少女と少年。
第24話
部活が強制であるこの学校で、今まで碌に趣味も無く、運動をしてこなかった私は部活選びに大変困った。そこで父親に相談したところ陸上部を勧められた。
下手に球技をするよりは身体をバランス良く鍛えることが出来て、且つ生きていく上で必ず必要となる『走る』という動きの練習が出来るから、という理由だった。
陸上部に入ってからは特に練習メニューが組まれているわけでもなく、ただひたすらに走るだけだった。
タイムを測って、それを基準にもっと速く走る方法を考える。
ただそれだけの部活だった。
こんな学校だからだろうか。幽霊部員も多くて先輩達も聞けば基礎を教えてくれるけどそれ以上は何も教えてはくれない。
いや、というより多分何も知らない。だから教えられないんだ。
そんな部活動で、ただ一人。
遊ぶような軽快さで、けれど真面目に部活に取り組む人がいた。顔の右側を眼帯で覆っている彼女の名前は
私は何度か100メール走を繰り返しつつも合間には彼女を見ていた。
ちょっとした先輩のアドバイスを元に自分自身で身につけたらしい走り方。綺麗なフォームが印象的だった。
夏休みが終わり、二学期が始まった頃。
部活で学校に来ていた私はバスケ部に所属している先輩に目をつけられたようで呼び出され、告白された。
私は色々あって、まだそういう事を考える余裕が無かった。
そうありのままを伝えると、答えに納得しなかった先輩から尚も詰め寄られた。怖くなった私はその場から逃げた。
その先輩は「結婚しろ」と叫びながら逃げる私のことを追いかけてきた。
流石に陸上部に入りたての私では体力が持たずにすぐにダウンしてしまった。
逃げ切れない、不味い、どうしよう。
そんな言葉が私の頭の中をグルグルと回った。
慌てて校内の茂みに隠れた私は先輩が通り過ぎるのを待った。
待って通り過ぎたらまた元来た道を走れば良いと思った。
けれど一向に先輩は現れない。
諦めたのかと思って茂みの外に出た時だった。
慌てて出てきた誰かとぶつかった。
「……痛っ」
ぶつかった相手は例の先輩だった。
私と同じことを考えて隣の茂みに隠れていたらしい。
「もう逃さねえからな」
そう言って先輩は転がる私の上に馬乗りになってきて制服に手を掛けてきた。
まずい、まずい、まずい、まずい。
何をされるのか分からなくて、怖くて震えていた時だった。
馬乗りになっていた先輩が誰かに顔を蹴られて吹き飛んだ。
「大丈夫?」
それは、隻眼のあの子だった。
どうやら私を追いかける先輩のことを彼女は追い回して追い詰めてたらしい。
「う、うん。ありがとう」
「この学校ってなんでこういう人達ばっかりなんだろうね。ほんと嫌になるよ」
そう言って彼女は笑いかけてくれて。
それが彼女との出会いだった。
気が合った私達はよく話すようになって、部活も一緒に参加した。
これが運命的な出会いだった事を知るのはまだ先の話だ。
>
「
「……ううん。解こうとはしたんだんだけど全然分からなくて諦めちゃったんだよね」
「あー、すごい分かる。中学校上がってから急に難しくなったよね!」
「だよね!もう全然分かんないって」
楓奏と一緒に廊下を歩きながらそんな理解が出来ない数学への愚痴を零している時のこと。
階段の傍にいたカラフルな頭をした集団の横を通り過ぎた時だった。
「おっ1年生?君ら可愛いじゃん」
「急になんですか」
集団の一人、素行の悪そうな見た目をした男子に絡まれた。
口振りからして恐らく先輩だろう。
茶色に近い金髪をした彼は私と楓奏の身体全体を上から下へと舐めるようにして見てきた。
下卑た目をしたその金髪はいきなり楓奏の腕を掴んで無理矢理自分の元へ引き寄せようとした。
私は間に入りその腕を振りほどいて楓奏を庇える位置に立った。
そして彼に私の身体に触られ、気持ち悪いその手つきに思わず相手の顔を殴ってしまった。
