第29話




お盆休みが明けた頃、愛梨が精神的に不安定になった。

それは月の物が重なっていたのもあったんだろうけど、私が傷口を抉ってしまった事も、もしかしたら影響していたのかもしれない。




朝、 ″珍しく″ 早起きをして朝食の準備をしていた吉野は寝惚けた愛梨に抱き着かれ、顔を真っ赤にしながら慌てて愛梨を引き剥がしていた。

愛梨は残念がるようにしてしばらくブーイングを混じえて抗議していた。


その時の事がそれだけで済んでいたなら、微笑ましい物をみたような、何処か幸せな気持ちのまま終わっていただろう。


けれどこれだけじゃ終わらなかった。


「──寝てる間に彼方が今も傍にいてくれて、私やお母さん達とこの家で一緒に生活してるような、そんな夢見ちゃって」


まだ上手く脳が働いていないのか、愛梨はうわ言のようにそう呟いた。

吉野は気まずそうにしながらも愛梨のその言葉に笑って対応していた。


「──夢の中の彼方は、吉野とおんなじで勉強が出来て、私なんかよりよっぽど女子力高くて家事も全部やってくれて。夢の内容がそんな感じだったからきっと朝食を用意してくれてた吉野の事、彼方だって勘違いしちゃったのかな」


愛梨が続けた夢の内容を聞いて、私がその馬鹿になった口を塞ごうと彼女に近づこうとした途端、『ドンッ』という机に何かを叩きつけたようなそんな音がした。


「朝食、用意出来たから」


吉野はそれだけ言い残して自分で用意した朝食を食べずに家を出ていった。


物音を聞いて居間に出てきた由紀菜さんが事情を聞いて溜め息を吐いた。

颯斗さんは着替えるとすぐに後を追うように家を出た。


「……私、何言って」


冷静になって自分の発した言葉を振り返った愛梨は口を押えてその場にしゃがみ込み頭を抱えた。

由紀菜さんは泣き始めた愛梨に寄り添って慰めていたけど、愛梨の情緒はしばらく荒れたままだった。

私は何をすることも出来ずに愛梨の部屋に戻り、血濡れた愛梨のベッドのシーツを回収してお風呂場で洗った。


しばらくして目元を真っ赤に腫らした愛梨が吉野を探しに行くと声を掛けてきた。

この状態の愛梨を外に出したくない由紀菜さんは彼女を必死で止めていたし、正直私も同意見だった。


けれど愛梨は行くと言って聞かず、仕方なく私が同伴する形で愛梨は吉野を探すために外へ出た。


私達二人の幼馴染みが過去に誘拐されている件についてを思い出して焦りを覚えてしまった私は、私の携帯電話から吉野に電話を掛けてみた。

しかし連絡は付かず、私の声で幾つかの留守番電話を残し帰ってくるように伝えた。


愛梨は体調が悪いからなのか、気落ちしているからなのか走る事もせずにとぼとぼと歩くばかりで、気が急いていた私は途中から愛梨の手を引く形で街中まちなかを歩き回っていた。




「まったく吉野の奴、何処まで行ったんだか」


しばらく探してみたけど、全然それらしい姿は見つからなくて、途中愛梨が腹痛を訴え始めたために一旦近所の公園に立ち寄って、傍にあった自販機で暖かい飲み物を買ってから二人でベンチに腰掛けた。

愛梨にはお腹を温めるためのカイロの代わりになるようにと暖かい飲み物をもう一本買って与えてあげた。


「──楓奏ごめん、私のせいで」


「この間私が余計な事言っちゃったせいでこうなったのかもしれないし。私の方こそあの時はごめんね」


「ううん、楓奏は何も悪くないから」


私達はそれぞれ購入した飲み物を口に含みながらゆっくりと会話をした。


「……そっか。私も愛梨の気持ち、少しは分かるから。だからもし私にも愛梨にとっての吉野みたいな存在がいたら、同じ事してた気がするよ」


「──楓奏の幼馴染みはどんな子だったの?」


「……『ヒナ』はなんて言うか、お調子者だった。それに何事にも活発で、名前に負けない太陽みたいな子だったかな」


「そうなんだ」


「私の傍にあった太陽が唐突にくなって、私の世界は真っ暗になった。いっつもヒナが手を引いてくれてたから、私はヒナがいなくなって自分を見失って生き方にも迷うようになった。それが今の私。何も持って無くて、無気力に生きてるだけのそんなつまらない人間なの」


