第6話 サイファーって覚えてる?
「まじかよ!」
次の日の朝、学校に着くやいなや、光一が昨日のいきさつを聞いてきた。
一昨日のイベントのことは口止めをされたわけではないが、なんとなく伏せたまま文化祭でちひろとラップバトルをするということだけを説明した。あとパンツを見てしまったことも勿論言わなかった。
光一は目を大きく見開いて、驚いた様子を見せた。
「なんだよ、どういう風の吹き回しだ? てか文化祭に誘ってたの、俺の方が先だよな」
そう言われ、少し申し訳ない気持ちで達也は苦笑いを浮かべる。光一は構わず言葉を続けた。
「ま、中学からの親友との友情と、クラスで一番かわいい女の子からのお誘いだったら、そりゃ後者を取るか……悲しいけど、これが現実だな……」
そういって光一は悲劇のヒロインよろしく涙を浮かべるふりをした。
「えっと、なんかごめん」
感情が一切言葉にこもらなかったが、多少なりとも罪悪感を感じているのは事実だ。達也は謝罪の言葉を述べた。
「え、いや、でもさ。有志の時間ってことは俺らの部活発表の後ってことだよな。……てことはさ、両立できるじゃん。いや、俺、頭良すぎ。あ、今、送るから、練習しとけよ」
そういって光一はポケットからスマホを取り出す。
「え、何を?」
「俺らの音源。もちろんオリジナル曲だよ。ほい、送信完了」
そう言われ、スマホをみると音源データが一つ転送されてきている。
「いや、やらないよ」
「はや! いや一回聞いてみてから決めろよ! それにしても、達也がラップねぇ……」
「……なんだよ」
「こんなこと言ったらあれだけど、似合わないよな。あはは」
「わかってるよ、そんなこと」
一昨日のイベントでも思ったことだし、DVDに出演していた人間をみても思った。そのどれもが達也とは違う人種であり、あそこにいるだけで相当浮くことは我ながら容易に想像できる。
「ま、頑張れよ。楽しみにしてるわ」
そう言って自分の席に戻る光一を横目で見ているとチャイムが鳴り、先生が入ってきた。
◇
放課後になるとすぐにきららが話しかけてきた。達也は昨日の動画の感想を伝える。
「でしょ! すごかったでしょ! もっといっぱいすごいバトルがあるんだけど、全部は無理だから厳選したんだ」
きららがどんなもんだいといった様子で胸を張り、前のめりで言葉を続けた。
「あのバトルはね。番組の最初期からいるラスボスの鬼丸が想いを全て引退する前に残されたモンスターが側にぶつけて、それをZ指定が受け止めて返すの! 本当に熱い展開なんだよ! 生で見たかったなぁ……番組はもう終わっちゃんだけど、録画してたの何度も見返しちゃうんだ。というかクリームピーナッツ好きだったら、もしかしてあのバトル知ってた?」
きららの話によるとZ指定というラップバトルのモンスター側が、クリームピーナッツのMCを担当しているらしい。ラジオではそこまでの情報を得ることができないため、達也は素直に首を横に振る。
「いや、知らなかったよ」
「そっかぁ。でもよかったぁ。田中君にもそのバトルの熱さをわかってもらえて」
「……うん、なんか他のバトルは結構な貶し合いをしてるのに、あのバトルは、感謝とかお世話になった気持ちを伝えてる感じがして、すごく響いた感じ……なんか全然わかってないのに、こんなこというの恥ずかしいけどね」
「そんなことないよ! 感想はどんどん言っていこう! 絶対笑わないし!」
達也の発言にきららは真剣な表情を見せる。その真剣さに少しの気恥ずかしさと嬉しさを感じた。
「……ありがと。ところで、今日は何をするの?」
「色々考えたんだけど……これをご覧ください!」
達也の質問に待ってましたと言わんばかりの表情をきららが浮かべ、鞄の中から取り出したものを目の前の机に広げ出した。
「なにこれ? 地図?」
机いっぱいに広げられたのはこの街の地図だった。達也たちが通学に利用している京都市内の上下左右に広がる地下鉄を中心に手書きで書かれており、まるで中学生のフィールドワークの製作物のようだった。随所にかわいらしい文字で注釈が書かれている。
「さ、田中君はどこに行きたいですか」
そういってきららが達也にどこかを指定するよう促す。注釈が書かれている箇所は何か所かあり、それらのポイントは二重丸で囲われている。
「いや、どこに行きたいって……これ何の地図?」
「いいからいいから」
何の説明もしてくれないきららに達也は多少の不満を覚えつつ、言われた通り、地図の一か所を指さした。
達也が示した場所は三条だ。おしゃれなカフェやファンシーなショップが多くあり、中高生の女子にも人気の街並みの場所だ。達也はよく翔子の付き添いで休日に行くこともあったため、なんとなくその場所を指した。するときららが笑みを深める。
「お、いいとこ指すねー。ちょっと待ってね。調べるから」
「え、何を?」
達也の質問には答えず、きららはスマホを取り出し、SNSで何かを調べ出した。すぐに解決したようで、「じゃあ行きますか」と言いながら、きららが鞄に手をかける。鞄につけているゆるキャラらしきキャラクターがそれに合わせ大きく揺れる。
