第16話




どうしてこんな事になっているのか、記憶が曖昧なままの私が病床で目を覚ますと、ベッドに身体が固定され腰の辺りに包帯が巻かれていた。

何も分からないままに翌日には病院を追い出され、私の父親を名乗る男性に連れられ古びたアパートに辿り着いた。


私はしばらくそこで暮らすことになるそうだ。


しばらくしてからの通院で包帯が取れると私の鼠径部はグロテスクな見た目をしていた。

腫れや膿で真っ黒で、穴に太い棒を刺し込まれ痛みから声を上げてしまった。


家にいても時折訪れる急激な痛みや無い物を感じてしまう幻肢痛にも苛まれ、違和感の絶えない日々を過ごしていた。


この家には布団が無いため父には蹲って寝るように言われていた。そのため私は毎日部屋の隅で壁に寄っ掛かり眠っている。

この寝方をしていると術後の処置として留置されている棒が変に擦れて痛いし気持ちが悪い。

その上、父が毎晩毎晩女性を連れ込んでは行為に及んでいたため、聞こえてくる艶めかしい声のせいか上手く寝付けなかった。


「これ、お前の借用書だから。が使い物になるようになったら身体売ってでも金稼いで来い。どうせお前のそれは使い続けなきゃ閉じちまうんだから。それが嫌ならその辺の男に媚びてでもやらせてもらうんだな」


