第28話
転校後の新しい学校──、中部中学校に通い始めてから早くも4ヶ月が経ち、私達は夏休みの真っ只中だった。
夏休みが始まって、特にこれといった予定も無かった私は部活がある日以外は毎日のように愛梨の家に来ていた。
愛梨と吉野は夕方になると道場に行くのでそれまでの時間は三人で課題をしたり吉野が愛梨の家に持ってきたゲームをしたりして時間を過ごした。
そんな私は夏休みに入って一週間が経った頃にとある疑問を持った。
愛梨の家に来ると毎度当たり前のように吉野がいたのだ。
気になって話を聞いてみると新学期が始まるまで、つまりは夏休みの間中ずっと吉野は愛梨の家で生活することになっているらしい。
それはつまりは夏休みが始まってからのこの一週間、既に吉野はこの家で愛梨と愛梨の家族と生活していたということだろうか。
あまりの事に私は最初何を言われているのか理解が出来なかった。
夏休みの間、吉野の家には人が誰もいない状態となり、吉野は独りきりの生活を送ることになってしまうそうで、吉野からその話を聞かされた愛梨の方から家に誘ったらしい。
私は恐る恐るといった様子で吉野の方を見てみると彼は複雑そうな面持ちでいた。
──多分、愛梨の誘いを断れなかったんだろうな。
愛梨は一度言い出すとこちらの話を聞かない強情な所がある。
今回のこれは吉野が愛梨の押しに負けた結果ということなんだろう。
「そうだ。せっかくだし、楓奏もうちに泊まらない?」
愛梨にそう尋ねられ、私は愛梨に返事をするよりも先にすぐに携帯電話を取り出してお父さんに電話を掛けた。
「ね、お父さん。私夏休みの間綾辻さん家に泊まるから」
「──分かった。綾辻さんのご両親によろしく言っておいてくれ」
そう言ってお父さんは電話を切った。
なにやらとても忙しいらしく『しばらく家に帰れそうにないからちょうどいい』とのことだった。
「お父さんからの許可も取れたし、しばらくの間お世話になります」
こうして私は吉野と愛梨と、そして愛梨の家族と一緒に夏休みを過ごすことになった。
せっかくのお泊まりだし、私と愛梨のための勉強合宿という形を取ってはどうか、という愛梨のお母さん──、由紀菜さんの提案で私と愛梨は吉野に勉強を教えてもらうこととなった。
そして家事に関しても私と吉野、それから愛梨を含めた三人の当番表を作ってそれに従って作業分担をして行うことになった。
愛梨は家事と聞いて嫌そうな顔をしていたけど、
「皆が家事をしてくれたら、舞菜のための時間を作れるからすごく助かるわ」
という由紀菜さんの一言で愛梨も渋々といった様子で了承した。
こうして愛梨の家でのプチ合宿は始まった。
──私達がこうして三人で連むようになったのは、いつからだったかな。
夜になって机に向かう吉野と愛梨の姿を眺めながら、ふと私はそんな事を思った。
私は愛梨と友達で、吉野は元々愛梨の親友だった。
個人的な事情から私は邦枝 吉野の事を幼い頃から知っていたのだけど、あの事件までは関わろうとはしなかった。関わることを避けていた。
だから同じ学校に通ってはいても、吉野と私は愛梨を挟んだ間接的な関係でしかなかった。
そんな私が吉野と初めて絡んだのがあの事件の時だった。
愛梨が教師から暴行を受けたあの日、全身傷だらけな愛梨の酷い状態を見て私は後悔や自責の念で頭がいっぱいになった。
あの時愛梨があの男子生徒達に頻繁に絡まれるようになったきっかけは私だった。だから当然愛梨が日常的に喧嘩をしていた事も知っていた。
それなのに私は何の手助けも出来なかった。
そしてあの教師との件もそうだ。
あと一歩、私が動くのが早ければ愛梨はあんな酷い状態にならずに済んだかもしれないのに──。
全てが解決した今、今更たらればを繰り返したところで仕方ないことは分かっている。
けれど、あの日の事はどうしても忘れられない。私はあの日の無力な自分の事を忘れちゃいけない、とそう思っている。
そしてあの時唯一私が役に立てたことが検事の娘だったという事で、それを愛梨のお父さんに提示したのが吉野だった。
お父さんへの繋ぎとして電話越しに話したあの時が吉野との初めての会話だった。
あの事件以降、私達はまるで最初から仲が良かったかのように三人で過ごすことが増えていた。
在宅期間中のある日、愛梨の家からの帰宅途中私はふと思い立って吉野に尋ねたことがあった。
「──吉野は愛梨の事好きなんだよね?」
そんな私の質問に言葉ではなく、表情や態度で吉野は答えを返してくれて、
「……頼むから愛梨には黙っといてくれ」
と私に懇願してきた。
私は別に二人の恋路に水を差したいわけじゃなかったので、吉野のその言葉を二つ返事で了承した。