「うん、分かるよ。私も吉野がいなかったらそんな感じだったと思うし」


「そっか。じゃあやっぱり私達は似た者同士だね」


私の独白に相槌を打ちながら、愛梨は少しだけ笑顔を見せてくれた。


もうすぐ夕方になるし、これ以上探してても埒が明かないので私はまた愛梨の手を引いて愛梨の家へと帰ることにした。


帰り道を行きながら、少し元気が出てきたのか愛梨が彼方という少年の話をしてくれて今度は私が相槌を打ちながらそれを聞いていた。




愛梨の家へと帰り着くと優しい顔をした由紀菜さんが出迎えてくれて、『颯斗が吉野くんを見つけたみたいだから、一先ずは安心していいからね』と私達を労ってくれた。


その後、『どうせお昼ご飯もまだなんだろうから』とだいぶ早めの晩ご飯を用意してくれて、ご飯の後は愛梨と二人で一緒にお風呂に入って早めに寝た。


そしてその日は素直じゃない愛梨と一緒の布団で眠って、今度は私がヒナの夢を見た。

朝起きて涙が止まらなかった私は愛梨に慰めてもらって、由紀菜さんと由紀菜さんが用意してくれた朝食に癒されながら新しい一日をスタートした。





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それは一学期の終業式の日の事だった。


学校が終わるといつものように愛梨の家に寄ってから愛梨と一緒に道場へと向かった。

道場が終わり何度も投げられた事で痛みを訴える身体を何とか動かしながら、愛梨と別れて家に帰ると家には誰もいなかった。


広間の一室にある机の上に置き手紙があった。


そこには『急な話だが2ヶ月程度家の使用人達に休養を与える事になった。金は置いておくので何とか遣り繰りして独りで過ごしなさい』と父の字で書かれていた。

置き手紙に書いてあるとおり、机の上にはアタッシュケースが置いてあって、その中には札束が詰まっていた。


「使用人が休みなのは分かったけど、親父あんたまでいないのはどういう理由なんだろうな」


口ではそんな事を言って見たものの、寧ろ今まで親父おやじが家にいないのが当たり前だったので、いきなり父と二人きりで生活をしなければいけなくない状況にならなくて良かったと思った。


俺は一銭も受け取らずにアタッシュケースを閉めて、既読を伝えるために置き手紙に大きく『〆』を付けた。


翌日愛梨の家にお邪魔した時に世間話の感覚で愛梨に家の状況を話すとそこからあれよあれよと話が進み、俺は夏休みの間愛梨の家に宿泊する事になった。


正直愛梨の家で生活するなんて気が気でなかったが、愛梨の提案を無下にする事は俺には出来なくて結局押しに負けた結果だった。


──ほんと、情けないったらありゃしない。


宿泊生活が始まって、毎晩のように颯斗さんと話で盛り上がって、毎日が有頂天だとでも言うように過ごしていた。


途中から楓奏も加わってそこから勉強合宿という名目に変わって、教えてもなかなか理解が進まない愛梨に懇切丁寧に勉強を教えたり、どうしても集中力が続かない楓奏に何度も声を掛けて机に向かわせたり、勉強嫌いの二人を見るのは大変だったけど、おかげでとても充実した日々を送っていた。