「何してんくれんだ、てめえ」
私は外から来た赤髪の男子に腕を掴まれると何らかの技を決められてしまい床へと叩きつけられた。
勢いよく背中から落ちた私はすぐには起き上がれずに外から来た青髪に何度か蹴りを食らった。
ゆっくり起き上がると上から迫ってきた赤髪の股間に蹴りを入れた。
今度は金髪が戻って来て何度か壁や床に打ち付けられながら彼ともみくちゃになり、最終的にただただ殴り合うだけの喧嘩になっていた。
収拾がつかなくなってしまったところに男性教師が仲裁に入ってきた。
見ていた生徒の誰かが呼んできたらしい。
ただでさえ、多対一で分が悪かった私はそのことに心底安堵した。
「これで済むと思うなよ」
男子達は在り来りな捨て台詞を吐くと、股間を蹴られたことで立てなくなってしまったらしい赤髪を連れて教師に連行されていった。
ボロボロな私は楓奏に支えてもらいながら保健室に行った。
迎えてくれたのは40代ぐらいの女の人だった。
「はい、いらっしゃい」
「先生、この子私を庇って不良っぽい子と喧嘩して──」
養護教諭である彼女に楓奏が事情を全て説明してくれた。
話を訊いた養護教諭は私の傍から離れたがらない楓奏から私を引き取ると彼女に教室へと戻るように指示した。
名残惜しそうに私を見てくる楓奏に一言お礼を言って手を振って別れた。
「さて、改めましてこの中等部で養護教諭をしています。宮﨑 帆南です」
帆南先生から自己紹介を受け、私も名乗った。彼女は何か納得したような表情をした。
そして改めて私自身の口から喧嘩の状況なんかを説明した。
楓奏は気づいていなかったらしいが、相手が空手か何かの経験者だったように感じたことを伝えると、帆南先生は顔を顰めた後で慌てて診察へと移った。
カーテンの張られたベットの上に行き、先生の前で下着姿になる。
まじまじと身体を見られるのは事故で入院した時以来だったので何だか小っ恥ずかしい。
腕や脚を掴まれ、骨折箇所が無いかどうか調べるため可動域のチェックなんかをされた。
全く痛みが無かったのでそう伝えると帆南先生は安心したように診察を終えた。
「激しい打撲で内出血してるところが何ヶ所かある。腕も脚も動くみたいだし、骨は折れていないと思うけど油断は出来ないわね。背負い投げされた時に頭から落ちなかった事だけが幸いね。もし落ちてたら危なかったと思うわ」
そんな風に診断された。
首、背中、左頬、腰、両腕、左手に湿布や絆創膏を貼られ、制服を着直した。
その後、手招きされ先生の机の傍へと寄った。
再び帆南先生と向かい合って座り、彼女は恐る恐るといった表情で軽く私の顔にある眼帯に触れ「これの事聞いても大丈夫?」と優しく問いかけてきた。
特に話さない理由も無かったので私は過去の事故のことや、この眼に関して医者からの診断されていることなどを説明した。
話しながら私は眼帯を外した。
「……もういいわ、ありがとね」
先生は軽く診ただけで状態を把握したらしく悲痛に顔を歪め、私の顔に眼帯をつけ直してくれた。
「右眼が見えないと左側に頼りきりになっちゃって身体の左側にだけ負担が掛かりすぎちゃうことがあるから気をつけてね」
「……はい。分かりました」
眼帯をつけた後、腫れてしまった私の左手を撫でながらそう言ってくれた。
教室に戻り席に着くと楓奏が駆け寄ってきた。チラッと教室の中を見ると、もう喧嘩の噂が広がってしまっているのだろうか、クラスメイトは怯えた様子で私の方を見ていた。
自分の席に着くと教科書を取り出して授業の準備をした。
「綾辻、上級生と喧嘩したってほんとかな」
「マジか、怖っ」
「身体中怪我してんじゃん」
「ずっと眼帯つけてんのって昔喧嘩で……、とかなのかな」
コソコソと言いたい放題囁く声が聞こえる。
特段気にはしないけど、耳に入ってくるだけでもやっぱり少し鬱陶しく感じる。
