第13話 僕も字幕派だよ
「あらあらあらあら。どうぞどうぞ……!」
「え! 誰! お兄ちゃんの彼女⁉ 嘘! こんなかわいい人がお兄ちゃんの彼女なわけない!」
「すみません、突然お邪魔してしまって!」
「いえ、全然いいのよ。あ、飲み物お茶とかでいいかしら。お菓子も何かあったかしら」
「あ、いえ。お母さん、本当にお構いなくで大丈夫ですから!」
「あらやだ。お母さんだなんて、嬉しいわぁ」
「もういいから! 鈴木さん、こっちだよ」
物珍しさから少し興奮気味に構ってくる母と妹をあしらい、きららを部屋に通した。
普段から綺麗に整頓しているため、急な来客でも一応対応はできるが、正直驚いた。何故、家の前にいたのか。そもそも何故、達也の家がわかったのか。
「いや、そのストーカーとかじゃないんだよ! ブルーレイを受け取ったのがたまたま北山駅で、田中くんの最寄りだなーって考えて、でさ、なんとなく散歩してたの。そしたら、田中って表札があってさ。で、そういや住所を前に有志のメンバー記入の紙で見たなーって思って……あぁ、何言っても無駄ですよね! わかってるよ! ドン引きですよね!」
「いや、別に引いてはないよ。びっくりはしたけどね」
「……ごめんなさい」
キャラ崩壊気味にきららがまくしたてる。
別にドン引きもしていないし、ましてやきららが自分をストーキングするなんて考えていたわけでもない。もしこれをクラスメイトに知られた時になんと言い訳をするべきかを必死に考えていただけだが、結果的に引いたような沈黙になってしまった。
「ほんとに気にしなくていいから」
普段の強引さとの対比で、なんだかきららがシュンとしてると調子が狂う。いつも元気でいろとは言わないが、遠慮がちな態度はきららには似合わない。
「さすが! 田中くんは神様だね!!」
(ここまで切り替えが早いとなんだかなとは思うけど……)
改めて同級生の中でも一際人気のクラスメイトの女子が部屋にいることに異常さを感じる。
初めて見たきららの私服はイメージと違っていた。GMBのときに見ているので正確には二回目だが、達也の中で、きららの私服のイメージはオーバーサイズのTシャツを着こなしている所謂ボーイッシュのものが強かった。しかし、目の前のきららは季節に合った爽やかな水色のフレアスカートに、上は白のブラウスといういわば清楚系の服装だった。また、肩の部分がちらと露出しており、普段あまり意識していなかったガーリーさを感じてしまい、この異常な状況も相まって少し緊張をしてしまう。エアコンをかけており、室温は快適なはずなのに、なんだか変な汗が出てきた。
「田中くんって、本当に本が好きなんだね」
「え? うん、好きだよ」
きららが達也の部屋を見渡しながら言った。
達也は日課として読書を趣味としている。特定のジャンルの本を読むというわけではなく、広く興味を持ち、読みたい本があればとりあえず読むと言った読書スタイルだった。そのため、達也の部屋の本棚には、漫画本から洋書まで様々なジャンルの本が並んでいる。几帳面な性格のため、ジャンルごとに作者名の五十音順に並べられている様はまるで本屋さんのようだった。
人に自分の趣味を理解されるというのは嬉しいことではあるが、なんだか気恥ずかしくもある。友達がこの部屋に来ることはあまりないし、家族ぐらいにしか見られることはないため、なんだか自分の癖を暴かれるような気分になってきた。
「……恥ずかしいからあんまり見ないで……」
「え、なんで? 本当に凄いよ。だからあんなに言葉を知ってるんだなって思って。本当に尊敬する」
思っていたより真剣な言葉が返ってきて、少し達也は困惑する。しかし、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいため、とりあえず話題を変えようと思った。
達也の部屋には来客用の椅子がないため、とりあえず普段使っている学習椅子に座るように促し、達也自身は床に腰を下ろした。
「……で、映画を見たいんだっけ? 何の映画?」
「あ! そうそう! えっとね……これ!」
そういってきららは鞄からブルーレイディスクのパッケージを取り出した。てっきりラップやフリースタイルに関係する映画だと思っていたが、どうやら違うらしい。そこには大勢の観衆の前でステージに立っている男が、マイクを持ち天を仰いでる姿が描かれている。何年か前に流行った映画で、達也もそのパッケージは見たことがあった。七十年台から八十年代にかけて実際に活動していたイギリスのロックバンドの伝記映画だ。バンドの結成から解散前に行われた伝説と呼ばれるロックフェスまでの紆余曲折を描いている。
