第18話
帰る途中、コンビニの駐車場に車を停めた。
ご飯や飲み物、応急処置の為の消毒液や絆創膏、包帯なんかを買った。
僕達が車に戻ると陽葵がぐったりとしていた。
「陽葵、大丈夫?」
「……大丈夫」
顔も身体も痣だらけのその身体。上半身はキャミソールを着ただけの下着姿の格好のまま後部座席で横になる彼女はとても痛々しく思えた。
僕は一旦車を降りて後部座席に乗った。そして 陽葵に膝枕をしてあげた。
「確かにその方がいいかもね。ありがとう、彼方」
真利愛さんはそう言って僕の頭を撫でつつ、陽葵の腫れた顔に手を当てた。
真利愛さんは応急処置を施しつつ、話をした。
「陽葵、あなたが書いたこれ見せてもらったわ」
そう言って真利愛さんは例の紙束を取り出した。
「……それは」
「ごめんなさいね。あなたが悩んでいる事に気づいてあげられなかった。あなたがここまで割り出して、疎外感を感じていたなんて気が付かなかった」
「気にしなくていいよ。そんなの、ただの私の妄想だから」
「そんな事ないわ。あなたの推察は半分以上当たってる」
「そうなんだ。じゃあやっぱり……」
「うん、だから謝ろうと思って。陽葵だけじゃなくて、彼方も。二人とも、ごめんなさい。私は大きな勘違いをしていたわ」
そう言って、真実を聞かされた。
僕の本当の名前が『志村 陽葵』で、陽葵だった彼女の本当の名前が『彼方』。
僕は行方不明になっていた真利愛さんの息子。『彼方』は数年前に真利愛さんの養子となった子供だった。
真利愛さんは最初に『彼方』を見つけ、陽葵と名付けた。
そうして後から来た僕を『彼方』だと勘違いして名前をつけた。
「──という訳なの。私の勘違いのせいで、本当にごめんなさい」
元々僕らは顔も似てたし、勘違いしてしまったとしても仕方がないのではないかと思う。
陽葵がしてくれた補足の通りなら、女になってからの色々で見た目が変わってしまった陽葵の事を『彼方』だって気づけないのも無理はないのだろうし。
それにそもそもとして、僕も陽葵も記憶を無くしているわけだから、話をややこしい方向に持っていった原因が何かと問われればまずはそこだと思う。
「それを見たなら分かるでしょ。私は二人とは血の繋がりも無い赤の他人。これから先も二人と一緒にいる資格なんて私にはない」
「そんな事ないわ。あなたはあの人の
「別にそうなったのはまーさんのせいじゃないんだし、それに……」
「それに?」
「お母さんはもう死んでいる」
「……えっ、嘘」
「本当だよ。あの父親に祖父兼伯父の家に連れて行かれた事があって、私そこで冷たくなったお母さんに会ったんだ」
「……うそ、なんで」
「私も少ししか居られなかったし、それは分からない。ただその事を思い出して分かったことがあった。お父さんが私を無理矢理女にした理由も、私に固執して依存している理由も。あの時お父さんがまーさんの家に頻繁に来てた理由も、それが全部お母さんの死が原因だったんだってこと。お父さんは本当にお母さんの事愛してたんだなって思った。だから今日お父さんの家に行ったんだよ。本当の事を聞こうと思って」
「なんでそんな危ない真似を……。子供に手を出すような奴の所に行ったりして。怪我をするなんて分かってたでしょうに」
「ううん、この怪我は別の理由出できたの。たまたま通りかかった男性に絡まれて怪我しただけ。寧ろそんな状況から私を助けてくれたのがお父さんだった」
「あの男が……?」