後日、そう言って手術のために組んだ医療ローンの支払いを私に丸投げした。

術後に継続的な膣拡張が必要だって事は執刀医からも話をされていた。

だがそのための方法が男性と行為に及ぶことだなんて知らなかった。


父はこれを ″呪い″ と称して笑っていた。



傷が治るまで、私は父が連れてきた女性達に色々な事を教えてもらいながら日々を過ごしていった。




ようやく快復とまではいかないにせよ傷が癒えた事で自分で拡張治療を行わなければならなくなった私は以前父が言っていたように、相手をしてくれる人を探した。


幼すぎるせいか誰一人相手にしてくれる人はおらず、路頭に迷っていた頃、たまたま知り合った中学生の男子と初めてを経験した。

それからしばらくはその男子に相手をしてもらった。彼もちょうど年頃で性欲旺盛な時期だったらしく都合が良かった。


性的行為以外にも父に言われて悪い事もいっぱいした。

万引きもしたし財布を盗んだり、人を騙してお金を貰ったりもした。

時にはバレて捕まって暴力を振られたりもした。


でもその時はそれが生きるために必要な事だった。




ストレスから来るものなのか、気づけば白髪しか生えてこなくなっていた。

その上、成長したからなのか頻繁に暴力を受けたからなのか、鏡で見た自分の顔は以前とは見違えるものになっていた。


そのお陰か、その頃には一定層にも需要を得られるようになって大人の男性とだってそういうことをした。


最初は痛くて大変だったけど、数をこなす内に段々慣れてきた。

そしたら今度は同年代の男子達じゃ満足出来なくなって、彼らとは関係を絶った。


大人の男性に慣れてきてからは、事後で眠った彼らの財布の中のお金を盗むようにもなった。

捕まって暴力を振られて、家に帰ったら不機嫌な父親にまた殴られて、犯された。


ある時30代前半の男性と関係を持った。

相手の男性は幼女趣味だったようで、最初は私を可愛がってくれていたが、次第に行為がエスカレートして暴力を振るわれるようになった。


そんなこんなで相手が手慣れて来た私は、父に教えられた方法で事後に眠った彼らの財布からお金をくすねるようになった。


ある日、ローン返済のためと父に渡していたお金がそれとは別の事に使われている事を知らされた。


こればかりは納得がいかず父に抗議をした。その結果、父に暴力を振られ家から追い出されることになった。


その後すぐ、運の無いことに以前相手をしてお金を盗んだ男性と鉢合わせてしまい、徹底的に痛めつけられてしまった。




そして行き倒れた私は、志村 真利愛という女性にに拾われた。




白い部屋の白いベッドで目が覚めた私は一人の女性に涙ながらに抱き締められた。

ただでさえ記憶も朧気で、どうして病院のベッドで眠っているのかさえも判然としない状況。

その上、知らない女性に抱き締められて、どうするのが正解なのかもよく分からないまま私はされるがままになった。


しばらくして落ち着いた女性と話し合い、養子として引き取られる事になった。


それが今の私、志村 陽葵だった。


彼女のことを『お母さん』と呼ぶことに抵抗があった私は『まーさん』と呼び始めた。

怒られるかなって思ったけど、特に何も言われなかった。

そう呼ぶことを認めてくれたように感じた。




退院からしばらくしてまーさんが知り合いの医師を連れてきた。

医師は私の鼠径部を診察した後に『これからはこれを使いなさい』と棒状の物を渡してきた。

それはダイレーターと呼ばれる膣狭窄を防ぐために使う医療器具だそうで、術法にもよって違いはあるが一般的に造膣の手術を受けた人はこれを用いて膣拡張治療を行うそうだ。


どうやら私は父親から誤った知識を植え付けられていたらしい。


やり方の説明をするからとベッドに寝かされ、その棒状の物を陰部に突っ込まれた。

痛みで股が裂けてしまいそうだった。

まだ男性とやっていた方がマシだと思った。


医師は棒状のそれを抜き差ししながら何か説明をしてくれていたけど、当の私は痛みでそれどころじゃなかった。

そして最後に医師に思い切り差し込まれたところで私は意識を失ってしまった。


目を覚まして、私はまーさんに抗議をした。

『痛過ぎてあんなものは使えない』と。

抗議は受け入れられず、まーさんはダイレーターの代わりになりそうな物を幾つか用意してくれた。


結局どれも痛みを伴うため却下すると、『だからって素性も知れない男性とするのは危険だから駄目』と叱られた。

なら『素性が知れてる相手』というのを紹介して欲しいと頼むと翌日から若い青年が家を訪れるようになった。


最初こそ青年との行為に満足していた私だったが、青年が誰かと電話で話しているのを盗み聞きしてしまった。

『やっぱり所詮は元男子だ。孕むリスクがない分、犯す楽しみが薄くて興奮しない』と。

その後も彼と何度か行為に及んだが、電話の内容が頭を掠めて集中出来なかった。


人選ミスだとまーさんに抗議すると、それ以来彼は家には来なくなった。

その後も何度か別の若い青年に来てもらったが、結果はみんな同じようなものになった。


まーさんに説き伏せられて嫌々ダイレーターで拡張を行うようになった私だったけど、痛みに耐えられなくて、ディルドとか言う男性のモノの形状をした器具を使ってするようにした。


痛いのは変わらないがまだマシに思えた。



まーさんとの生活に馴染んだ頃、私は中学校に通い始めた。

小学校で習ったことの応用が出来れば簡単な授業ばかりで退屈だった。


通い始めてひと月もしない内に男子達が私にちょっかいを掛けてくるようになった。

クラスの男子生徒の名前が載った名簿の中で私の名前が男子に振り分けられていた事に疑問を持ったらしかった。


女子用の制服であるセーラー服を着て登校していた私は『男なのになんでセーラー服着てんの』だとか色々言われて、クラスの中で性別のことを言いふらされたせいで居場所を無くした。


