第12話獄上の治療
ズルリ、と、自重によって聖剣が抜け落ち――大量の鮮血とともに地面に落ちた。
それと同時に力を失い、傾いだ身体を受け止めてやると、恋し浜のえるが目だけでベルフェゴールを見上げ、にっ、と笑った。
「ベルベル……怪我してない?」
「しとるはずがなかろう! 怪我をしておるのはお前だ!」
「へへ、そりゃよかった……庇った甲斐があったね……」
そんな軽口を叩く間にも、ざっくりと貫かれたのえるの傷からは致命傷としか思えない量の鮮血が流れ、地面の血溜まりは刻一刻と面積を広げていっている。
何故だ、何故だ。ベルフェゴールは気が触れたとしか思えないのえるの行動に激しく動揺した。
魔王である自分を、人間が、しかも聖女ともあろう人間が庇うことなど。
ベルフェゴールは既に血の気を失いかけているのえるの頬を掌で擦った。
「何故だ、何故俺を庇った!? お前にこんなことをされずとも俺は無事だった! わかっておったはずであろう!? 何故――!」
そう問うと、のえるが再び、薄く笑った。
「だって――魔王になってからのベルベル、誰かに守ってもらったり、庇ってもらったことなんて……一回もないでしょ? だから……」
全く予想外のその動機に、ベルフェゴールは絶句してしまった。
ごぼっ、と、のえるの口から大量の鮮血が噴き出し、その端正な顔から滴り落ちる。
「オタケル、君……」
のえるが驚愕の表情のまま硬直している勇者タケルを見た。
のえるは二、三度、顔の筋肉を震わせて――寂しそうにはにかんだ。
「オタケル君、ウチはね、オタケル君のこと、気持ち悪いとは思っても――悪い人だとは思ったことなかったよ。あんまり話したこともなかったけどさ、きっと、きっと、本当は優しい人なんだろうって……」
思えば勝手だったね、というように、恋し浜のえるが微笑んだ。
勇者タケルが、がっくりと地面に崩れ落ちた。
冷や汗に塗れた顔を掌で拭ってやると、のえるが真剣な目でベルフェゴールを見上げた。
「ベルベル、慣れちゃダメだよ。そんなの絶対、おかしいことだから……誰かが誰かの代わりに傷つくなんて、そんなの、普通じゃないから……」
「わかった、もうよい。口を閉じてくれ」
「それでもベルベルが、誰かの代わりに傷つくって言うんだったら……ウチだって負担するし。聖女様だもんね、それぐらい……しなきゃだし……」
「もうよい、わかった。頼むから口を閉じよ、傷に障る」
「ベルベル、もっと泣いたり笑ったりしなきゃだよ? この戦争、ベルベルが必ず終わらせるんだから……その時に笑ったり泣いたりできないと、きっと寂しいよ……?」
「おい、やめてくれ。もうわかった、わかったから――!!」
思わず、ベルフェゴールは傷の治療も忘れてのえるの頭を抱き締めた。
何故だ、何故そんな馬鹿な事を考えられる?
何故、魔王ともあろうものを庇うのだ。
何故、魔王ともあろうものにこれほど優しくできるのだ。
これほどまで献身的なお前の優しさを、何故、何故この世界の人間や魔族は、百分の一でもいいから持ち合わせないのだ。
刻々と弱ってゆくのえるの呼吸音に、ベルフェゴールは覚悟を決めた。
ぐっ、と、温かさを失いつつある掌を握り、ベルフェゴールはのえるに言い聞かせた。
「のえる、今から俺の魔力を治癒力としてお前の身体に流す。魔王の魔力だ、おそらく人間の身体には相当の負担になる。はっきり言って――獄上に苦しいと思う。それでも、俺はお前を死なせたくない」
その言葉に、のえるが焦点の定まらない目で応えた。
「必ず、必ずお前を助ける。お前のような人間は絶対に死んではならぬ。神がそれを許さぬと言うなら、この俺が神であっても殺す。俺を信じよ、信じて信じて信じ抜いて――必ずや生き延びて俺の側に居よ。よいか?」
のえるが瞑目し、こくり、と小さく頷いた。
よし、とベルフェゴールも応え――のえるの掌から、ゆっくりと魔力の注入を開始した。
途端、のえるの細い身体が激しく痙攣した。
「あっ、あああああ……!!」
「耐えよ、苦しいのは今だけだ。お願いだから耐えてくれ……!」
のえるの顔が苦悶に歪み、激しく身を捩るのを、ベルフェゴールは全身で押さえつけた。
魔力注入の時間は十秒に満たなくても、それは体内に煮え湯を注ぎ込むような灼熱と激痛を引き起こすはずだ。
しばらくガクガクと痙攣したのえるの身体が――ふっ、と力を失い、糸が切れたかのように静かになったのを見て、ベルフェゴールはほっと息を吐いた。
これで魔力の注入は完了、後は魔力によって
ひとまずこれでよし――莫大な安堵に思わずへたり込みそうになっていると、「お、俺は悪くないッ!」という悲鳴が背後に聞こえた。
「おっ、俺は魔王を倒そうとしたんだ! 魔王を狙って攻撃したんだ! 魔王なんか庇うから……! お、俺のせいじゃないぞ!!」
もはや何を言う気力もなく、ベルフェゴールは勇者タケルを見た。ただ見たのである。
ただそれだけで、勇者タケルは激しく怯えたような表情になった。
「や、やめろ! 俺をそんな目で見るな! おっ、俺は何もしてないじゃないか! やめろ! どうして俺をそんな目で見る!? 恋し浜さんが悪いんだ、お前なんかが存在してるから悪いんだッ!! おっ、俺は悪くないって言ってるだろ! やめろ、俺を責めるな――!!」
あまりにも勝手で、あまりにも自分本位なその言動に、その場に居並んだ魔族たちですら顔を見合わせ、呆れたように勇者タケルを睨んだ。
ガリガリ、と、勇者タケルは爪を立てて己の顔を掻き毟り――ダラダラと涙を流して
「なんでだよ……! せっかく勇者になったのに、なんでお前らは俺をそんな目で見る!? こんなの、こんなの転生前と一緒じゃないか! どうしてだよ!? 俺は何になればいいんだよ! これ以上何になれば俺は俺でなくなるんだ!? そんな目で見るなら教えてくれよ! おっ、俺は、俺は――あああああああああああ……!!」
その目にもう耐えられないというように、勇者タケルは顔を覆って泣き喚いた。
この光景を人間たちが見ていたら、どんな表情をするのだろうか。
一体如何なる存在であるならば、こんなに情けなくて、こんなに最低の振る舞いをする生き物をも――許容できるというのだろうか。
侘びしく背中を丸めて泣きじゃくる勇者タケルを見て――ベルフェゴールは決意した。
こいつは殺す。
殺さねばならぬ。
今ここでこの勇者を完膚なきまでに滅却せねば――きっとこの戦争は更に厄介な方向へ突き進む。
その決意を込め、右手を掲げ、掌に魔力を集中させた。
掌の中に生じた禍々しいまでの魔力が形を成し――一塊の球体を形成する。
神さえ
許せ、これは必要なことなのだ――魔王ベルフェゴールが瞑目し、心の中だけで勇者に謝罪した、その途端だった。
素早く動いた浅黒い肌の細腕が、ベルフェゴールの右手を掴んだ。
「ベルベル、何考えてんの?」
えっ!? と下を見ると――そこにあったのは、聖女のえるの憤った顔だった。
◆
ここまでお読み頂きありがとうございます。
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