第5話獄上の過去

「ベルベル、今ちょっといい?」




 不埒ふらちにも憤ってしまった自分をいさめるべく、魔王城のベランダから外を眺めて頭を冷やしていたベルフェゴールの耳に、そんな声が聞こえた。


 ベルフェゴールが振り返ると、少しだけ遠慮がちな表情の恋し浜のえるがいた。




「……聖女か。この私室は俺以外の人間の立ち入りを禁じておるのだぞ」

「わかってるけど、今はそんなの気にしてらんないでしょ。なんかベルベル怒ってたし。マジ意味わかんないんですけど」




 はすっぱな口調の中にも、どこかこちらへの心配を滲ませて、恋し浜のえるはベランダに出て、自分と同じように外を見渡した。


 見渡した後――はーぁ、という気の抜けたため息が恋し浜のえるの口から漏れ出た。




「魔界って本当にタイクツだよねぇ。乾いた土と枯れた木ばっか。えないねぇ」

「濃すぎる魔素はあらゆる生物に対して有害だ。草木どころか、動物すらも満足に生きていない」




 ベルフェゴールは眼前に広がる不毛の大地を眺め渡した。




「魔族がこのような獄上に劣悪な環境に置かれているのは人間のせいだ。人間どもは己たちだけで魔素の薄い世界を独占し、魔族に魔界への逼塞ひっそくを強制した。人間どもはやはり――」

「あーもう、いいよその話! 魔族がどうのこうの人間がどうのこうのじゃなく、ウチが見るのはその人がどういう人かってことだし!」




 のえるが大声を出してベルフェゴールを遮った。




「もう、四六時中そんな眉間にシワ寄せて人間たちを恨んでて疲れないん!? 人間にだって魔族と仲良くしたがってる人だっているでしょ! ウチはチョコミント嫌いだけど友達はめっちゃチョコミント食うし! 人によるでしょ!」

「……そう真剣に信じられるなら、どうやら貴様は獄上に平和ボケした世界から召喚されたらしいな。この世界では魔族と生まれるか、人間と生まれるかで憎しみ合う相手が変わる。悲しいかな、それがこの世界の現実だ」

「そんな、そんなのって……!」




 ベルフェゴールが言い張ると、のえるが反論に窮したように押し黙った。


 その、続く言葉に苦しんでいる顔を見て――フ、とベルフェゴールは笑った。




「お前は優しいな、のえる」

「ふぇ――?」

「お前は優しい。俺たち魔族にも優しいし、おそらく人間どもにも優しかったのだろうな。俺を慰めようとしてくれているのだろう? この【焦熱の魔王】を人間ごときが慰めようとは愚かだが――決して嫌いではない愚かさだ」




 フフ、とベルフェゴールが笑うと、のえるが顔を赤くして俯いてしまった。


 聖女とは言え、やはり中身は年端もゆかぬ人間の娘なのだ。


 その事実に少し安心したような気持ちになったベルフェゴールに――のえるが予想外の事を口走った。




「ベルベル、聖女に家族を殺されたんでしょ?」




 ――声も出せずに、ベルフェゴールは驚いた。


 のえるを見ても、のえるは真っ直ぐ下の景色を見つめたままだ。




「ギリ君がね、こっそり教えてくれたよ。ベルベルの家族は三百年前、聖女に皆殺しにされたって。だからベルベルは聖女に復讐するためにこの戦争を戦ってるんだ、って」



 そのことを口にすること自体、のえるにとってはためらいがあることだったに違いない。


 自分がなぜこの魔界に連れてこられたのかの答えが、もしそこにあったのなら。


 自分の運命がどうなるのか、わからぬはずがなかった。




 数秒、無言になった後――ベルフェゴールはため息を吐いた。




「あのれ者め、俺に許可なく俺の過去を話してしまうとは……」




 ベルフェゴールは顔を上げ、荒涼とした大地を見つめた。




「だが、それは一部は正解で、一部は間違いだ。俺の家族は確かに聖女によって殺された。だが、俺は別に聖女を恨んではおらん。まぁ、完全に恨みがないといえば嘘になるが――その一方で、恨みよりも哀れみが強い、と言えばいいか」