偶然にも私が過去に身売りをしていた事を知っていた一人の男子に呼び出されて、その事をネタに脅されて嗜虐的な性癖を持つ彼に暴力を振るわれた。

あまりの痛みから望んだ反応が返ってこない事が気に食わなかったらしい彼は私の着ていたセーラー服に鋏を入れた。

鋏が布を断つ音、そして断たれる布を見て知らない光景が頭を過った。

目の前にパラパラと散る黒い髪の毛を幻視して、咄嗟に私は自分の頭を庇うようにして覆った。


酷い顔をしてたらしい私を見て彼は満面の笑みを浮かべていた。


その翌日仕方がなく詰襟を着て登校した私は教室の中で「女子の癖に詰襟着てらあ」と笑い物にされ、醜聞に晒されながら制服を脱がされた。

その後、教師に庇われて体操服に着替えた私は教師との口論の末に『お前がみんなに変な嘘をつくからこんな事になったんだ』と罵倒された。


脅され暴力を振るわれるくらいならまだ我慢出来た。無理矢理脱がされ笑い物にされたって気にもならなかった。


私の好きなことや生き方を否定され、踏み躙られたのは辛かった。


私は心に大きな傷を負った私はその日学校を早退して以降、その場所には行かなくなった。



まーさんが忙しくなった事で私は児童養護施設で面倒を見てもらうことになった。


最初こそみんなに混じって生活を送り、昼間みんなが学校に通っている間は幼い子達の面倒を見て、と過ごしていた。

ただ、困ったことがあった。


私は女の身体をしているのに戸籍が男性のままである為に食事も入浴も就寝も、日常生活の全てを男子達と生活をしなければならなかった。


そうして生活する中で入浴中に複数の男子から襲われる事もあったし、逆に以前の癖で私の方から手を出す事もあった。

職員がそういった情事が行われていたことを知ったのは私が施設に入ってから二ヶ月以上が経った後だった。


私は男子の枠からも女子の枠からも切り離され、異端児として扱われた。そして言われた不意に言葉に腹を立てて大喧嘩をした。

以来、私だけが変則で一日を送るようになっていた。


そんな私は昼間は職員の許可を得て幼い子供の面倒を見て過ごすようになった。

子供を見ていると感慨深いものがあった。このまま健やかに育って欲しいと思うと同時に児童養護施設という場所に預けられてしまっている彼ら彼女らの不遇さを呪った。


まだ幼くて誰かに傍にいてもらわなければ何も出来ないような子供達。

そんな子達を見て母の愛が恋しくなった。


そうして人肌が恋しくなった私は心の安寧を求めて度々高校生だと身分を偽って施設の外で大人の男性と援助交際をした。


久しぶりに大人の男性に抱かれて、今までのダイレーターやディルドなんか目じゃないくらい痛くて、でも気持ちよくて膣が広げられているのが分かって、やっぱりこれだと思った。


ある日複数の男性に囲まれて無理矢理犯されてボロボロになって帰宅したところをちょーさんに見つかって、まーさんが飛ぶように家に来た。


布団に運ばれた私は治療をされながらガミガミと説教をされた。


「これ以上、知らない男性を頼るのはやめなさい。もし必要ならその時はまた手配してあげるから」


「事情を知っている大人にされるのは嫌。私の事気味の悪い物を見るような目で見るから。知らない人だったらそんな事しないし、もしバレてもその人と今後関わらなければいいんだから楽じゃん」


「……あなたの気持ちは分かったわ。私の配慮も欠けていたと思う。だけど一つだけ言わせて。あなたのような歳の子と関係を持とするやつにロクな奴はいない。相手をしてくれるからってその男がいい奴だなんて思っちゃダメよ。ましてや、あなたはまだ戸籍上男の子なのよ。もしそれが相手にバレてしまったら何されるか分かんないでしょ。それこそ大問題になるんだからね」


「……言われなくても分かってる。だからちゃんと、相手は選んでやってるじゃん」


「いいや、分かってない。何も考えずに相手を選んで、偶然あなたの同級生だった男の息子から脅されて酷い目に合わされたの覚えてないの?」


「だから分かってるって言ってんじゃん!あれからは慎重に人を選んでるつもりだし、たった数ヶ月しか一緒に生活してないクラスメイトの苗字だって全部覚えてる。ほんとうに大丈夫だから……」


「二人とも落ち着け。とりあえず怪我が大したことなくて良かったじゃねえか」


しばらく言い合いをしていた私達は医師の一言で同時に頷き、静かになった。


「まあ、あなたのダイレーションのことに関してはまた考えていきましょう。取り敢えずしばらくは外出禁止。膣の拡張にはダイレーターを使いなさい」


「……分かった」


そう約束した数日後に私はまた出掛けて男性と出会ってホテルに連れ込まれた。

そしてまたボロボロになるまで嬲られた。


そしてまーさんと喧嘩をして家出を決行した日、行き倒れた髪の長い少年を見つけた。


彼の姿に過去の自分を重ねてしまい、慌ててまーさんに連絡を入れて私の暮らすログハウスの中に運び込んでもらった。


不思議と彼の事を他人事と思えなかった私は一生懸命彼の世話をした。付きっきりで看病した。

身体を拭いてあげた時に彼にはまだモノが付いていると気づいて安心した。


私と同じ轍を踏まないように私が導いてあげなきゃいけないとそう思った。




>


私は14歳の誕生日を迎えた。


ついでだったので誕生日が不明な彼方も一緒に祝うことになった。まーさんも来てくれて、その日はちょーさんが私達の為にと用意してくれたらしいケーキを食べながら家族水入らずで過ごした。