お盆という時期が来て、少しそわそわと落ち着かない気分になった。

それと言うのも、俺の家は毎年お盆の時期には必ず母の墓へと挨拶に行っていたからだ。


俺を産んですぐにこの世を去った母──、邦枝くにえだ 安奈あんなに会うために、普段は家にも帰ってこない親父は必ず休みを取って俺を彼女の元へ同行させた。


今までがそんな感じだったのもあって、お盆の時期にこうして家の中で過ごすという経験が無くて、変に緊張してしまっていた。


だからあんな事になってしまったのだろうか。


緊張のせいで夜中に寝付けなかった俺は、結局一睡も出来ないままにキッチンに立ち朝食を用意した。


真っ先に由紀菜さんが起きてきて眠れなかった俺の心配をしてくれて、一度部屋に戻った由紀菜さんと入れ替わるようにして楓奏がリビングに来て、その後愛梨が起きてきた。


見た夢の余韻から俺を ″彼方″ と勘違いしたと話す愛梨に苛立ってしまって、俺は逃げるようにしてその家を飛び出した。


元々お盆だという事もあって、外に出てないと落ち着かなかった。だから頭を冷やすついでに丁度いいと散歩でもしようと思った結果だった。


そんな俺は気の向くまま歩き続け、自然と母の墓を訪れていた。

多分これはもう癖や習慣みたいになってしまってるんだと思う。いつもと違うのは親父同伴じゃないという一点だけだった。


既に綺麗にされ花と線香が備えられたその墓の前に辿り着いて、手を合わせて一礼した。


ふと墓を見てみると、母の名前の横に小さく文字が刻まれていた。掠れてしまっているもののそれは『結』という字にも『糸』と『吉』という二つの文字にも見える。


明らかに後から彫られたと分かるその文字にどんな意味があるのか、少し気にはなったが今はそれを訊ける相手もいないため、この時は深くは考えないでいた。


母のお墓参りが終わり、街中まちなかをぶらついていると慌てた様子の颯斗さんと会った。


どうやらあの場にいた全員俺が不貞腐れて家出じみたことをしたと勘違いをしているようで、皆で探し回っていたらしい。

俺は颯斗さんに頭を下げて謝罪してからすぐに帰るつもりで脚を動かしていた。


しかし颯斗さんにはそのつもりは無かったようで、二人で一緒に近場のビジネスホテルに泊まることになった。


「──スパルタって訳じゃないけど、たまにはお前らを別々にしてやらないと。このままじゃ愛梨はまた先に進めなくなるだろうから」


父親の顔をしてそんな風に言ってみせた颯斗さんは家では絶対に吸わない煙草と絶対に飲まないお酒を飲みながら俺に話題を投げ掛けては談笑していた。


親父より父親っぽい颯斗さんと何日かを過ごして、家に帰ってみると愛梨に抱き着かれた。

泣きながら、『ごめん』を繰り返す彼女の頭を撫でて、言い訳がましく勘違いを正してやると愛梨は唖然としたような、けれど嬉しそうにして笑っていた。


それからも何度かふらっと出掛けた俺を愛梨が慌てて探しにきたり、価値観が合わずに口論になったりする事もあったが、大きなトラブルには発展せず、平和な夏休みを過ごしていた。




問題があったとするなら一つだけ。


「結局楓奏の課題が残ったままなんだよな」


夏休みも終盤に差し掛かった頃、未だ課題が終わってなかった楓奏のために愛梨の復習も兼ねて三人で課題に取り組んだわけだが。


理解度は低くともやる気のあった愛梨はまだマシだった、という事実が今更ながらに浮上してしまい俺は頭を抱える事になった。


一応愛梨からも本人からも話を聞いて、楓奏が勉強嫌いになった理由は分かったわけだが、それなら楓奏をやる気にさせるにはどうしたらいいのか、そこから考え直す必要が出てきて、三人で頭を悩ませた。

とは言っても夏休みも残り僅かだったこともあって、いつまでも悩んでいる訳にもいかなくて。

最終的には中学生になる直前に愛梨に教えた方法で答えを写させることしか出来なかった。


「めっちゃ助かった!ありがと」


課題を終わらせた楓奏はそれだけで満足そうにしながら、残りの夏休み期間を遊びのために全振りしていた。

愛梨もそれに乗っかって、舞菜を巻き込みつつ女子三人で楽しそうに過ごしていた。


俺はそれを端から眺めつつ、夏休み明けの試験のための勉強をした。

時間を潰すためだった勉強も、誰かと一緒なら楽しく思えた。


──結局は何事も気の持ちようで、やろうとして取り組めば、多分それなりに楽しく思えるんだろうな。


そんな事を考えて、出会ったばかりの頃にブランコに乗りながら愛梨が言っていた言葉を思い出して途端に感慨深くなった。


──やっぱり俺、愛梨のこと好きだな。


記憶の蓋が開き、流れるように過去の記憶を遡っていく。

そして直近のこの夏休みの間の事を思い返して、普段必死に抑えている感情が溢れてしまいそうになった。


そんな時、ふと楓奏がこちらを見つめて口角を上げていることに気がついた。

どうも思っていた事が顔に出ていたらしい。俺は慌てて片手で顔を覆って口元を隠した。


その行動がより俺の脳内感情を表現してしまったようで、ついに楓奏が声を漏らして笑い始めた。


突然の楓奏の行動に愛梨が訝しげな顔をして、舞菜と二人で首を傾げていた。

そんな姉妹の息ぴったりの仕草を見て、今度は俺が笑ってしまって、リビングは俺と楓奏の笑い声でいっぱいになっていた。


キッチンにいた由紀菜さんがそんな俺達の様子を楽しそうに眺めていた。




これからもこうしてこの家で、こんな笑顔溢れる光景が続けばいいなと、俺は心の中でそう希った。


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