一番前の角の席にいるおかげでクラスメイト達の顔は見えなくて、それだけは好都合だった。
放課後になると楓奏を連れて部活に参加する。
楓奏なんかは「まだ無理しちゃダメだよ」と止めてくれたが、特に痛みがある訳でも無かったので普通に部活へ参加した。
『視界の右側が見えていないことで自然と左側に負担が掛かかってしまう』
帆南先生から注意されたことを意識しながらいつものように走った。
身体に少しの違和感を覚えたものの気持ちよく走り切って、その日の部活を終えた。
「ただいま」
「愛梨、おかえり」
いつもように返事を待たずに家に上がろうとすると、珍しく母が起きていたらしく返事が聞こえてきた。
(こんな時に限って──。)
私は急いで自室へと向かった。
身体中に貼ってある湿布を全て剥いでゴミ箱へ捨てた。
鏡で自分の顔を見ると左頬はまだ赤みが残っている。
両腕の打ち身をした箇所は紫色のままだった。この様子だと恐らく首や背中などの自分では見えない箇所も同様なのだろう。
何とか誤魔化す方法を考えていた時だった。
『コン、コン』と扉をノックされ心臓が跳ね上がった。
とりあえず下着のままは不味いと思い、軽く膝上まで丈のあるパーカーを羽織った。
「……どうかした?」
扉を開けるとそこに居たのは母だった。
部屋の中が薄暗いお陰で母は特に何も気づかずにいた。
「ううん、特に用があるわけではないの。ただ最近あまり話せていなかったし、愛梨と話がしたいなって思っただけ」
「そう、分かった。すぐにリビングにいくからちょっと待ってて」
「分かったわ、待ってるわね」
扉が閉まり母の足音が遠のくのを感じて、私は再度鏡とにらめっこをした。
顔の腫れは隠せないし、腕の痣は隠せても左手は隠せない。
ならば誤魔化すか。
部活で転けて怪我したのだとでも説明するか。
私は頭が良くないし、口下手だから恐らく何処かでボロを出してしまうだろう。
それに母は元看護師だ。怪我については断然私なんかより詳しいに違いない。言い逃れが出来る気がしない。
そもそもだ。クラスメイト達が知っていることを教師が知らない筈もない。
教師が知っているということは既に母に連絡が来ている可能性だってある。
考えれば考えるほど無駄な抵抗をしようとしているように思えてきた。
結局何をしてもダメな気がした私は正直全て話すことを決意した。
「おまたせ」
話すと決めた私は特に見た目を繕うことも無くリビングへ向かった。
母は驚くことも無く、ただ話してくれるのを待っていたと言わんばかりに私の話を聞いてくれた。
やっぱり最初から知っていたんだ。
「実はね、帆南さんは私が看護師をしていた時の先輩なのよ。だから久々に連絡が来てビックリしちゃった」
その ″ビックリ″ は突然の連絡に対してだろうか。それともその連絡の内容の方だろうか。
そのどちらとも、なんだろうな。
本来寝ているであろう時間にこうして起きていたのも、帰ってきた私と話すためなのだろう。
「……その、色々とごめんなさい」
「んー?『色々』って?」
「いや、喧嘩のこと隠そうとしたこととか。
「ううん。いいの。私の方こそ最近舞菜の育児を理由に愛梨のこと気にしてあげられなかったなって反省させられちゃったから」
母は私にシャワーを浴びてくるよう指示した。風呂から出ると、下着だけを着てリビングへ。
薬箱を取り出して中から湿布やら布テープやら包帯やらを用意した。
母に傷の手当てをしてもらいながらこの半年の間にあったことを話した。
吉野の提案で陸上を始めたこと。友達が出来たこと。微妙に授業についていけていないこと、など。
話の途中で舞菜が目を覚ましたらしく泣き声が聞こえた。母は返事をしつつ自分の部屋へと向かった。
リビングで待っていると母は涙目な舞菜を連れて戻ってきた。
「舞菜、お姉ちゃんですよ」
母にそう紹介され、私は挨拶代わりに舞菜の頭を撫でてあげた。