翌朝、私はいつも通りに子供達のお世話をするために保育園へ行った。

すると桜月ちゃんが私の為にとわざわざプレゼントを用意してくれていた。


「ひなお姉ちゃん、お誕生日おめでとう」


桜月ちゃんがくれたのは桜の花を象った折り紙とメッセージカードだった。

メッセージカードには拙い文字で『いつもありがとう。ひなおねえちゃんだいすき!』と書かれていた。


「えっ、嘘……、すごい嬉しい!ありがとう!」


まさかもらえると思っていなかったので不意打ちを食らった気分だった。

とても嬉しかった。

小さな彼女を抱きしめて思わず泣いてしまった。


その場にいた当直の保育士が微笑ましいものを見るような目で私達を見ていた。

その日はあっという間に時間が過ぎて今日の手伝いは終了した。


再度桜月ちゃんにお礼を言ってから私は家へと帰った。


「ひな、おかえり」


「ただいまー!」


「今日は機嫌いいね。何かいい事あった?」


「きいてきいて!桜月ちゃんがプレゼントくれたの!それがすごく嬉しくて──」


「そっか。それは良かったね」


「うん!」


彼方は私の頭を撫でながらそう言った。


部屋に入り部屋着に着替えた後で折角のプレゼントを無くさないように大事に保管した。


「……はあ。桜月ちゃん、何であんなに可愛いんだろう。もう妹として迎えてあげたい」


「ごめんなさいね、それは出来ないわ」


ただの独り言に返事が返ってきてびっくりした。

振り向くと部屋の扉の傍にはまーさんが立っていた。


「二人を養子として預かったのは色々と事情が絡んだからであって、他の子供達まで面倒を見てあげるのは難しいのよ」


「あー、ごめん。別に本気でそう思って言ったわけじゃなくて。なんて言うか、そのくらい可愛くて愛らしいってのを言いたかっただけで……」


「あら、そうなの。前に母さんから『陽葵さんにはお気に入りの子がいるのよ』って話を聞いていたからてっきりそういう意図があるのかと思ったわ」


「まあ、妹みたく可愛がってるのは事実だけど。っていうか『母さん』?」


「あなたが『ちょーさん』って呼んでる人の事よ。彼女、私の母親なの。志村しむら 真帆まほって名前」


「そうだったんだ……。私、その話初めて聞いた気がする」


「そう?初日に紹介したはずだけど?」


「そう、だっけ。憶えてないや」


それからまーさんにも桜月ちゃんに貰ったプレゼントの話をした。

まーさんは彼方と同じように『良かったわね』と言って頭を撫でてくれた。


「そういえばだけど、まーさん今日も来たんだね」


「ええ、あなたに話したいことがあったからね」


「そうなんだ。それで話って?」


「その事だけど、彼方を交えて話がしたいからリビングに行きましょ」


「うん、分かった」


まーさんはちょーさんから色々と話を聞いているようなので、何か私に話がある時には必ず彼方をセットにして話をする。


どうでもいい話なら二人きりでも構わないはずだから彼方を交えての話となるとこれから聞く話というのは大事な話なのだろう。


部屋から出るとリビングで課題をしていた彼方はまーさんに言われて勉強の道具を片付けていた。


私と彼方、そしてその向かいにまーさんといった形でそれぞれ席に着いた。

なんだか、三者面談のようだった。


「ねえ、陽葵。そろそろ学校に通わない?」


「……えっ?」


まーさんが口にした内容を理解するのに時間が掛かってしまった。

だってそれは私にとっては ″地獄に行け″ と言われているようなものだったから。


何故このタイミングでこの話なのかは何となく分かる。