「うぇ――? よくわかんないよ、ベルベル」

「あの日、俺の家族は確かに聖女によって殺された。俺の家族だけではない、俺が当時住んでいた村は人間どもの軍勢によって一方的に焼き払われ、多くのものが虐殺された。その軍勢の中にいたのが……かつての聖女だった」




 そう、己の運命が変わったあの日――。


 自分は確かに、聖女と呼ばれる女を見たのだ。




「雑多な武器を手に立ち向かった魔族たちを、聖女はその霊力で容赦なく引き裂いた。俺の視界は同胞の血で染まった。恐怖で動けない俺はそのとき――聖女と目が合ってしまった」




 ベルフェゴールはそこで先を言い淀み、二、三度、呼吸を整えてから、言った。




「聖女は――泣いていた。泣いていたんだ」

「は――?」

「何故自分がこんなことをせねばならぬのかわからず、その恐怖に震えていた。真っ青な顔で、絶望に歪んだ表情で、血染めになった俺をどうすればよいのかわからずに――立ち尽くすばかりだった」




 そう、あの黒髪の乙女は――ただの人間だった。


 聖女などという称号を勝手に押し付けられ、そう生きることを強制されていただけだった。




「俺はその時悟った。聖女が如何なる存在なのかを。聖女とはお前と同じ、獄上に平和ボケした異世界から連れてこられ、わけもわからずこの戦争に巻き込まれているだけの存在なのだ。よく考えれば迷惑千万な話だな。この戦争が終わらないのは俺たちこの世界に生きる俺たちが堕落しているからなのに――我々はお前たち異世界人に一方的にその尻拭いを押し付けているのだからな」




 そう、放っておけばのえるも近いうちにそうなっただろう。


 傷つき、恐れ、泣き喚き――その末に心が振り切れ、何も感じない戦争の道具として一生を送ることになっただろう。




「聖女や勇者――そんな存在に寄り掛かるばかりのこの世界はおかしい。己たちの中だけで事態を解決できず、異世界人であるお前たちの力を借り、戦争の道具に仕立て上げてしまうなどということは――許されないことなのだと。だから俺は復讐を誓った。それは聖女にではない、人間にでもない、俺たちにこんな運命を強制した、もっと大きな何者かに――」



 

 そして、それから三百年。


 今は俺は魔王と呼ばれる存在に登りつめ、全魔族を支配下に置いている。


 なのに、戦争は終わらず、和平の糸口さえ掴めていない。


 何故、何故、何故――。


 あの日、血染めになりながら、滂沱の涙を流しながら、自分の置かれた運命の解答を求めていたあの聖女の目に、自分は何も言葉を返してやることが出来ぬままだ。


 思えば情けない話だ、本当に――。




 己の不甲斐なさに打ちひしがれていたベルフェゴールの顔に――ふと、温かいものが触れた。


 ん? と思ってそちらを向こうとした瞬間、素早く動いた両腕により、ベルフェゴールの頭はのえるによって有無を言わさず抱き締められてしまっていた。




「んな――!?」

「よしよし。ベルベル、辛かったね。おおよしよし」

「ば、馬鹿! 離れろ! 何を考えているんだ貴様は!? いくら聖女とはいえ魔王の頭を撫でるなどとは……!」




 いや、マジで本当に離れて――!