キャッキャ、と笑った舞菜は私の方に手を伸ばしてきた。このポーズの意味を母に尋ねると抱っこを要求する時にするポーズだと教えてくれた。
抱っこしてあげたいけど、私は上手な抱き方を知らない。
「こうしてあげるのよ」
すると母は私に舞菜を預けて軽く抱かせると私の腕を掴んで抱き方を教えてくれた。
初めてちゃんと触れた舞菜の身体はとても温かくて柔らかかった。
しばらくキャッキャ、キャッキャと騒いでいた舞菜だったが、まだ眠気が残っていたのか私の腕の中で揺られながら眠ってしまった。
「あら、寝ちゃったのね」
「赤ちゃんってなんかいいね」
私は舞菜を起こしてしまわないようゆっくりと母に返した。
そして母は部屋に戻り舞菜を寝かしつけてからまた戻ってきた。
話の流れで私がまだ赤ちゃんだった頃のことを聞いた。
私は結構乱暴な赤ん坊だったようですぐに駄々をこねては泣いていたらしい。
あまり成長が無いようで少し恥ずかしかった。
手当てが終わって、母と向き合った。
母は今日帆南先生から喧嘩についての話を聞いた際に「娘の状態くらい知っててあげなさい」と注意されてしまったそうで、私がつけている眼帯に触れた。
「見てもいい?」と確認を取ったあとでゆっくりと眼帯を外して私の右眼を診た。
視界の右半分だけが真っ赤に染まり、物もあまりハッキリとは見えない。
たった十数秒の間両眼を使って見ていただけでも左と右の色覚齟齬を感じてしまい気分が悪くなってきた。
嘔吐感が来て、私は慌てて口元を押えた。
母はそんな私に気づき、急いで手で私の顔の右側をそっと包むとゆっくりと眼帯を付け直してくれた。
いつも通りの視界に戻り、母の顔を見ると彼女の頬には涙が伝っていた。
「お願いだから、これ以上傷つかないで」
母は私を抱き締めてそんな風に懇願してきた。
もしかしたらずっとそんな風に思ってくれていたのかもしれない。
自分のことに無頓着になってしまっていた私にずっとそう伝えたかったのかもしれない。
私がまだ幼い頃から、私が誰かと喧嘩して怪我をして帰ってくる度にそんな風に思ってくれていたのかもしれない。
「ごめん、お母さん。ごめん……」
私は母が心配してくれていた事に気づけなかった。
そんな悔しさに下唇を噛み締め、私は私の肩に顔を乗せて泣き続ける母に謝った。
翌日、登校すると校門の前であの男子達が待ち伏せしていた。
見なかったことにして素通りしようとするも赤髪の男子に腕を掴まれた。
昨夜のことを思い出して何とか手を出さずに堪えたかった。
けれど他の男子達が向かってくるのが分かって何もせずにはいられなかった。結局また私はカラフル集団と喧嘩した。
その挙句、またも騒ぎを聞きつけた男性教師に助けてもらい、男子達に揉まれた私は保健室送りになった。
帆南先生は呆れた表情で私の手当てをしてくれた。
「先生、うちの母と知り合いだったんですね」
「ええ。あなたが保健室を訪れた瞬間に何となく似てるとは思ったけど、あなたに自己紹介されて。本当にそうだとは思わなかったわ」
「お母さん、帆南先生に言われて色々と反省したって言ってましたよ。それで怪我しないでって懇願されちゃいました」
「……それなのに今日またこんな事になったの?」
「また絡まれてしまったので仕方がなく、ですよ。もし抵抗せずに好き放題された結果にどうなるかって考えたら怖くて。抵抗した方がいいと思いました」
「……いい?ああいう子はね、抵抗されると尚のことちょっかい掛けたくなるものなのよ。だからその都度その都度相手をしていたらキリが無いわ」
「じゃあ抵抗せずに酷い事になった方がよかったんですか?」
「ううん、そうは言わないわ。ただ相手を上手く流す術は身につけたほうがいいと思うのよ。今日みたいなことを延々と繰り返さないためにもね」
「上手く流す方法とか言われてもよく分かりません。何したってあいつらは突っかかって来ると思います」