「え、今から? どこに?」
「そ、今から! どこって田中君のご指定の場所だよ!」
そう言い放ち、早く早くと達也の身支度をきららが急かした。
(昨日も思ったけど、鈴木さんはかなり強引だぞ……)
確かに指定したのは自分だが、半ば強制だ。その強引さへの不安が出ていたのか、きららは達也の肩を持ち、行きながら説明するからと教室を後にした。
「はあ……仕方ないか……」
結局、達也はその強引さに促され、きららに続いて教室を後にした。
◇
グラウンドの横を通り、駅に向かう。
野球部やサッカー部など、外で部活を行っている生徒たちの声が聞こえてくる。教室にいたときも聞こえてきていたが、距離が近くなるとその熱意に少し圧倒されてしまう。達也の高校はそれほど強豪ではないが、それでも生徒一人一人がその一瞬に全力を込め、誰一人手を抜かずにプレイしているのがパッと見でも感じ取れた。
(あんな風に熱中できるなんてすごいな……)
先日きららに対し思った感覚をグラウンドの生徒たちにも感じる。
何かに熱中できることは幸せなことだ。なりふりかまわず、他の全てを忘れ、その一瞬一瞬を本当に楽しむことができるほどの情熱を何かに向ける。そんな対象がこの先、自分にもできるのだろうか。全く想像ができない。
野球部の中にはクラスメイトの顔もあり、教室で見せる表情と全く違っていた。そのどれもが輝いて見え、達也にとっては尊敬すべき対象だった。
今、きららの言うことをすんなり聞いているのもそうだ。彼女には熱中できるものがあり、そのために協力できることが自分にあるのなら、何かをしようという気になったのだ。
(だから、僕にできることならしてあげたい……それは嘘じゃない。ただ説明は欲しいけど!)
「どしたの?」
そんな達也の様子を感じたのか、きららが声をかけてきた。達也は物思いに耽っていたとは言えず、「なんでもないよ」と返事をした。
目的地の三条は、達也たちの高校がある北大路駅から電車で十五分程だ。京都市地下鉄烏丸線で烏丸御池まで行き、そこで東西線に乗り換え、二駅の場所にある。
帰宅時間ということもあり、電車の中には達也たちと同じ制服の生徒が何人かちらほら見えた。
達也はふと、きららと一緒にいるところを誰か知ってる人に見られると、変な噂が立つのではないかと心配になってしまい、キョロキョロと周囲を見渡した。
「どしたの?」
その行動を不思議に思ったきららが訊ねてくる。
「え、あ、いや。もし知ってる人に見られたら、鈴木さんに迷惑かなって」
「え、なんで? わたしが誘ったのに」
「え、いやその」
達也は言葉に詰まってしまった。
「自分と一緒にいるところを誰かに見られたら男の趣味が悪いとか思われるよ」と説明したかったが、それを自分から言ってしまうのはあまりにも卑屈すぎて気持ちが悪いような気もして何も言えなかった。それでは何と言おうかと考えていると、きららが口を開いた。
「あ、彼氏はいないよ! だから、男の子と出かけても全然問題なし!」
そういう心配をしていたわけではないのだが、きららから思わぬ情報が飛び込んできた。クラスの男子が泣いて喜ぶ有料級の情報だが、今はそれよりも「そういうことにしとこう」という逃げ道が見つかったことの安心が勝った。
「あ、そうなんだ。なんかサッカー部の先輩に告白されたとか聞いたからてっきり」
そう言った後、達也はすぐに後悔した。人にはあまり触れてほしくない話がある。ましてや高校生にとって、恋愛の話はセンシティブな話題の場合もある。「そうなんだ」で終わらせておくべきだった。達也は自分の発言で不快にさせてないかと不安に思いながらきららの顔色を窺った。
「あ、やっぱ知ってる? そういう話ってみんな好きだから広まるの速いよね」
しかし、そんな心配は杞憂だったようであっけらかんにきららは話をしだす。
「先週かな? なんかいきなり呼び出されて、告られて。でも全然知らない人なの。話したこともないのにわたしのどこを気にいったんだろうね。でも、こんなに話が早く広まるぐらいだから、あの先輩人気なのかな?」
人気なのは君だよと思ったが、これ以上、自分から話しを広げるのはやめとこうと思い、達也は何も言わなかった。
「田中君は? 彼女とかいないの?」
「え?」
「あ、いや、ごめん。いきなり聞いて。わたしはそういうのあんまりわかんないからさ。でもクラスの友達はみんな好きな人とか彼氏だとか話してるし。田中君はどうなのかな―って」
「僕もそういうのわかんないかな。女の人と話すの苦手だから」
「そうなの?」
きららが意外そうな顔で達也を見つめる。その目線を気恥ずかしく感じ、達也は目を逸らした。
「わたしも?」
「あ、いや」
きららの目から不安が感じ取れた。
理由は何故だかわからないが、きららに対しては苦手意識を持たずに接することができている。達也は正直にそう伝えた。
「鈴木さんは大丈夫だよ。どうしてかはわからないけどね」
「えへへ、そっか! なんか嬉しいや」
