4.葬儀屋と住職と叔母



 胸の内を文章にしたおかげか、三時間ほど眠ることが出来た。

 今日の予定は、まず指定の病院で死体検案書の受け取り。その後、葬儀社を決め、檀家の寺に報告。葬儀の日程を決め、親族に連絡。それに死亡後に急ぎするべき手続きも幾つかあったはず。気持ちが不安定なまま、とかく慌ただしくなる。


 病院の指定は29日朝9時。病院は年末で休みだが、特別に開けてくれるらしい。時間厳守と言われたので三十分前に到着し、外で待機。世間は普通の年末風景で、彼岸との違いをひしひしと感じる。待合室に通されると、ストレッチャーに載せられた遺体袋と鉢合わせる。看護師に謝られるが、どうということもない。昨日は遅くまで母の死体に接していたのだ。


 書類を受け取った後、妹弟と相談して葬儀社を決める。

 調べれば幾らでも出て来たか、結局、父の葬儀をしてもらった会社に決めた。些末な値段差より使い勝手がわかっている方がよい。駅から近いのも好条件だった。


 母は、葬儀には金を使わず親族葬でいい、といつも言っていた。連絡先は最低限で済むが、他にも決めるべきことは山ほどある。例えば折り合いの悪かった父方の親族に連絡するかどうか。弟は反対していたが、社会人として無視はできないだろう。


 葬儀屋が来るまでに、兄弟総出で母の部屋を片付けた。といっても、床に投げ出された諸々の食材や着替えの山を、かつて父がいた部屋に運び込んだだけだが。母は物を貯め込む性質で、押し入れも冷蔵庫もパンク寸前だった。押し入れの底が抜け、大家に連絡したこともある。今も冷蔵庫は上から下までパンパンだ。数カ月は籠城できるだろう。毎日のように買い出しを頼まれ、収納に苦労していたことを思い出し、そのたびに手が止まった。


 葬儀社の担当は気のいい方で、丁寧に対応してくれた。式の段取りから寺に用意するお布施の金額まで相談してもらい、大変ありがたい思いだった。

 火葬場は元日は休み、二日は予約空きがなく、三日は友引で四日しか予約できないとのこと。その上で30、31日で通夜と葬式を済ませるか、3、4日まで葬儀を待つかの提案を受ける。私はどちらでもよかった。というか、どちらが都合がいいものか判断がつかなかったが、妹弟の希望で年末に葬儀と決まる。まあ三が日に落ち着いて休めるのもいいかもしれない。この気持ちを来年に持ち越したくはない。

 いずれにせよ、母の遺体は葬儀社の霊安室で預かりになる。冬とはいえ、自宅では不安があったのでそこは安心する。


 葬儀については、人数や葬儀プランについても決めた。

 母の希望に沿えば一番安いプランが順当だが、流石に抵抗がある。一方で葬式を豪華にするより、他に金を使えという母の指示も痛いほどわかる。私は悩んだが、妹は案外ドライで、結局祭壇は最安値になった。

 逆に追加プランの湯灌の儀(最後の入浴)は、警察が遺体を拭いていたこともあって、私は不要だと思ったが、妹らは強く希望し、採用となった。


 普段なら長男の私が率先して決めることだが、率直に言って母の死が重かった。いっそ相談を妹らに任せてしまいたかった。妹も弟も、昨日と同じで平然と話している。弟にはおどける余裕すらある。羨ましくはないが、多少不愉快に思う。


 通夜は明日(30日)。午前中に遺体を移動し、午後に湯灌を済ませ、通夜とのこと。葬儀は翌日昼。火葬は4日と決まり、葬儀屋は帰社した。入れ替わりで住職が現れた。


 祖父の代から世話になっている住職は、やはり年末は多忙らしく、通夜には都合がつかなかったが、枕経と一緒に通夜のお経もあげてもらえるとのこと。平服を気にしつつ、母の眠る部屋に座布団を並べ、兄弟四人で座る。片付けたとはいえ、六畳にベッドの置かれた部屋は狭く、住職は目の前だ。線香の匂いが立ち籠め、りんの音が強く反響する。


 私は無宗教だ。

 母は病気になってから仏教系の新興宗教の信者になり、私も家族入信させられたが、最後まで馴染まず、すぐに行かなくなった。興味はなかったが、嫌悪感もない。母が私に謝った理由が、宗教の教えによるものだと思ったからだ。母の性格が丸くなったのも同じころで、おそらく間違いない。困窮する者の心の救いとして、宗教に価値があるのもわかる。母は何度か、死後の世界について話していた。私は話半分だったが、もっと年を取れば共感できるのだろうか。


 ただこの時は、宗教というか仏教に感謝した。

 お経を聞くにつれ、母の遺体が遠ざかる感じがしたのだ。住職の背中越しに見上げた母が、ゆっくりと「仏さま」になっていく。それは葬式で見慣れた光景で、次第に心が落ち着くのを感じた。お経いつ終わるんだ、などと考え始めた。仏前の儀式は、死者でなく遺族のためにするものなのだと、初めて理解できた。

 

 通夜経が終わり、住職が帰った後、母方の叔父叔母が集まった。母の死について、もう何度目かわからない話を繰り返す。その日のうちに駆けつけてくれる気持ちがありがたく、救われる。火葬の日が年明けで二度手間になってしまうが、皆、お骨上げまで参加してくれるという。


 叔父たちが帰った後、最後に残った末の叔母と話をする。

 末の叔母は近所に住み、母と一番近しい関係だった。宗教に入ったのも、この叔母の影響だ。宗教絡みで母に強くあたるので内心反発していたが、昔、弟を預かってもらうなど、お世話になった相手なのは間違いない。

 

「お母さんも大変な人生だったけど、あんたたちもがんばったね。ずっとお母さんを助けて来たの、私は知ってるよ。よくやったね」


 そんな叔母の言葉に、妹が泣き出して驚いた。

 妹も気持ちを抑えて振舞っていたのだと、ようやく気が付いた。私もお経の前だったら危なかったかもしれない。


 そうだった。思い出した。

 私たち兄弟は、幼い頃から親が大変な時には団結してきたのだ。


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