その後吉野に根掘り葉掘り話を聞いて、なんとなくだけど二人が両想いなんじゃないかと推察して、吉野を励まそうとしたわけだけど、どうやら話はそんなに単純じゃなかったらしい。
吉野は詳しい事は教えてくれないけど、愛梨には色々と入り組んだ事情があって、それが原因で吉野は異性としては見られてなくて。だから吉野も気持ちを伝える事はしないと決めているようだった。
吉野本人がそんな感じだったので私は二人を見守ろうと決めて、二人と一緒の日々を過ごしていた。
ある朝欠伸をしながら教室に入ると吉野と愛梨が向き合って何かを話していた。
私は『遂に!?』なんて早合点して興奮してしまったけど、そうではなかった。
悩んで授業を聞いてなかった愛梨のためにわざわざその日一日分の全部の授業の板書を一冊のノートにまとめてきたようだった。
その行動だけで吉野の愛梨への気持ちはただ漏れで、その場にいた他のクラスメイトが何かを察したように愛梨を凝視していた。
当の愛梨は自分の事にいっぱいいっぱいで吉野の気持ちに気づくことはなくて、そんな二人を見て私は笑いを堪えるのに必死だった。
「昨日お前が余計なこと言わなきゃ愛梨に変な勘違いさせることもなかったんだ」
その後、吉野から責められ私は笑いながら彼に謝った。
それからすぐに勉強が大の苦手だった愛梨が勉学に真剣に取り組むようになったり、運動が苦手だからと文学部の幽霊部員と化していた吉野が愛梨と一緒に道場に通い始めたりと様々な変化もあって、自ずと二人の関係も大きく変わり始めていた。
私はそんな二人の進展を心の底から喜んでいた。
「二人の進展は素直に嬉しいんだけど。そうなんだけど……、なんでそんな当然のように家に泊めちゃうかな」
課題に向き合う二人を見て私は溜め息を零しながらそんなことを呟いた。
二人の仲が良いことも、中学生になる前から吉野が愛梨の家に頻繁に出入りしていた事も、愛梨の両親が吉野を受け入れている事も、二人から聞いていたので知ってはいた。
けれど泊まりってなると、話は別じゃないだろうか。
──私が知らないだけで、実はこの二人って既に恋仲なのではないか。
そんな邪推をしてしまいそうにもなる。
そうじゃない事は以前吉野の口から聞かされた事があるので知っているが。
この歳になると知らなくていい事も色々と知ってしまっているわけで。だからこそ、二人のこの距離感について思うところがあったりするわけで。
「…… ″恋仲″ ってなんなんだろうね」
それからしばらく私は唸りながら恋人の定義について頭を悩ませた。
「──さっきから何考えてんのか分かんないけど、お前もちゃんと課題やれよ」
「……はーい」
夏休み限定で ″邦枝先生″ の生徒である私は、彼から注意を受けたことで再びいくら考えても解の出ない課題に着手し始めた。
吉野が愛梨の事を想っているのは知っている。
それなら、愛梨の方はどうなんだろうか。
吉野が愛梨の心へ踏み込まないでいる『事情』とはなんなのだろうか。
結局、野暮な事を考えてばかりで全然課題は進まないままいい時間になって私達は就寝準備を始めた。
吉野は愛梨のお父さん──、颯斗さんの部屋で、私は愛梨の部屋でそれぞれ眠りに就いた。
床の上に敷いた布団で横になった私は暗くなった部屋の中、天井をボーッと眺めながら一日を振り返った。
初日の今日は驚く事も多くて落ち着かない一日だった。
おかげで全然勉強に集中出来なかった。
せっかくの勉強合宿なんだし、明日からはちゃんと吉野に教わりながら課題を進めていこう。
翌朝、寝坊した吉野の代わりに愛梨と協力して朝食を用意した。
颯斗さんとの話が盛り上がってしまって、吉野は日を跨ぐ時間まで起きていたらしい。そのため颯斗さん共々寝坊したというわけだった。
愛梨に聞くと夏休みが始まってから二人は毎朝こんな感じらしく、愛梨も由紀菜さんも慣れた様子だった。
こんななのに吉野に朝食当番を任せてよかったのだろうか。それとも ″だからこそ″ なのだろうか。
朝食を食べ終わって、愛梨の指示で彼女がやるはずだった食器洗いを吉野が代わりにやっていたり、颯斗さんは由紀菜さんに何やらお説教をされていたり。
私は舞菜ちゃんを膝に乗せたまま、そんな彼ら彼女らのやり取りを笑いながら眺めていた。
愛梨の家でのお泊まりが始まってから一週間程が経った頃の事。
愛梨と吉野が道場に行っている間手持ち無沙汰になった私は愛梨の部屋にある小さい本棚の中から愛梨が通っていた小学校の卒業アルバムを手に取った。
所々に栞が挟んであって、それが気になって見てみるとそこには吉野と瓜二つ、けれど吉野とは雰囲気もその容姿も違う一人の男の子の姿があった。