「うん、お父さん私の事をお母さんだと勘違いして助けてくれたみたい。一緒に家に帰ってお父さんは初めて私に笑顔を向けてくれて、抱き締めてくれた。それが私をお母さんだと勘違いしてしていることだって分かってはいても、それでも私は嬉しくてお父さんを抱き返した。『生きててくれて嬉しい』、『もう何処にも行かないでくれ』ってそういう風に言ってくれた。ほんの少しの事でも感謝して労わってくれて、優しく思い出語りをして。もし私が生まれなかったらお父さんはずっとこんな感じだったのかなってそんな事を考えたりもした」
「そんな訳ない。あの男は……!」
「お父さんに聞いたから知ってるよ、お父さんが今までしてきた事全部。だからこそそんなお父さんの様子を見て、確信してしまったんだ。やっぱりお母さんは死んじゃったんだって」
陽葵の話を聞いて真利愛さんは何度か首を横に振って現実逃避をした。
何度も「信じられない」と呟いた。
なんで真利愛さんがこんなに悲痛に顔を歪めているのか理解が出来ない。
逆になんで陽葵がこんなに朗らかに『母の死』について語れるのか理解出来ない。
「あなたの言う通り、もし本当に先生が亡くなってるんだとしたら尚更、私はあなたを育ててあげなくちゃいけない。あの男の元にやるなんて以ての外よ」
その真利愛さんの発言で聞き捨てならない部分があって、僕は真利愛さんにストップを掛けた。
「真利愛さん、『あの男の元にやる』ってどういう事?」
「あの男、陽葵を手放そうとしなかったのよ。それで私が『その子は先生じゃない!』って教えたらそこで初めて陽葵だって気づいたみたい。今度は『騙しやがって』って陽葵を家から蹴り出したの」
「そんな、酷い」
「あの男は陽葵を先生だと思ったからこそ助けてそういうもてなしをしていたんだろうから、そうじゃないと分かれば陽葵に手だって出すわよ。前々からそういう男だもの」
「うん。だから私が傍にいて、お母さんの振りをしてでも一緒にいればお父さんはそれで満足して、以降他の人に手を出したりはしなかったと思う。まーさんにもましてやかなにも手出しはしなくなると思う。そうなるなら私は一緒に居てもいいのかなって思った。幸い私はどれだけやっても子供が出来ないわけだし、お父さんの為に慰み者にだってなれるだろうし」
「待って、そんなのは間違ってるわ。私達が何事も無く暮らして、そんな中であなただけが傷つき続けるなんてそんなの許容出来ない。だったら苦しくても一緒にいられる道を選ぶわ」
「だいいち、私達が出会ってしまった事がそもそもの間違いなんだよ。かなはお父さんに私と勘違いされて誘拐されて、挙句の果てには行方不明になった。まーさんは私を先に見つけたせいで後から来たかなを行方不明になった実の息子だなんて思いもしなかった」
「確かにそうだけど、でもそんなのあなたのせいじゃないじゃない。全部あの男が自分勝手な都合でしたことじゃない」
「そうだとしても、結局全てのきっかけは私とお母さんなんだ。なら二人の子供である私がその尻拭いをするのは当然でしょ」
「もうあの男はあなたが先生じゃないって分かってしまったのよ。そんな所に戻って、あの男があなたに何もしないと思う?賭けてもいい。私はあなたが酷い目に遭う未来しか見えない」
「お父さんは今お母さんを失ったことで喪失感でいっぱいになってるんだよ。お母さんに関係する何かであればなんだってする。そのぐらい狂ってるんだよ。もしこのまま私がお父さんを放って施設の家に帰ったらどうなるか。お父さんが何をしでかすか。私は想像したくない。だから──」
「だから何?絶交しろって?自分を捨てて二人で暮らせって?あの紙に書き殴ったように取り違われなかったら、そもそも私が貴方を助けることはなくて、二人は幸せだったって、そう言うの?」
「……そうだよ。私達は元々出会うべきじゃなかったんだよ」
「そんな事思っても、もう既に今こうなってるのよ。今更そんなこと言ってどうするの。私達はこれからの為にどうするかを考えていかなきゃいけないんじゃないの」