「まあ、確かにあなただけを注意するのが間違いなのは確かよね」
帆南先生はそう言って私の治療を終えると立ち上がり、保健室用に設置されてある子機で誰かに電話をした。
「また綾辻さん保健室に連れてこられたわ。──は?いやだって昨日の今日ですよ。しかも今日は目立つ校門で絡まれたそうです。あなた方は一体どんな指導をしたんですか。指導が足りてないんじゃないですか?」
そう言って怒鳴っていた。
「とりあえず授業は受けて来なさい。それで放課後にまたいらっしゃいね」
そう言われ、私は保健室から追い出された。
昨日以上に鬱陶しい物を色々と感じながら過ごした一日が終わり、放課後になるとすぐに保健室に寄り湿布や包帯なんかを交換してもらった。
帆南先生に「あ、そうだ。部活には参加しちゃだめだからね」と念押しされ、今日ばかりは楓奏に一言残して部活を休んだ。
帰宅するとまたも母に出迎えられた。
もう既に事情を知っているであろう母は私の姿を見て目を潤ませて私の頬を叩いてきた。
母に手を引かれて一緒にリビングまで行くと手を繋がれたままの姿勢で隣り合わせにソファに座る。
「今日も帆南さんから電話来たわ。また喧嘩したのよね」
「……うん。また絡まれちゃって、抵抗しなきゃって。抗わなきゃ酷いことになるって思って」
「でも愛梨がやり返すことで相手は更に逆上する。そうなったら同じことの繰り返しになるんじゃないの?」
「だったら何もしない方が良かった?無抵抗のまま殴られ続けた方が良かった?好き放題弄ばれる結果になって最悪の事態になってもお母さんは同じこと言えた?」
「そんな話はしてないでしょ。自分を守ろうとして抵抗したのはお母さんだって分かってるわ。だけどやっぱり手を出してしまうのは間違ってるのよ。結局暴力は暴力しか産まないから」
「……なら私はどうしたら良いの。お母さんが言うようにどうせこれからだって同じような目に遭うんだよ」
「それは颯斗にも帆南さんにも相談して色々と考えていくつもりよ。だからそれが決まるまでの間、とりあえずは先生達とも話し合ってそうならない環境を作っていくしかないと思うわ」
「あの先生達が私一人のためだけに動いてくれると思えないけどね」
「もしそうだったとしても相談して話してみなきゃでしょ?もしかしたらあなたに頼られたことで動いてくれる先生もいるかもしれないんだし」
「……ふん、どうだか。きっと無駄だと思うけど」
少なくとも私が見てきた教師達は用事も無い限り生徒と関わろうとしないような人ばかりだ。
そんな人に期待するだけ無駄だと思う。
それが伝わらなくて、とてもイライラする。
母はあいつらを知らないから無駄な期待をする。知っていたら絶対にこんなことは言わない。
「だけどあなたが心を開かなきゃ先生達だって手を貸そうとだって思えないじゃない。あなたが心を開かないからそういう対応されているのかもしれないわよ」
母がそう口にした途端、私の中で何かが音を立ててぷつんと切れたように、必死に抑えていたものが溢れてきた。
「──は?生徒を物としか思ってないような人達だよ。そんな人達に心を開いて接するなんて無理に決まってんじゃん!」
「だからって喧嘩ばっかりしてても何も解決しないでしょ!それとも何。あなたはこれからも毎日毎日今日みたいに喧嘩をして、怪我をして帰ってくるつもり?」
「私だってしたくて喧嘩してるんじゃないし、怪我をしたくて怪我してるんじゃない!」
「分かってるわよ!だから喧嘩をせずに済む方法を一緒に考えようって、そう思って話をしてるんでしょうが!」
聞く耳を持たない私に苛立ったのか、母まで怒鳴りあげるような口調に変わってしまった。
売り言葉に買い言葉。まさにそんな表現が似合う言い合い。
「けど先生達には頼れないって言ってんのに聞いてくれなかったのお母さんじゃん!私が心を開かないせいだとか言うじゃん!全部が私のせいみたいに言うじゃん!」
