第3話

 手を洗ったあと、ヒカルとばったり遭遇した。彼が一人でいるなんて珍しいことだったので、つい「あれ?」と声がでる。

「呼び出し食らってさ。今、戻るとこ」

 ヒカルはニッと笑うと、わたしと並んで歩き始めた。

「呼び出しって?」

「第一志望校、変えないでいいのかって」

 わたしはあ然とした。

「第一志望って楠大? 冗談かと思ってた!」

「他の大学なんか考えてねーし」

 楠大はミズキが推薦合格したところだ。

「勉強ニガテなくせにムリしちゃって」

 憎まれ口をたたいてやりたかったけれど、彼の顔を見つめるだけにした。

 細くて白い横顔。女の子みたいに愛らしい顔立ちをしていてモテなくもない。けど、ヒカルは見た目ばかりなことを誰もが知っている。

 なのにヒカルが人気者なのは、バカでチャランポランで深く考えないキャラだから。みんな受験生なので、何かと盛り上げてくれる彼を重宝し、内申点に影響しない雑用を押しつけているだけなのだ。そう、ヒカルはただ、利用されているだけ。

 だからこそ不思議に思う。ミズキは、こんなヤツのどこを好きになったんだろうって。そして、ヒカルは、ミズキのどこが好き?


 夏休みに入ってまもなくのこと。ミズキと遊ぶ約束をしていたわたしは、急用ができたからとキャンセルされた。急用なら仕方がない。そう思って、あきらめるのは容易かった。

 けれど、あの日、ミズキはヒカルと過ごしていたのだ。同じクラスの子が目撃したらしい。仲良く腕を組み、繁華街を歩く二人を。夏休みが明けたころには、公認のカップルになっていた。

 でもミズキは未だに何も言ってくれない。わたしが二人の関係を知らないとでも思っているかのように。


 ねえ、ヒカル。そんなに彼女が大事なら、あの日、どうしてウソをつかせたの? ヒカルは絶対、ミズキにふさわしくない。絶対、絶対に……。


「オイ、どうしたんだよ。ボーっとしてさ」

 ヒカルがこちらを向いていた。顎にうっすらと髭が伸びている。「あっ」と気づいてしまった。女の子みたいに可愛らしい顔をしていても、やっぱりヒカルは男なんだ。

 じゃあ、手は? 目は? どんなふうにミズキを見つめるの? どんなふうに優しく触れる? そして、くちびるは。どんなふうに重ねるの……?

「何、見てんだよ。ハズいじゃねえか、バーカ」

 頬を赤くしてヒカルは言った。わたしは目をそらさずに答えた。

「ヒゲ伸びてるよ。かっこわる!」

「げっ、うっそー。ちゃんと朝、剃ったのにー」

 ヒカルの大声に、すれ違う生徒たちがチラ見してくる。

「もうやめてよね、大きな声出すの。こっちが恥ずかしいよ」

「だってよ」

 恨めしそうにヒカルは、自分の顎をさすった。

「どっかでカミソリ借りてこよ。あ、おまえ部

室に戻るんだろう? ミズキに伝えといてよ。ちょっと遅くなるから待ってろってさ」

「いいけど。別に」

 胸の痛みをかくして、わたしは答えた。

「じゃあ、頼んだぞ」

 そう言い残すと、ヒカルは今通ってきたばかりの廊下を走って引き返した。あっというまに見えなくなる。

 そのときピンと脳裏にひらめいた。

 これは、チャンスかも……。

 わたしを真っ直ぐ信じて疑わないでいる瞳。彼のことを思うと、決意が揺らいだ。 

 けれど、けれど。


 神様、ほんの少しだけ、目を閉じていてください。

 懺悔ならあとでしますから。

 夕方になって風が強くなってきたらしい。廊下の窓ガラスがガタガタと鳴った。

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