第20話




ベッドから起き上がって時計を確認してみると14時を回っていた。


そう、完全に寝坊だった。


普段使わない携帯電話を確認してみると13時過ぎにちょーさんからの着信が入っていた。

もうだいぶ遅いけど慌てて掛け直す。


「……もしもし」


「あら、目覚めた?」


「……はい、ついさっき起きました」


「そう。それで昨日言ってた件なんだけど何時頃に……」


「ちょ、ちょっと待って」


あまりに普通に話をするものだからこっちが驚いてしまう。

寝坊して手伝いをサボってしまって、ある意味無断欠勤をかましてしまったというのにそれを咎められない事が逆に怖くなった。


「私、寝坊したんだよ?」


「ええ。確かに起きる時間としては少し遅いかもね」


「あの、昼までに起きれなくて……」


「まあ今日に関しては仕方ないんじゃない?」


何か話が噛み合ってない気がする。

『仕方ない』ってなんだろう。そんな事言われる理由も無いと思うんだけど。


このままちぐはぐな会話を続けていても仕方がないと思って、単刀直入、ちょーさんに尋ねてみることにした。


「あの、ちょーさん?私お手伝いすっぽかしちゃったんだけど、保育士さんに何か言われなかったの?」


「何を言ってるの?あなた昨日の夜体調崩して寝込んでたんでしょ?予め真利愛からそう聞いていたから保育士達にはあなたが来れない事は伝えたわよ」


「えっ?私、体調不良で寝込んでたの?」


「……そう聞いているけど、違ったの?」


「全く記憶に無くて」


「まあ、いいわ。とりあえず今日は無理しなくていいからゆっくり休んでいなさい」


「ううん、今はもう元気そのものだし、ちょーさんの部屋には行くつもり。ダメかな?」


「来るなって言っても来るんでしょうし、別にいいけど。夜中あなたの看病で大変だったみたいだから、二人にはお礼を言っておきなさいね」


「そうなんだ。うん、分かった。じゃあ二人が起きて話を聞いてからそっち行くね」


「ええ、分かったわ。じゃあまた後でね」


寝ている間に熱を出して、看病されていて。

しかも私自身はその事を全く憶えていないくて。


なにそれ。そんな事あるか。

いや、実際そういう事が起きてたわけだからあるにはあるんだろうけど。


なんだか自分で自分が心配になった。

とりあえず、寝ているまーさんと陽葵に声を掛けた。


目を覚ました二人はピンピンしている私を見てか「なにそれ」と口を揃えて落胆した。

いや、『なにそれ』は私の台詞だと思う。


陽葵は眠っている途中熱さで寝苦しさを覚えて目を覚ました。

すると隣で私が熱を出して苦しそうにしていたらしい。

熱を出した人間に抱き着かれていたらそりゃ熱苦しくもなるよね。


陽葵がじたばたと動き回る生活音で目を覚ましたまーさんも私の世話をしてから眠ったために寝不足をこじらせていた。


記憶の無い私ではあったが迷惑を掛けてしまったようなので二人には頭を下げて謝罪をした。

同時にお礼も述べた。

その後、私は約束通りちょーさんの家へと向かうため軽く準備をしてから家を出た。


眠そうに私を見送る二人の顔があまりにそっくりで笑ってしまった。


やっぱり親子だ、とそんな風に思った。




ちょーさんの家に着くと、何故か呆れ顔で出迎えられた。


「ちょーさん、本当に来たのかって思ってるでしょ」


「あら、ついに人の心まで読めるようになったの?」


「ちょーさんがそういう顔をしてるんだよ」


小言を交わしつつ出迎えられた私は、もはや私専用になりつつある椅子へと腰掛けた。


「それで。今日はどんなお話をしましょうか、『おばーちゃん』」


「突然その呼び方されるのはちょっと困るわ」


「ええ、別にいいじゃん」


「もしそう呼びたいなら先に真利愛の事を『お母さん』って呼べるようになってからにしなさい。まだ気恥ずかしくて呼べないんでしょう?」


「……うっ。今そこを突かれたら何も言えない」


「真利愛への呼び方を改めれば私へのその呼び方も許してあげるけどね」


「そこまでして呼びたいわけじゃないから。今まで通り『ちょーさん』呼びにする」


「あら、そう。残念ね」


多分まーさんから何らかの連絡がきていたのだろう。痛い所を突かれてしまい、まーさんへの『おかーさん』呼びを強要されたのでちょーさんの『おばーちゃん』呼びに関しては諦めることにした。