春になり私が14歳の誕生日を迎えたのだから、それはつまり進級の時期が間近に迫っているのだと言われているようなもので。

これまで与えられてきた猶予に終わりが近づいているということだった。


ちょーさんに口を酸っぱくして言われていた事だ。

このまま登校拒否を貫けば、せめて中学校くらいは卒業しておかなければ、私は本当に生きていけなくなる。


先を憂い色々と考えてしまって手が震えてしまう。

けれどそんな私の手を彼方が優しく握ってくれた。


「大丈夫だよ、ひなには僕が付いているから」


「……うん」


その言葉で少しだけ救われた気がした。


「……まーさん。それについては少しだけ、考えさせて欲しい」


そう言って私は答えを先延ばしにした。





四月に入り、そろそろ答えを出さなければならず悩んだ。


来週から新学期が始まるらしく今日が返答のタイムリミット。


朝からまーさんとちょーさんが二人一緒に我が家を訪ねてきた。


彼方と私、まーさんとちょーさん、といった様な向かい合う形で席に着く。


「陽葵、復学についての答えを聞いてもいい?」


まーさんは優しくそう話し掛けてきた。ちょーさんも私の答えを待ってくれている。


机の下で彼方が私の手を握って応援してくれている。

今日こそきちんと答えを出さなきゃいけない。


「私は孤独になるのが怖かった。誰もいない状況で誰にも理解されない中で生きていかなきゃいけないことが怖かった。ずっと誰かに認めて欲しくて、受け入れて欲しかった。そんな私をあの学校は私を認めなかった。あまつさえ存在を否定され、辛い目に遭わされた。だから、通いたくなかった」


隣に座る彼の手を強く握って、私は自分がこれまで抱いてきた ″学校″ という物についてを思い起こしながら、少しずつ気持ちを打ち明けていった。


「けど、いつまでもそんな事を言ってられないのは私も分かってた。だって私はいつかは大人にならなきゃいけなくて、いつかは自分一人の力で生きていかなきゃいけないから」


まーさんともちょーさんとも目は合わせられずに、私は机の木目を眺めながらいつかの自分を想像した。

そしてこのままじゃダメだと思った。


ただでさえ、他人と衝突しやすい私がこれまでやってこれたのは周りに誰かがいてくれたからだ。

それは彼方だったり、まーさんだったりちょーさんだったり。

そんな彼らの助けがあってこその今があって。


けれどいつかは誰にも頼れなくなる日は来るわけで、いつまでも誰かに頼りきりってわけにはいかない。


だから──。


「感じてきた恐怖や嫌悪、酷い目に遭ってまた辛い思いをするかもしれない。あの時のように存在そのものを否定されて苦しい思いをするかもしれない。──それでも私行くよ、学校に」


「ひな!」


私の答えを聞いて彼方が思い切り抱き着いてきた。まーさんとちょーさんもこの時ばかりは嬉しそうに微笑んでいた。


「ひなが行くんなら僕も行くよ」


私に抱き着いたまま彼方がそう言ってくれた。


「──決まりね。じゃあ、その方向で考えていきましょ」


見届け役のちょーさんがあれこれと通学に関しての話を始めた。

まずは私達二人の制服について、男女どちらの物を着ていくかについてだった。

男子生徒という立場で通学する以上はセーラー服登校をするのは不味いかもしれない、とはちょーさんの言だった。

私に関してはどちらを着ても問題に発展する恐れがあるので保留にするにしても、彼方が男子の詰襟を着ることが精神的負担になってしまわないか心配だったようだ。


だが、それも彼方の「僕は男としての身体には違和感を持ってるけど、女子として振る舞うつもりは無いから男子の制服で大丈夫!」という言葉でちょーさんの杞憂に終わっていた。