 のえるの豊満な胸に思い切り頬を押し付けられる格好になったベルフェゴールは、年甲斐もなくパニックに陥った。


 この五百年、女の子に抱き締められるどころか、手を繋ぐことさえしてこなかった童帝魔王には、この刺激は少々強すぎた。


 しかし――パニックになる頭とは裏腹に、ずっとこうして胸に顔を埋めて頭を撫でられていたいような、甘くて眠たくなるような気持ちも生じてくる上、なんだかいい匂いがして、頭がくらくらする。


 かなり本気で慌てているベルフェゴールの頭上に、のえるの手のひらが回った。




「ベルベルはウチのこと優しいって言ったけど、ベルベルの方がよっぽど優しいじゃん」




 優しい。


 生まれてこの方、やれ暴虐だやれ残虐だと言われ続けてきた魔王は、生まれて初めてかけられたその言葉に、は、とのえるの顔を見上げた。




「ベルベル、つまりウチが昔の聖女様みたいになっちゃわないように、ウチを助けてくれたんでしょ? 聖女の力がどうのこうのなんて関係なくて、聖女として召喚されたウチをほっとけなかった……そうなんでしょ?」




 心のどこかで繰り返し否定していたその思いに、のえるは気づいてしまったようだった。


 思わず口ごもると、ベルフェゴールの頭に生えた角の付け根を擦るようにして、のえるが微笑んだ。




「ベルベル、素直じゃないね」

「……ほっとけ。もとより魔王とは強欲なものだ。己のしたいことを力づくで成し遂げる、それが俺の生きる道だ。獄上の、な」

「もう、そういう言い方、ホント可愛くないね。でもウチ、むっちゃ嬉しいよ。ベルベルがそんなこと考えてくれてたなんて――」




 ぎゅ、と、ベルフェゴールの頭を抱くのえるの腕の力が強くなった。




「もぉ……カワイイなぁ、可愛くないけど可愛いなぁこの魔王。もうどうしちゃおっかな。撫でるだけじゃ足んなくね?」

「お、おい、いい加減本気で離してくれ……これ以上はなんというか、流石の俺も……!」

「うるさいなぁ、素直に撫でられとけし。言っとくけどギャルも強欲だかんね? 自分の信じる道を突き進むってんなら負けないぜ?」

「お、おい、本当に勘弁してくれ……! おっ、俺には刺激が強すぎる、オイ本当にこれ以上は……!」




 「魔族に優しいギャル」――そんな伝説上の存在が、もし存在するならば。


 いや――存在しているではないか、今ここに。


 たとえのえるがこの戦争を終わらせるために遣わされた存在でないとしても――彼女は魔族どころか、その頂点にいる魔王にすら優しい。


 穢れきってしまった自分を包容し、撫で、よく頑張ったね、よく頑張ってきたねと褒めてくれさえする。


 本当に、彼女が、「魔族に優しいギャル」なのか。


 いや――そんなものは今はどうでもいい。


 たとえこれが偽りの平和、偽りの優しさだったとしても、もう少しだけ――。




 ズズン……という、魔王城を揺るがす重い衝撃が突き抜けたのは、そのときだった。




「え、な、何――!? 魔王城揺れてね!?」




 ようやくベエルフェゴールの頭を放したのえるが、バルコニーから下を見た。


 魔王城の正門、そして中庭は既に蜂の巣をつついたような騒ぎになっていて、多数の怒号、そして次々と放たれる魔法の閃光が土煙の中に連続する。


 その光景を見ただけで何が起こったのか大体理解したベルフェゴールは、忌々しく顔を歪めた。




「――ふん、予想よりも随分遅かったではないか。獄上だ」

「え、な、何――!? 何ひとりで納得してんのベルベル!? 何が起こってるん!?」

「この魔王城には俺謹製きんせいの強力な結界が張ってある。人間が許可なく触れればその瞬間塵になるほどのな。曲がりなりにもそれを破り、俺の膝下しっか騒擾そうじょうさせることができる奴は――この世に一人しかおらん」

「そ、それって――!? それって誰なん!?」




 まだ察していないらしいのえるに、ベルフェゴールは重く言った。




「勇者だ。この俺、魔王と呼ばれる存在と対を成す、この世に無二の俺の天敵――」





ここまでお読み頂きありがとうございます。

全三万字程度で本日中に完結します。



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そう思っていただけましたら下から★で評価願います。


何卒よろしくお願い致します。

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