第17話
3月26日。
陽葵の誕生日ということで真利愛さん施設長さんも一緒に誕生日の祝い事をした。
真利愛さんは自分の誕生日が定かでない僕まで祝ってくれて、家族三人で騒いだ。施設長さんが用意してくれたケーキは甘くてとても美味しかった。
以前にもこうして誰かと一緒にケーキを食べた気がする。
「懐かしいわね。昔もこうして子供とケーキを食べた事があるわ」
真利愛さんがそんな風に呟いていた。
例の行方の分からない息子さんの事だろうか。
協力して食器を片付けてからその日はリビングに布団を敷いて三人で一緒に眠った。
翌日、保育園から帰ってきた陽葵が「桜月ちゃんがプレゼントくれたの!」と嬉しそうに報告してくれた。
その後帰ってきた真利愛さんに「話したいことがあるから机の上を片付けて待っていてもらってもいいかしら」と声を掛けられ三人で席に着いた。
「ねえ、陽葵。そろそろ学校に通わない?」
真利愛さんにそう言われ、陽葵は暗い顔を浮かべて身震いした。
結局結論が出ないままに話が終わり、用事が済んだ後で仕事があるからと真利愛さんは家を後にした。
真利愛さんが帰ってすぐ、陽葵は僕に抱き着いてきた。色々と思い詰めているようで口数は少なく、その時はただただ抱き合った。
気持ちが落ち着いたのか、少し照れくさそう陽葵に「じゃあ、しよっか」と誘われ一緒に部屋へ入るとベッドの上で肌を重ねた。
それが終わると、彼女は学校へ通うことへの不安を沈痛な面持ちで吐露した。
「もしまた性別の事で色々言われたらどうしよう。男子達に囲まれ、女子達には偽物だって笑われて貶されて惨めな思いにされるのは嫌だ」
僕には彼女の気持ちが分からないから、偉そうな事は言えない。
だからせめて聞くだけ聞いてあげようと思った。
話しの途中で涙ながらに眠ってしまった陽葵を見て僕はそんな彼女を守ってあげたいとそう思った。
翌日、自分の姿を鏡で見て、以前よりもさらに自分が理想とかけ離れた姿になってしまったことを悟った。
陽葵とは20cm以上の身長差が出来てしまった。
以前よりも肩幅も広くなってしまって、首の喉仏もはっきり出来てしまっていた。
身体中毛が生えてきて処理も大変で、唯一女らしさを象徴出来る物として伸ばし続けていた髪の毛は脂っぽくなってしまって、陽葵の髪に触れた時のような手触りとは全く違うものになってしまっていた。
毎晩しているせいもあって股間のモノは大きくなってしまっていた。萎びている状態でも以前の勃起状態くらいの大きさがある。
今の歳くらいまで成長すると男性ホルモンの活動が活発になって男女の差が出始めるのだと陽葵は過去には話してくれた。
身体の成長も、筋肉の発達も、喉仏の発現も、髪の質感も、そして生殖器の活動も。
全てが男女で異なるものになってしまう。
僕は正にそんな時期の真っ只中にいるのだから仕方ないと言えば仕方のない事なのかもしれない。
そんな成長期の中でも特に僕の身体が大きく変わり始めたのはあの日からだと思う。
気持ちを確かめ合って、初めて一線を越えた日。
こうなる事が分かっていたから予め陽葵は言っていたのだ。『男としてそういう事をしてしまったら、かな はきっと後悔すると思う』と。
あの時の言葉はこういう意味だったんだと、今更ながらその意味に気づいて、やるせない気持ちになった。
この長い髪が邪魔に思える日が来るなんて思ってもみなかった。
だから数日後に施設長さんから髪を切るよう提案をされた時は素直に頷けた。
翌日に美容室へ行って、担当美容師の気遣う視線を受けながらカタログを手に取って髪型を選び始めた。
カタログの中でワンレングスのショートヘアをした女性の写真を見つけて美容師さんにそれに近い形で切るようにお願いした。
「えっ、こんなに切っちゃって大丈夫なんですか?」
「はい、お願いします」
「分かりました。では切りますね」
そう言って美容師さんは僕の長い髪へと大胆にハサミを入れた。
目の前に設置された鏡で自分の髪が段々と短くなっていく様子を見て名残惜しいような、けれどこの方が自然なような、そんな複雑な気持ちになった。
ある程度切って調髪の段階に入ると、僕は完成形を楽しみたいからと目を閉じた。
「切り終わったので頭を洗いますね。シャンプー台へどうぞ」