見方を変えれば女の子にも見えそうなその子はいつも愛梨の隣にいて、けれどある時からぱったりといなくなっていた。
吉野と似ているその子のその顔を見るとなんとなく行方知れずな幼馴染みの事を思い出してしまって、私は切なさに胸が締め付けられそうになった。
それからしばらくして玄関から愛梨と吉野の声が聞こえて私は慌ててアルバムを元の位置に戻した。
帰ってきた二人と愛梨の家族との日常を過ごしながらも私はさっき見たアルバムの事が忘れられないままでいた。
それからというもの、私は今まで以上に勉強にも部活にも集中出来ず、愛梨や吉野から注意という名の心配の声をもらってばかりだった。
お盆に入った頃には愛梨は吉野の指導の甲斐あって課題を全て終わらせていた。
勉強会の最中考え事ばかりだった私は二人のペースについていけずにいて、まだ半分以上課題が残ったままだった。
「楓奏ちょっと前から様子おかしくない?何かあった?」
寝る前に愛梨に声を掛けられて、私は剽軽に振る舞いながら自分自身の過去について話をした。
「私さ、今はこんなだけど幼い頃は勉強好きだったんだ。お父さんみたいな検事になるって夢があったから、だから勉強を必死に頑張ってた。だけど、ある時から全然勉強に身が入らなくなって、気がつけば勉強が大嫌いになってた」
検事になる夢があって、一緒に検察事務官になると約束してくれた『ヒナ』がいて、あの頃の私はそれだけでなんだって頑張れた。
だけど『ヒナ』がいなくなって、私は私自身の夢と向き合う事も嫌になって、勉強を頑張るのも馬鹿らしく思えてしまった。
それが
静かに私の話を聞いてくれた愛梨は本棚から例の卒業アルバムを取り出して私の前で開いた。
「……そういえば楓奏には話した事無かったよね。この子は彼方。大原 彼方。私の幼馴染みで私の弟みたいな存在だった子で、私がとても大切に想っていた子。私が右眼を失ったきっかけのあの事故の日に、その時の車の運転手に連れて行かれて行方不明になったの」
件の吉野似の男の子の写った写真に優しく触れながら、愛梨は愛おしそうに ″彼方″ という子の話をしてくれた。
何処か類似点の多いように感じる愛梨とその子の話を私は茶々を入れることも無く黙って聞いていた。
「愛梨はさ、吉野の事どう思ってるの?」
これまで幾度か聞こうと思って野暮だと思って聞かなかった事を、私はこの機会に敢えて訊いてみた。
愛梨の『事情』という物が分かって、吉野が愛梨に気持ちを打ち明けなかった理由が何となく知れて、どうしても気になった。
吉野が愛梨を想っていることは知っている。
それなら、愛梨の方はどうなんだろうか、と。
「──私は酷い事をしているって、そう思ってる」
私は好きか嫌いかのYES/NOが訊きたかったのに、斜め下の答えが返ってきた事にまず驚いてしまった。
「私は彼方に似てたって事がきっかけで吉野と話すようになって、それから一緒にいるようになって仲良くなった。吉野の成長を見て感じる度に私は『彼方もこんな風になってるのかな』ってそんな事ばかり考えちゃうんだ」
ページを捲りながらそう言って語った愛梨は ″彼方″ がいなくなって、代わりに吉野と一緒に写る写真ばかりのアルバムをパタリと両手で閉じた。
「私は吉野に彼方の影を重ねちゃってる。それは私を大切に想ってくれてる吉野に対してとても酷い事をしてるとそう思う」
愛梨は本棚にアルバムを仕舞いながら、そう言って自身の過去を悔いるようにしてそう呟いた。
「もう今日は寝よう」と愛梨は由紀菜さんの部屋へ挨拶に行き、私は部屋で一人愛梨の言葉を噛み締めた。
──訊かなきゃよかったな。
部屋を出る前の愛梨の表情を見て、私は心底後悔した。
どうして吉野が愛梨の心に踏み込まないのか。
それは自分の存在が愛梨の傷口を抉ってしまうと吉野自身知っていたからだった。
私が愛梨達の卒業アルバムを見てから、ざわめき立って心が落ち着かなかったように、愛梨は ″彼方″ という大事な存在の消失を必死に何かで誤魔化しながらこれまでを生きてきたんだろう。
私はこれまで愛梨の強さばかりを見てきたから、そんな彼女の弱い部分を知らなかった。
多分知ろうともしてなかった。
後日この日の事がきっかけで愛梨と吉野は衝突して、私はそれを止めることが出来なかった。
仲の良かった二人の関係にヒビが入ってしまって、私達の勉強合宿という名のお泊まり会は家出した吉野を捜索するための時間となっていった。
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