多分この人は私が『おばーちゃん』と呼べるようになるまでの過程を見て面白がるのが目的だろうから、その手には乗ってあげないことにした。


「それで、今日は何の話をする?」


仕切り直して、同じ問い掛けをする。


「あなたはあまりしたい話じゃないかもしれないけど、もうすぐ登校日じゃない?大丈夫そう?」


「……まあ、行くと決めた以上は。ひなも一緒だし、頑張ろうと思ってるよ」


「そう。その事で要望とかない?こっちで考慮出来る部分は対応しようと思ってるんだけど」


「前みたいな事にならないように、取り敢えず最初は詰襟を着るって決めたでしょ?その事に不満はあるけど納得はしたから。あ、でも髪については考慮して欲しいかも。染めるのはなんか嫌だし、切りたくはないし」


「うん、分かったわ。そこは学校側に相談してみる」


「あとは……」


それからもちょーさんに学校に行くにあたっての不安事を相談した。


現時点での私の成績や内申点の事だったり、その事がどういった場面で影響していくのかについてだったり。


一応は学期毎に成績表みたいな物が届いていて、それには教師陣からのコメントが記されていたらしい。


それは担任教師からの取り繕ったような励ましの言葉だったり、学年主任や教頭からの『来なければ退学にする』という遠回しな脅迫だったり。

養護教諭の先生からの温かいメッセージだったり内容は様々だったそうだ。


それを聞くとちょーさんが今まで私に成績表の話をしてこなかった理由もなんとなくだが分かった気がする。


まだ今年度今学期分が届いていないらしいが、ここまで大丈夫だったのだから今更退学なんてことにはならないだろうという話で学業に関しての話は終わった。


丸々二年近く登校拒否を続けたのに退学にならないなんて、この国の教育制度はそれで大丈夫なのだろうか。

見当違いな事を考えつつ御手洗で用を足してから部屋に戻るとちょーさんは私の方を見て口を開いたり閉じたりして気まずそうにしていた。


「どうかした?」


「いえ、訊きたいことを思い出して、訊くかどうか迷っててね」


「別にそんな遠慮しなくても答えられることなら答えるよ」


「真利愛から色々話は聞いてたけど、あなた本人からも話を聞きたくてね」


「……答えられることならって言ったけど、もう重い話は勘弁だからね」


「別にそういう話じゃないわよ。あなたと彼方……、ああ、もう『陽葵さん』って呼んであげなきゃいけないのよね。そう、あなたと陽葵さんのお話を聞きたいのよ」


「予め聞くけど、まーさんからどんな話を聞いてるの?」


「えっ?何って『互いに互いを想い合う良い関係になってくれた』ってそう聞いているけど?」


焦った。

てっきりまーさんが全部話しちゃてるのかと思った。

全部っていうのはそういう色々の事を全部って意味で。

当然話されてたら困るし、恥ずかしいし。


ん?『別にちょーさんになら恋人になったって知られたっていいし』なんて言ってたのは誰かって?


そりゃ言いましたけども。

いざそういう事を問い詰められると緊張するものじゃん?


「……そ、そう!私達兄妹として互いを ″想い合って″ 、仲良くしてるから安心してくれていいよ」


「そう。なら安心だわ」


とりあえずは誤魔化せたかな。

微笑ましい目で頷いてくれているし、大丈夫じゃないかな。

そう油断していた私だったが、次のちょーさんの一言で絶句した。二の句が継げなくなった。


「ただ仲が良いのはいい事だけど、流石に二人でホテルに行くっていうのは私はまだ早いと思うのよ」


多分、あの日の事だと思う。私が陽葵に迎えに来てもらったあの日。

確かに二人でホテルにいたと誤解されても仕方がない。

実際私はほぼ裸体のまま横になっていたところを陽葵に着替えさせてもらい介抱されて、連れて帰ってもらってるわけだし。


というかなんでちょーさんがその事を知っているのだろうか。


誰かに見られてた?

それとも途中で会った誰かがちょーさんの知り合いだった?