そう言われて目を開けた。
顔の形がハッキリと分かるくらいに髪が短くなっていた。
シャンプー台で頭を洗ってもらってドライヤーで髪を乾かしてもらった。
今まで毛量が多かった分、何だかスースーする。
カット台の足元にものすごい量の髪の毛が落ちているのを見て、何だか感慨深く思った。
「こんな感じになりましたけど、どうですか?」
席に着いてから美容師さんが合わせ鏡で後頭部の出来を確認してきてくれた。
「はい、大丈夫です!」
「なら良かったです。私もあんなに長い髪をここまで短くするの初めてだったので緊張しました」
美容師さんはそう言って、トリートメントを髪に馴染ませてから軽く髪をセットしてくれた。
「こうしてヘアワックスをつけてあげるといい感じにまとまるのでオススメですよ」
「ほんとですね!ありがとうございます!」
施設長さんから貰っていたお金を払って美容師さんへ挨拶をして、美容室を後にした。
陽葵はこの髪を見てどう思うだろう。どんな反応を示すだろう。
似合ってるって言ってくれるかな。それともやっぱり切り過ぎだって不満を零すかな。
彼女の反応を想像すればするほど家に帰るのが楽しみに思えた。
けれど残念ながら家に帰ると誰も居なかった。
『二人で出かけてくるから』と書かれたメモ書きが机の上に置いてあった。
拍子抜けしつつ部屋着に着替えてから勉強道具を引っ張り出して課題を始めた。
しばらく課題に専念していると、二人が帰ってきた。
昨日から少し元気が無かった陽葵はリフレッシュ出来たようで、晴れやかな顔で玄関のドアを開いていた。
「あっ、二人ともおかえり」
そう言って声を掛けると、陽葵が僕の方を見て固まった。
そして気まずそうに顔を逸らしてから部屋へと走っていった。
「ひな、待って」
追い掛けて部屋の扉を開こうとしたけど開かない。
仕方が無く、扉の前から話し掛けた。
「ひな、どうしたの?何かあった?」
「……なんでもないよ」
「何でもなかったらこんなことしないでしょ。どうしたの?話してくれない?」
「なんでもないって言ってんじゃん!」
あまり執拗く言い過ぎたのか、陽葵が怒鳴るように否定した。
こうなっては陽葵は何も話してくれないだろう。
話してくれない事に寂しさを覚え、少し苛立った。
真利愛さんに肩を叩かれ振り向くと、彼女は首を横に振った。
今はそっとしておきなさい、とそう言われたように思えた。
「うん、分かった。ひなが聞かれたくないなら今は訊かないことにする。けど話せる時でいいからちゃんと話してね。待ってるから」
責めたい気持ちを抑えて、なるべくそれを悟らせないように声を掛けた。
真利愛さんに手を引かれながら扉の傍から離れた。
そのしばらくして、陽葵は部屋から出てきてトイレへ直行した。
トイレからは
駆けつけようと思ったけど、真利愛さんに止められた。
真利愛さんはトイレへ向かい彼女を介抱した。
途中でほんの一瞬だけ陽葵と目が合ったけど、彼女はすぐに目を逸らして再び部屋の中へ戻っていった。
何かしてしまっただろうか。
僕は自分のこの髪型を見た陽葵の反応が楽しみだっただけなのに、彼女は顔を曇らせて何も言わずに部屋に篭もってしまった。
『顔を曇らせた』ということが反応にあたるのかもしれないけど、そうとは認めたくなかった。
「その髪、けっこう思い切ったわね」
真利愛さんが僕の頭を撫でながら髪型に対して評価をくれた。
「最近また身体の事で色々と考えてたから、良い機会だと思って短くしたんだ」
先日感じた身体の変化を真利愛さんに話して聞かせた。髪を伸ばすことさえも億劫に思えてきたことも話した。
「……彼方。明日、病院に行ってみましょうか。陽葵が前に行ってた病院なんだけど、そこは性別違和を扱っている所なの。そういう所でホルモン療法を行ったら少しは身体の変化を抑えられるかもしれないわよ」
真利愛さんからの提案に僕は二つ返事で頷いた。
翌朝、目を覚ますと僕に抱き着く形で陽葵が眠っていた。
「あら、夜の間に出てきたのね」
真利愛さんは陽葵を起こさないように丁寧に僕から剥がして、彼女に布団を掛け直してあげた。
「ひな、寂しかったのかな」
「そうかもね」
「なら、なんであんな……」