彼方が詰襟を着るなら私もそれでいいからと私が了承したことで二人とも無難に詰襟を着ていくことになった。


「何はともあれ、通学を決めたんだったら色々と準備を始めなきゃね」


「……うん、そうだね」


ちょーさんはそう言って必要書類を出した。不登校の生徒向けの書類に復学申請の書類等々。書くものが多くて大変だった。


「次は頭髪についてね。私は二人の事情を知っているし、それを否定をするつもりは無いわ。ただ、切っておいた方が周囲からの非難を受けずに済むのは確かだと思うのよ」


二人揃って短髪にするのはどうかと提案をされた。私は自分が好きで短髪にしているし、それで構わないけど、彼方はどう思うだろう。

唯一女らしさを残せるものだと伸ばし続けてきた髪だったはずだ。


嫌がるのでないか、とそう思った。


「良い機会ですし、僕も短髪にしようと思います」


けれど今度は私の心配が杞憂に終わり、彼方はほぼ即答で断髪を了承していた。

明日にでも美容室に行くらしい。


短髪の彼を見たくない自分とどんな風になるのか楽しみにしている自分がいる。


なんだか複雑な心境だった。




翌日は珍しくまーさんが連れ出してくれて、二人で一緒に出掛けた。


特に何をするでもないけど、ドライビングして色んな所を巡った。

行った先のデパートでファミレスに寄って美味しいご飯をお腹がいっぱいになるまで食べたり、デパートに行って新しい化粧品や洋服なんかを見て回った。


こんなの彼方に着せてあげたらどうだろう。

こんな化粧合うんじゃないか。

このアクセはどうだろう。


間々でまーさんと彼方の好きそうな物について話しながら買い物をした。


久しぶりのちゃんとしたお出掛けというものを楽しんだ。そんな私を見てかまーさんも嬉しそうだった。


「あっ、二人ともおかえり」


買い物袋をぶら下げて帰宅すると、髪が短くなった彼方がいた。


男子にしては多少長め、女子で言うところのショートヘア。

前髪は眉にかかるくらいの長さでアシンメトリーになっている。


そんな彼を見てなんだか私はひどくモヤモヤした。

短髪になって、より男らしさが目立つ彼のその見た目に、私はひどく衝撃を受けてしまった。


そして何も起こらず普通に生きてきたら、私もこんな風になったんだろうか、とそんな事を考えた。

この時初めて私は彼に『男のまま成長する自分』を重ねて見ていたいたんだと気づいて、心苦しく思って自然と涙を流れた。


「──ごめん、部屋に行くね」


気まずさからなんだか居た堪れなくなり、私はその場から逃げた。


二人とも意味不明な行動をしてしまった私を放っては置かないだろう。

そう考えて扉の前に座り込んだ。

内開きであるこの扉はこうしておけば開かないだろうから。


案の定、扉が私の背中を何度か叩いた。


「ひな、どうしたの?何かあった?」


「……なんでもないよ」


「何でもなかったらこんなことしないでしょ。どうしたの?話してくれない?」


「なんでもないって言ってんじゃん!」


つい怒鳴ってしまった。

彼方は何も悪くないのに。


「うん、分かった。ひなが聞かれたくないなら今は訊かないことにする。けど話せる時でいいからちゃんと話してね。待ってるから」


優しい声でそれだけ言って、彼方は部屋から離れていった。




初めて出会った時、不思議と見た目がそっくりだった彼は今ではだいぶ男らしくなってしまった。

たった一年ほどの間に見た目がまるまる変わってしまったように思える。


私は女の子のような見た目をした彼が好きで、彼が私と同じような悩みを抱えていたからこそ、心の底から寄り添っていけたのかもしれない。


だけど、今は違う。


成長する身体に苦悩して泣いていた彼方はもう何処にもいない。身体の成長を割り切って何とか髪だけでも女の子らしく、と言って髪を伸ばし続けていたその彼ももう何処にもいない。


彼が私と同じ悩みを抱えていたから私は色々協力して彼に色々と話をした。


けれどそれはただの押し付けで、同じ悩みを持っていて未だ身体が男のままの彼に、自分が出来なかった『女になりたい男の子』をさせていただけだったのかもしれない。

『私』が彼にそうあって欲しいと思っていたのかもしれない。


彼は以前、『成長と共に変わってしまう自分が怖い』と言った。

当事者である彼と同じくらい私もそれが嫌だったんだと気づいた。


唐突に訪れた嘔吐感に慌ててトイレに駆け込んだ。

そして吐いて吐いて吐いて──。胃液しか出なくなるくらいまで吐き出した。


そんな私の声を聞いてか、まーさんが慌てて駆けつけてきた。


「陽葵、体調悪かったの?もしかして無理させちゃってた?」


「ううん、最近あまり寝れてなくて寝不足だっただけだから大丈夫だよ。心配かけてごめん」


「そう?何かあるならちゃんと話してね」


「うん、ありがとう」


まーさんは何も訊いてはこずにそう言って私を憂慮した。

こんな気持ち、まーさんに話せるはずもなかった。


私は立ち上がって、部屋に戻った。途中で彼方が不安そな顔をして私を見ていることに気がついたけど、まだ今の彼とどう向き合えば答えが出ていなかったがために無視してしまった。