「だから、その為に私が……って、何度も同じ事言わせないで」
「いいえ、何度でも言うわ。私はあなたをあの男の元へなんてやる気はないわ」
「……もう、まーさんのわからず屋!」
「わからず屋はどっちよ!」
言い合いが堂々巡りしている気がする。
頑固な二人のそんな言い合いに既視感を覚えて、僕は思わず笑ってしまった。
「……何?」
真利愛さんとの喧嘩で苛立っていたであろう陽葵は空気を読まない発言をした僕を睨んで問いかけてきた。
「ふふふ、ごめんごめん。いやね、真利愛さんが施設長さんの娘さんだって事に何となく納得がいっちゃって。だって、ひなと言い合いをする真利愛さん、施設長さんそっくりなんだもん」
毒気を抜かれた二人は揃って溜め息を吐いた。
「……まーさん、あなたの息子空気読めなすぎませんか?」
「空気を読んだから口を挟んできたんでしょ」
二人とも半分ずつ正解。
あのまま言い合っててもきりが無いと思ったし、面白かったのは本当だし。
僕は膝の上の陽葵の顔を掴むと、無理矢理こちらに向かせた。
そして前に彼女にされたように彼女の額めがけて軽く頭突きをした。
手加減したはずなんだけど、それでも痛かったのか陽葵は涙目になり両手で額を押さえた。
「ひな、僕も嫌だから。この先僕が平穏無事に過ごせたとして、そこにひなの姿が無いなんてそんなこと考えられないから」
「そうよ。あなた達恋仲なんでしょ。こんな別れ方したら絶対に後悔するんだからね。だいいちあなた達が別れるのは私が認めないから」
僕は陽葵を見つめたし、陽葵は僕を見つめてきた。陽葵の方から先に目を逸らして、そんな様子を微笑ましく見守っていた真利愛さんは陽葵の方へ手を伸ばした。
陽葵もそれを掴んで身体を起こした。
まだ痛いのか陽葵が懸命に額をさすっているとそれを見た真利愛さんが笑いながら頭を撫でた。
「それに私、『陽葵』を先に見つけてたとしてもやっぱり『彼方』の事も気に掛けたと思うわ。だってあなたは私の恩師の子供で私の子供だもの。だからどうあっても結局私達はこういう風になってたのよ」
そう言って真利愛さんは陽葵を抱き締めた。陽葵もぎこちなくではあったけど真利愛さんを抱き返した。
「……あー、はいはい、分かりました。それで納得してあげますよ」
陽葵は卑屈に、けれど嬉しそうにそう言った。
「ひなはちゃんと真利愛さんと親子だと思うよ。雰囲気も似てるし」
「えっ、ないない」
「言い出したら止まらないところは施設長さんにも真利愛さんにもそっくりだよ」
「絶対ない。私そんなに口煩くないし」
「ちょっとどういう意味よそれ!」
「えー、ほんとのことじゃん」
「……はあ、なんだっていいわよ、もう。とにかく色々入り組んだ事情はあるけど、あなた達は私の子供なの。それは何があったってもう絶対に変えられない事実だから」
「もう分かったって、私も大事に思ってるよ『おかーさん』」
「もう、調子いいんだから」
二人はそう言って一応の仲直りをした。
また詳しい話は施設長さんを交えて四人でするという結論になって、家に帰ることになった。
「かな、昨日は嫌な態度取ってごめん」
「いいよ。色々と辛かったんでしょ?僕の方こそ気づかなくてごめんね」
「その髪型似合ってるし、ちょーかっこいいよ」
「ひなにそう言われるとすごい嬉しいよ」
そういうやり取りをして、僕達も仲直りをした。
車の中で今日の病院の事を話した。
その後で真利愛さんが呆れ口調で、最近通院をサボっていた陽葵はホルモン不足が祟ってホルモンバランスの乱れから情緒不安定になってしまっているのではないか、と推測して陽葵本人もそれに納得していた。
