見せつけられた。

「すごかったね!」

 きららも満足したようで、とても良い笑顔を達也に向けてきた。

「そうだね。すごかった……」

 花梨に挨拶に行きたかったが、生憎会場の退出時間が迫っているとのことだったので、渋々二人は会場を後にした。

「申し訳ないけど、僕の分も花梨さんにお礼言っておいてもらえるかな? 僕、連絡先知らなくて」

「おっけ!」

 会社帰りのサラリーマンに交じって、駅に向かった。会場と駅は近い場所にあるため、すぐに着いてしまう。どちらからともなく、二人の歩く速さはいつもの半分以下になっていた。まるでこの時間がずっと続いてほしいように。

「明後日だね。本番」

「だね」

「不安?」

「不安って言ったら、今から辞めてもいいの?」

「いいわけないじゃん。あはは。あ、これ」

 そういってきららが鞄から取り出したものを達也に渡した。

「え、これ」

 それはさっき会場で売っていたアクリルのキーホルダーだ。ホテルのルームキーを模しており、一本の四角の棒状になっている。

「えっと……、記念だよ記念! ほらわたしも!」

 そういってきららが同じものを手に掲げた。赤色の棒状のルームキーホルダー。心なしかその顔も赤色に染まっている。ちなみに達也のものは青色だ。

「え、いいの?」

「……うん。あ、ちなみにわたしは鞄につけるから、よかったら田中くんもそうしたら⁉」

 勢いよくきららがそう薦めてきた。

「え、あ、うん。あの、ありがとね」

 おとなしくそれに従い、学校指定の鞄にそれをつけた。その様子を見てたきららは何やら満足気だ。

 駅に着いた。きららと達也は反対の乗り場だ。改札の前でまた明日と別れようとしたとき、ふいに声が飛んできた。

「田中くん?」

 久しぶりに聞いたその声は以前と何も変わらず、全てを包み込むような清らかさに満ちていた。

 しかし達也にとっては違う。その声を聞くと心に直接針を刺されているような感覚に陥ってしまう。かつては一生忘れることができないとすら思った。その声、その話し方を聞くと一瞬であのころの記憶が蘇ってしまう。

 達也は声の方向を恐る恐る振り返る。

 そこには中学の頃の部活仲間、達也が歌うことができなくなった原因の一端であるかつてのクラスメイト、工藤ひとみが立っていた。

「久しぶり、元気してた?」

「あ、うん……」

 怒られている子どものように委縮してしまう。一刻も早くこの場所から離れたい。そう考えるが足は動かない。内臓が全て口から飛び出してしまうような緊張を覚えてしまう。  

 そんな様子を見て、異常さを察したのか、きららはこの場所から早く離れるよう促した。

「すいません、わたし達、急いでて……行こ、田中くん」

「あ、ごめんなさい。それじゃ、田中くん、またどこかで」

 そう言うひとみの姿を視界に捉えず、二人は地下鉄への改札を通っていった。

 ホームで電車を待ってる間も一向に様子は戻らない。きららが戸惑いながらも口を開いた。

「……言いたくなかったら全然いいんだけど、さっきの田中くんのお知り合い?」

「あ、うん……中学のときの……」

「……そっか。ごめんね」

「なんで鈴木さんが謝るの?」

「いや、わたしは何もしてあげられないから……」

 そんなことはない。

 きららには何度も何度も助けてもらった。

 それなのに、ひとみにほんの数秒声をかけられただけで、その姿を見ただけで、これほどまでに身体や心が暗闇に支配され、きららの厚意を無碍にしてしまう自分の弱さにげんなりしているだけだ。

 やはり自分は人の前に立つべき人間ではないという考えがどうしようもなく強くなっていく。ここ数日、きららに支えられ、色んなことを行ってきた。とても楽しかった。でも、やっぱり……

「どうしようもないんだ……」

「え?」

 電車が来た。

 達也が帰る方向である国際会館行の電車だった。

 掠れるような声で、「今日はありがとう」ときららにお礼を言うと、達也はそれに乗り込んでいった。電車の扉が閉まるまで、達也はずっと俯いたままだった。

 目の前にきららがいるのに、彼女の姿を捉えることができない。自分のような人間はやはり彼女の横にいてはいけないのだと思ってしまう。

 帰路のことはほとんど覚えていない。心ここにあらずといった様子で家に着き、自分の部屋に入るやいなや、達也は持っていた鞄を放り投げ、ベットに倒れ込んだ。

 中学生のときの記憶がどんどん蘇ってくる。

 かつて、あれだけ熱意を持って取り組んでいた歌。それを簡単に捨てた自分。そしてそれを取り戻せるかもしれないと思っていた最近の自分が頭の中に浮かんでは消えていく。 

 どうしようもない自己嫌悪が達也を襲ってくる。

 自分は強くもなんともなくて、ただきららのまっすぐさに便乗していただけだ。こうして嫌なことを思い出すと、手足がすくみ、声が出なくなる。明後日の本番なんて到底無理なんだ。

(僕は結局……何も変わってなんかいなかったんだ……)

 その日はそのまま沈むように夢の中へ落ちていった。

 次の日、達也は学校に行かなかった。

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