「──っ。それは言葉の綾で。もうちょっと大人を頼ってみたらいいんじゃないかって事を言いたかっただけで」
自分の発言を掘り出され、痛いところを突かれたと言わんばかりに母が言い淀んだ。
怒気の鎮まらない私が更に言い詰めようとした時だった。
初めて聞くような尋常じゃない泣き声を上げた舞菜の声が聞こえてきた。
「……ちょっとごめんなさい」
母は私に一言告げて舞菜の元へ向かった。
私はソファから立ち上がって自室へと向かった。部屋に入るとそのままベッドに倒れ込んだ。
しばらくして『コン、コン』と扉を叩く音がした。
私はベッドから起き上がると扉を開けた。
そこには舞菜を抱いた母が立っていた。
「ねえ、今日怪我したところ見せてくれない?私もあなたの怪我を診てあげたいの」
「放課後帆南先生に診てもらったばっかりだし、別にいいよ。今は特に痛みとかも無いし大丈夫だから」
「……そっか。大丈夫なら、いっか」
「私もう寝るから。おやすみ」
「……うん、おやすみ」
それだけ言って私は扉を閉めた。
母や帆南先生が言うことも分かっているつまりだ。
何もしなければ、相手も何もしてこなくなる。私が抵抗するから面白がってちょっかいを掛けてくる。
でも私ももう中学生だ。
手を出されてやり返すこともせず無抵抗を貫いた女が最終的にどんな風に扱われてしまうのかも知っている。
私が中学生なのと同じように彼らも中学生。
しかも上級生なのだ。私よりそういうことを知っていてもおかしくはない。
そんな事ばかりを考えてしまうから、何を言われても自分の中での結論が変えられない。
考え方を改めることが出来ない。
けれどだからといって先生達に頼らなければならないのは絶対に嫌だった。
私はどうするべきなのだろうか。どう彼らに対処すればいいのだろうか。
思考が堂々巡りした。
「……怒鳴ってしまって、ごめんなさいね」
扉の向こうから母のそんな声が聞こえてきた。
それから二週間が経った。
結局あの口喧嘩の後以来、母とは口を聞いていない。
私は相も変わらず喧嘩を売られてばっかりだった。その度にまた身体に傷を作っていた。
>
数日経ったある日、リビングに顔を出すと母が起きていた。
母は私に朝ご飯を用意してくれて、学校へと行く私を送り出してくれた。
家を出る時、母は私に何か言おうとして口を開いたり閉じたりした。結局何も言わずに私に手を振った私を見送った。
学校に着くと今日は何がある訳もなく普通に教室まで向かった。途中ここしばらく休んでいたらしい吉野と会い、驚かれてしまった。
いつものように教卓側の扉から教室に入ってみるとクラスメイトからの刺さるような視線を感じた。
軽く左目で睨むと彼らは怯えた表情で慌てて顔を背けた。
私は彼らを無視して自分の席に座った。
そうして今日の課程は始まった。
担任教師である男性──、時任は教室に入ってくると私のことを一瞥してキツく睨んだ後ホームルームを始めた。
その後、何も問題も無く普通に授業を受け、何の問題も無く一日を終えた。
ただそれだけの事なのにそれが嬉しかった。
良さげな気分のまま部活に行こうと教室を出た時だった。
「おい綾辻、話があるからちょっと来い」
廊下で時任に声を掛けられた。
何の話をされるか思い当たる私はテンションを右肩下がりに落とし、言われるがまま時任についていった。
時任はプレートの掛かっていない教室の前で立ち止まり鍵を開けた。
私を中へ促して後から教室に入ってきた。後ろ手で扉を閉めて鍵まで閉めた。
唐突に、私はいきなり背中に蹴りを食らった。
時任は蹴られた勢いのまま床に倒れて込んでしまった私を何度も蹴り転がすと仰向けになった私のお腹の上辺りに馬乗りになり顔目掛けて一殴りを加えてきた。
「お前のせいで俺の教師としての評価が落ちたんだよ。どうしてくれんだ、あ?」