後は僕達二人の性行為について、本当にそれが必要かどうかという話をした。
それこそ僕がこれからホルモン治療を始めていくわけだし、治療と並行して毎晩それに明け暮れては元も子もなく、一進一退になるのではないか。
それに最後まで治療を進めるのならば、必然的に出来なくはなるのだから、そろそろダイレーターでの拡張治療に慣れたらどうか、との事だった。
当の本人は僕の膝の上で苦い顔をしながら首を横に振っていた。
施設に到着してすぐ真利愛さんは施設長さんを呼びに行った。
僕達は家に帰り着いてすぐに唇を重ねた。
ここ数日ご無沙汰だってのもあって、我慢が出来なかった。
注意喚起と共にこれからの話をされたばかりなのもあるし、今から真利愛さんと施設長さんが来ることが分かっているのでさすがにその先をするのは見送った。
部屋に戻って陽葵の身体の怪我を手当てした。ガーゼやら包帯やらでさらに痛々しい見た目になってしまった。
僕は憐憫の目を向けながら陽葵の左頬のガーゼを撫でた。
陽葵は撫でる僕の右手に両手を重ねて涙を流した。
「ありがとう。色々を諦めてあんな事言ったけど、やっぱり私ここに帰ってこれて良かった」
「うん、おかえり。僕もこうしてひながここにいてくれて嬉しい」
「……うん。ただいま、ただいま」
陽葵は僕の首に手を回し思い切り抱き着いた。
僕はそんな彼女の身体を抱き返し、彼女の背中を撫でた。
「彼方、陽葵。帰ったわよ」
そうこうしているうちに真利愛さんが帰ってきた。慌てて離れようとするも陽葵が離れようとしない。
結局僕は陽葵を横抱きにして部屋を出た。
「おかーさん、おかえり」
陽葵は僕の腕の中で真利愛さんを出迎えた。
「……ただいま」
真利愛さんは何か言いたそうな顔で僕達を見ていた。
「もうすぐ母さん来るわよ」
「私達は『恋人』である前に『兄妹』なんだし、別にこうしててもおかしいことじゃないしでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど」
「それに別にちょーさんになら『恋人』になったって事知られたっていいし」
「何言われたって知らないわよ」
「まーさんのお母さんで、私達のお祖母ちゃんなんでしょ。大丈夫だよ、きっと」
「あら、何の話?」
真利愛さんの言う通りすぐに施設長さんが家に訪れた。
そして玄関で靴を脱ぐと僕らの方を見た。
本人を前にしてか、陽葵が少し警戒モードに入った。首に回された腕が少し締まって痛い。
ほんとさっきの余裕はなんだったのか。
陽葵の心配は杞憂に終わり、施設長さんは僕らを見て微笑ましい目線を送ってきた。
そんな施設長さんを見て陽葵も人息吐きながら脱力した。
「あなた達、少し見ない内にずいぶんと仲良くなったのね」
「そうでしょ」
「やっぱり兄弟姉妹はこうでなくちゃ。ねえ?真利愛」
「……どうしてそこで私に話を振るのよ」
「あなた、いつも姉さん達と喧嘩ばかりだったじゃない」
「えっ、真利愛さんって兄弟か姉妹かいるんですか?」
「ええ、姉が二人いたわ」
「へー!真利愛さん、そのお姉さん達ってどんな人ですか?」
「…………、今はその話し良いから。彼方には今度改めてちゃんと紹介するわね」
『お姉さん』の話が出てきて、少ししんみりした空気が流れた。
施設長さんも、真利愛さんも、そして陽葵も。
「あ、ごめんなさい。聞いちゃまずかったですか?」
代表するように施設長さんが口を開いた。
「次女は早くに亡くなってるのよ」
「そうなんですか。そうとも知らず、すみません」
「いいのよ。気にしなくて」
すっかり沈んでしまった空気のまま、とりあえず席を勧めて座ってもらった。
陽葵は身体を起こしているのがきついようなので敷布団の上に寝転ぶ形になった。