そうこうしているうちに乗り換え駅である烏丸御池についた。多くの乗客と一緒に達也たちも下車し、三条行の電車が来るホームへと向かった。
「で、今日は何しに行くんだっけ」
結局、肝心なことを聞いていないことを思い出し、達也はきららに尋ねた。きららが勿体ぶりながらゆっくりと口を開く。
「サイファーって覚えてる?」
「路上とか公園でフリースタイルバトルをやること……だっけ?」
「そ! 今からそれをやりにいくの」
「……え?」
「三条大橋ってあるじゃん? あのカップルがよくいる」
「うん」
三条大橋とは、一級河川の鴨川を挟むように三条通り沿いにかかっている橋のことであり、カップルが等間隔で並んでいることでも有名な場所だ。すぐ近くには三条京阪駅があり、繁華街に近いこともあって多くの人間が利用する場所だった。
「あの川沿い付近でやってる人たちがいるらしいんだ。さっきSNSで調べたら、今日もやってるらしいから混ぜてもらおうと思って。前も言ったけど、一人だとかなり参加しづらいんだけど、今日は田中くんもいるし、勇気をだして参加してみようと思って」
先ほど調べていたのは今から行く場所でサイファーが行われているかどうかだったようだ。サイファーの集いはSNSを使って募集されていることが多く、達也が思っているより閉鎖的なコミュニティではないみたいだ
「昨日の夜、この街でサイファーをやってるスポットを調べたんだー。SNSを見てると結構色んな場所でやってたんだよ」
それがさっきの手作り感満載の地図の正体だった。わざわざ地図なんて作らなくてもそのまま自分を連れて行けばよかったのにと思ったが、楽しそうなところに水を差す必要もないなと思い、言わないことにした。これはきららのユーモアであり、自分を楽しませようとしてくれた結果である。それは無下にはできない。
ただ、これだけは言っておかないといけない。
「……ちなみに僕はやらないよ?」
きららにまた無茶ぶりされる前に、念のため先に釘を打つつもりで言ったのだが、きららはとても残念という表情を浮かべた。まさかいきなり参加させるつもりだったのか。
「いや、なにその顔」
「え、だってー。田中君と一緒にやりたかったし……」
きららがふてくされたような声を出す。
「だってまだやり方も何もわからないし。それに横にはいるからさ。見てるだけでも勉強になるよね」
「……それはそうだけど」
きららが渋々納得したところで目的地を知らせるアナウンスが聞こえた。達也たちはそのアナウンスに促されるよう電車を降りた。
(鈴木さん、テンション上がってるなぁ)
達也の発言に一瞬落ち込んだ様子を見せたが、きららの足取りは非常に軽い。平日の夕方前という比較的人通りの少ない駅構内を弾むように進んでいく。
西口を抜け、駅から出ると、うだるような暑さと見慣れた景色が飛び込んでくる。古本屋さんや、何をしたかはわからないがとりあえず偉大なことを成し遂げたであろう人物の銅像、何を模しているかわからないモニュメントを抜け、橋を渡る。橋を渡りきると、下に降りる階段があり、そこから川沿いに出ることができた。上から見ていたときより、実際に立ってみると道は広く、本当に等間隔で男女カップルが並んでいる。
「田中君は三条、よく来るの?」
「いや、たまにだよ。それに川沿いに降りたのは初めてかも」
翔子とたまに買い物にでかけることはあるが、そもそも橋の下に降りることはない。降りる駅は一緒でも達也にとって三条のこのような景色を見るのは初めてだった。橋の上では街の喧騒、下では川のせせらぎとそれぞれが独特の音を奏でており、雰囲気は確かによい。カップルが集まるのもなんとなく納得できた。
「こんなところでサイファーをやってるの?」
「そのはずなんだけどね……」
きららがスマホを片手に辺りを見回す。SNSで告知とともにあげられていた場所の写真の場所を探しているようだ。するとどこからともなくズンズンと音楽が聞こえてきた。
「あ、きっとあれだ!」
きららの指の先を見ると五人ぐらいの若者がスピーカーを囲んで円になっている。各々が身体を揺らしたり、手を前に突き出したりしながらリズムを取り、交代でラップを口ずさんでいた。
「あの中に入っていくの? ……ってあれ?」
達也が声をかけた先には既にきららはいなかった。周囲を見渡すがきららの姿はない。嫌な予感がして、先ほどの集団の方を見ると、きららは既にその輪の中に入ろうとしていた。参加の了承を得られたようで満面の笑みでこっちを見ながら手招きをしている。
「怖くて参加できないとか言ってたの、絶対嘘じゃん……」
「田中くーん! 早く早く!」
とぼとぼと呼ばれた方に歩き出した達也に向かって、きららがとても嬉しそうな声を飛ばした。ここまできて逃げるつもりはさらさらないが、素直に足は言うことを聞いてくれない。まるで死刑台に登る気分で達也はきららの元へと近づいていく。
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