あの日私は陽葵と一緒にホテルに行ったわけではないので、『二人でホテルに』と勘違いしているってことは出てきたところを誰かに見られたかあるいは二人でいるところを見て、そう誰かが勘繰ったのを聞いただけか。


あの日の帰り道の事を私はほとんど憶えていないので、この質問を否定しようと思っても否定するための材料が足りない。


「あの、ちょーさん。何か勘違いしてない?あの日迎えに来てもらったから確かに一緒にホテルにはいたのかもしれないけど。ひなと一緒にそういう場所に行ってそういうことをした事は無いからね?」


「あら、そうなの?二人はそういう仲になったって真利愛が言ってたからてっきりそうなのかと思ったわ」


「やっぱ私達の関係まーさんから聞いてたんじゃん!」


「だから真利愛から話を聞いたって言ったじゃない」


ちょーさんは私達二人の関係を全部知ってた上で聞いてきて、しかも私はカマをかけられて、それにまんまと乗ってしまったらしい。


「『そういう場所に行ってそういうことをした事は無い』ってことはそういう場所以外ではそういう事をしたことがあるのよね?」


「……はあ。もう、最悪。なんで余計な事言っちゃったかな」


全てが終わった。そんな気分だった。


身内に営みについて知られることほど恥ずかしい事は無いと思う。しかもそれが兄妹の間柄で行われていた事で、知られた相手が二人の祖母に当たる人だったというのだから尚更。

まーさんに知られた時だって結構ショックだったのに、一番知られたくなかった人に知られてしまった。


「実はね、あなた達が利用したタクシーの運転手から連絡をもらったのよ。『高校生くらいの女子二人がホテルから出てきて、送り届けたんだがお宅の施設はそれで大丈夫か』って。あなた達、施設の目の前で降ろしてもらったんでしょ?それで向こうもあなた達が施設で暮らす子供だって分かったみたい」


そういえばタクシーに乗った気がする。ハッキリと憶えていないけど。


ここまで知られるんならもう話さない訳にもいかない。


私はあの日の事をちょーさんに吐露した。

居酒屋に連れて行かれた挙句に媚薬入りのお酒を飲まされホテルに連れ込まれた事。

身体が色々と限界で帰れなくなって陽葵に迎えを頼んだ事。


「その日の事はそんな感じ。帰り際に何があったかとかは酔っててあんまり憶えていないから。もし聞きたいならひなに聞いて」


「私は二人の事を知りたいだけだから、そういう中身については割とどうだっていいわ。この話をしたのだって二人が本当に男女の仲になったのか本当の事を知りたかったってだけだもの」


つまり私の口から真実を聞きたいが為に私が口を滑らせそうなホテルの話を持ち出しただけ。それに私はまんまとそれにハマって言わなくていいことをポロッと言ってしまった。


「それで、どうなの?あなた達二人はそういう仲なの?」


「はいはい、そうですよ。私達はそういう仲になっていました。報告が遅れて申し訳ありませんでした。けど、だからってこんな訊き方する必要あった?」


「誘導尋問みたいな事をしたのは悪かったわよ。あなたに直接聞いても答えてくれないだろうって、そう思ったの」


「……私、やっぱりちょーさんの事嫌い」


「もう、そう捻くれないで。あなた達がそういう関係だからってどうこう言うつもりは無いのよ。寧ろ認めて祝福してあげたかったの」


「だったら最初から──」


そう言ってくれればいいのに。


そう続けようと思ったけど、それは違う。

私が素直じゃないからこそちょーさんはこんな遠回りをしてまで訊かなければならなかった。

そう、悪いのは私だ。


「──ううん、違うね。ちょーさんがこんな回りくどい事をしたのは私が変な嘘を吐いたからだよね。私こそごめん。最初からちゃんと話してれば良かった」


「話せなかった気持ちも分からないでもないから別に責める気はないわよ。血は繋がっていなくても『兄妹』なんだしね。私こそ嗅ぎ回るような真似をして悪かったと思うわ」


自分の言動を省みても私はちょーさんに対して色々と不誠実だったと思う。

私達が住む施設の施設長で私達の親代わりで、私の兄で恋人の陽葵のお母さんであるまーさんのお母さんでお祖母ちゃん。

陽葵との関係は、そういう相手に黙っていていい事ではなかったと思う。


よし、ちゃんと挨拶をしよう。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。私、少し前から陽葵くんとお付き合いさせていただいていました。向こうから告白してくれて、私も同じ気持ちだったので受け入れたんです。それから……、いくところまでいって、今回改めて家族になれて大変嬉しく思っています。私は今後もお孫さんとより良い関係を築いていきたいと思っております。ふつつか者ですが末永くよろし──、痛っ」