「あなたが自分の変化に悩んでいるように、きっと陽葵も貴方の変化に戸惑いを感じているのよ」
真利愛さんはそう言って眠る陽葵を撫でていた。
その後、僕と真利愛さんは準備を済ませると机に書き置きを残して家を出た。
病院に辿り着き受付を済ませると、名前が呼ばれるまで真利愛さんと話をしながら待った。
「志村さん、志村 彼方さん。診察室にお入りください」
看護師に名前を呼ばれて、案内されるままに診察室へと入った。
「こんにちは。本日診察を担当させていただきます、精神科医の
「よ、よろしくお願いします」
緊張しながら挨拶をして、その後は聞かれるままにカウンセリングを受けた。
記憶が無い事から成長に対して性別違和を感じてしまうことなど話せる範囲で話した。
話の中で陽葵の名前こそ出したが、彼女の事情や彼女との夜の事については話さなかった。
「なるほど。一緒に生活されている妹さんとの性差を意識してしまったりや自身の性別違和に苦しまれているとの事ですよね」
「はい」
「それは確かに診断の要項を満たしておりますが、ご本人の年齢を考えると現在治療を進めていくのは少し難しいところではありますね」
「それはどうして……?」
「ガイドラインの規定に則って診療をさせていただくとするならば、15歳未満の患者に診断を下すこと自体が難しく、また15歳になった後でも厳密な診査の後で治療の要不要が診断されるため、早くに診断が下っても2年後3年後になってしまうんです。なのですぐに治療を始めるというのがどうしても難しくなってしまうというのが現状ですね」
「そう、ですか。ならまだしばらく治療は出来ないってことですよね」
そういえば陽葵が言っていたことがあった。『女の身体になった私もまだしばらくは男として生きていかなければならない』とかなんとか。
それってこういう年齢に関することだったのだろうか。
「けれどそれはあくまで『ガイドラインの規定に則って診療をするならば』の話です。ガイドラインはあくまで医療従事者に対してのガイドラインですから。患者さんがどうしても治療を望むならその限りではありません」
「……!ほんとですか」
「はい。ただ、気をつけなければならない事はたくさんあるので、そういった注意事項を遵守していただけるなら、というのが条件になりますが」
「はい!もちろん守ります」
「分かりました。では治療を進める方向で考えていきましょうお母様もそういう方針で大丈夫でしょうか?」
「はい、お願いします」
「かしこまりました。それでは説明をしていきますね」
丹羽先生は注意事項を幾つか述べた。
まず第二次性徴期のホルモン治療は身体への影響が大きいこと。
ホルモンバランスが崩れてやすくなり精神的に不安定になりやすいこと。
もし万が一ホルモン投与で変化した身体に違和感を持ってしまい、男性に戻りたいと思っても元に戻ることが出来ないこと。
性機能が失われること。
細かく言えばもっとたくさんあるらしいが大まかにはこんな感じらしい。
今日いきなり治療とはいかなくて、結局その日は通院の予約だけをして帰った。
治療を受けられる事が分かっただけでも収穫はあったと思う。
真利愛さんは一旦自分の家に帰るからと施設の前で僕を降ろして、去っていった。
なるべく誰にも見つからないように、家に帰った。
「ただいま」
家に帰り着きドアを開けながら声を掛けた。しかし、出迎えは無い。
部屋の扉をノックしても反応は無くて、中に入るとそこももぬけの殻だった。
「ひな、何処に行ったんだろ」
携帯電話を確認してみたけど何の連絡もない。リビングの机の上には真利愛さんが残したメモしか残っていない。
今まで何も言わずに出ていくような事はしなかったのに。
念の為、部屋に戻って何かないか探してみた。
机の上に紙束があった。
所々破かれていて、詳しい内容が分からない。
けれど分かる部分は幾つかあった。
『まーさんの行方不明になった息子がかな なんじゃないか』
『まーさんは私だと勘違いしてかなに彼方と名前をつけた』
「『私のせいでまーさんもかなも不幸になった』……?『私が居なければ、まーさんは息子に会えて、かなは彼方なんて名前をつけられず本当の息子として愛でられたはず』『きっと私はここに居るべきじゃないんだ』……」