少しの沈黙の後で真利愛さんが意を決したように話を始めた。
「まず母さんにはこれを見て欲しいの」
真利愛さんはそう言ってカバンから紙束を取り出した。陽葵が自身の悩みから推察から色々と書き綴った例の紙束だった。
「これは、何?」
「陽葵が悩んだ時に頭を整理するために書き殴った物みたい」
施設長さんは恐る恐ると言った様子でその紙束を受け取り目を通した。
施設長さんは黙ってそれに目を通した。
「陽葵さん。あなたは最初から全部知っていたってこと?」
「所々で感じた気づきだったり違和感を繋ぎ合わせたら何となくそれっぽくなったってだけだよ」
「それはすごいわ。色々と思い悩む事が多いだけあって脳の使い方が上手いのかもしれないわね」
少しの沈黙の後で腹を括ったのか、真利愛さんは施設長さんに話し始めた。
志村 陽葵が『志村 彼方』だった事。
志村 彼方が『志村 陽葵』だった事。
そして取り違えた経緯なども話した。
その後、真利愛さんは施設長さんに耳元で何かを囁いていた。するとそれを聞いた施設長さんの目から涙が溢れてきた。
僕は彼女らが何を話したのか分からなくて困惑した。
陽葵の方を向いて心当たりを伺うも、彼女は首を横に振って答えた。
「……はあ、こんな偶然ってあるのね」
施設長さんは目元を拭いながらそんな風に呟いた。
「陽葵さん、二人きりで話したいことがあるからこの後私の部屋に来れそう?」
「あー、今こんな状態だからどうだろう。明日なら大丈夫だと思うけど……」
「じゃあ、明日にしましょうか。体調が快復してからでいいからね」
「分かった。明日ね」
ひと通り話が終わると、施設長さんはそう陽葵に声を掛けた。施設内にある自分の家へと帰って行く施設長さんを見送って、三人になった。
真利愛さんは改めて僕達二人に頭を下げた。
そして『志村 陽葵』についてを話し始めた。
僕の事だった。それに並行して『志村 彼方』という少年の話もしてくれた。
僕だけが何も知らないようだったので、話してくれるのはとてもありがたい。
陽葵はその間何も言わず、ただ真利愛さんの話を聞いていた。
僕は過去に事故に遭って心臓移植という手術を受けていた。今も残るこの胸の傷はその時の物だったらしい。
一緒に事故に遭った幼馴染みの方は軽症で済んだ。
しかし、真利愛さんは意識不明の重体で入院したまましばらくの間意識が戻らずにいた。
そして目を覚ました時には僕は既に誘拐されてしまっていた。
自宅療養をしていた真利愛さんの所にあの男性が『彼方』を連れて現れ、しばらく一緒に暮らしていた。
未だ見つかった報告もない実の息子の事。新しく迎えた息子はまた何処かに連れて行かれ戻ってこなかった。
罪悪感に押しつぶされそうになり精神的に耐えられなくなってしまい、真利愛さんは自分の家を捨てて知り合いの家へ転がり込んだ。
しばらく無心のままに知り合いに養ってもらいながら過ごした後、猛勉強をして今の仕事に就いた。
そしてある日陽葵を見つけた。
「私はあなた達二人の母親だったのに見分けがつかなくて勘違いして、陽葵に関しては別の子供として、しかも『陽葵』の代わりとして扱おうとしてた。ごめんなさいね」
ほとんど土下座のような姿勢で謝罪の言葉を口にした真利愛さんだった。
「私だってかなだって自分の事ちゃんと覚えていなくて、元々そっくりだった上に会えなかった時期に成長期も被ってたんだから。いざ会った時に見分けがつかなくなってたってそれは仕方が無いんじゃないかなって思う。色々普通の生活を送らずに成長してしまった私なんかは特に、ね」
布団の上で横になったまま話を聞いていた陽葵はそう言って謝る真利愛さんを制した。