「馬鹿ね。そんな堅苦しい挨拶はいらないわよあなただって真利愛の息子で娘なんだし、私の孫なんだから。もう少し普通に報告して?」


ちょーさんに少し畏まって挨拶をしていると、途中で突っ込みが入った。


「それともあなたはまだ『本当の子供じゃないから』とか『血が繋がっていないから』とかってそう思ってる?だから本当の家族じゃないってそう思う?」


「だって、それは事実で。私は……」


まーさんと暮らしていたあの時だって、あくまでお父さんの息子としてまーさんと一緒にいただけだった。

いつの間にか苗字が『志村』になっていて、私とは違いまーさんが私の事を息子として扱ってくれていたのが分かって、薄情な自分に嫌気が差した。

だから歩み寄ろうとしたけど踏み込めなくて、そのまま手術の影響で記憶を無くしてまーさんとはそれっきりになった。


思い出した今でも変わらず、私は彼女に踏み込めない。

どれだけ『もう家族なんだから』とそう言われても、やっぱり何処かで疎外感を覚え、孤独を感じる。

一から家族をやり直すと決めた今なんかは特に。


「だから昨日今日とここに来てくれてるのね。二人と──。いいえ、真利愛と一緒に過ごすことに戸惑いを覚えてしまうから」


「…………!」


図星だった。

今までは、ただの養子だと思えていた以前は良かった。

けれど初めて会った時の事を思い出してしまって、私のそばに居てくれた保護者がみんな血の繋がりを持つ家族だと知って。

知ってしまった今はどうしても色々を考えてしまって、別の意味で疎外感に苛まれてしまう。


「昨晩真利愛から『彼方は今日託児所の手伝いに行けないと思うから』なんて連絡が来たからおかしいと思ったのよ。

せっかく家族になってこれから三人一緒にいられるって時に強制しているわけでもない託児所の手伝いに来ようとするなんて。今のあなたにとっては託児所も逃げ場の一つでしかないのかしら」


「……託児所の手伝いが好きなのは本当だよ。子供達は可愛いくて見てて和むし、ストレス発散にもなるから。だからまーさんとの事があってもなくても、私は手伝いは続けるつもり」


「そう、そう思ってくれてる事は素直に嬉しいわね。今まで色々ありつつも助かってたもの。これからも続けてくれるなら私も職員も助かるし、大歓迎よ」


「ひなはもちろんだけど、今までお世話をしてきた子供達も私にとって家族みたいなだもん。ちょーさんの言う通り、今はまーさんと距離を置くための言い訳みたいに使っちゃってるかもしれないけどそれは本当だから。だからこれからも保育の手伝いだけは続けさせて欲しいんだ」


ちょーさんは私の懇願を嬉しそうに了承してくれた。

それから一息吐いて、私の手に手を重ねてきた。


「まあ確かにあなたと私達に血の繋がりは無いかもしれないけど、それ以上に大切な『家族の絆』はあるのだと私も真利愛も思ってるわ。だからこそ真利愛はあなたを連れ帰ってきたのよ。今度こそは三人でちゃんと家族になろうってね。

血の繋がりだけあって『家族の絆』が欠片も無いようなところに行かせるなんて不安しか残らないもの」


「そうかもしれないけど、まーさんはずっと探し続けた息子とやっと再会出来たんだよ。だったら二人きりにしてあげたいって思うじゃん。

私だってそういう事ならひなと離れるくらいなんてことないし。ひなもやっと自分を取り戻していけるかもって嬉しそうにしてたし」


「あなた、やっぱりここを離れるって考えはまだ捨てきれていないのね」


「今すぐここから出ていくつもりなんて無いけど、私がいることで何か起こってしまうんだとしたらその時にはそうするべきだとは思ってるよ」


「まああなたに私の考えを押し付ける気は無いし、あなたがそう考えるなら私はそれでいいと思う。無理に真利愛と接する必要も無い。

ただ一つだけ憶えておいて欲しいの。

私も真利愛も、そして陽葵さんもあなたの事を大事に想っているわ。だから何かあった時には精一杯手助けするつもりだし、何かあった時には頼ってもいい。私達がそういう存在だって事、それだけは忘れないで欲しいの」


「そう言ってくれて嬉しいんだけど、なんか意外。ちょーさんは反対すると思ってた」


「他人を思いやって行動することと思いやりを押し付けるのは同じようで全く違うことだってあなたと接するようになって気がついたからね。こちらの気持ちを受けてどう行動するかはあなた次第ってことよ」


「そっか、そうだね。ありがとう」


今のちょーさんとのこの距離感はすごく心地が良く感じる。

まーさんともいずれはこんな風に──。

そう思うけど、今それが難しいのは自分のせいなのは分かっている。


だから少しずつでいい。少しずつこんな風に打ち解けていけたらそれでいい。そうして、家族になっていけたらいいと今はそう思う。


「ちょーさんの気持ちは分かったよ。何かあったら絶対相談するようにするね」



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