「なんかめちゃくちゃ感動するって聞いてさ。ずっと見たかったんだよね」
「そうなんだ……」
(なんでこのタイミングで⁉)
本番まで一週間を切っている。いくらずっと見たかったとはいえ公開中の映画でもないのだからいつでも見れるじゃないかと思ってしまう。そんな達也をよそにきららは初めて見たポイステ5に興味深々だ。適当なスイッチを押し、大きな電子音が鳴ったことにびっくりしている様子はまるで猫のように少しの愛らしさまで感じる。
(まぁ……せっかくなら楽しむか……)
女子と話をするのは相変わらず苦手だ。しかし、やはりきららとは普通に接することができる。それはきららに裏表がないことが伝わってくるからだろう。直情的で強引で、やりたいことは、とにかくすぐに行動に移す。思えばそれに巻き込まれたことはこの短い期間で既に数知れずだが、なかなか行動に移せない達也にとっては助かっている部分もあった。
「それじゃないよ。コントローラの真ん中のロゴのボタンを押してみて」
「え、これ? うわ!」
ファンの回転音とともにポイステ5が起動する。中に入っているきららから借りたバトルのDVDを取り出した。
「あ、ごめん。ずっと借りてた。返すね」
「あ、いいよいいよ。まだ見るなら返さなくていいよ?」
「ありがと。じゃぁ文化祭が終わるまで借りてていい?」
「大丈夫です! そもそも録画データはまだレコーダーに残ってるから、見ようと思えば見れるしね」
借りたDVDはもう十回以上、目を通している。だが正直勉強のためにはもっと見たいため、厚意に甘えることにした。
映画のディスクを入れると、洋画でよく見る制作会社のロゴが流れ、タイトル画面が表示された。
「おおおお!!!」
露骨にテンションの上がっているきららをよそに、達也はそのまま再生ボタンを押した。
再び制作会社のロゴが流れ映画本編が始まった。最初のシーンに差し掛かり、俳優が台詞を吐いたとき、きららが「あっ!!」と大きな声を出した。
「どしたの?」
「いや、日本語吹き替えだなって思って……」
「あー……鈴木さんどっち派?」
ちなみに達也は生粋の字幕派だ。俳優の声や演技、言い回しなやニュアンスなどを感じることができ、その映画の魅力を百パーセント感じることができるのは字幕の方だと考えている。ただこの映画を見たいと言ったのはきららのため、彼女の主義に合わせようと思っていた。
「えっと、字幕派です……」
「あ、そうなんだ。ごめん、じゃぁ変えるね」
「あ、田中くんは字幕でよかった?」
きららが遠慮がちに聞いてきた。
(あれだけ強引なくせに、変なところで気を使うんだよな……)
「うん、僕も字幕派だよ」
達也がそう言うと、きららはにかっと笑った。
「よかったー! 一緒に映画行けるね!」
「え? あぁ、うん。そうだね」
そんな機会が今後訪れるかはわからない。しかし今からそうなったとき用に、他の男子に恨まれないよう、言い訳のバリエーションは増やしておこうと思った。
映画を再開する。
最初はこの異常な状況を考えてしまい、集中できるか心配だったが、そんなことは杞憂に終わった。二時間を超える映画だが、夢中になってしまい、エンドロールまで一瞬で過ぎ去っていった。
まず、冒頭でのバンド結成のシーンからその歌のクオリティに引き込まれた。
本当に楽しそうに主人公は歌をうたい、加入したバンドのメンバーもそれを受け入れ、成長していく。ともに成功を目指すビジネスパートナーでありながらも、男同士の友情も育まれていく、対立と和解を繰り替えしながらバンドはどんどん成長していった。
そのクオリティからファンの数も爆発的に増えていったバンドに障害は全くないように見えた。しかしバンドが大きくなればなるほど、メンバーとの軋轢も増え、妻との結婚生活にも問題が発生し、主人公はどんどんコンプレックスを抱え、それをごまかすかのように横柄な態度を取るようになり、孤独になっていく。そしてそこに付け込んだ似非の仲間とつるみ、依存していくようになる。
しかし、病気により、自分の命が残り少ないと知ったとき、本当に自分のことを大事に思ってくれているのは誰かということに気づき、バンドメンバーに謝罪する。メンバーはそれを受け入れ、かつてのように皆で音楽を愛し、ロックフェスの観客の前で本気の演奏をぶつけたところで映画は終わった。