「僕もそう思います。そうやって色々あったんだとしても、真利愛さんは今こうして僕らの母親で、こうして一緒に居てくれてるじゃないですか。僕はそれだけで充分感謝してます。だから真利愛さんに感謝こそしても責めることなんて出来ませんよ」
僕は言いながら真利愛さんを抱き締めた。
真利愛さんが実の母親だったと聞いて、何となくすごく嬉しい気持ちになっていた。
この人が僕の母親で良かったと、心の底からそう思えた。
「だから謝らないで、『お母さん』」
「そうだよ。今までがダメだって思うなら、改めて親子になろうよ、『おかーさん』」
陽葵がトドメを刺す形になり、真利愛さんは僕の肩の上で泣き崩れた。『涙のダムが決壊する』というのはこういう事を言うんだろうな、と場違いにも笑ってしまった。
真利愛さんは僕を押し倒す形で布団へと飛び込んで、右腕で僕を、左腕で陽葵を抱きながら泣いた。
「……二人とも、ありがとう」
ひと通りそうして過ごした後、真利愛さんは気まずそうに僕らから離れるとお手洗いへ行った。
そんな母の様子を見て、陽葵と笑い合った。
「さっきは取り乱しちゃってごめんなさいね。陽葵、抱き締めた所痛くなかった?大丈夫?」
「気にしないでいいよ。さっきのまーさんがしてくれたの、ちゃんと優しい抱擁だったから」
「『おかーさん』とは言ってくれないのね」
「……ごめん、何か照れ臭くって」
今まで何処か距離があるように思えていた二人のこうした仲睦まじいやり取りを見て心安らいでいる僕がいた。
「まあ、私も『まーさん』呼びで慣れちゃってるからいいけどね」
「確かに。私もまーさんから陽葵って呼ばれるの慣れちゃったから今更『彼方』呼びされるのは違和感あるかも」
僕はそんな二人を横目に少し考えた。陽葵の一言を聞いて、思った。
「僕達、このまま彼方と陽葵として生きていくのかな」
思っていた事が声に出てしまったようで、僕の一言を聞いた二人が僕の方を見て考える姿勢になった。
「確かに。もうハッキリしたんだし、名前を戻せるなら戻した方がいいのかな。まーさん、そこの所どうなの?」
「そうね。けどまた申請し直すとなったらそれもそれで書類作り直したりとか色々手間だし。それにあなたも周囲の人達に説明して回るのも大変でしょ?別にこのままでもいいんじゃない?」
「私は別に今のままでもいいけど、かなはどう?『陽葵』って名前に戻したい?」
陽葵にそう問われて少し考える。
確かに真利愛さんの言うように手間が掛かる事ならばわざわざ戻さなくてもいい気がする。
普段出歩かない僕はいいとしても陽葵なんかは施設の中でも外でも『陽葵』として名前が通っているんだし、それを訂正して回るのは大変だろう。
それを考慮しても戻さない方が実害は無い気がする。
けれど。
「出来るなら僕は『陽葵』って名前に戻りたい。そうすればなかなか戻ってこない記憶だって元に戻るかもしれないし、それに陽葵が今まで僕に自分を重ねてしまったのって『彼方』って名前のせいもあるんじゃないかって思うんだ。だからちゃんと陽葵として生活して、色々をちゃんとやり直していきたい。自分の事も家族の事とかも全部」
それが僕の答えだった。
『陽葵』に戻った方がいいと、そう思った。
「彼方がこう言ってるんだし、私はそうしてあげたいって思うけど陽葵はどう?」
「私はかなの言う通りかもしれないってそう思うし。何よりかながそうしたい、その方がいいって言うなら私もそれがいいってそう思うよ」
「じゃ、そうしましょうか」
僕の意見を聞いた二人はあっさりと受け入れてくれて、笑いながらそう言ってくれた。
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