時任はつらつらと文句を言いながら私を殴った。
指導した男子生徒が言うことを聞かない。
男子生徒の保護者から苦情の電話が何件もきた。
養護教諭の帆南先生から指導不足だと文句を言われた。
何故か警察官の男から学校に電話が来た。男の通告を重く受け止めた理事から厳重注意を受けてしまった、と。
時任は全てを私のせいだと言って何度も何度も殴った。右頬を殴られる度、右眼が痛みを訴えてきた。
私は胸ぐらを掴まれるとそのまま持ち上げられ壁に叩きつけられた。
後頭部を思いっきりぶつけ、まだ打ち身が治っていなかった背中が悲鳴を上げた。
右頬に水滴のような何かが垂れた。
終いには私の首を絞めて「殺してやる」とまで言い始めた。
呼吸が満足に行えない私は次第に身体から力が抜けていった。徐々に瞼が落ち始め、意識が遠のき始めた。
もう何をしても無理だ。助からないと、全てを諦めかけた。
──昔、彼方から相談されたことがあった。
全てを自分のせいだと言う父に何度も暴力を振られた、と。それがとても辛かったのだと言っていた。
こんな感じだったんだろうか。
彼は幼さなくしてこんな痛みを受け続けていたのだろうか。
だとしたらそれに耐え続けた彼方は凄いな。
私は耐えられそうもないや。
突如廊下にバタバタと複数の足音が聞こえた。
そして空き教室の扉がドンドンと叩かれた。
「先生開けて……!先生……!」
楓奏の声だった。扉を何度か左右へガタガタと揺らし開けろ開けろと抗議した。
「……ちッ」
時任は舌打ちをし私の首を絞めていたその力を緩めた。
呼吸を取り戻した私は担任教師の股間を蹴りあげた。
時任が痛みに蹲るのを見て逃亡を図ると扉の傍に行き鍵をガチャガチャといじくった。
そして何とか解錠して扉を開いた。
「愛梨!」
「楓奏、助けて……!」
私が楓奏に向けてそう叫んだ時だった。
再び背後から蹴り飛ばされた私はそのまま廊下の窓ガラスに叩きつけられた。
窓ガラスが割れ、その破片が飛んで傍にいた楓奏に当たった。
思い切り頭をぶつけた衝撃から私の右眼に更なる激痛が走った。
私は私の元へと駆け寄る楓奏の姿をぼんやりと視界に写しながら意識を失った。
>
放課後空き教室で時任からストレスの矛先を向けられた愛梨さんは暴力を振るわれ、怪我をした。
彼女の友人である手嶌さんから「愛梨が担任に何処かへ連れて行かれた」と相談されて事態を知った私は、指導であれば指導室を使うはずだと、手嶌さんを連れて職員室に向かい、鍵置き場で鍵の有無を確認した。
指導室の鍵は使用されておらずそこに掛かっていて、ならばと他の持ち出された鍵なんかを見てみると、鍵置き場から普段誰も使わないはずの空き教室の鍵が抜き取れていることに気がついた。
私は手嶌さんを伴って慌てて空き教室のある場所へと向かった。
途中、例の不良集団が手嶌さんに絡もうとして近づいてきた。
「あなた達も来なさい!」
そう言って彼らに怒鳴った。
すると怒鳴られて怯えた彼らは大人しく私に付き従った。
空き教室に辿り着き、扉の窓に映る愛梨さんのの姿を見つけた手嶌さんが声を上げ愛梨さんを呼んだ。
それからすぐに勢いよく扉が開き、中から慌てた様子の愛梨さんが出てきて、手嶌さんに向けて助けを求めて叫んだ。
そして、時任に蹴り飛ばされ思い切り廊下の窓へとぶつかった彼女は頭から血を流しながら意識を失った。
手嶌さんは割れて飛び散ったガラス片で顔に傷を負った。
私は連れて来た男子達に意識が無い愛梨さんを保健室まで運ぶように指示を出し、彼女に駆け寄っていた手嶌さんにも保健室に向かうよう声を掛けた。
二人の担任教師だった時任は騒ぎを聞きつけた他の教師に囲まれ連れて行かれた。
私は保健室に着くとすぐに男子達に指示を出しながら二人の手当をした。
幸い手嶌さんの方は頬の傷以外には特に目立つ怪我も無かった。