気づけば達也は静かに涙を流していた。圧巻のパフォーマンス、そこにいたるまでの主人公たちの苦悩の過程、それを支える周囲の人間の暖かさ、そのどれもが達也の感情を揺さぶった。きららがいる手前、なんとか踏みとどまったが、もし一人で見ていたら、声をだして泣いていただろう。さすがにそれはできないと思いながら、ふいにきららを見た。達也の気持ちなど知るはずもないきららは、聞いたことのない嗚咽を漏らしながら泣いていた。
「えぐっ……えぐぐっ……」
(めちゃくちゃ泣いてる‼)
可憐な顔は涙にまみれぐちゃぐちゃになり、見る影もない。声を必死で堪えているためか、聞いたことのない音がきららの口から洩れている。達也は机の上からティッシュを箱のまま取り、きららに渡した。
「あびがど……えぐぐ……」
お礼を言いながら、ティッシュを大量にとり、もはや涙なのか鼻水なのかわからない液体を拭う。
空っぽだったゴミ箱がきららの使用済みティッシュでぱんぱんになったころ、やっと少し落ち着いた様子を見せた。
「大丈夫……? なんか飲み物取ってこようか?」
「あ、いえ、結構です……見苦しいところをお見せしました……」
目の下を赤くしながら、恥ずかしそうにきららが話す。そうした感情を素直に発散できるところはきららの良いところなのだから、恥ずかしがる必要もないとも思ったが、逆の立場になったときのことを考えると言えなかった。きっと自分も恥ずかしがっただろう。それにきららが大泣きしてくれたおかげで、自分の流した涙に触れられずに済んだ。
「で、田中くんはどうだったの? なんか自分だけ涼しい顔してるけど……?」
「いや、面白かったよ」
きららの質問に達也は答える。本当に面白かった。今年見た映画の中では一番印象に残ったし、なかなか年末までこれを超えるものに出会うのは難しいだろう。だが、その答えだときららは満足しなかったようで、もっと何かコメントを求めているような顔をした。
(……なんだ、何を求められているんだ……?)
全くわからずきららの顔を見つめ返した。するときららがふふっと笑った。
「息抜きになった?」
「え?」
「田中くんのことだから、きっとずーっと練習ばっかしてるんだろうなって思って……」
「……」
図星すぎて返す言葉がでない。
「だから気分転換になればいいなーって! 感情を発散しちゃったのはわたしの方だったけどね。あはは」
思えばずっと部屋にこもり、韻や音源と向き合うことばかりを繰り返していた。それは自分の実力不足からくる不安を消し去るためには、少しでも多く練習するしかないという一心からだったが、無理をしていないと言えば嘘だった。実際焦りは日に日に増していたし、精神的に摩耗していた。それがきららが来てからの二時間、彼女の強引さに促され、そういった悩みをすっかり忘れることができていた。
「歌うのが楽しくなる映画ってきいてたから、田中くんと一緒にみたいなって思ってさ」
(この子は……本当に強引だな……)
そう優しく話すきららを見て、なんで自分がこんなに心を許しているのかがわかったような気がした。
彼女は強引だ。でも自分の行動を客観的に見て、相手が嫌がることを本能的に避けることができる才能を持っている。だからこそ、普通の人ならおせっかいともいえるようなことでも彼女がやればそれは優しさに変わるのだ。
(すごいな……)
人のことを傷つけまいとして行動できない自分と比較して、本当に尊敬するべき人間だなと改めて思った。
だから彼女は人に好かれるのだろう。
「ありがとう」
気づけば口から感謝の言葉が漏れていた。それを聞いたきららの顔が赤らむ。
「いやぁ……何も感謝されるようなことはしてないよ……でも……あはは、なんかそんな真剣な顔で言われると照れますな……」
きららが照れながらポリポリと頭を掻いていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「何?」
達也がそう言うと、優子が顔を出した。
「そろそろお昼だけど何食べる? あ、よかったら鈴木さんも一緒にどうかしら……」
そこまで言って、優子は何かを見つけたように部屋の一点をじっと見つめた。何かと思い、優子の視線の先を見るとティッシュまみれのゴミ箱があった。
なんだか嫌な予感がして優子の顔を見ると、我が子の成長を喜ぶような顔をしている。(なんか、とんでもない誤解をされている気がする!)
そんな微妙な空気を全く意に介さず、きららは大きな声で返事をした。
「ありがとうございます! いただきます!!」
達也は深いため息を吐いた。
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