その箇所にはそんな文字が綴られていた。
慌てて踵を返して部屋を出た。携帯電話で ひな に連絡するも部屋の中から着信音が聞こえてきた。
今度は真利愛さんに連絡を入れた。
「もしもし、何かあった?」
「家の中にひなが居なくて、書き置きも連絡も無くて。それで何かないかって調べたら妙な事を書いてる紙束を見つけたの」
「……ほんと、あの子は。分かった、もうすぐ着くから。落ち着かないだろうけど少し家の中で待ってて」
そう言って真利愛さんは通話を切った。
居ても立ってもいられない状況だけど、言われた通りに待つことにした。
部屋に戻って先ほどの紙束に目を通した。破れてて分からないところは補完しつつ読んでいった。
紙には「何故私とかなは似ているのか」という題名で、文字が綴られていた。
所々破かれていて内容が読み取れないが、何となく「まーさんはお母さんにそっくりだった」、「お父さんがまーさんと身体の関係を持っていた」と間々を矢印で結びながら綴られていた。
最後の方には「私が男のまま育っていたら、今のかなみたいにかっこいい男性になってたのかな」と書かれていた。
次の紙には「志村 真帆について」という題名が書いてあって、それ以外にはほとんどが破かれていた。
次の紙には「私はかなに理想を押し付けてしまっていたのかもしれない」という題名で文字が綴られていた。
『かなが自分の成長が怖いと悩みを打ち明けてくれた』
『私もかなの変化が受け入れられない』
『私はかなに私と同じであってほしいと思っていた……?』
『私が変な事を言わなければ、私があの時に拒んでいれば、かなは私とはセックスなんてしなかった』
陽葵の自分への存在否定が強く感じられるこの紙束を僕は強く抱き締めた。
陽葵がここまで思い悩んでいるなんて思っていなかった。
せっかく『恋人』になっても、そういう所に気づいてあげられないのでは何の意味もないじゃないか。
悔し涙を流しながら紙束を整理している時だった。
「彼方、帰ったわ」
真利愛さんが帰ってきた。
「真利愛さん、これさっき電話中に言った紙束です。僕には所々しか理解出来なかったんですけど、真利愛さんなら何か分かるかもしれません」
言いながら真利愛さんに紙束を渡した。
静かに受け取ってそれに目を通し始めた。
途中で真利愛さんは口を押さえて涙を流した。
「そう。やっぱりあなたがそうだったのね」
彼女は僕の方に振り返ると抱き締めくれた。そしてそのままの姿勢で続きに目を通していった。
「流石、あの人の子供なのね。よくもまあ、色々と考えるわ」
「何か分かったの?」
「ええ、また私が色々と間違えてしまっていたってことを突きつけられた気分よ」
「それってどんなこと?」
「話は陽葵を見つけてからにしましょうか」
そう言って真利愛さんは陽葵の携帯電話を手に取った。着信履歴には知らない番号がずらりと並んでいた。
「やっぱり、そうなのね」
最後にそう呟いた真利愛さんと一緒に家を出て車に乗り込んだ。
「何処に行くの?ひなの居場所が分かるの?」
「おおよそ検討はついているわ」
そう言って、真利愛さんは車を走らせた。
車を走らせる事二時間。辿り着いたのは古い木造の家だった。
何故か車で待つように言われて、車の中からその家の様子を伺っていた。
真利愛さんがドアをノックすると、本当に家の中から陽葵が出てきた。
顔を殴られたのか陽葵の左頬は腫れてしまっていた。
続いて中から強面の男性が出てきて陽葵の頭を叩いた。
下卑た目で笑う男性に粗雑に扱われながら陽葵は唇を噛み締めていた。
真利愛さんが男性に向かって何か声を張り上げたのが分かった。
顔を強ばらせた男性は少し後ろに下がってから 陽葵の背中を思い切り蹴飛ばした。
陽葵が体勢を崩して地面に倒れそうになるところを真利愛さんが受け止めた。
男性は舌打ちをして強く扉を閉めた。
陽葵を抱えた真利愛さんは慌てて車に戻ってきて後部座席に彼女を乗せてから車を出した。
ほんの少しの時間でもこの場所に居たくない。真利愛さんが言外にそう言っているような気がした。
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