私は手嶌さんの手当を終えた後、愛梨さん診るために男子達を保健室から追い出すと手嶌さんに補助をお願いした。
暴行を受けて意識の無い愛梨さんの状態は酷いものだった。
顔の両頬が紫色に腫れ上がっていて、首には絞首痕。割れたガラスが刺さって頭から出血をしている。
右頬に血が伝った後があり、眼帯を退けて右目の瞼を上げてみると眼球が潰れてしまっていた。
服を脱がせてみると腹部にも蹴られた痣が残っていた。背中全体が血で真っ赤に濡れていた。
手嶌さんは愛梨さんの痛々しい姿を見て我慢が出来なってしまったようで口を塞ぎながら慌てた様子で保健室内に設置されてあった流し台に向かい嘔吐した。
そして軽くうがいをした後ですぐに気分の悪そうな顔のまま戻ってきた。
「無理しなくてもいいから」と声を掛けたが手伝うと言い張った彼女に手伝ってもらい出来る限りの応急処置を行っている最中、慌てた様子で教頭が現れた。
彼は処置中であるなどお構い無しと言った様子でカーテンを開け放ち私の顔だけを見て「救急車は呼ばず、宮﨑先生の方で病院に連れて行ってあげなさい」とそう言った。
理由は学校の体裁を守るため、この学校で障害沙汰があったことを世間に知られないためだと言う。
それだけを言い残して怪我人の心配をするでもなく保健室を去っていった教頭。
私も手嶌さんもそんな彼に対して苛立ちを覚えつつも処置を続けた。
怪我人二人を病院まで連れて行くためまずは男子達に愛梨さんを外まで運ぶようにと指示を出した。
駐車場の傍で待っているように言ってから保健室の戸締りをして鍵を返すため職員室へと向かった。
その中では先程の教頭と時任が何かを話していた。
そんな様子が気にはなったものの待たせていることを思い出して急いで職員室を後にした。
駐車場まで行くと待ってくれていた男子達や手嶌さんを車まで案内する。協力してくれた男子達には一言お礼を言った。
狭い車の後部座席で愛梨さんの膝を曲げて何とかと言った様子で彼女を寝かせた。手嶌さんも後部座席に座り、愛梨さんの膝枕をしてくれていた。
もうすぐ病院に到着するという頃に愛梨さんが目を覚ました。手嶌さんは泣きながら彼女の頭を抱いた。
私は意識が戻ったことに安堵しつつ少し飛ばしながら車を走らせた。
病院に到着すると緊急外来を訪ね処置室へと通された。
手嶌さんは診察の結果、傷が治るのには時間が掛かってしまうが特に問題は無いと診断された。
けれど愛梨さんの方は手術までいかなくとも治療に時間が掛かった。
彼女の治療が終わったと報され、私は引率の養護教諭であることを伝えて診察に混ぜてもらった。
私の方から医師に事情を説明して、要所要所で愛梨さん本人に確認を取りつつ話をした。
怪我についての診断を聞き、最後に彼女の右眼の話になった。
彼女は治療の最中で頭から全ての包帯が退けられたはずなのに視界の右側が見えていないことに違和感を覚えたらしい。
右眼が潰れて無くなってしまったと知っても彼女は特に顔色を変えることもなかった。
「見えない期間が長かったから今更無くなってしまったと聞いても特に抵抗は無いです。寧ろ眼帯を外した時の右半分が真っ赤に染って見えていたあの不快感が消えたって考えたら嬉しいくらいです」
彼女はそう言って笑ってみせた。
廊下の椅子に座り待っていた手嶌さんを連れて窓口へ向かった。中学校の名前で領収書を取り、病院を後にした。
運転をしながら学校に電話。仕事を終え帰宅しようとしていたらしい教頭が不機嫌な様子で電話を取った。一応、二人の診断の結果を伝えた。
教頭に時任の処遇について尋ねると笑いながら教えてくれた。
時任は暴行を働いた事自体はお咎め無しとされ、自己都合退職という扱いで学校を去ることとなったらしい。
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