部屋に篭ってしばらくして、ディルドを用いながら自分を慰めていたけど、物足りなくて辛くなった。


その後、しばらく机で紙に書きながら考え事をしているとだいぶ時間が経ってしまっていたようで窓の外は真っ暗になっていた。


部屋から出るとリビングで二人が眠っていた。


仲間はずれにされている気がして寂しく思った。こうなっているのは自分のせいなのにそんな事を思う自分に辟易とする。


恐る恐るといった感じで私は布団の中に潜り込んだ。


「ごめん、私がかなの人生を歪めちゃったのかな。私が偉そうに余計なことばっかり言ってきたから。無駄にかなは悩んじゃってたのかな」


私は懺悔しながら眠る彼方に抱き着いた。

そして彼の胸に顔を当てて、そこから聞こえる鼓動を感じた。


不思議と彼方の鼓動は私にとってとても心地が良い物に感じた。


翌朝、目を覚ました私は家の中を見渡した。


そこには誰も居なかった。彼方もまーさんも。


その日夢の中で見たすっかり冷たくなってしまった母のことを思い出して、嫌な想像をしてしまった。

二人一緒に事故に遭ったというあの親子のことを思い出して不安になった。


『彼方を連れて出掛けてくるわ。ご飯は冷蔵庫の中にあるからちゃんと食べなさいね』


私は机の上に置かれた置き手紙を見て心底安堵した。




>


彼方と関係を持ったあの日から毎晩のように夢を見るようになった。そして夢を見た日は決まって寝起きに頭痛を起こした。

その頭痛が熟睡出来なかったことが原因で起きた物なのか、記憶が戻ることで脳に負荷が掛かって起きた物なのかは、それは定かではないが。


ともかく、夢という形で自分の過去を知った私は徐々に徐々に自分の記憶を取り戻していった。

それは私の中にあったはずの、けれど今の私の中には無い記憶。




欠けていた記憶を思い出してごちゃごちゃとした頭のまま、布団を畳んでから部屋に篭もって、改めて夢の内容を思い返し引っかかった情報を紙にまとめた。


まーさんは居なくなった息子の代わりとして私を引き取った。だから私に『陽葵』と名付けた。恐らく行方不明の息子さんの名前が『陽葵』だったから。

そしてその後保護した彼方に『彼方』と名付けたのは彼の事を『私』だと勘違いしたからだ。


『彼方』とまーさんはすごく馴染んでいるように感じる。雰囲気から生活感から何から何まで。


それはつまりそういう事、なのだろう。


「まーさん──、志村 真利愛は施設長である志村 真帆さんの娘。そしておそらく行方不明となった真利愛さんの息子がかな。つまりは本物の陽葵」


頭を整理するため相関図を描くように書き連ね、そうして重ねた思考によって導き出された結論に私は乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。


最初に私を見つけてしまったから、まーさんは息子さんを諦めてしまった。

だから『彼方』が現れても偶然私のそっくりさんだったと、そのくらいにしか思わなかった。


ならもしまーさんが私より先に『彼方』を見つけていたとしたら。

きっとまーさんは自分の息子が生きて自分の元へ帰ってきた事を喜んだだろう。

そしてこんな何処の馬の骨とも知れない私を拾ったりはしなかっただろう。


私は『陽葵』になるべきじゃなかった。

私が『陽葵』にならなければ、彼はまーさんの息子に戻れたはずだった。


この家族の中で私だけが赤の他人。私がこの場所に来てしまったから。だから全ての歯車が狂ってしまったのだとそう気づいた。


私のいるべき場所はここではない。

私はこの家にいるべきではない。


そう考えた私はその日、家を飛び出してた。

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